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隣の部屋にはお姫様が住んでいる  作者: 満月すずめ
第一章・一学期

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「時間が止まった」

 青い空、白い雲、青い海、白い砂浜。

 眩く輝く太陽の下、薄く立ち上る陽炎の上で、水着姿の人々が歓声を上げる。

 まさに夏といった風景が目の前に広がっていた。


「海だーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」


 我慢の限界がきたのか、西村が突然両手を広げて叫ぶ。

 全速力で駆け出そうとして松田にシャツの襟首を掴まれ、「ぐぇっ」と蛙が潰れたような声を上げた。


「ちょっとまっつん!? 酷くね!?」

「一人で動くな。団体行動しろ」


 親指で女子達を示せば、西村も反論ができずにしょげ返る。

 ここまでずっと静かにしていただけでも西村にしては勲章ものだろう。電車の中で必死に騒ぐのを堪える姿はあまりに面白く、腕組みした相川が隣にいるのが妙にはまっていた。


 直也とて高揚しているが、西村のように騒ぎたいとは思わない。ある意味で友人の真っ直ぐな姿は羨ましくもあった。

 感情と行動が直結しているのは、短所であるが長所でもある。ご両親を鑑みれば、おそらく家系なのだろうなと思わなくもない。

 目を離せないという意味で、注目を集める存在であるのは間違いなかった。


「騒ぐのは着替えて海に入ってからにしな。まずは場所取り行くよ」

「はいっ!」


 自然とこのグループでもリーダーになってしまっている相川に敬礼し、西村はパラソルなどの荷物を抱えてついていく。

 すっかり相川の子分ポジションが板についてしまった西村だが、本人は夏空の太陽にも負けない笑顔を浮かべている。松田と直也は顔を見合わせ、肩を竦め合った。


 人は多いが芋洗いというほどでもなく、危なげなく荷物を置く場所を確保できた。西村達曰く、少し遠い『浦の方』は県外からも人が押し寄せる為、今日来ている『浜の方』よりも場所の確保が難しいんだとか。

 そうはいってもこちらも人気スポットらしく人は多い。だから朝から集合したのだろう。


「じゃ、荷物ロッカーに入れて着替えてここに集合ね。西村は早く戻ってきたからって勝手に遊びに行かないように」

「オレだけ!? 柏木と松田は!?」

「二人はそういうことしないでしょ。暇なら準備運動でもしてな、足つっても知らないよ」

「相川って母ちゃんみたいなこと言うなぁ」

「あ?」

「すみませんでしたっ!」


 腰を90度に曲げて謝罪する西村を置いて、直也と松田はさっさと荷物を持って更衣室に向かう。口は禍の元、雉も鳴かずば撃たれまい。昔の人は上手いこと言ったものである。


 おっつけやってきた西村と合流し、水着に着替えてロッカーに荷物を入れ、防水ポーチに貴重品だけを詰めてパラソルの下に戻る。

 男の水着など代わり映えがしない。せいぜい松田がスポーツ用品っぽいフィットタイプで、西村が短パンタイプということくらいだ。


 しかし、こうして水着姿になると松田がかなり良い体格をしていることが分かる。さすがバスケ部。三人の中では一番顔もいい。そういえば終業式の日に西村がナンパがどうのと言っていたが、松田なら成功するかもしれないと思わせられた。

 直也は背ばかり育った己の体を見下ろし、もう少し筋トレでもすべきかと悩んでしまう。


「あっちぃ~……やっぱブーメランパンツにしときゃよかったかなぁ」

「犯罪だろうが、それは」

「すまん、それはさすがに縁切るわ」

「酷くない!? いやオレもどうかと思って止めたけどさぁ!」


 松田と直也から口々に言われ、西村が眉根を寄せてクーラーボックスからペットボトルを取り出す。

 中の氷はまだ健在だが、数時間後には小さい欠片だけになっていることだろう。


「っあーうめぇ! まっつんと柏木は何にする?」

「スポドリ」

「あー……麦茶」

「海に来てまで!? ファンタとかあるよ!?」


 文句を言いつつも、それぞれに希望通りの飲み物を渡す。

 女子達はまだ来ない。着替えに時間がかかっているのか、ロッカーを探しているのか、日焼け止めでも塗っているのか。何にしろ、もう少し待つことになりそうだった。


「あー暇だー……柏木、砂に埋まらない?」

「イヤだ」


 あっさりと拒絶され、西村は肩を落として砂を弄りだす。

 夏の海にそぐわない哀愁が漂っている。大人しく待つということができないのだろうか。


「準備運動でもしとけ。急に海に入るとマジでつるぞ」

「えぇー!? それも海の醍醐味じゃん?」

「溺れても誰かが助けてくれるとは限らないからな」

「そこは助けよう!?」


 西村の抗議を無視して、松田が準備運動を始める。つられて直也も軽く体操を始めた。


「え? 柏木も?」

「つるのはちょっとな……相川も言ってたし」

「えぇ~……分かったよ、やるよもう」


 男三人、荷物番をしながらも準備運動である。これが夏の海かと思うと少し遠い目をしたくなるが、時間のあるうちにやるべきことなのは間違いない。

 無言なのも何かと思ったのか、西村が「いーち、にーい、さーん」と掛け声をかける。なんとなくその掛け声に合わせてしまい、三人の動きが揃う。悲しき学生の習性である。


 一通りほぐしたところで、波のようなざわめきが直也達のところまで届いた。

 三人ともがある一つのことを予想し、ざわめきを辿って発生源を見やる。

 モーゼの十戒のごとく人垣が割れた先にいたのは、予想通り深夜達女子グループだった。


 先陣を切るのは相川で、鋭い目つきと気迫で周囲を牽制している。その後ろで塊になっているのは、おそらく深夜を囲っているのだろう。なるべく人目にさらさないように。

 その努力も虚しく注目の的になっているが。


 改めて見て思うが、相川達もそれなりに容姿がいい。リーダーたる相川は気の強さが外見にも出ているが、綺麗系として十分な魅力を持っている。同い年と思えないくらいの大人っぽさは深夜にすらない特徴だ。

 他の子も、様々な印象を受けるがカースト上位グループなだけはある。西村が喜ぶわけだ、と直也は心の中で納得した。

 その西村はというと、感動した面持ちで両手を組んでいた。涙すら流しそうだ。


「おぉ……すげぇ、女子だよ女子……皆レベルたけぇーよなぁ……うぅ、今年の夏は何かが違うぜぇ……!」


 神棚でも拝むかのような姿に、直也の中では友人として悲しむ気持ちと男として分からなくもない気持ちがせめぎ合う。

 松田はいつもと変わらぬ真顔で、特に感慨を抱いたようには見受けられない。これぐらいの冷静さが欲しいと思う。

 どういう態度を取るか決めあぐねている内に、相川達は目の前まで来ていた。


「っはぁ~……分かってたけど、視線凄いわ。気持ちは分かるけどね」

「姫野か」

「それ以外に何かある?」


 シニカルな笑みを浮かべる相川に、松田が同意するように小さく鼻を鳴らす。


「相川達も目立ってたぜ! 皆可愛いからな!」

「はいはい、ありがと」


 こういう時に真っ直ぐにそう言える西村は凄いと直也は本気で思う。お調子者で少し困ったところのある友人の、尊敬すべき部分だ。

 間違いなく本音であろうその言葉は流されてしまったが。


「じゃ、あんた達も見て驚くといいよ」


 そう言って意地悪な笑みを浮かべ、相川は道を開けるように体をずらす。


 西村も、直也も、松田までもが言葉を失った。



 そこに居たのは、現実と幻想が同居した奇跡の存在だった。



 夏の太陽に照らされた腰上まである髪は薄く金色に煌めき、白い素肌をくっきりと浮かび上がらせている。

 縁が白く彩られたパステルピンクのフリルビキニはイメージに反してやや大きめの胸を飾り、下はパレオのように広がって太ももの半分ほどまで隠している。


 露出度はフリルのおかげでそう高く見えない。が、ビキニはビキニだ。普段見えない部分が光の下に晒されているし、妙に隠されている分、想像を掻き立ててしまう。

 幻想的な美しさを持つ深夜が、しかしその生々しさで現実の存在だと知らしめてくる。


 ごくりと唾を呑んだ音が誰のものか、直也には分からなかった。

 これは、注目も浴びるしざわめきも起きる。むしろこの程度で収まっているのが凄い。相川達がガードしてくれたおかげだろう。

 仄かに上気した肌が水着と同じ色に染まって、心臓が握りつぶされそうだ。


「どう……かな? 変じゃない?」


 夏の海でも涼しげに響く、柔らかな新雪のような声。

 その一言で、全員が金縛りが解けたように正気に戻った。


「姫様、すっげ……! いや、すげーのは知ってたけど、今日はもうマジやべーわ!」

「……今回ばかりはバカに同意する」


 全身で驚きを表現する西村と、それを止めずに腕組みをして唸る松田。

 それだけで、どれほどの衝撃を受けたか察するには十分だった。


「あたしらも向こうで見た時は同じ反応したよ。一緒に来て良かった、姫野の水着は危険すぎるね」

「ミヤちゃん可愛すぎてヤバくない!?」

「これでスキンケアも大してしてないって言うから神様は不公平よね」

「更衣室からここまでで、一生分の視線を浴びた気がするわ」


 口々に褒めているのか何なのか分からないことを言う相川グループの女子に苦笑いを返して、深夜はさっきから一言も発さない直也の前に立つ。

 正確には、発さないのではなく発せないのだ。


 彼は今、大変な戦いの中にいる。これまでの姫野姉妹の信頼に応えんと邪な心を滅する自分と、夏の海で急成長する思春期の自分。その二人が死闘を繰り広げているのだ。

 エロい目で見てはいけない、と叫ぶ己が右ストレートを決めれば、これで興奮するなというのが無理だろ、と嘆く自分がアッパーを決める。


 グラビアアイドルなんてもんじゃない。清楚さの中に水着ならではの淫靡さを含みつつ、全体的に可愛らしさで押してくるも、発育の良い体が女性らしさを見せつけてくる。

 情緒が破裂しそうである。


「柏木くん?」


 他の人にかけるよりほんの少し甘い声で、上目遣いに顔を覗き込んでくる。

 やめてほしい。トドメを刺す気なのだろうか。身の内に棲む獣を飼いならさんとしているのに、火に油を注がないで欲しい。野生動物に餌を与えてはいけません。


 平常心と何度も心の中で唱え、般若心経を唱えようとして途中で分からなくなり、南無阿弥陀仏のお経を唱えようとして良く知らないことに気づく。

 空即是色、色即是空。色って色欲のことだろうか。そんなわけないか。


「柏木くん?」


 前より少しだけ疑問の色が濃くなった声に、返事をしなければと喉から音を絞り出す。


「……なんだ?」

「大丈夫?」

「大丈夫だ、問題ない」

「そう? ……じゃあ、あの。どう、かな?」


 少し照れが滲んだ仕草で胸元に手を置く。

 間違いなく命を狙ってきている。そう確信するが、邪気のない深夜の笑みに己の間違いに気づいた。


 思春期の自分に拳を振り抜いてK.O.する。頭の中でゴングが鳴り響く。正義は必ず勝ち、邪なものは聖なるものに正されるのだ。

 空即是色、色即是空。言葉の意味は良く知らない。


「いいんじゃないか。良く似合ってる」


 可愛い、とは言えなかった。

 それでも、花が綻ぶような笑みを見せた深夜にドキリとすると同時にほっとした。


 良かった。素直に褒めることができた自分を褒めてやりたい。ここで会話が終わるのもなんだか緊張するので、何か話題はないかと探す。


「それ、朝陽さんと選んだやつだろ? 心配してたけど、センスいいんだな」



 時間が止まった。



 確かにそう感じた。深夜の動きがぴたりと止まり、真顔で固まる。

 一気に変わった空気に、直也は戸惑いを隠せなかった。


 自分がやらかしたのは分かる。だが、何をやらかしたのか分からない。

 時の止まった深夜の前で、直也もまた時が止まったように立ち尽くしていた。


「柏木」


 呼びかけられ、止まった時が動き出す。

 首だけ動かせば、相川が不思議そうな顔をしていた。


「朝陽って誰?」


 え、と言葉にできずに口だけが開く。

 周りを見れば、全員が首を傾げてこちらを見ていた。

 誰も朝陽のことを知らない。その事実を前に、直也の中で様々な疑問が生まれては消えた。


 そういえば。

 よく思い出してみると、学校で深夜が姉の話をしているのを聞いたことがない。それどころか、家族やプライベートの話をしたこともないのでは。


 でも、普通に話していれば話題に上るだろうし、知らないところで相川達には話しているものだとばかり。

 姫野の私生活は想像できない、と終業式の日に松田が言ったことをふと思い出した。


「姉です。柏木くんと三人で水着を買いに行ったんです」


 深夜の答えに、新たなどよめきが起こる。


「え、姉!? 姫野さんってお姉さんいたの?」

「ていうか一緒に買いに!? 水着を!?」

「おい柏木どういうことだ!? ちょっと詳しく教えてくださいお願いします!」

「落ち着け阿呆」


 騒ぎ出す皆に苦笑して、深夜は直也から離れて相川達のところへ向かう。

 彼女の淡く銀色になびく髪が遠ざかるのを、直也はただ見送るしかなかった。

 深夜が離れた隙を見計らって、西村が強引に肩を組んでくる。


「ちょいおい柏木、どういうこと!? 家が近所ってのは知ってるけどさぁ!?」

「あー……」


 助け舟を求めて松田を見やるが、小さく首を横に振られてしまった。

 視界の端に深夜の姿を収めるが、もう相川達の輪の中で何か話している。皆がいる前でこれ以上話すのは良くないと、直也でも察しがついた。

 それ以前に、何を話せばいいのかすらわからないが。


 勝手に深夜のプライベートを晒したような事態になったことにちくちくとした罪悪感が募る。この前から自分はバカなのか。

 深夜にだって何かしらの事情があるってことくらい、最初から分かっていたはずなのに。


 おいなんだよ早く教えろよとわめく西村をスルーして、どう言えばこの場を収められるかを考える。

 これ以上余計なことは言うべきじゃない。海には楽しい思い出を作りにきたのだ。深夜を困らせるために来たんじゃない。


 適当に西村を言いくるめ、全員いるんだからビーチバレーでもどうかと提案する。

 すぐさま乗ってきた西村の単純っぷりに感謝しつつ、チーム分けをどうするか話し合う。

 深夜の顔にも笑みが戻ってきて、心底胸を撫でおろした。


 とにかく海を楽しもう。今日はもうそれだけでいい。

 そう思い直して、チーム分けを決めるじゃんけんに臨んだ。



 西村と同じチームになったのは、天からの罰だと思うことにした。

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