「俺の弁当なんで」
「大ニュースだぞ、柏木ぃ!」
翌朝。
食費などのおろそかにできないことを取り決め、スーパーで恥辱に堪えながら買い物を終えて家に帰り夜を超え、朝陽の視線に晒されながら弁当を受け取って無心で並んで登校し、ようやく自分の席に着いた直後。
満面の笑みを浮かべた西村が開口一番のたまったのが、先程の台詞である。
胡乱な目で見やる直也にも構わず、西村は身を乗り出してくる。こちとら朝から朝陽の相手で疲れているのだ。HRまで穏やかな時間を過ごさせてほしい。
「実は、朝倉のやつなんだけどさ!」
ぴくりと反応してしまい、西村がにんまりと不敵に微笑んだ。
周囲を見回し、幾分か声をひそめて教えてくる。
「うちのクラスの相川いるだろ? あいつが朝倉のクラスに乗り込んで、姫様のストーカーしてたこととか人を使って嫌がらせしてたこととかぶちまけたらしい。姫様に関わるなって脅し付きで」
それはだいぶエゲつない。
聞きながら、直也も思わず「うわぁ」という顔をしてしまった。
朝倉はそりゃカースト上位だろうが、絶対的な地位というのは存在しないものだ。しかも、相川はあえて悪辣な言い方を選んだようだ。ここまでされて朝倉の肩を持つ奴はいないだろう。腫れもの扱いが妥当な所か。
胸がすく気持ちもあるが、同情もしてしまう。深夜につきまといさえしなければ、勝手に元気にやっていてくれて良かったのだが。
「いやー、いつか爆発するだろとは思っていたが、姫様絡みとはねぇ。これであいつも年貢の納め時だな!」
直也とは違い、西村は実に晴れ晴れとした表情だ。すかっとした、と顔に書いてある。
高校で少し関わっただけの直也もかなり嫌な思いをしたのだ。同じ中学だった西村達はそれこそ恨みつらみがあるのだろう。
こういう時は止め役に回る松田も、神妙に頷いている。
「ああいう奴は一回痛い目見といた方がいいんだ。社会に出てからよりはマシだろ。それより、昨日は大丈夫だったか? 相川達がお前を探してたが」
「あぁ、それは大丈夫。話し合いで解決した」
「え? 柏木も相川に狙われてたの?」
「ちょっとした誤解があったんだよ。もうなんでもない」
ひらひらと手を振れば、ふぅんと二人それぞれの仕草で納得したようだった。
「にしても、朝倉もアホだよなぁ。ストーカーて。そんなに姫様が欲しかったかね」
「あいつは数値と外見で人を見る奴だからな。姫野はあの容姿だし頭もいいらしいから、さぞかし垂涎だったんだろう」
「でも姫様ってそういうの嫌いそうじゃね?」
「ま、アクセサリーと似たような扱いだからな。嫌がる奴は多いだろうさ」
西村達の話を聞きながら、スーパーでの朝倉を思い出す。
外見や数値で人を測るのは、何もあいつだけじゃない。世の中には多かれ少なかれ残酷ながらそういう部分があって、そういう社会で皆生きている。
中学時代、そういう尺度で測って価値が低かったからあんな目にあったのだ。そう直也は思っている。
だからこそ、そういうのは好きじゃなかった。
「な、柏木。姫様ってやっぱそういうの嫌い?」
「俺に聞くなよ」
唐突に話をふられ、思わず刺々しい反応を返してしまう。
まずいと思って二人を見るが、特に気にしていない様子だった。
「いやだって、姫様と仲いいじゃん?」
「……まぁ、嫌いなんじゃね。朝倉のこともすげぇ苦手そうだったし」
「あぁ、それはそうだな。こっから見てても分かった」
松田が頷き、やっぱそうかー、と西村が腕を組む。
何事もなかったことに直也はほっとし、昔の事をことあるごとに思い出してしまう自分に自己嫌悪する。
朝倉が連中と同じ類の人間だったのもそうだが、そろそろ七月になるのも理由の一つだろう。事件が起きたのは七月の第二週の金曜日。テストが返ってくる最後の日。
イジメに耐えかねた自分が、暴れまわった日。
本当の意味で孤立するきっかけとなった日だ。
「おーい、柏木、どした? やっぱなんかあったのか?」
「え? あぁいや、ごめん。ちょっとぼーっとしてた」
苦笑してみせると、なんだそっかと西村が笑い返す。ちょうどHRのチャイムも鳴り、二人とも自分の席へと戻っていった。
入ってきた担任が話す連絡事項を耳に入れつつ、自省する。何をやっているのか。過去を吹っ切りたくてこの学校に決めたんじゃなかったのか。
今はそんなことより、目先のテストに集中するべきだ。
来週からテスト前につき部活が停止される。担任の口から語られたその連絡事項が、期末が迫っていることを否応なしに突き付けてくる。
下手な点は取りたくない。せめて、両親が安心できるくらいにはやってのけたい。
放課後は図書室で勉強しようか、などと考えているうちにHRは終わっていた。
※ ※ ※
普段より真面目に授業を受け、午前が終わった。
昼休み特有の弛緩した空気の中、西村と松田が飯の誘いにやってくる。ここ最近当たり前になったそれを、直也も気づけば自然に受け入れられるようになった。
「柏木ぃー、パン買いに行こうぜー」
「悪い、俺弁当なんだ」
鞄の中から弁当箱入りの巾着袋を取り出せば、珍しく松田まで驚いていた。
西村はぎょっとした顔で後ずさりながら、弁当箱を凝視してくる。
「柏木!? オレを裏切ったのか!?」
「意味わからん。とにかく、俺はしばらく弁当だから」
「んだよーいいなー。しばらくってどんくらい?」
「……さぁ」
唇を尖らせる西村から目を逸らし、曖昧に答える。
いつまで続くのか、直也にも分からない。深夜からも期限を切るような話はなかったし、直也も聞かなかった。
どちらも自然と、そういう話をしなかった。
「その巾着、結構可愛いな」
「……まぁな」
巾着袋は藍色の生地に白で影絵のように兎を象った模様が描かれている。
男子高校生が使うにはやや可愛らしいが、落ち着いた色味と柄でまとまっている。
それはそうだ。昨日の今日で、巾着袋を調達する余裕などあるはずもない。姫野姉妹の部屋にあったものの中で、一番大人しいものを選んだのだ。
「そういや昨日、姫野と弁当食ってたな」
「色々あって食い逃したからな。分けてもらったんだよ」
「帰りも一緒だったな。今日もそうか?」
「……まぁ、一応」
松田は訳知り顔で肩を竦め、それ以上の詮索をしてこなかった。
察しの良さに助けられたのか、追い詰められたのか。どちらにせよ、これ以上余計なことを言うまいと直也は心に決めた。
「いーよいーよ、オレだけ購買でパン買ってくるよ」
「いじけんな、気色悪い。俺も購買で飲み物買ってくるけど、柏木はどうする?」
「あ、じゃあ俺も行くわ」
巾着袋を鞄の中にしまい、ポケットの財布を確認して二人の後を追う。
三人で連れ立って歩く廊下は、一人で歩いている時とは違う景色に見えた。
「飲みもん何買う?」
「オレンジか野菜ジュース。柏木は?」
「あー……牛乳」
「なんだよお前ら、もっと若者らしく炭酸にしろよ!?」
「炭酸が若者らしいってのはバカの発想だぞ」
「そもそも炭酸あんま飲まないし」
「枯れてる!? うそ、オレの友達、枯れすぎ……!?」
わざとらしいポーズを取る西村を放置し、松田と直也は購買へ向かう。こういうやり取りにも慣れてきた。
小走りになって並んでくる西村に苦笑して松田を見やれば、同じように苦笑して肩を竦められる。三人並んで、購買までバカ話を続けた。
購買部は戦争というには派手さが足りない状況で、昼休み開始から10分間くらいはそこそこ混むもののそれが限界だった。
昨日までのクセで残ったパンを確認しつつ、パックの牛乳を手に取る。炭酸が嫌いなわけではないが、安さや栄養などを考えると昼は牛乳を選びがちだ。三食真っ当な食事をしていれば気にしなくていいのだろうが、男子高校生に高望みしてはいけない。
西村と松田も手早く買うものを決めて会計を済ませ、再び連れ立って教室へ戻る。西村が飽きることなく喋るので話題が尽きる心配はなかった。担任の喋る時のクセ、社会教師の嫌味の言い方、数学が得意な委員長が眼鏡を上げる時の角度。レパートリーの豊富さには直也も感心してしまう。誰かの陰口が混ざらないことにも。
案外、気難しそうな松田が西村と一緒にいるのはそういうのが理由かもな、と思う。
教室のドアを開けて中を一瞥し、今日は西村達の机の方で食べることにする。直也は鞄から弁当入りの巾着袋を取りだして、松田の隣、西村の後ろの席を借りることにした。
サイズ小さめな空色の二段弁当箱を取り出し、松田と一緒に「いただきます」と呟く。
蓋を開けると、見たこともない丁寧なおかずが姿を現した。
アスパラのベーコン巻き、ポテトサラダ、かぼちゃと人参の煮物にほうれん草のおひたし。メインにハンバーグがどかんと鎮座している。
全て手作りであることが一目でわかる料理の数々に、思わず西村と松田から声が漏れた。
「すっげぇ、なにそれ」
「……気合入ってんな」
まさかこんな豪華なものがくるとは直也も思っておらず、何の反応も出来なかった。
深夜は普段からこんなものを作って、朝陽は普段からこんなものを食べているのか。隣の部屋だというのに生活のクオリティがまるで違う。
普段夕食に作っている野菜と肉(特売品)の適当炒めとはケタが違った。何故だか心臓がバクバクと音を立てだして緊張してくる。
おそるおそる一段目をどけて二段目を世に晒すと、息が止まった。
「三食そぼろ……」
「売ってる弁当以外でオレ初めて見たわ」
松田が感嘆とも驚愕ともつかない息を漏らし、西村が真面目な顔をして呟く。
二人の様子を窺う余裕もなく、直也は胸中の複雑な思いを噛み砕いていた。
これが普通なんだよな、そう言ってくれ。やっぱ言わないでくれ。朝陽さんがめちゃくちゃ深夜を可愛がるのってこれが理由じゃあるまいな。いや、これが理由にならないっていう方が嫌だけれども。
様々な思いを噛んで飲み下し、箸を手に取った。
三食そぼろ丼を食べる。旨い。煮物に箸を伸ばす。美味い。ベーコン巻き。ヤバい。ハンバーグ。無言。
箸が止まらない直也を横目に、松田は自分の弁当に取り掛かる。西村もパンにかじりつきながら、羨ましそうに直也の弁当を見ていた。
「なーなー、オレにもちょっとちょーだい」
「え?」
顔を上げると、実に物欲しそうに西村が弁当箱を覗き込んでいた。
気持ちは分かる。こんな美味い弁当を見せつけられて我慢しろという方が難しい。育ち盛りの男子高校生で、しかも西村だ。勝手にとっていかないだけ気を遣ったと言える。
しかし、直也とてこんな美味い弁当を他人にやるのは簡単ではない。それに、これは深夜からお礼として作ってもらったものだ。あれやこれやと取り決めをして、直也の手に渡った弁当なのである。人に分けるのは抵抗があった。
だが、高校になって初めてできた友人の願いを断るのもどうか。
迷っていると、背中に視線を感じた。
そっとそちらを見れば、深夜と目が合った。
黒の中に薄いエメラルドが混じる瞳が真剣にこちらを見つめていて、背中に冷や汗が流れる。そんな目で見ないで欲しい。
直也にとれる選択肢など、最初から存在しなかったのだ。
「嫌だ」
「えーっ!? いいじゃん、ケチィー!」
「俺の弁当なんで。誰にも分けるつもりはない」
「心が狭ぇーぞ柏木ぃ!」
西村の悲鳴じみた非難を右から左に受け流し、ポテトサラダを口に運ぶ。
背中に受けていた視線の圧が弱まり、正解を選んだことを確信して胸を撫でおろす。これで間違っていたりしたら恥ずかしいが、帰りに聞けばいいだろう。
ぶーぶー文句を垂れ続ける西村を松田が止めに入る。
「うるせーぞバカ。んなことより、もうすぐ期末だろうが。お前大丈夫なのか?」
「急にやめろよ~テストの話はさぁ~」
がっくりと項垂れる西村に、松田がため息を吐く。
「お前なんでここに受かったの?」
「やればできる子なんだよオレは! 暗記物得意だし!」
「じゃ、テスト前くらい頑張れ」
「分かってんよぉ~も~……柏木はテストどうよ?」
話題を変えてくれた松田に心の中で感謝し、おひたしを噛み砕いて飲み込む。
「どうだろう。頑張るつもりではいる」
「高校最初の期末だもんなー、ここで落ちたくはねーよなー」
「そう思うんなら勉強しろ」
「分かってんよぉ~……なぁ、まっつん?」
期待と懇願できらきらと輝かせた目で西村が松田を上目遣いに見やる。
男がやると実に気色悪い絵面に、直也は目を閉じてハンバーグの味だけを堪能することにした。
「殴っていいよな?」
「急になに!? イジメ!?」
「反省しろバカ。柏木、俺達部活が休みになってから放課後に図書室で勉強するけど、来るか?」
願ってもない誘いだった。
断る理由が直也にあるわけもない。
「行く。松田って結構勉強できるのか?」
「そうだぞ! こいつバスケ部のクセに中学じゃ学年で十位以内に入ってたんだからな!? ずりーよな!?」
「なんもズルくねぇよ、卓球部。努力の結果だ」
「くそう、休みの日はゲーム地獄に叩き落してやってたのに!」
「途中からお前だけやってただろ。死んでもコントローラー離さねぇってツラして」
「え? そうだっけ?」
「柏木、バカに教えるだけ無駄だから俺らだけで勉強するか」
「あっごめんなさい! お願いします松田先生!」
プライドも何もなく頭を下げる西村を松田が呆れ顔で睥睨する。
中学からこうだったんだろうな、と簡単に想像させるやり取りだ。苦笑しつつ、期末の範囲を思い出す。
ふと、再び背中に視線を感じた。
何気なく振り向けば、じっとこちらを見つめる深夜と目が合った。
なんだろうか。今度は思い当たる節がなく首を捻っていると、松田に肩を叩かれた。
「柏木、さっきの返事は後でいいから。先約とちゃんと話し合ってこい」
美味い弁当まで作ってもらってんだから、と小声で付け足され、肝が冷えると同時に納得した。
そうだ、放課後は深夜と一緒に帰る約束をしているのだ。テスト前だろうがなんだろうが、約束に変更はない。
やらかしてしまったと思って深夜を見やれば相川グループと話していて、もうこちらを見ていなかった。
猛烈に焦る内心を押し殺し、何気ない振りを装って弁当を食い続ける。美味い。ちょっと涙が出そうになる。
「姫野の不興を買うのは勘弁だなぁ」
「? なんでいきなり姫様の話?」
首を傾げる西村に、なんでもないと松田が手を振る。
弁当を食べ終えてから昼休みが終わるまで、期末の話で持ちきりになった。
何を話したのか、直也は良く覚えていなかった。




