第13話 白鳥座の、三百席
白鳥座の舞台には、海があった。
本物ではない。
床一面に青い光が走り、波の形に盛り上がっては消える。
船に乗った役者が剣を掲げると、客席の壁まで夕焼けになった。
私は招待された稽古見学で、口を開けたまま十分を過ごした。
トビ君はもっと長く、瞬きも忘れていた。
星灯座には、作れない海だった。
「どうだ。君の王子も船に乗せたくなったか」
白鳥座の座長、ベルナルドさんが言った。
四十七歳。よく通る声と、きっちり整えた髭を持つ人だ。
私は、正直に頷いた。
「綺麗です」
「高いぞ」
「それも、わかります」
彼は笑った。
星灯座の再開を祝う気持ちと、新しい競争相手を測る気持ちが、両方あるのだろう。
三百の椅子が、斜面のように並んでいる。
ここで村人を演じていたミナさんは、最後列まで届くよう声を張っていたのだ。
彼女の癖が、ようやく場所と結びついた。
「祭りに出るそうだな。劇場を開けて二か月も経たないのに」
「応募しました」
「二人芝居か」
「はい」
「代役は?」
私は、返事に詰まった。
ベルナルドさんは私を見て、舞台の端へ視線を移した。
出番のない役者も、台本を持って演技を見ている。
「役者は人間だ。声が出ない日も、家族が死ぬ日もある。二人でできるのは美点だが、一人を失えば止まる」
理屈は、知っていた。
初公演でも、誰かが休めば中止して返金する予定だった。
けれど続ける公演には、続けるための支度が必要だ。
最初の成功を、私は少しだけ、当然にし始めていた。
「……給料を払える役者の数が、限られています」
「うちから安く貸せと言われても、祭りの間は無理だ」
彼は先に答えた。
嫌味だったのか、親切だったのか、わからない。
ただ、必要な問題を出してくれたことは確かだった。
「でも、ここまで来たなら引っ込むな。誰かの施しで開いた劇場だと思われたくないんだろう」
私は、背筋を伸ばした。
「公演を見て、判断していただきたいです」
「見に行くよ。金は払う」
公爵と、同じことを言った。
芝居を作る人たちの、少し不器用な礼儀なのかもしれない。
星灯座へ帰ってから、皆で代役の話をした。
ハルさんの代わりには、市場で一緒に演じていた知人がいた。
他の仕事と兼ねる形で、数回の稽古と、本番の待機を頼める。
問題は、ミナさんの代わりだった。
「監督がやれば?」
トビ君が言う。
私は、即座に首を振った。
「客席へ向けて三行喋るだけで、呼吸が変になります。それに私が舞台へ出ると、合図を出す人がいなくなります」
灯石の操作はトビ君がするが、役者と全体の流れを見て合図を出すのは私だ。
全員の仕事を、誰か一人に足すことはできない。
公爵は、机で支出の予定を見ていた。
「祭りまでの公演で、稽古の報酬は確保できる」
「ええ。大きな灯石を増やさなければ」
私はトビ君を見た。
彼も白鳥座の海を思い出している。
少し残念そうだったが、頷いた。
「四つで、もう少しやってみます」
海は作れない。
でも靴屋の窓と、町の橋は作れる。
私は、女性の代役を募集する紙を書き始めた。
出演がなくても、稽古には報酬を払う。
その一文を、いつもより大きく書いた。
翌日の昼、扉の前に、一人の女性が立っていた。
白い帽子の下の顔を見て、私はペンを置いた。
ロゼッタ様だった。
今度は、セドリック様を連れていなかった。




