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ブラックベイン―狂暴×悪辣―  作者: 平行月
第2章 夢蝶はそこにいるか
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第30話 ツバキの時にも、そうやったのか

 歌留多は、フードの奥で小さく首を傾げた。


 鷹宮は、その反応を見逃さない。


 怯えではない。

 混乱でもない。

 弁解でもない。


 歌留多は、ただ聞いていた。


 まるで、自分へ向けられた疑いを、ひとつの仮説として眺めているみたいに。


 鷹宮は言葉を続ける。


「白石は、夢の中で女の輪郭を見た」


 倉庫の床近くで、薄い霧が揺れる。


「その部屋にはツバキがいた。ツバキには、位置をずらす能力がある。そして、お前には遠距離から物理干渉する能力がある」


 歌留多の袖が、わずかに揺れた。


 鷹宮は続ける。


「透明な腕。怪力。対象を掴み、投げ、引きずるだけの干渉力。お前は、それを持っている」


「ふむ」


 歌留多は短く応じる。


「それで?」


「二つが揃えば、白石の死亡は説明できる」


 レンが眉をひそめた。


「待て」


 短く割って入る。


「言いたいことは分かる。ツバキの位置移動と、歌留多の遠隔干渉。射程はともあれ、それを組み合わせれば、休憩室の外からでも何かできるかもしれない」


 一拍置く。


「けど、それは“できる”って話だろ。“やった”って証明にはなってねえ」


 鷹宮の視線がレンへ動く。


「証明を待つ間に、次が出る」


 冷たい声だった。


「白石は死んだ。不知火も死んだ。現象を成立させうる能力者がいるなら、その可能性を潰すのが先だ」


「だからって、いきなり決め打ちかよ」


「決め打ちではない。最優先で疑うべき対象を絞っている」


 レンは舌打ちした。


 鷹宮の言っていることは乱暴だ。

 だが、完全に筋が通っていないわけではない。


 それが、余計に厄介だった。


 鷹宮は、改めて倉庫内を見渡す。


「遠距離から物理干渉できる者が、他にいるか」


 沈黙が落ちた。


 レンが、わずかに口を開く。


「……俺の〈蜃〉は斬るだけだ。掴む力じゃない」


 言ってから、レンは小さく舌打ちした。


 その否定が、かえって鷹宮の視線を歌留多へ導くことに気づいたからだった。


 恭介は壁際で腕を組んだまま、面倒くさそうに鼻を鳴らす。


「俺は知らねえぞ。殴るか喰うか突っ込むかだ」


「それはそれで大概なんだよ」


 レンが反射的に返す。


 だが、場の空気は緩まない。


 鷹宮は歌留多を見る。


「……いないだろう」


 歌留多は、まだ動かない。


 フードの奥の目だけが、じっと鷹宮を見ている。


「お前は、能力の本質を説明していない。本人の口から説明をされていないのだよ」


 鷹宮が言う。


「能力開示の場で出たのは、恭介の証言だけだ。でかくて透明な腕。怪力。遠隔干渉。それだけだ」


「ほう」


「ツバキも同じだ。自分の影の縁から、別の影の縁へ移動する。そう説明した。だが、制限も本質も明かしていない」


 鷹宮の声が、さらに低くなる。


「二人とも、肝心な部分を伏せている」


 歌留多が、ほんの少しだけ笑った。


「能力者が、自分の能力を全部ぺらぺら喋ると思ってるのか?」


「思っていない」


 即答だった。


「だから疑っている」


「なるほどな」


 歌留多は、もう一度そう言った。


 理解した声ではない。

 相手の理屈がどこへ向かっているのか、その道筋を見終えた声だった。


 その横で、紗希は鷹宮を見ていなかった。


 壊れた加湿器の前にしゃがみ込み、床に散った破片を指先で動かしている。白い樹脂片。濡れたフィルター。割れたタンクの欠片。そして、その中に転がる小さな黒い球体。


 鷹宮の声だけが、背後から届いている。


「位置をずらす能力」


「遠隔から掴む能力」


「二つが揃えば、白石の死は成立する」


 紗希は、黒い球体を指先で少しだけ転がした。


「それは早計な気もするんですけどねー」


 ぽつりと漏らした声に、鷹宮の目が動く。


「何が言いたい」


「いえ、まだ何も」


 紗希は視線を上げない。


「ただ、できるかどうかと、やったかどうかは別なので」


 レンがわずかに目を細める。


 同じことを、自分も言った。


 だが紗希の視線は、鷹宮にも歌留多にも向いていない。


 彼女が見ているのは、壊れた加湿器の中身だった。


 鷹宮は短く切る。


「憶測なら後にしろ」


「はいはい。聞き流してください」


 軽く返す。


 だが、紗希の指先は止まっていた。


 傷。


 中。


 白石が残したという、意味の通らない言葉。


 その二つが、壊れた加湿器の黒い球体と、床に沈む霧の匂いと、どこかで噛み合いかけている。


 けれど、まだ形にはならない。


 言葉にするには、少し足りない。


 鷹宮は、紗希から視線を外した。


 今、見るべきはそこではない。


 歌留多だ。


「歌留多」


 鷹宮が名を呼ぶ。


「お前の能力で、白石へ干渉できたか」


 倉庫の空気が、重くなる。


 レンが息を詰める。


 紗希の指先が、黒い球体の上で止まる。


 恭介は無言のまま、歌留多を見る。


 歌留多は、フードの奥で静かに笑った。


「……なるほど」


 一拍。


「そういう見方になるわけか」


 声は軽い。


 だが、軽さの底に冷たいものが混じっていた。


 鷹宮は銃を抜いていない。まだだ。だが、その姿勢はすでに臨戦に近い。歌留多が一歩でも妙な動きをすれば、すぐに制圧へ移れる距離と角度を測っている。


 レンはそれに気づいていた。


 紗希も、壊れた加湿器の破片を見たまま、耳だけは会話へ向けている。


 恭介は壁際で腕を組み、つまらなさそうに眺めていた。


 歌留多は言う。


「私が疑われるのは構わん」


 その一言に、倉庫の空気がわずかに止まった。


 歌留多は続ける。


「お前から見れば、確かに私とツバキが怪しいんだろう」


 鷹宮の目が細くなる。


 歌留多は、相手の推理そのものを否定しなかった。

 逃げもしない。怒鳴りもしない。


 ただ、受け止めた。

 そのうえで、首を少しだけ傾ける。


「だが、私から見れば違う」


 フードの奥の目が、鷹宮を真っ直ぐに見る。


「怪しいのはむしろ、鷹宮。海。お前たち二人だ」


 レンの視線が動いた。


 海。


 その名前で、脳裏に昼間の喫茶店がちらつく。

 紗希を測るように見ていた目。

 能力開示の時に見せた、白い半透明の羽。

 偵察用だと言った、やけに薄い説明。


 引っかかりはあった。

 だが、まだ形にはなっていない。

 歌留多は続ける。


「白石が死んだ場所にいたのは、お前たちだ」


 一歩も動かず、言葉だけで詰める。


「ツバキを拘束したのも、お前だ」


 鷹宮は黙っている。


「それで、今ツバキを見ているのは誰だ」


 問い。


 短い。


 だが、鋭かった。

 鷹宮は答えた。


「海だ」


 その名が出た瞬間、紗希の指先が止まった。

 黒い球体の上で、わずかに。


 海。


 あの、白い羽を出した男。

 喫茶店で、自分を妙な目で見ていた男。

 そして今、鷹宮が「信頼できる」と判断している男。


 鷹宮は続ける。


「信頼がおけるのはもう、彼しかいない」


 紗希は、視線を上げなかった。

 だが、胸の内で小さく引っかかる。


 彼しかいない。


 その言い方が、ひどく危うく聞こえた。

 歌留多の表情が、そこで初めて変わった。

 笑みが薄れる。


「お前」


 低い声だった。


「よりにもよって、ツバキと海を二人きりにしたのか」


 倉庫の空気が、さらに重くなる。

 鷹宮は答えない。

 歌留多が、一歩前へ出た。


「凄く心配だ。ツバキのところへ行く」


「止まれ」


 鷹宮の声が落ちる。


 歌留多は止まらない。


 いや、正確には、一瞬だけ足を止めた。

 だが、視線は逸らさない。


「退け」


 短く言う。

 その瞬間、金属音がした。

 鷹宮の手に、拳銃があった。

 黒い銃口が、歌留多へ向く。

 レンが即座に動いた。


「鷹宮、銃は下ろせ」


 声が鋭くなる。


「彼女は、せいぜいが容疑者だろう。少し頭冷やせよ」


「これ以上の単独行動は許可しない」


 鷹宮は銃口を下げない。


「抵抗するなら、制圧する」


「だから、それが早えって言ってんだよ」


 レンの声にも苛立ちが混じる。


 だが、鷹宮は揺れない。


 白石が死んだ。


 その事実だけが、鷹宮の背骨を冷たく固めている。

 歌留多は銃口を見た。

 そして、ゆっくりと鷹宮を見る。


「……ツバキの時にも、そうやったのか」


 フードの奥で、歌留多の渦眼が青白く渦を巻いた。


 鷹宮は答えない。

 答えないことが、答えになった。


 歌留多の長い袖が、わずかに揺れる。

 見えない何かが、その奥で蠢いたように見えた。


 レンが息を呑む。


「歌留多、待て」


 言葉が届くより先に、別の音がした。


 小さな、水音。


 紗希の指先が止まる。


 壊れた加湿器の破片。

 散らばった白い樹脂片。

 濡れたフィルター。

 その中に転がっていた、黒い球体。


 その表面に、白い水滴が浮いていた。


 さっきまで、ただ濡れているだけに見えた。


 違う。


 内側から、湿っている。


 紗希が、小さく息を呑む。


「……あ」


 恭介が振り向いた。


「何だよ」


 次の瞬間。


 白い霧が、爆ぜた。


 床を這う霧ではなかった。


 ガスのように、壊れた加湿器の破片から吹き上がる。熱を含んだ白が、紗希の輪郭を最初に呑んだ。


 レンが叫ぶ。


「紗希ちゃん!」


 声は白に吸われる。


 歌留多の渦眼が揺れる。


 鷹宮の銃口が、一瞬だけ迷う。


 恭介が踏み込もうとした。


 だが、白が速い。


 破片から噴き上がった霧は、床へ、壁へ、天井へ、一気に広がる。薄く沈んでいた霧とは違う。まとわりつくのではなく、視界そのものを塗り潰すように膨張していく。


 熱を含んだ白が、倉庫全体を覆った。


 何も見えなくなる。


 紗希のいた場所も。


 黒い球体も。


 歌留多も、鷹宮も、レンも、恭介も。


 すべてが、白に呑まれた。

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