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隣の部屋にはお姫様が住んでいる  作者: 満月すずめ
第一章・一学期

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22/44

「一緒に頑張ろうね」

 『森のくまさん』は、正式名称を『Bakery & Café パンの庭』という。看板に出ているから間違ない。

 少し横に広いその店は、住宅街の隙間にひっそりと佇む隠れ家的な居住まいをしていた。


 普通のパン屋っぽい店舗に、広めのテラスがくっついている。テラスの周囲には木や花が植えてあり、なるほど『庭』や『森』というイメージがぴったりの場所だ。

 お洒落な雰囲気というよりは、素朴さが際立つ。心配が杞憂に終わり、直也はほっと胸を撫でおろした。


 慣れた様子で中に入る姫野姉妹に続いて足を踏み入れる。

 店内に入った瞬間、焼き立てのパンの香りが押し寄せてきた。


 壁際に並んだ棚や中央の机には美味しそうなパンがずらりと並べられ、あちこちに置かれたバスケットには零れそうなほど山盛りのパンが入っている。

 長いバゲットが突き刺さったバスケットもあり、見ているだけでなんだか面白い。木造の店舗とパンの色の相性も良く、絵本の中にでも迷い込んだようだ。

 店内には数人のお客さんがいて、姫野姉妹を見ても眉を軽くあげるだけで露骨な視線は向けてこなかった。なんというか、慣れているような感じがする。


「私の奢りだからねー、好きなの食べなさい!」

「ここのパンは美味しいからお勧め。ブール・ド・カンパーニュとか大きくていいんじゃないかな」


 胸を張る朝陽をよそに、深夜に勧められたパンは実に食べ応えがありそうなものだった。

 一つはそれにするとして、他にはないかと探す。

 どれも美味そうに見えて困るが、適当に選ぶ気はなかった。後悔しない為にしっかり選択するのは大事なことだと学んだのだ。


 総菜パンはだいぶ少ない。いわゆる焼きそばパンみたいなのはなく、肉と野菜が詰まったサンドイッチみたいなのが幾つかあるだけだ。

 逆に、菓子パンの種類は多い。コンビニにあるようなものではなく、バターと卵がメインのようだ。クリームやチョコ、ジャム入りのものも多い。甘い匂いが食欲をそそる。


 腹具合的には、重たいものが欲しいところだ。菓子パンは嫌いではないが、デザートみたいな感覚なので少し気分ではない。

 迷った挙句、バスケットに突き刺さっていた大きめの揚げパンにする。この二つで腹いっぱいになるだろう。


「決まりました」

「おっけー、ミヤはどう?」

「うん、これにする」


 トレイに載せられたのはブリオッシュとクリームパンだ。形がケーキみたいで可愛らしい。直也のと並べると、本当に同じ店のものかと首を傾げてしまう。

 ふと、朝陽が手ぶらなことに気づいた。


「朝陽さんはどうするんですか?」

「私? ふっふーん、私はちょっと贅沢をね。あ、おばちゃんお会計お願いしまーす。あと、カフェにも行きまーす」

「はいはい、かしこまりました」


 笑ってレジを打ってくれたのは、柔らかな物腰の50歳くらいの女性だった。店の雰囲気に似合う、落ち着いた素朴な空気をまとう人である。

 どうも姫野姉妹と知り合いらしく、朝陽と気安く話しているし、深夜もにこやかに微笑んでいる。朝陽はともかく、深夜のあの反応は間違いない。


 袋に入れられたパンを持って、朝陽の先導に従って飲食スペースを抜けてテラスに出る。外から見た印象よりも広く感じる。周囲に遮るものがないからだろうか。

 テラスには数人、若い女性達がお茶を楽しんでいる。パンの種類から想像はついたが、この店は女性客が多いらしい。

 空いているテーブルにつくと、テラスの横にある店の裏手と繋がっているであろうドアからエプロンをつけたウェイトレスと思しき人が近づいてきた。


「いらっしゃっせー、ご注文をどうぞー」


 やる気のない様子で小脇に抱えたメニュー表をテーブルに置く。

 朝陽がウェイトレスをじろりと見上げた。


「ちょっとー、店員さんちゃんとしてくださーい」

「朝陽先輩相手にやる気でないっすよ。そう思うならもうちょっと顔面抑えてから来てください」

「チャコちゃんはこれだからなー、顔は生まれつきですー」

「いやもう世の不条理っすね。深夜ちゃんもお久しぶりっす。元気してました?」

「お久しぶりです、千弥子(ちやこ)さん」

「いやもー、姉妹揃って人のプライドずったずたにしてきますよね。で、そこの少年はどなたです?」


 話を振られ、全くついていけなかった直也がびくりと反応する。

 千弥子というウェイトレスの視線に困っていると、朝陽がにんまりとした笑みで紹介してくれた。


「うちのお隣に住んでる柏木直也くん。ミヤと同い年でクラスメイトなんだよ」

「へー、一人暮らしっすか。その年で大変っすね」


 興味なさげな色でじっと見つめるのは止めて欲しい。どんな反応をすればいいか困る。

 ていうか、今の紹介で反応するのはそこなのか。この千弥子というのも朝陽の後輩だけあって一筋縄ではいかない人のようだ。

 直也の肩身が狭くなっている間も、女同士の会話は続いた。


「ねー、しっかりしてるよね。私も最初は大変だったしなぁ」

「あーしは家から出る気ないっすね。一人暮らしとか無理っす」

「チャコは私より無理だよねぇ」

「先輩だってあんまりだったもんだから深夜ちゃんが来たんでしょ。いーなー、あーしも可愛くて面倒見てくれる妹欲しいっす。深夜ちゃん、うちの子にならないっすか?」

「遠慮します」

「うわーばっさりー」

「ミヤは私の妹だからね! 誰にもあげないからね!」


 がばりと深夜に抱き着く朝陽。

 妹が空虚な顔をしているのに気付いてほしい。そして、何故かこちらにまで威嚇する視線を向けるのをやめて欲しい。直也はそう切に願う。


「で、その子は先輩と深夜ちゃん、どっちのお気に入りなんすか」


 急にドキリとすることを言うのはやめて欲しい。


「両方!」


 そして更に心臓が止まりそうなことを言うのは本当にやめて欲しい。


 笑顔で朝陽が言い放った言葉を、深夜も否定せずに黙って聞いている。その事実がどうにも直也を落ち着きなくさせ、意味もなくメニュー表を開かせた。


「へぇ、なるほど。少年、あー……柏木くん?」

「なんですか?」


 平静を装って顔を上げれば、千弥子の興味なさげな表情の中で目だけが妙な輝きを持っていた。


「夏の間って暇かい?」

「……まぁ、暇っすね」

「いいねぇ。バイトって興味ある?」


 急な展開についていけない。

 ニヤリとあくどい笑みを浮かべる千弥子に、朝陽の後輩であることを強く感じる。

 なんだか追い詰められた気分になって姫野姉妹を見れば、それぞれがこちらを見つめていた。


 朝陽は見守るように、深夜は何かを期待するように。

 どういう事態か分からないし、現状を正確に理解しているとはとても言えない。ただ、この空気の中でクールに振舞えるほど直也は大人ではなかった。


「……なくはないっす」

「うんうん、若いしタッパもあるし、それなりに力もありそうだ。合格!」


 何が合格なのかさっぱりわからない。

 意味の分からない直也を置き去りにして、千弥子は出てきたドアの方に歩き去っていった。


「おとーさーん、バイトの子見つかったよー」

「はい?」


 何かわからないうちにバイトが決定したらしい。

 説明を求めて姫野姉妹を見やると、片方は安堵したように、片方はドッキリが成功した仕掛け人のように喜んでいた。


「ふっふっふ、実はこのお店は私の学生時代のバイト先でもあったのだ。ミヤも夏の間はここでバイトしてたんだよ」

「はぁ」


 それがどうした、と言わんばかりに頷けば、後を深夜が引き継いでくれた。


「去年の夏もバイトしたんだけど、その時に男手が欲しいねって話になって。千弥子さんのお父さんが店主なんだけど、その人が力仕事全部やってて。私も手伝いたいんだけど、あんまり力になれなくて……」


 それはそうだろう。深夜の細腕では小麦粉の袋を運ぶのすら大変そうだ。

 パン屋の仕事なんてしたことがないから、どんな仕事があるのか分からないけれども。


「このお店、見ての通り女性客中心でね。その上、私やミヤがバイトするから、妙な男は雇わないって方針にしてくれてて。でもそれだとおじさんが大変そうだから、なんとかしたいと思ってたの」

「はぁ……それで、俺ですか」


 朝陽が力強く頷く。

 なるほど、都合の良い力仕事要員というわけだ。姫野姉妹のバイト先なら、それこそタダでも働きたい奴は山ほどいるだろうが、それじゃ『何か』起きてしまうのは確定だ。

 ただでさえ女性客中心の店なら、そういう不祥事はご法度。信頼のおける男性従業員が欲しいと思っていたところに、夏の間暇な自分がいたというわけだ。


 それで水着コーナーで実家に帰らないのかと聞いてきたのか。この店でバイトできるかどうか、知りたかったのだ。もしかすると、これも今日のお出かけの目的だったのかもしれない。

 朝陽にいいように転がされている気はするが、夏の間暇なのは確かだ。バイトをするというのも悪くない選択肢ではある。


「私、今年もバイトするから。一緒に頑張ろうね」

「おぅ」


 そう、悪くない。

 別に深夜と一緒だからとかいう理由ではなく、何もやることなく成長のない夏になるより社会に触れて心身共に育つ夏にするのは有益であるという理由からだ。


 下らない言い訳を心の中でする直也に気づく人は、この場に誰もいなかった。

 誰に聞かせるものでもない、自分への言い訳だからいいのだ。姫野姉妹の信頼に応える為には必要なガス抜きである。


 影が落ちた。

 日差しを遮る何かがいる。見上げれば、熊がいた。


「君が、バイトしてくれる子かい?」


 それは、まさに熊だった。


 筋骨隆々の肉体を包む白いコック服ははちきれそうで、顔まで筋肉でできているのかと思うほどの大きさなのに、ほんの少し丸みもあって困惑する。

 横も凄いが縦も凄い。直也はそれなりに高い方ではあるが、その直也より頭一つ分以上に高い。


 大男といって差し支えない巨漢が、頭にコック帽を乗せて見下ろしてきていた。

 何を言われたのかもう覚えていない。


「……はい?」

「朝陽くんと深夜くんが推薦してくれたと聞いてね。間違いないね?」


 姫野姉妹が揃って頷く。

 二人ともこの突如現れた熊人間におののくこともなく、自然体で接している。


 そうすると、何か。

 この人が千弥子の父親で店主なのか。

 『森のくまさん』って、そういう意味かよ。


「うちの娘も歓迎しているし、よければ夏の間だけでも入って欲しい。深夜くんもいるから、気安く働いてくれ。僕もしっかり教えるよ」

「……宜しくお願いします」


 後退する選択肢はなかった。

 この状況で、「やっぱりやめときます」なんていう度胸があるはずもない。朝陽に完全にハメられてしまった。こういうところがあの人の苦手なところだ。


 ただ、悪いことではないのも間違いない。

 深夜と働ける。この熊みたいな店主も優しい人だと思う。『森のくまさん』なんてつけるくらいだからそうだろう。そうであってほしい。


 一人で働くよりも、見知った人と働く方が気が楽ではある。

 夏の間にやるべきことが出来たのは、直也にとっては非常に喜ばしいことだ。地元に帰らない正当な理由ができたのだから。


 店主と握手をして、後でいつから働くかなどを話し合おうと決めた。大体は深夜と一緒でいいらしいので、彼女からも説明をしてもらう。

 どうやらこの『パンの庭』は直也達のマンションから歩きで来れる場所らしく、去年の夏は深夜は殆ど朝陽の部屋に泊まっていたらしい。

 妙にいい条件に朝陽を見やると、ウィンクをしてきやがった。見た目がいいとこれでも許してしまいそうになるから困る。


 ため息を噛み殺しつつ、深夜や千弥子から話を聞く。千弥子も面倒くさがるので、大体は深夜と話すことになった。大丈夫かこの大人達。

 買ったパンはどうやらカフェスペースで食べて良いらしいので、朝陽の奢りのコーヒーと一緒に食べる。

 これがめちゃくちゃ美味かった。


 ここで働く理由が一つ増えた。こんな美味しいパンを作るところを見てみたい、という気持ちが湧く。

 そのことを話せば、深夜がここで働く理由の一つもそれらしい。なるほどなと納得しつつ、でかいパン二つをぺろりと平らげてしまった。


 店主を見る目が少し変わる。あの筋肉でこの美味しいパンを作るのか。なんというか、怖がっていたのが少し申し訳ない。

 ちゃんと手伝えればいいな、と思いつつ店を後にする。


 全て朝陽の思い通りなのだろうが、誰もが得をする結果となった。こういうところが嫌いになれない理由だろうな、と思う。

 その朝陽は、ご機嫌に車を運転していた。


 本当に、深夜が彼女と似ていなくてよかった。振り回される役が一人などというのは御免である。一緒に振り回される深夜が居てくれて良かった。

 隣に座る深夜に意識を向けながら、直也は窓から外を見る。


 今日も日差しは強い。

 今年の夏は去年までとは別物だ。もう既にそう思うし、これからもきっとそうなるだろう。


 夏が楽しみなのは、随分と久しぶりのことだった。

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