「人生で一番、夏を感じた瞬間だった」
決定打となる相川の一撃を松田がブロックし損ね、ビーチバレー優勝は相川・飯島チームに決まった。
喝采をあげる西村を松田が海に沈め、それを契機に全員が海に入る。相川は疲れたのか浅瀬で波に揺られながら涼み、他の女子達も同じように浅瀬で遊び始めた。
当然西村は女子達に混ぜてもらいに突撃し、松田と直也は交代で荷物番をしながらお目付け役をする。相川グループはカースト上位だけあって男子の扱いにもある程度慣れており、西村はおちょくられ、道化を演じる羽目になった。本人が楽しそうなので、それはそれでいいのだろう。
しばらく固まって遊んだ後、深夜を含む波打ち際で遊ぶグループと浮き輪装備で泳ぐグループに別れる。西村はどちらでも顔を出すが、松田は基本的に泳ぐグループと行動し、直也は波打ち際グループと行動した。
初めて一緒に遊びに行くグループだったが、そうとは思えないくらいすぐに馴染んだ。特に西村と相川の存在が大きい。
リーダーたる相川が男子達とも分け隔てなく接するし、お調子者の西村が雑な扱いを許容する。おかげで、他の女子達も肩の力を抜いて話せたようだ。
ちなみに、三人の中では松田が一番モテた。そのことを逆恨みした西村が何かと悪戯を仕掛けるが、全て返されていたのが直也としては目を覆いたくなるほど悲しく虚しい。そのせいで松田が格好いいと言われてしまうのが、もうどうしようもない。
西村の努力が実らないことを安心すればいいのか嘆けばいいのか。
心配されていた深夜へのナンパは、幸いにしてそう起こらなかった。常に誰かが傍にいるからだろうし、西村が騒ぎすぎて近づきづらいからかもしれない。おかげでグループで来ているのが誰から見ても分かるほどだった。
何度か相川と二人だけの時などはナンパ男が近づくこともあったが、男子の内の誰かがすぐにフォローしたので大事には至らなかった。
男子だけでなく女子までもがナンパしたくなる気持ちも分かると頷き合ったが、だからと言ってそれを許すわけにはいかない。今日は皆で遊びに来ているのだ。
特に直也は深夜の動向を常に注意して見ていた。いや、これは決して罪悪感を払拭したいとか、その為にやれることをして気持ちを軽くしたいとか、そんな理由では決してない。朝陽からも頼まれているし、深夜がそういうのを苦手としているのを知っているからだ。
友人としての思いやりからで、罪滅ぼしなどでは決してない。
そうこうしている内に時間は経ち、太陽が中天を通り過ぎる。楽しい時間はあっという間に過ぎ去るものだ。この世の真理の一つである。
「っあー腹減ったぁー!」
レジャーシートに寝転がり、西村が吠える。
口にはしないが、松田も直也も同じ気持ちだった。弁当への期待で朝を軽くしていたのがここにきて効いている。
「あんたは少年漫画の主人公か」
「え? そう? そう見えちゃう?」
「見えない、あたしが悪かった。さ、お待ちかねのお昼だよ」
「なんで謝られたの? まぁいいや、女子の手作りメシ! 今日一番の楽しみなんだよ!」
あまりの切り替えの早さに女子達が笑い、相川までもが苦笑いを浮かべる。
相川に目配せされ、深夜の手によって開かれた宝石箱の中には、目も眩むような財宝が詰まっていた。
色とりどりのサンドイッチ、男子のお腹を満たす為の唐揚げ、幾重にも巻かれた卵焼き、目にも鮮やかな野菜スティックとミニトマト。デザートとして凍らせたパインとぶどうが添えられ、実に贅沢な品目が揃っている。
まさかここまでとは思わず、松田と直也は思わず唸ってしまった。そして、西村はと言えば。
「うっひょー! めちゃくちゃ美味そう! これ食っていい!? いいよな!?」
「聞きながら手をつけんな! ったく、いいよ、食べな」
「いっただっきまーす!」
夏空に響き渡る声を上げて、サンドイッチと唐揚げにかぶりつく。
眉根を寄せる相川だったが、うまいうまいと頬をパンパンにして食べる西村に絆されて顔が綻んでいた。作った料理を美味しく食べられて悪い気はしないらしい。
松田と直也もそれぞれ手を合わせて頂く。どうぞ、と差し出されたクーラーボックスの中身はどれも美味しかった。
冷めても味が落ちないものばかりで、よく考えられている。野菜スティックはしゃっきりと歯応えがあり、松田は食感が気に入ったのかひたすらに食べている。西村は唐揚げを食いつくさんばかりの勢いだし、直也も卵焼きが気に入って惜しむように食べた。
「おいこら男子、好きなもんばっか食うな。特に西村、野菜食べろ」
「えぇ~? 相川って母ちゃんみたいなことばっか言うなぁ」
「あ?」
「すみませんでしたっ! 野菜、いただきますっ!」
スティックを掴んでぱりぽりとリスのように頬張る西村に、相川が腕を組んで一つ頷く。
松田は女子達から自分が作ったのだとサンドイッチを差し出され困惑している。そして直也は、その光景を見ながら卵焼きに手を付けようか別のにしようか迷っていた。
「卵焼き、好きなの?」
声をかけられ、反射的に動こうとするのを意思の力で押しとどめる。
ゆっくりと顔を上げれば、そこには想像した通り深夜がいた。
「あぁ、一人暮らしするようになって好きになった。作るの簡単だから」
「そんな理由?」
くすりと笑う彼女に心臓が跳ねる。
それが緊張感によるものか、別の理由かは直也にも分からない。
「大事だぞ、俺でも失敗しない料理って。それに、この卵焼き面白いからな」
「面白い?」
「あぁ。いつもの味付けのやつと、微妙に違うのが混ざってて変化があっていい。唐揚げとかより分かりやすいし」
深夜が少し息を呑んだのが、直也にも分かった。
「分かるの?」
「まぁ、ほぼ毎日食ってるし。舌が覚えてる」
「……そっか」
そう呟いて、深夜が隣に座り込んだ。
肌が触れ合いそうなほど近く、体温すら感じられそうな気がする。
そうなるともう食べ物を選んでいる場合ではない。何にしようか悩んでいる振りをしながら、隣の気配が頭から離れずに脳がパンクする。
横から伸びてきた腕が、直也の腕と軽く触れ合った。
「これとか、どう?」
彼女の手が掴んだのは一つのサンドイッチで、直也は一言も発さないまま受け取る。
触れ合った肌が熱くて火傷しそうだ。
一口食べたサンドイッチはハムとレタスと卵が具材の定番の代物で、ふわっとした口どけの卵をしゃきっとしたレタスが包み込み、ハムがしっかりと受け止める。食感も味も文句の出ない逸品だった。
「いつもの味だな」
「がっかりした?」
「いや、いつも通り美味い」
「そっか」
雪解けのような微笑みを浮かべる深夜と目を合わせることができず、黙々とサンドイッチを口に運ぶ。美味い、今はその単語だけで頭を一杯にしたい。
隣にいるのはいつもの深夜だが、いつもの深夜ではない。
水着という非日常の露出過多な衣装に身を包む、夏に迷い込んだ実体を持つ冬の精霊だ。
少し動いただけで素肌の感触がしそうで、指先まで意識を集中させてしまう。
だから、彼女が身を寄せてきたことにすぐに気が付いた。
「あのね、お姉ちゃんのことなんだけど」
耳元で囁かれたこととその内容に、直也の体が硬直する。
触れそうで触れなさそうな距離に彼女の素肌がある。左の肘のあたりに彼女の胸があるような気がして、太陽のせいではない汗が流れた。
「学校の皆には、家の話はしてないの。お姉ちゃんと二人暮らしって、あんまり知られたくなくて」
そうだろうな、と思う。
これほどの美少女が姉妹だけで二人暮らしだなんて、知られたら大問題だ。姉の朝陽まで深夜並みの美女なのだから、それはもう騒がしくなるだろう。
「私が無理にお姉ちゃんのところに転がり込んだようなものだから。あんまり迷惑かけたくないの。ただでさえお姉ちゃんすごく綺麗で大変だから」
それは分かる。あれほどの美人なのだ、下手するとストーカーとかの被害にもあったことがあるかもしれない。
セキュリティマンションとはいえ、用心するに越したことはない。もう少しお金があればもっとしっかりしたところに住むのだろうが、世の中とは世知辛いものなのだ。
「分かった。悪かった、俺が不注意だった」
「ううん、相川さん達ならいいかなって思ってたから」
そう言って薄く微笑む彼女からは、直也への気遣いが感じられた。
多分、本当はそう思っていなかったのだろう。言わずにすむならその方が良かったはずだ。
うっかり口を滑らせた直也が気にしないよう、そう言ってくれているのだ。
そのぐらい、直也にだってわかるのである。
「……悪い、今後は気を付ける」
「うん、ありがとう。ごめんね、私のワガママで」
「んなことねぇよ。言いたくないことぐらい、誰にだってある」
苦笑する深夜に、直也が強く否定する。
そう、言いたくないことくらい誰にだってある。直也だって、かつてのことを誰にも言うつもりもなくここに来たのだ。
ただ、最近少し、それでいいのかと思わなくもない自分が居る。
こうして深夜と話していると、特に強く思う。
自分を信頼してくれている彼女に、大事なことを隠したままでいいのか。隣に住んでいる理由を言わずに平然と善人面していていいのか。
普通なら、高校生の一人暮らしなんて不審に思うだろうに。
「うん。ありがとう、柏木くん」
ふと、朝陽は名前で呼ぶのに、深夜は苗字なんだなと思った。
そう思ったせいか、やらかしの理由が分かって気が抜けたせいか。
左の肘が、柔らかい何かに当たった。
ん、と小さな声が隣から漏れる。
頭の中が爆発した。
「え、あ、いや、わざとじゃ、ちが、い、痛くないか?」
自分でも何を言っているのか分からない。
口が勝手に動いている。頭の中は真っ白なのに、意味も分からず言葉が漏れ出た。
「だいじょうぶ、へいき」
「そうか、うん、それなら良かった。あぁ、その、腹減ったな?」
「まだお腹空いてるの?」
そんなに空いてない。というか、空いているかどうかもう分からない。
ただ何もせずにいることができずに、手がクーラーボックスの中をさ迷い、卵焼きを探り当てた。
何も考えずにそれを掴み、口に持っていこうとして、
「あーーーーーっ! 柏木、一人で卵焼き全部食う気かよぉ!?」
突進してくる西村とぶつかってもんどりうって倒れた。
卵焼きは手放さなかった。
「良かったー、まだ残ってる! 柏木、野菜も食えよ!」
「あんたが言うな。悪いね、姫野。邪魔した?」
「ううん、大丈夫。西村君はまだ食べるの?」
首を振る深夜に肩を竦めて、相川は西村を睥睨した。
冷たい目に晒されながらも、西村は満面の笑みで拳を掲げる。
「おぅよ! まだ食えるぜ!」
「まだこれから泳ぐんだから控えめにしろって言ってんのに」
「だってまだあるじゃんか!? 食い足りねーよ、オレこのために朝は味噌汁だけにしたんだぜ!?」
「バカじゃないの……あぁいや、バカだったわ。帰り際に食べればいいでしょ」
「食いたい時に食う! それが大事!」
「バカで素直って手に負えないわ」
額に手を当てる相川を尻目に、西村はサンドイッチを手に取る。
こういう時に突っ込んでくれる松田は、女子達に囲まれて手が回らない状態だった。
西村に引き倒された状態のまま、直也は持っていた卵焼きをちまちまと食う。
肘にまだ感触が残っている気がする。
帰りにシャワーを浴びる時に肘だけ保護するべきか、卵焼きを食べ終えるまで悩んだ。
人生で一番、夏を感じた瞬間だった。




