第19話 その終幕を、他人には決めさせません
セドリック様が、通路で立ち上がっていた。
「素晴らしい歌だった。君の実力は、もう皆わかっただろう」
舞台では、ハルさんが片膝をついている。
その向かいで、ロゼッタさんが机へ手を置いたまま動かない。
ここで返事をすれば、芝居が壊れる。
返事をしなければ、彼女の婚約者がもっと声を上げるかもしれない。
その迷いを、役者に背負わせるわけにはいかなかった。
私はトビ君へ、客席を明るくする合図を出した。
舞台の二人には、止まったままで待ってもらう。
客は隣の人の顔が見え、少しずつざわめきを止めた。
私は袖から出て、舞台の端へ立つ。
「公演中です。出演者へのお声がけは、お控えください」
セドリック様は、私を見た。
「君に言っているんじゃない。彼女は私の婚約者だ」
「出演者は、今、仕事をしています。ご用件は終演後に伺います」
彼は、腕を組んだ。
「この結末を見せたくて、彼女を呼んだんだろう。君が私に断られた恨みを、芝居にして」
客席で、息を吸う音がした。
私は彼の言葉を、一度、飲み込んだ。
私が婚約を解消されたこと。
悪役令嬢と呼ばれていること。
ここで詳しく説明すれば、彼と私の話になる。
それを聞くために買われた切符ではなかった。
「この物語は、私たちの関係を描いたものではありません。舞台を続けます。お座りいただけない場合は、ご退場をお願いします」
ルーカス様が、客席の後ろから通路へ出た。
係として手伝っていたガロさんも、入口の前へ立つ。
「公爵閣下まで、口を出されるのですか」
セドリック様が、声を落とした。
ルーカス様は彼を見た。
「監督の言葉を、聞いてほしい」
それだけだった。
私の代わりに判決を下すことも、身分を読み上げることも、しなかった。
審査席の王太后様が、エダさんへ静かにお尋ねになった。
「再開には、どのくらいかかりますか」
エダさんは、私を見た。
私は、舞台の二人を見る。
ハルさんが、ごく小さく頷く。
ロゼッタさんは、机から手を離した。
こちらを見て、一度、息を吐く。
「すぐに、続けられます」
私は答えた。
セドリック様は、座らなかった。
ガロさんが開けた扉から、自分の足で出ていった。
今度は追いかける人が、いなかった。
客席の灯りを落とす。
私は袖へ戻り、トビ君へ手を上げた。
ハルさんは、片膝をついたまま舞台の空気を取り戻した。
「お城に、来てくれないだろうか」
もう一度、言う。
客が、今度こそ返事を待つ。
ロゼッタさんは、机を見た。
そこには、彼女自身が稽古で使ってきた道具が並んでいる。
靴紐。布。小さな木槌。
「明日の朝も、この店を開けたいの」
声は、震えなかった。
王子は、顔を上げた。
彼女が残ることを、拒絶だと受け取らない。
「では、次の日曜、橋のたもとで待っています」
舞台の二人が、笑った。
トビ君が最後の星を点ける。
私は、終わりの合図を出した。
光が静かに消えた。
拍手が起きるまで、少し間があった。
物語を離れたくないときの、沈黙だった。
そして、八十人の手が鳴った。
袖へ戻ったロゼッタさんは、靴を脱ぐ前にしゃがみ込んだ。
ミナさんが隣へ来て、背中に手を置く。
「怖かった」
小さな声を、私たちは聞いた。
「でも、最後まで、言えました」
私は頷いた。
彼女の役も、私の劇場も、途中で終わらせなかった。
ルーカス様が、私の横へ立った。
彼の手が、袖の暗がりで私の手を握る。
私は、初めてその日、深く息を吐いた。
舞台の上ではまだ、星が一つだけ光っていた。
消すべき最後の灯石を、トビ君が忘れている。
私は彼へ指を一本立てた。
彼が慌てて光を落とす。
その小さな失敗を、やっと、笑えた。




