第14話 歌姫にも、台本を渡す
ロゼッタ様は、入口で帽子を取った。
「お時間を、いただけますか」
私は、受付脇の椅子を示した。
舞台ではミナさんとハルさんが、二場を稽古している。
靴が転がらない位置は、もう決まっていた。
「お芝居、拝見しました」
「いつですか?」
「一昨日。後ろから二列目で」
私は気づかなかった。
舞台へ合図を出している間、客の顔を探す余裕はない。
ロゼッタ様は、帽子の縁を撫でた。
「あの靴屋の娘が、羨ましかったんです。自分の好きなことを、ちゃんと言えて」
彼女は二十三歳。
歌手になりたいという望みを、婚約話の添え物にされていた。
セドリック様は、美しい声を褒める。それ以上に、美しい娘が隣にいることを喜ぶ。
公の劇場へ立ちたいと話すと、伯爵家の客に聞かせるほうが上品だと言われたという。
「こちらで、歌わせていただけませんか」
私は、すぐには答えなかった。
「募集は、女優の代役です。歌う場面を作ることはできます。でも、それを理由に主役を替えたり、他の人の稽古を減らしたりはしません」
「はい」
「それから――」
言葉を選んでいると、彼女が先に口を開いた。
「謝らせてください」
帽子を膝へ置き、頭を下げる。
「伯爵家であなたが危ないとおっしゃったとき、歌わせたくないだけだと思いました。確認しませんでした。廃劇場の前でも、ひどいことを言いました」
私は彼女の指を見た。
帽子の縁に、一つ、折れ目ができている。
「今は、どうして、危険だったとわかったのですか」
「広間の幕を、職人が取り外していました。破れたところを見て、あの晩、下で歌わなくてよかったと言われて」
そのあと彼女は、私の話を聞いた人へ、自分の誤解だったと伝えたらしい。
噂をどこまで戻せるかわからない、とも言った。
一度謝れば、あの日が消えるわけではない。
でも、自分のしたことを、私の気のせいにはしなかった。
「お話は、受け取りました」
私は言った。
「仕事は、これからのことで判断します。こちらへどうぞ」
彼女を舞台へ案内し、皆へ紹介した。
ミナさんは驚いた顔をしたが、台本を一部持ってきた。
歌を聞くと、トビ君が動かなくなった。
光の糸を結ぶ手が、空中で止まっている。
ロゼッタ様の声は、強いだけではなかった。
小さな音へ下げても、言葉が残る。
王子が町を出ていく場面のあとに、短い歌があるといい。
窓の外から聞こえ、二人が別の朝を迎えることを伝える歌。
私は、その案を皆へ話した。
ミナさんが頷き、ハルさんが試してみようと言う。
ロゼッタ様は、歌だけでなく台詞も読んだ。
驚くほど、上手くはなかった。
身分を隠した王子へも、夜会で公爵に挨拶するように話してしまう。
「ここでは、相手の靴を見てください」
私が言うと、彼女は床を見た。
ミナさんが隣へしゃがみ、自分のやり方を見せる。
二人とも、靴屋にはなったことがない。
それでも、その人が何を見て、何を大切にするかを探している。
稽古の終わりに、私はロゼッタ様へ条件を書いた紙を渡した。
歌の出演料と、代役の稽古料。
伯爵家の紹介は、どこにも入っていない。
「この名前で、お願いします」
彼女は『歌手 ロゼッタ』と書かれたところを指した。
令嬢でも、誰かの婚約者でもない。
「はい。明日から、よろしくお願いします」
彼女が帰ったあと、ミナさんが呟いた。
「綺麗な人にも、できないことがあるんですね」
「たくさん、あります。私にも」
それから二人で、明日の稽古の始まりを決めた。
誰もができることを持ち寄って、同じ一場を作る。
劇場の仕事が、また一つ増えた。




