六話 違基験功
経験にしろ、鍛練にしろ、勉学にしろ。
人は積み重ねる事でしか成長する事は出来無い。
肉体の成長でさえ、食事──栄養の摂取と運動によって促される事なのだから。
その為、何もせずに、何事も無く、成長する事は無い。
先ず、そんな事は有り得ない話である。
それ故に、万象に於いては基因というのは必須。
突如として、そうなるという事は矛盾すると言える。
「──兄上!」
「蓮牙、いらっしゃい」
曹丕の姿を見た孫権は笑顔で走り出し、抱き付く。
年下で、まだ小柄な孫権を曹丕は難無く受け止める。
日常的に抱き付いてくる面子を考えれば可愛いもの。
曹丕自身も負担に感じる要素は皆無。
何より、可愛い義弟である。
その甘えを受け止めない理由など無かった。
「ちょっと蓮牙、先に私の所に来るべきじゃない?」
「御前よりも獅琅の方が頼りになる、という事だな」
「え~……そんな事無いわよね?」
孫権の態度に不満そうにする孫策。
それを周瑜が厳しい一言で切り捨てれば、孫策は楽進に話を振って味方に付けようとする。
──が、楽進はスッ……と顔を逸らした。
苦笑を浮かべる事すら拒否した態度に孫策は楽進に抱き付いてウザ絡みし始める。
楽進は「め、冥琳様っ!」と助けを求める。
しかし、孫策を排除するのには丁度良い生け贄。
周瑜は聴こえていない体で二人を放置した。
楽進の「そんなっ……」という絶望した表情。
それを見た孫策の「どういう事なのかしら~?」という揶揄いの混ざった絡みは続く。
「蓮牙様、先ずは御挨拶を」
側に歩み寄った周瑜から、そう言われて孫権は曹丕から一旦離れて姿勢を正す。
そして、きちんとした挨拶をして、曹丕も応える。
まあ、それが終われば再び曹丕に抱き付くのだが。
周瑜も孫策に対する様に口煩くは言わない。
きちんと出来ているのだから。
(……しかし、本当に仲が良いものだな)
孫権は曹丕を実兄同然に慕い、曹丕も実弟の様に接す。
実姉の孫策と婚約関係に有る為、義兄弟の仲が良い事は曹家・孫家の何方等にとっても好ましい事だ。
──が、それはそれとして思う事も有る。
その懐き方を見て周瑜は孫権が長男で良かったと思う。
もし、孫権が次女だったとしたら。
孫策は御払い箱になっていただろう。
問題児のじゃじゃ馬娘より、可愛い妹分の方が世間体も確実に良いだろうから。
そして、そうなると自分の立場を脅かしていた筈。
何しろ、周瑜自身も孫権の方が可愛いのだから。
まあ、だから、孫策は拗ねているのだが。
それは自業自得である。
今回、孫権は孫堅の名代として曹家に遣って来た。
それ故に、遣るべき事は遣らなくてはならない。
尤も、それは韓浩達が相手だから出来る事。
孫堅達にしても、下手な相手の所には行かせはしない。
今回の事は飽く迄も孫権に経験を積ませる為のもの。
だから、失敗してもいい相手を選んでいる。
韓浩達からすれば、孫権も親戚の子供でしかない。
だから、必要以上には厳しくもしない。
孫策とは違って真面目で、ちゃんと人の話を聞くから。
「うわ~、皆、可愛い~」
今、孫権の前には四人の赤ん坊が居る。
先ずは夏侯雲の抱いている夏侯典。
夏侯丹と夏侯淵の第二子・長男となる弟。
四人の中では一番最初に生まれている。
次に馬岱の抱く馬尚。
馬洪と馬超の第二子・長男である弟。
四人の中では二番目に生まれた。
三人目は曹忠の抱いた曹然。
曹仁と甘寧の第二子・長男となる弟。
四人の中では三番目。
最後に韓羽の抱いている韓徳。
韓浩と夏侯惇の第二子・長男。
四人の中では一番最後に生まれた。
生まれた順番こそ有るものの、夏侯典と韓徳は一ヶ月も離れずに生まれている。
具体的には二十六日しかない。
そのあまりの近さには韓浩達も恥ずかしくなる。
何故なら、曹晧達の掌の上、という事になるからだ。
しかも、見事に生まれた次子が全て長男なのだから。
偶然の筈なのに、何かしらの意図を感じてしまう。
本当に、偶々でしかないのだが。
まあ、そんな事は大人の事情として。
曹丕は勿論、孫権にとっても四人の誕生は慶事。
姉である孫策を始め、近い者は殆どが女の子。
唯一の同性が曹丕しか居なかった。
いやまあ、広い意味で言えば、居るのだが。
一緒に遊んだり出来る者は、という意味でだ。
勿論、姉達の事は孫権も慕ってはいる。
無意識にだが、自分には無害だと判っているから。
その為、全員が歳上だろうが、姉でしかない。
まだ恋愛対象として意識したりはしないのだが。
孫権にとっては、皆は家族でしかない。
──話を戻して。
内輪では孫権は末弟という立場である。
だからこそ、弟妹に対する憧れは強い。
特に「弟が欲しい」という気持ちが。
妹が嫌な訳ではないが、姉達を見ているから。
だから、ちょっと……苦手意識も有る。
黄蓋達が「女嫌いにならねば良いが……」と。
孫権の将来に不安を懐く程度には。
孫策達の影響は小さくはないのだから。
そういった諸々の事からも孫権は曹丕に懐いている。
それ自体に問題は無い為、今の所は深くは考えないのが大人達の方針だったりする。
尚、赤ん坊とは言っても既に生後半年を越えている。
我が子とは言え、年少の夏侯雲・馬岱が抱っこをしても大丈夫だと判断されたからの、この状況である。
──とは言え、流石に長時間は任せはしない。
なので、孫権への顔見せが終われば夏侯惇達が合流。
赤ん坊達を引き取り、子供達だけとなる。
実の姉弟ではあるが、物心付いた頃には孫策は曹丕との婚約により、既に家には居なかった。
そういう事も有り、孫策との関係は普通とは違う。
だから、孫権の定位置が曹丕の横でも可笑しくはない。
──が、見ようによっては姉弟で曹丕を取り合っている様にも見えなくはない。
曹丕の左には孫策、右には孫権が手を繋いで歩いているのだから。
「蓮牙、御父様達は何か言っていたかしら?」
「はい、姉上に言伝てが有ります
「少しは淑やかにしろ」だそうです」
そう孫権が言うと周瑜達は小さく声を漏らす。
視線で「ちょっと~?」と抗議する孫策。
その意味を理解していない孫権は小首を傾げるが曹丕が誤魔化す様に話し掛けて、気を逸らす。
「この前、朋炎様達に頂いた珍しい野菜なんだけど……
蓮牙も食べてみた?」
「……とても苦かったです」
曹丕に訊かれると、孫権は顔を曇らせた。
眉間に皺が寄る位だから、余程嫌だったのだろう。
ただ、「好き嫌いは駄目だ」と知っている。
苦手意識を懐く野菜であろうとも、その野菜を生産した農家の人々の努力が、其処には確かに有るのだから。
自身の好き嫌いで食べない・残すという事はしない。
野菜を育てるだけでも大変な事を理解しているから。
孫権は少しだけ返答に逡巡した。
慕う曹丕が相手だから素直に答えはしたが。
「二度と食べたくはない」が本音である。
そう察した曹丕は少し強く握られた手を、指を動かして落ち着かせる様に撫でる。
それは見る者によれば恋人の様でもある。
だが、曹丕自身は曹晧にして貰っていた事。
それを、孫権にしているに過ぎない。
その事を理解している面々は微笑ましそうに見詰める。
同時に羨ましそうでもあるのだけれど。
揶揄う様な余計な真似はしない。
義兄弟の信頼関係に影響する事でもあるのだから。
──が、そんな事は御構い無しな者も居る。
「あら、苦瓜はあの苦さが良いんじゃない」
「──っ!? あ、姉上は平気だったんですか?!」
「勿論よ~」
──と余裕綽々な態度を見せる孫策に驚く孫権。
姉としての誇り──というか尊敬されたいという思いが孫策に「今よ!」と行動を起こさせた。
実際に孫権は孫策に尊敬の眼差しを向ける。
両親達と同じ様に苦味を楽しめる。
それだけで孫権の中の孫策の評価は急上昇。
色々聞いてもいるから“我が儘な姉”だった印象が。
この瞬間に一気に大人に近付いた姉に変わる。
それは孫権だけではなく、側に居る韓羽達にも言えた。
「苦味を楽しめるのか……」等と。
普段が普段だけに悪い印象が強いのだが。
それでも、尊敬の念を懐かせるには十分だった。
但し、周瑜だけは冷めた眼差しを向けている。
「何を偉そうに……」という含みの有る視線を。
それもその筈で。
最初に試食した時、「苦っ!? 何よコレッ?!」と文句を言ったのだから。
その直ぐ後、夏侯淵に教わった下処理と調理方法により苦味を抑えた料理なら食べられた。
孫策が言ったのは、この後者の事になる。
──とは言え、それでも韓羽達には苦かった。
周瑜は平気だったが、好んで食べたいとまでは思わず。
寧ろ、「あ、コレなら私、好きかも」と言った孫策には僅かながらでも敬意を懐いた。
その為、「実はな……」とバラしたい衝動を飲み込む。
言ったら言ったで面倒臭いし、根に持つだろうから。
……まあ、バラせばバラしたで面白いとも思うが。
この先もまだまだ続いてく関係である。
それなら、楽しみは取って置くのも有りだろう。
そう考えて、今は姉として見栄を張る孫策を見守る。
勿論、度が過ぎれば容赦無く潰すのだが。
孫策も、そこまで愚かではない。
………………とは思うが……周瑜も悩む。
「大丈夫だ」と言い切れないのが孫策なのだから。
因みに、この苦瓜。
大人でも苦手な者は少なからず居る。
好き嫌いと苦手とは似て非なるもの。
ただ、この苦瓜を好む者の傾向としては酒飲みが多い。
飽く迄も、身内で調べてみた場合の傾向なのだが。
苦瓜を好む孫策。
それはつまり、将来は酒飲みになる、と見える訳で。
周瑜としては頭が痛くなる理由が一つ増えた様に思う。
勿論、苦瓜にも酒にも責任は無い。
悪いのは孫策なのだから。
孫権が父・孫堅の名代として来てはいても、四六時中、そうで在る必要は無い。
──という真面目に頑張ろうしていた孫権にとっては、暴論にも近い言い分で連れ出される。
誰が言ったのか、なんて訊く必要も無いだろう。
真面目な為、多少の文句も言う──が孫権自身、意外とワクワクしていたりもする。
勿論、本人に隠そうとすつもりは無いし、無自覚。
ただ、親い者から見れば丸判りだったりする。
だから、孫策を悪者にして気付かない振りをする。
その孫策も文句を言いつつも悪者役を引き受ける。
そういう所は、年長者らしい包容力だと言える。
我が家──孫家の屋敷で暮らしていて窮屈な事は無い。
しかし、残念な事に歳の近い子供が少ない事も有って、孫権が市井の生活に触れる機会は限られている。
孫家の嫡男という事も有り、常に護衛も付く。
その為、子供だけで動くという経験は新鮮。
ついつい彼方等へ、此方等へ、其方等へと意識は向く。
そんな孫権の様子を手を繋いでいる曹丕は温かく見守る様に優しく微笑んでいる。
そんな曹丕を見て、赤面する韓羽達。
普段は落ち着いてはいても年相応な曹丕も、可愛い義弟が一緒という事で大人びて見える。
実際、孫権を守ろうという意識が強いのだが。
それも無意識に近い事。
だから、その微笑みは不意打ちの様なもの。
「くっ、遣るわね、獅琅……」と涎を拭う孫策。
「往来では自重してくれ……」と眼鏡を直す周瑜。
年長者だろうが、想い人の無垢な微笑みには勝てない。
尚、子供達だけで街中を歩いてはいるが当然の事ながら護衛は付かず離れず気付かれずで居る。
孫家では無理な事だが、曹家では可能。
それだけ地力が違うという事でもある。
自由奔放な孫策ではあるが、考え無しではない。
曹丕達が相手なら好き勝手にも出来るが、孫権が居ると判っている状況で遣ってはいけない事は判る。
孫権を楽しませはしたいが、必ず孫家に帰るという事を失念してはいない。
家に戻れば、此処で経験した事は日常では叶わない事。
両親達を困らせはしないだろうが、我慢し過ぎても心に不満等を溜め込む事になってしまう。
だから、見極めが重要となる。
多過ぎず、少な過ぎず、丁度良い感じで。
基本的には自分達と一緒に何かをする事。
あとは──初めて食べる料理等を楽しむ事だろうか。
そんな風に孫策は考えて、ある店へと案内する。
甘味処・花夢楼。
此処は曹家が運営する店舗の一つではあるが、その事は表立っては知られていない。
何故なら、そういう風に曹晧達が意図したから。
曹家の運営と判ると信頼と実績で経営は安定する。
しかし、その分、期待値も大きくなる為、攻め難い。
其処で、試験的な販売や市場調査を行う為に、この様に何重もの隠れ蓑を纏った店舗が出来上がった。
勿論、だからと言って中途半端な商品を出しはしない。
味や形、生産技術と経費等が確かな物になってからだ。
ただ、そのまま正式に販売するという事は無い。
試験販売後、再度、評価会議に掛けられる。
そこで合格した商品だけが正式に販売されるのだが。
販売するのは、試験販売をした店舗で、ではない。
正式に販売する事が決まった商品は製作法を売却。
買い取った別の店舗が自家の商品として販売する。
そういう遣り方をしている。
何故、態々そんな面倒臭い真似をするのか?
そうする事で“曹家の運営とは違う”という印象を植え付けるのと同時に、一般にも販売する為。
そう、実は花夢楼の様な店舗から製作法を買い取る事は曹家以外でも可能となっている。
実際に孫家や馬家が買い取った物も複数有るし、一般の商家が買い取った物も有る。
勿論、その金額は桁違いであり、材料等は曹家等からの購入に頼らなければ安定供給は難しい。
因みに、売却した製作法の転売は不可能。
買い取った店が潰れたりした場合には製作法は元に戻すという誓約書を必ず交わす事になっている。
そうする事で製作法を狙って買い取った店を潰そう等と企む輩を牽制・排除している。
これも材料の生産を曹家が握っているから可能な事。
他所では真似が出来無い遣り方だと言える。
話を戻して。
そんな花夢楼で楽しめる商品は実に多種多様。
季節に合わせた商品も有れば、意味不明な挑戦的であり斬新過ぎる商品も有る。
そんな所が孫策としては楽しいと思っている。
「不味くはないけど、好き嫌いは有るしね~」と。
当たり・外れを面白がる。
そんな余裕が有る御客は曹家の領地では少なくない。
孫策は入店すると店員の女性と話す。
初めて入る店という事で期待と不安で少し緊張している孫権からすると、その姿は頼もしく見えた。
孫策自身は、いつも通りなのだが。
両者の立場等の違いから、そう見えるのも頷ける。
尤も、そんな孫権の様子を側で見ていた周瑜としては、直ぐにでも「騙されるな」と言いたくもなる。
本当に、普段通りでしかないのだから。
そして、その普段通りとは問題児である事を指す故に。
店員に案内され、一行は奥の座敷室へ。
子供ばかりという事で椅子は避けた。
まだ孫権は勿論、夏侯雲・馬岱も椅子に座ると足が床に届かない為、という理由も有るが。
その辺りを一々言ったりはしない。
子供には子供なりの自尊心というものが有るからだ。
靴を脱いで上がり、畳に座る。
大きな円卓を囲み、思い思いの位置に。
孫権の両隣は孫策と曹丕。
空いていた曹丕の隣には然り気無く呂布が座る。
孫策の隣には渋々だが周瑜が座る。
問題児を野放しには出来無いからだ。
孫権は採譜を開き、何を頼もうかと考える。
──が、当然ながら知っている物は無い。
飲み物──御茶は三種類だけで、其方等は判る。
ただ、何れでもいいというのが正直な気持ち。
何しろ、主役は間違い無く甘味なのだから。
「……兄上、この“最中”というのは何ですか?」
「それは“最中”って読むんだよ
パリッとした薄い皮の中に小豆餡が入った御菓子だね
甘過ぎないから大人にも好きな人は多いよ」
「此方等ではよく食べられているのですか?」
「基本的な最中ならね
其処に載っているのは新作だから、食べてみない事にはどうなのかは判らないかな」
そう曹丕に言われ、採譜を見る孫権。
一押しの新商品・“花薫る最中”。
その名前からでは、どんな物なのか想像が出来無い。
抑の話として、最中の実物を見た事も無いし食べた事も無いのだから当然だろう。
まだ、“季節の三色団子”や“揚げ餅の蜂蜜掛け”等。
知っている物の方が想像はし易い。
──し易いのだが……逃げたら敗けの様な気がする。
そんな事は無いし、勝ち敗けなど無いのだが。
子供にしか判らない謎の価値観で孫権は悩む。
「御待たせしました
花薫る最中、五つになります」
結局、孫権は好奇心と謎の意地により、それを頼んだ。
変な所が似ていると言えた。
その様子に「姉弟だな」と周瑜は胸中で苦笑。
まあ、孫策の様な問題児には成らないだろうが。
「本人にとっては不本意かもしれないがな」と思う。
当然ながら口に出したりはしない。
場の雰囲気を乱そうとは思わないのだから。
注文した物が届けば、他を待つ必要は無い。
少なくとも一人が二品から三品は最初に頼む。
子供だろうが、女性にとっては別腹だからだ。
孫権は初めてとなる最中を前に目を輝かせる。
パッと見には薄い茶色の焼き菓子に見えるが饅頭の様に中に小豆餡の類いが入っている。
そうと判っていれば、期待は有れど、躊躇はしない。
通常の最中は四角や丸い形をしているそうだが目の前の新作は五枚の花弁の形。
桜とも梅とも違う為、何が原型かは判らない。
でも、花である事は判る。
判れば、多分、それで十分なんだろうと思う。
重要なのは、其処ではないのだから。
小皿に二つ、立て掛ける様にズラして重ねてある一つを両手で掴み、口元へと運ぶ。
指先に感じたのは肌触りの良さ。
饅頭や団子とは違う。
近付くと鼻腔を擽る香ばしい匂い。
料理──食事のソレとは違い、仄かで優しい匂い。
けれど、不思議と食欲を刺激してくる。
一口で食べられる大きさだけれど──先ずは一齧り。
「……──っ!?」
たった一口。
しかし、その一口で孫権の常識は容易く破壊された。
思わず目を見開き、手元の最中を凝視してしまう。
自分が齧った跡を見れば、確かに中身は小豆餡。
“つぶ餡”と呼ばれる小豆の形を残している物。
だが、驚くべきは口の中に広がる花々の香り。
まるで、見渡す限りに様々な花々が咲き誇る花園にでも立っているかの様に思ってしまう程に。
一口で、強過ぎず、しかし、混沌とはしない。
複雑な花々の姿を、匂いが脳裏に描き出す。
「何これっ?!」としか考えられない。
勿論、孫権も曹家──曹晧達に深く関わる立場。
それ故に料理の奥深さというのは何と無くでも判る。
判っているつもりだが、それでも驚くしかない。
それ位に意味不明なのだから。
勿論、此処で彼是と聞いたりはしない。
出された物を味わい、楽しむ事が礼儀。
そう教えられているし、理解もしている。
それでも、好奇心が「どうして?」と騒ぐ。
「凄いよね、美味しいのは勿論だけど、どう遣ったら、こんな風に出来るのか不思議で仕方が無いよ」
「はい! こんなにも匂いが楽しい物は初めてです!」
曹丕に話し掛けられた孫権は興奮のままに喋る。
──とは言え、まだまだ語彙力は足りない。
本人は一生懸命に語っているのだが、似た様な事ばかり言い並べてしまうのは仕方の無い事だろう。
ただ、誰も無粋な事は言いはしない。
孫権の気持ちは、よ~く判るから。
孫策達も初めて口にした時には驚くしかなかった。
周瑜ですら、表現に困り、口数が少なくなった程だ。
だが、兎に角、美味しいし、楽しいし、凄い。
その圧倒的な興奮は記憶に鮮明に残っている。
因みに、孫策の語彙力に関しては触れはしない。
彼女らしい反応だった、とだけ語っておく。
「季節の三色団子が四つと“木苺の杏仁豆腐”です」
「……? 杏仁豆腐?」
何度目かの注文した品が運ばれてきた時だった。
店員の置いた──口にした品に孫権は小首を傾げた。
別に杏仁豆腐を知らないという事ではない。
その木苺の杏仁豆腐を、誰かが頼んでいたという記憶が孫権には無かったからだ。
それは曹丕達も一緒で御互いに顔を見合う。
「誰が頼んだの?」「私は違う」と。
場が静まり返った事で店員も気付いた。
──が、運び先を間違えた訳ではなかった。
注文を聞き間違えた事に。
その為、一瞬で顔が青くなった。
別に命を取られたりする訳ではないのだが……
こういった場合、間違った分は店員自身の自腹となる。
まあ、当然と言えば当然なのだが。
──で、この木苺の杏仁豆腐は、店の最高額商品。
しかも、販売は週に二日間のみで、一日限定十食という事も有り、一番聞き間違えてはならない物だったりするという裏事情が有るからだ。
つまり、それを頼みたい御客から機会を奪った事に。
バレたら、自腹所の話では済まなくなる。
店側の信用に関わる事だからだ。
そこで、それを知っている孫策は動いた。
「まあ、折角だから、ソレも貰うわね」
「──っ!? で、ですが……」
「良いから、良いから」
「あ、有難う御座います!」
右手をヒラヒラと動かし、「下がって良いから」と。
問答無用に追い払う様にして話を終わらせる。
個室の戸が閉まった瞬間に周瑜が孫策を睨む。
「御前はまたそう遣って……」と言外に小言を含めて。
だが、孫策の意図を理解しているから口にはしない。
また、それが彼女らしさであり、魅力なのだと誰よりも周瑜自身が知ってもいるのだから。
ただ、視線で釘を刺す位はしないと好き勝手にする事も判っているから無視は出来無かった。
──という複雑な事情が有ったりする。
そんな孫策を見ていた孫権が口を開く。
「姉上、頼んでいた物ではなくてもいいのですか?」
「だって、勿体無いじゃない」
「注文していない物を貰う方が勿体無いのでは?」
真面目な孫権らしい考え方に孫策は苦笑する。
ただ、「融通が利かないわね~」とは言わない。
「姉上が、いい加減なのでは?」と。
そう言われてしまうと話が終わってしまうから。
いい加減な自覚は孫策自身にも有るのだから。
「確かに注文した物じゃないけど、これだって一生懸命作ってくれた物でしょ?
それなのに「違うから要らない」って言うのはね~」
「それは……確かにそうかもしれませんが……」
「それにほら、食べた事が無い物を食べる切っ掛けにもなるでしょ?
食べてみたら新しい発見が有るかもしれないじゃない」
「……姉上は初めててなんですか?」
「ううん、前に食べた事が有るわよ」
「姉上!」
「あははっ、そんなに怒らないの
貰ったからって私が食べなきゃいけない訳でもないし、皆で分けて食べてもいいんだから、ね?」
そう言われて、孫権はチラッと杏仁豆腐を見た。
孫権は食べた事が無い。
だから、食べてみたい。
でも、一人前となると多い。
自分が頼んでいる品が有るのだから。
しかし、皆で分け、一口……三口位なら。
……うん、行ける。
──という自問自答の末、丸め込まれる。
まあ、孫策も流石にそれで有耶無耶にはしない。
「間違いや失敗はしない方が良い事よね」
「はい、そう思います」
「でもね、間違いや失敗を許容出来無い人や社会なんて息苦しいし、生き辛いだけじゃない?」
そう言われ、孫権は考えてみる。
自分は何事も間違わず、失敗せずにいるか?
──否、そんな事は無い。
色々と間違いもするし、沢山失敗もしている。
でも、それを両親達や皆は許容してくれている。
だから、自分は頑張る事が出来る。
間違っても、失敗しても、大丈夫だから。
「間違いや失敗が悪い事じゃないのよ
間違いや失敗をそのままにする事が駄目なの
間違っても失敗をしても構わないわ
修正したり、反省したり、次に活かしていけば良いの
だけど、それが出来無いのも人や社会でもあるわ」
「そうなのですか?」
「例えば……そうね、御店での注文
店主や店員さんが何が欲しいのかを訊いているわよね?
其処で、聞き間違いや勘違い、言い間違いや伝え間違いといった事が生じてしまう訳だけど……
御客が自分で欲しい物を書いて頼めば、間違っていたら御客自身の責任だから文句は言えないわよね?」
「はい、それは良い方法だと思います!」
「でも、そうなると、その御店で注文が出来るのは読み書きが出来る人だけになるわ
そうしたら、御店としてはどうなると思う?」
「…………御客が減ります」
「ええ、そうなるでしょうね
間違い等は減るけど、御客が来なくなるわ
だって、それが出来る御客は限られるし、面倒だもの
勿論、一つの方法としては悪くはないと思うわ
それが合うか合わないかは別にしてもね」
そう孫策に言われて孫権は考える。
正しい事は良い事だ。
しかし、正しいだけが必ずしも善いとは限らない。
時には、間違いや失敗を許容する事も必要。
そうしなければ、人にも社会にも他者を受け入れたり、慮る余地は無くなるのだから。
「間違いや失敗はしない方が良いけど、それを許容する事が出来無いと、自分に返ってくるわ
何より、それを許容しない人や社会なんて嫌じゃない?
人も社会も完璧な存在ではないのだから」
そう言ってレンゲで杏仁豆腐を一掬いする孫策。
そのまま曹丕に向かって「はい、あ~ん」と。
皆の前で堂々と婚約者としてイチャついて見せる。
「“御前にとっては”だろう?」と言いたくなる周瑜。
しかし、言っている事には同意する。
周瑜自身、つい、正しさばかりを追い勝ちだが。
ある意味では、孫策という存在が気付かせてくれる。
如何に寛容さが大事なのか、という事を。
勿論、だからと言って孫策の全てを容認しはしない。
それはそれ、これはこれなのだから。
「間違いや失敗は悪い事ではなく、経験の一つよ
そして、経験を積み重ねて人は成長するの」
そう言って孫策を孫権の頭を撫でて、話を締め括る。
──が、その一方で孫策は周瑜の視線に気付く。
「成長しない馬鹿も居るがな」と言外に言う視線に。
「むぅ~……冥琳の意地悪!」と視線で返す。
勿論、孫権に気付かれはしない。
長く共に歩む二人だからこその一瞬での遣り取り。
周瑜からすると「私は獅琅と、そう在りたいがな」と。
そう思ったりもするのだが。
それは流石に出しはしない。
──が、其処は孫策にしても同じだとも判っている。
親友は親友、恋人は恋人なのだから。




