第22話 紗希の証言
霧の向こうから、足音がした。
一定のリズムで、迷いのない歩幅だった。聞いた瞬間に、誰が来たのか分かる。
レンが顔を上げる。
「……来たか」
次の瞬間、白い霧がわずかに割れた。
三人。
先頭に鷹宮。その後ろに白石、そして海が続いている。
倉庫の中へ踏み込んだ三人は、そこで足を止めた。誰もすぐには喋らない。
ただ視線だけが、そこにいる全員のあいだを静かに行き来する。
海だけが、その視線の交換に加わらなかった。霧の奥の一点を、最初からずっと見ている。
その沈黙を破ったのは、鷹宮の動きだった。
まっすぐ不知火の死体へ歩み寄り、その場に膝をつく。首元、喉、胸元へ順に触れ、呼吸と脈を確かめる。
さらに衣服の表面をなぞり、焦げ跡の有無まで確認してから、ようやく立ち上がった。
「……窒息か」
短い言葉だったが、断定に近かった。
レンが応じる。
「ああ。呼吸が止まってた」
それだけで十分だった。鷹宮はそれ以上確認せず、今度は周囲へ視線を巡らせる。
霧。床。人の立ち位置。死体の位置。すべてを一度に見た上で、低く言った。
「状況を説明しろ」
不知火の死体を中心に、レンとツバキが最も近く、その少し外に恭介と歌留多、紗希はまだ霧の縁に近い位置に立っていた。
誰が答えるか、一瞬だけ間が空く。
鷹宮の視線が動き、そして止まった。
紗希のところで。
「……喫茶店の娘だったな」
一拍置いて、問いを重ねる。
「そもそも、なぜここにいる」
短いが、鋭い声音だった。
紗希は視線を逸らさない。
「……怪しいメッセージで呼び出されました」
「この場所に来るように、と」
鷹宮の眉がわずかに動く。
「メッセージ?」
「はい」
紗希はスマートフォンを取り出し、画面を見せた。
差出人不明。文面は短い。
――『お友達は、みんな君を待ってる。ついに始まるよ』
鷹宮は数秒だけそれを確認し、すぐに視線を戻した。
「……なるほどな」
納得したわけではない。ただ、ひとつの情報として分類しただけだった。
「いい。続けろ」
紗希は一度、不知火の死体を見た。それから、落ち着いた声で話し始める。
「不知火さんは戦闘中に、突然、呼吸ができなくなりました」
まずは事実から。
「喉を押さえていましたが、空気が通っていない様子でした。煙や炎によるものではありません」
一拍置いてから、さらに続ける。
「私たちも同じ空間にいましたが、全員に起きたわけではありません」
鷹宮の目がわずかに動いた。
条件発動。
その言葉が、すでに彼の中で形になり始めている。
紗希は続けた。
「あと、異常がありました」
ここで一度だけ視線を上げる。
「声が変わっていました」
白石が反応する。
「変わる?」
「はい。一時的に、女性の声が混じっていました」
空気がわずかに張る。だが、誰も遮らない。
「それと、身体の一部が、別人の形に見えました。……って、この人が言ってました」
紗希が、すっと恭介を示す。
「違ってたら、この人に文句を言ってください」
「おいおいおいおい!」
恭介が声を上げた。
「面倒なとこだけ俺に投げんな!」
「だって、先輩が“一枚じゃねえ”って言ったんじゃないですか」
鷹宮の視線が、恭介へ移る。
「……一枚じゃない?」
恭介は、ひどく面倒くさそうに舌打ちした。
「知らねえよ。こいつの形の上に、別の形が乗ってた気がした。それだけだ」
紗希が、すぐに補足する。
「私の見立てでは、完全な変異ではありません。元の形の上に、別の像が重なって見えた、という方が近いです」
そこまで言って、いったん止める。
鷹宮が初めて問いを返した。
「……変異ではないと?」
紗希は迷わず頷いた。
「はい。少なくとも、通常の能力変化とは違うように見えます」
断定ではない。だが、方向ははっきり示していた。
「まるで、フィアー能力に詳しいかのような口ぶりが気になるな」
「ええ、まあ。逐一、観察して記録してますから」
紗希は懐からメモ帳を取り出して、柔らかく微笑んで見せた。
「観察して記録、か。……高校生の趣味にしては、ずいぶん物騒だな」
「よく言われます」
「……まあいい」
鷹宮はわずかに視線を落とす。
死体を見る。焼損はない。窒息。条件発動。そして、“重なり”。
だが、その最後の一点はいったん脇へ置いた。いま優先すべき順番は別にある。
「他には」
促されて、紗希はすぐに答える。
「霧です。この霧が関係していると思います」
恭介は口を挟まないまま、死体と紗希を交互に見ていた。
歌留多が小さく顎を引く。
「温度も関係してるかもだ。多分だけどな」
白石が頷いた。
「こちらでも、高温の水蒸気は確認しています。死体の状態とも噛み合います」
それで線はほぼ揃った。
鷹宮はゆっくりと顔を上げる。思考はもう、ほとんど完成している。だが、まだ口には出さない。
その代わりに、そこにいる全員を順番に見た。
恭介。レン。紗希。
背後に控える白石と海。
そして、ツバキと歌留多のところで、ほんの一瞬だけ視線が止まる。
レンはそれを見逃さなかった。
鷹宮の視線の動きにだけ、わずかに眉が動く。
(……そもそも)
(なんでこいつら、この二人を連れてるんだ)
正体不明。能力不明。普通なら、ここまで深入りする前に距離を置くはずだ。
それなのに、鷹宮たちはあの二人を連れている。
(……いや)
一拍。
(逆か)
(連れているんじゃない)
(手放せないんだ)
そこで浮かぶのは、今まさに組織が追っている案件だった。
(……例の行方不明事件)
(あれと繋がってるなら――理由にはなる)
そこまで考えて、思考を止める。まだ確証はない。ただ、嫌な繋がりだけが後に残った。
鷹宮が一歩、前に出る。
空気が変わる。
次に来るのは、判断だった。




