第18話 代役の、最初の一歩
公演の日、星灯座の扉の前に列ができた。
審査員とミナさんの四席を含め、八十席。
今までなら嬉しかった数字が、今日は、八十人の目として胸へ迫る。
ロゼッタさんは、衣装の袖を一度直した。
ミナさんより少し長い腕に合わせ、昨夜、縫い替えたところだ。
「自分の服より、動きやすいです」
「動くための服なので」
いつもと同じ返事をした。
特別な励ましを重ねるほど、今日が特別に怖くなってしまう。
ハルさんは靴紐を結び、もう一度ほどいた。
役の中で失敗するための靴を、失敗なく用意する。
代役の男優も、奥で台本を確認していた。
今日は出番がなくても、その人がいることが、ハルさんの肩を軽くしている。
ミナさんは、医師から外出の許可を貰って、エダさんの隣へ座っていた。
舞台へ出る服ではなく、普段の服だ。
私たちが彼女へ挨拶すると、声のかわりに両手を小さく振った。
審査の席へ、王太后様が入られた。
続いて、演劇家の二人。
大きな飾りも、長い式典もない。
王太后様は客席を見渡し、エダさんへ、昔と同じ星ですね、とおっしゃった。
ルーカス様は、袖の外で箱を運んでいた。
すでに運ぶものはないと伝えると、彼は木箱を置いて、私を見た。
「それなら、ここに居てもいいか」
「狭いですよ」
「知っている」
彼は客席へ席を取っていない。
今日は、私が仕事をする場所の近くにいたいのだとわかった。
開演の五分前、エダさんが最後の確認に来た。
「ライズ家のご子息が、左の通路側に」
私は一度、目を閉じた。
彼も切符を買った客だ。
今は、まだ何も起こしていない。
「予定どおり、始めます」
トビ君へ手を上げた。
幕は、いつもの速さで開いた。
最初の一場で、ロゼッタさんは急いだ。
稽古で取れた間が短くなり、ハルさんが靴を見せる前に次の台詞を言う。
彼は靴を、少し高く持ち上げた。
「こちらを、見ていただけるだろうか」
彼女が靴を見る。
視線が相手へ戻り、肩が下がる。
私は台本から鉛筆を上げた。
ここは、役者に任せる。
二場で、王子の身分がわかる。
靴屋は驚き、それでも靴紐を結び直す。
「偉い方でも、ほどけるものは同じです」
客席で、笑い声がした。
ロゼッタさんは、その声を待った。
ミナさんとは違う、少しおっとりした靴屋が、そこにいた。
歌が始まると、私は台本の端を握った。
灯石の光を落とし、窓の外だけ、薄く照らす。
『遠い朝にも、道はある。
今日の靴跡、明日へ続く』
短い歌だった。
この作品のために、皆で言葉と節を作った。
客席にいた誰かが、動かしかけた足を止めた。
王太后様も、台本を膝へ置いて舞台を見ている。
終幕の支度へ入る。
トビ君が星の光を順に点けた。
初公演より、星は三つ少ない。
顔へ落ちる光を優先し、窓の奥へ小さくまとめたのだ。
華やかさを増やしたのではない。
彼女が何を見るかを、客にも見てほしかった。
王子が求婚した。
ロゼッタさんが、机を見た。
ミナさんが渡した一枚の紙を、私は思い出した。
帰る場所だから。
そのとき、客席で男の声がした。
「ロゼッタ。もう、十分だ」
台本にない名前だった。
舞台の上の彼女が、息を止めた。




