第8話 お客様は、足を止めてくれません
市場の人は、想像よりずっと忙しかった。
魚を買い、釣り銭を受け取り、籠を持ち直す。
荷車が通るたびに、一歩ずつ脇へ寄る。
その横で王子が足の痛みを訴えても、人々は、たいへんお気の毒にという顔で歩き去っていった。
私の最初の宣伝は、二分で失敗した。
劇場なら、客は椅子に座っている。
台詞を聞こうとしてくれる。
ここでは、まだ何も約束されていない。
ハルさんが台詞の途中で、そっと私を見た。
私は、予定の終わりを示す指を出す。
二人は短く礼をし、演技を切り上げた。
市場の係の人が、次の芸人へ順番を回す。
私たちは回廊の柱の陰へ下がった。
「すみません」
私が言うと、ハルさんは首を振った。
「静かな始まりを、ここでやるのは難しい。先に言えばよかった」
「私も、劇場の一場を切り取ればいいと思っていました」
ミナさんは、靴を手にしたまま立っていた。
自分のせいだと思っている顔だ。
私は彼女へ、次にすることを伝えた。
「最初に、靴を見せましょう」
王子の靴には、片側だけ金色の大きな飾りがついている。
ハルさんと相談し、行き交う人へ靴を掲げ、ちぐはぐだとわかる動作を作った。
何の話か、目で見てわかるようにする。
係の人へ、もう一度だけ順番をいただけるか尋ねた。
最後の芸人が終わってからなら、三分だけ。
私は頭を下げた。
次の番で、ハルさんは堂々と歩いた。
三歩目で靴を脱ぎ、飾りのついた片方を見せつける。
「私の靴が、私の足を嫌っている!」
市場の少年が、吹き出した。
隣の母親が足を止める。
ミナさんが、靴を受け取った。
「靴にも、選ぶ権利があるんですね」
「だが私は、これに金を払った」
「高くても、合わないものは合いません」
魚屋の主人が、笑った。
通りかかった女性も、籠を下ろす。
王子が、飾りはどうでもいいから歩けるようにしてほしい、と頭を下げる。
靴屋が初めて、彼の足をちゃんと見た。
三分は、あっという間だった。
最後にミナさんが劇場の名前と公演の日を言う。
私はチラシを持って、人の輪へ入った。
今度は、受け取ってくれる手があった。
「最後は、結婚するの?」
老婦人に尋ねられた。
「続きは、劇場で」
「うまいこと言うねえ」
そう言って、彼女は一枚を畳んで袋へ入れた。
五枚、十枚。
チラシが減っていく。
その全員が来るわけではない。それでも、紙を渡す前に顔を見てもらえた。
回廊の外には、予報どおり雨が降っていた。
公爵が黒い傘を持ち、こちらを見ている。
「お忙しいのでは」
「近くで用が終わった」
彼の肩は、少し濡れていた。
いつからいたのか尋ねると、最初の靴が嫌がる前から、と答えた。
つまり、失敗したほうも見られている。
「最初は、上手くいきませんでした」
「次を、見た」
公爵はトビ君が持っていた小道具箱を、片手で受け取った。
「運ぶものは、これだけか」
「それと、紙の靴箱です。でも、御者さんに頼めば――」
「こちらの馬車は、角にある」
人手の足りないところへ、そのまま入ってくれる人だった。
私は彼の傘へ入りかけ、後ろを見た。
役者二人も、トビ君も、雨の前で足を止めている。
公爵は傘をトビ君へ渡し、自分は外套の襟を上げた。
「先に箱を」
結局、私たちは全員で少しずつ濡れた。
馬車の中で、ミナさんが笑い始める。
笑うとハルさんも、トビ君も、止まらなくなった。
その夜、切符が二十六枚売れた。
黒板に書くと、エダさんが小さく拍手した。
私は、濡れた靴を扉のところへ並べた。
一足だけ、とても上等な革靴が混ざっていたことを、しばらく覚えていた。




