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隣の部屋にはお姫様が住んでいる  作者: 満月すずめ
第一章・一学期

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「私のせい?」

 放課後、帰り道。

 午後の授業の内容があまり頭に入らなかったのもまずいが、それよりも今の状況の方がよっぽどまずい。

 直也と深夜は並んで帰りながら、二人の間に会話は一切なかった。


 本当に一言も発さなかったわけではない。教室で「もう帰る?」「はい」と意思疎通は行った。それだけである。

 こういう時は自分から話しかけなくてはいけない。そのくらい直也だって分かっている。が、隣で歩く深夜を見ると開けようとした口が動かなくなるのだ。


 空を覆う雲から透けて地上に届く光は、彼女の髪を銀色に輝かせている。幻想的な美しさに気圧され、言葉が出て来ない。少し不機嫌そうに見えるのは、直也の気のせいか。

 埒が明かない。いつまでそうしているつもりだと自分を叱咤し、直也は腹に気合を込めて声を出した。


「弁当、美味かった。ありがとう」

「どういたしまして」


 助けて。


 雪が積もる音のように静かで小さく、しかしはっきり耳に届く声。人を落ち着いた気分にさせるはずの彼女のそれは、直也の焦りを募らせた。

 本題はここからだ。口の中の唾を飲み込んで、なけなしの勇気をかき集める。


「テスト前だけど、姫野はどうする?」

「柏木くんはお友達と勉強するんだよね」


 疑問形ではなかった。間違いない。

 自分の言葉選びがいけなかったのかもしれない。が、覆水盆に返らず。口から出た言葉はなかったことにできないのだ。人生とは、そういうものである。

 いや待て、考えすぎではないか。口調も内容も別に怒っているふうではない。昼休みの視線といい、勘違いしている可能性はないか。


 頭一つ分下のお姫様の顔を横目で覗き見る。

 あ、駄目だこれ。なんとかしないと。


「それは保留中」

「どうして?」

「姫野との約束があるから」

「私のせい?」


 真顔で見上げてくる深夜に、どう言えばいいものかと直也は眉根を寄せる。

 自分の失態が原因なのだから仕方ない。約束のダブルブッキングはされた側にとって気持ちのいいものじゃないのだ。

 そこをうまく言いたいのに、回転数の低い頭が情けない。


「先約優先でしょ。勉強は別に一人でもできるし、こっちの方が大事」


 諦めたらしいとはいえ、朝倉のしつこさは実際に目にしたから油断できない。

 それに、朝倉以外にもいないとも限らないのだ。深夜はその辺で雑にエンカウントしていい容貌をしていない。朝陽に頼まれた手前、どちらを優先するかは決まっている。

 お隣として友人として、寝覚めが悪い真似は御免被るのだ。


「律儀なんだね」

「普通だろ。約束は守るもんだ。あー……うっかりすることはまぁ、あるけども」


 最後の付け足しは許してほしい。気の置けない男同士の会話の流れで、ついつい反射で答えてしまうことというのはある。

 ここにきてようやく、深夜が視線を向けてくれた。


「うっかりだったんだ?」

「……はい。ごめんなさい」


 居たたまれなくなって項垂(うなだ)れると、隣で小さくくすりと笑う。

 こぼれた吐息が優しくて、直也は心底ほっとした。


「いいよ、怒ってない」

「……そうか?」

「うん。ごめんね、楽しそうだったからちょっと羨ましくなっちゃって」


 意地悪してごめんね、と眉尻を下げる彼女に何か言える人がいるなら出てきて欲しい。少なくとも直也には無理だ。

 それにしても、少し意外だ。羨ましがられるようなものだったろうか。直也だってイジメに合う前は中学でも似たような感じだったのだが。


「そんないいもんじゃないぞ」

「そうかな? 男の子ってすぐ仲良くなるよね」

「んー……あれは西村がおかしいんだと思うわ」


 男だからって距離感の近い奴ばかりではない。松田みたいな普通だったら仲良くなるのが少し難しい奴もいる。直也も付き合いの良い方ではないだろう。

 あれほど気安くなれたのは、西村の存在が大きい。バカだバカだと松田に言われているが、良いところは沢山あるのだ。ウザったいところもあるけれども。

 昼のやり取りを思い出しているのか、深夜が頬を柔らかく緩めた。


「勉強会、行く?」

「まぁ、試験頑張りたいからな。で、その間姫野はどうする?」


 尋ね返すと、こてんと首を傾げられた。


「え?」

「いやだから、勉強会やってる間どうすんのって話。一緒に帰るんだから時間潰してもらわなきゃ困るだろ」


 深夜の目が見開かれ、瞳の中のエメラルドが濃くなる。

 一緒に登下校するのを止める、という選択肢は直也の中にない。だって、約束したのだ。だから松田は話し合えと言ったのだと、そう思っている。

 それが、直也の中では当然だった。


「姫野も図書室で勉強するか? 俺らと一緒に……は、やめた方がいいな」


 男三人に女一人という構図はよろしくない。学校の『お姫様』なら尚更だ。西村もうるさいだろうし、深夜にとっていいことが一つもない。

 すぐさまそれらのことに思い至り、軽く首を振る。だがまぁ、深夜にも図書室にいてもらうというのは悪くない。お互いの動向がすぐわかるのは便利だ。

 図書室を勧めようとして隣に目をやると、


 深夜が微笑んでいた。


 雲の隙間から差し込む光に照らされ、ライトブロンドの髪が白く映えている。輪郭を浮かび上がらせるような色合いに、血色のいい頬が鮮烈に映る。


 いきなり見せられるのは心臓に悪い。そんなだから朝陽に送り迎えを頼まれるのだ。

 テレビの向こうにだっていないくらいの輝きを前に、目が潰れないよう視線を逸らした。


「実は、相川さんに勉強会誘われてるの」

「結構真面目なんだな、相川」

「成績いいんだよ、彼女。同じグループの子達に勉強教えて欲しいって言われて。ほら、色々あったから」

「あぁ……なるほどね」


 朝倉によって乱された女同士の結束を再び固めよう、という話だ。

 相川も色々考えているんだな、と感心する。深夜が自分のグループの子達と良い関係を築けるよう、場を整えているわけだ。


 やはりというべきか深夜は勉強ができるらしく、中間考査の結果を聞いたら腰が抜けそうになった。どうして自分とここまで差があるのか。神様の仕業か。

 ちなみに、直也の結果は悪くはないが良くもない。


「……勉強、頑張るか」

「よければ教えようか? 相川さんと松田君に話せば、皆で勉強会できないかな?」

「それは止めた方がいい」


 きっぱりと断言する。

 絶対に西村が騒ぐし、相川の目的はどちらかといえばグループと深夜の良好な関係の構築だ。余計なものが混ざるのを好ましくは思わないだろう。

 ただ、深夜に教えてもらえる機会は惜しい。


「姫野に教えてもらいたくはあるが、他にいいことが何もない。それぞれでやった方がいい」

「そっか、分かった」


 深夜が頷いて返し、話題が途切れてしまう。

 お互いに黙ったまま歩く。車がドップラー効果を残し、バイクが車体の大きさなど関係ないとばかりに爆音を上げて通り過ぎていく。どこかのチャイムが鳴り、誰かのスマホが通知音を響かせる。


 深夜の成績は良かった。学年でも間違いなく上位だろう。期末試験は上位10名だけは結果が張り出されるらしいので、その中に入っているかもしれない。

 そのくらいの点数が取れれば、親も安心だろう。そこまで贅沢は言わないが、深夜に見てもらえばもう少し点数が上がるかもしれない。

 諸々の事柄を天秤にかけた結果、直也は聞いてみるだけ聞いてみることにした。


「姫野、良かったらでいいんだけど」

「うん」

「無理はしないで欲しいって前提で聞いてほしいんだけど」

「はい」

「勉強、教えてもらえないか?」

「いいよ」


 躊躇なく頷かれ、直也の方が狼狽した。


「いやちょっと待て、そう簡単に頷くな」

「だって、教えて欲しいんでしょ?」

「そうだけど、待て話を聞け。勉強会はするよな?」

「うん」


 頷く深夜に、一度呼吸を落ち着けてからトーンを落として言う。


「その後、帰ってきてから教えてもらうことってできるか?」

「できるよ」

「いやだから話を聞け!」

「聞いてるけど」


 きょとんと首を傾げられ、直也の胸中はぐちゃぐちゃにかき乱された。


 ここまで警戒心がないとは思わなかった。いや、そんなわけない。ついこの前までそれなりに警戒されていたはずだ。何がどうしてこうなった。信頼されている? そう考えるしかない。それは分かってる。だとしてももうちょっとこう、何かないか。ないのか。そう考える俺が悪いのか。悪いのだろう。信頼されているのだ、応えなければ。


 深く息を吸って、吐いて、邪心を粉みじんに砕いた。


「一回帰ってからだから、俺の部屋で教えてもらうことになる。いいか?」

「いいよ」


 頷く深夜に、そうかと嘆息した。

 姫野姉妹の部屋で教えてもらう度胸はないし、邪心が炸裂しそうでヤバい。かといってファミレスで、なんてことができるほど裕福でもないし、夜に深夜を外に連れ出すのは怖すぎる。

 隣同士なんだし、勉強する場所は直也の部屋が一番都合がいい。それだけのことにおたおたする方がおかしいのだ。


 そんなわけあるか、看病された時とはわけが違うんだぞ。そう叫ぶ頭の中の誰かさんを合掌と共に撲滅する。


「すまん、助かる」

「助け合いだから。期末試験、頑張ろうね」

「おぅ」


 頷く直也に、深夜がそっと笑いかける。

 その後はぽつぽつと学校の事などを話しながらスーパーによって買い物をした。


 最近二人一緒に来ているせいか、パートのおばちゃん達の視線が生暖かい。何かを見守るような視線に無心で堪え、深夜が鞄に詰めていたエコバッグに食材を入れて直也が持つ。

 段々と、それがいつも通りになりつつあった。


 二人並んでマンションに入り、直也の部屋の前で別れる。

 そういえば一応保護者でもある朝陽にも一言断りをいれなくては、と直也は思い至る。いくら隣人で同級生とはいえ、夜に一人暮らしの異性の部屋に上げるのだ。家族に何も言わないのは問題だろう。


 朝陽にどんな顔をされるかと思うと、朝が来るのが憂鬱になる。

 深い溜息は、諦めの色をしていた。

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