第19話 素人しかいない!
沈黙が続いていた。
鷹宮たちが休憩室へ向かったあと、倉庫に残されたのは、恭介、レン、歌留多、ツバキ、紗希。
そして、レンの監視下に置かれていた不知火だった。
白い霧は、変わらず入口側を塞いでいる。
レンは、不知火の首元に指を当てた。
数秒。
もう一度、場所を変える。
探す。
だが、ない。
「……死んでる」
小さく、確定させた。
誰も、すぐには返事をしない。
その一言だけが、白い霧の中に落ちる。
ツバキが、入口側の壁から体を離した。
「ちょっと、見せて」
片腕を庇いながら、レンの隣にしゃがみ込む。
白い霧に焼かれた腕は、まだ痛むのか、袖口の下でわずかに震えていた。
ツバキは手袋越しに不知火の頬へ触れる。
冷たい。
「……呼吸は?」
「ない」
「焼けてる?」
レンが一瞬、言葉に詰まる。
「……いや」
ツバキの眉が寄った。
自分の腕を見る。
赤く腫れた皮膚。湿った袖口。火に触れたわけでもないのに、焼かれたようにひりついている傷。
そのまま、不知火へ視線を戻す。
衣服はほぼそのまま。
肌も。
焦げた跡は、ない。
「……おかしいでしょ」
低く言う。
「こいつ、自分で燃えてたのよね?」
「ああ」
レンが答える。
「触れたら焼けるとか言ってた」
「じゃあ、なんで焼けてないのよ」
ツバキの声が、少し荒くなる。
「これじゃあまるで、自滅したように見せかけて、別の理由で殺されたみたいじゃない」
答えはない。
ただ、事実だけが残る。
横から見ていた歌留多が、死体を覗き込んだ。
「しかし、いきなり死んだな。なんだこれ。原理が分からん」
そのまま、隣の恭介をつつく。
「なあ。私は天才だから一応聞くが。……お前がやったのか?」
恭介が露骨に顔をしかめる。
「んなわけねえだろ」
「そうだよな」
歌留多は、ふむ、と腕を組んで頷いた。
「私の見立てでは、このキョウスケとかいうやつは、クロを摂取するのと、妙に頑丈なくらいしか取り柄がない」
ふふん、と鼻を鳴らす。
「結論は明白だ。こういう殺し方はできないはず」
恭介の肩が、ぴくりと震えた。
「てめえ、言わせておけば……」
そのまま、フード越しに歌留多の頭を掴む。
「……あっ、何すんだよ! 頭掴むな! 離せよ!」
歌留多が両手をばたつかせる。
恭介が鼻で笑った。
「なーにが、“私の見立てでは”だ」
ぐっと頭を押さえる。
「一皮むけばガキじゃねえか。調子こいて変なしゃべり方しやがって」
「うるさいな! 私は研究者なんだぞ!」
「どこがだよ」
ツバキが、冷ややかに言う。
「調子に乗るからよ、歌留多」
レンはその様子を見ながら、わずかに眉をひそめた。
子供っぽい空気を出している。
だが、死体を前にして顔色ひとつ変えない。
紗希と少し似ている。
平気なのではない。怖がる場所が、最初からずれている。
恭介が、ようやく不知火の死体へ視線を戻した。
喉をさすりながら、低く言う。
「……んで。窒息か、これ?」
さっきの違和感が、まだ喉の奥に残っている。
「そんな感じだったな」
レンが頷く。
「空気を吸えてなかった」
「煙……じゃねえな」
恭介が舌打ちする。
「こんなもんで詰まるなら、俺も死んでる」
実際、あの瞬間。
ほんの一瞬だが、同じ状態になった。
だが、すぐに抜けた。
不知火は、抜けなかった。
そこに差がある。
「条件があるってことか」
ツバキが呟く。
その言葉に、誰も反論しない。
歌留多だけが、少しだけ首を傾げていた。
「……条件、ね」
呟きは軽い。
だが、目は死体を離さない。
順に見る。
顔。
喉。
胸。
そして、足元。
白い機械。
コードもないまま、細いノズルから蒸気を吐き続けている小型の加湿器。
「まあ、仕掛けのひとつは見えてる」
歌留多が、顎に指を当てたまま言った。
「あそこの、コードもないのに動き続けてる、いかにも怪しい加湿器だ」
紗希が、そちらへ視線を向ける。
「まあ、どう見ても不審ですよねえ、これ」
白い加湿器は、煤けた床の上で静かに動き続けている。
細い蒸気は、風にも炎にも乱されず、一定の量で吐き出されていた。
「ただ」
紗希は、すぐには頷かない。
「原因そのものなのか、媒介なのか。あるいは条件を整えているだけなのかは、まだ分かりません」
歌留多が、小さく頷いた。
「そこだな」
フードの奥の目が、加湿器から白い霧へ移る。
「分かった気になったら、たぶん死ぬやつだ」
誰も笑わなかった。
白い加湿器は、答えを返さないまま、細い蒸気を吐き続けていた。
その音はない。
ただ、そこにある。
死体の足元で。
白い粉のそばで。
霧と同じ色の息を、静かに吐き続けている。
レンが、再び不知火の顔を見た。
「……なあ」
声が低くなる。
「お前ら、聞いたか?」
誰に向けたともなく言う。
「こいつ、さっき」
一瞬、言葉を選ぶ。
「……声、変わってなかったか」
空気が、少しだけ揺れた。
ツバキが顔を上げる。
「……は?」
「いや」
レンは続けた。
「俺の聞き間違いかもしれないけどさ」
不知火の顔を見る。
もう、何も動かないそれを。
「……女の声、混じってたよな」
沈黙。
白い霧だけが、床の低いところを這っている。
ツバキの視線が、ゆっくりと死体へ戻る。
「……はあ?」
否定したい声だった。
だが、否定しきれていない。
あの瞬間、何かが“おかしかった”のは、全員が感じている。
恭介が鼻を鳴らした。
「気のせいじゃねえのか」
軽く言う。
だが、その声はいつものようには跳ねなかった。
どこか、引っかかっている。
「こんな状況だ。頭もおかしくなる」
「……そうね」
ツバキが頷く。
だが、その目は死体から離れない。
「そういうことにしとくわ」
言葉とは裏腹に、確信はない。
霧の中で、何かがずれている。
それだけは確かだった。
恭介は、不知火の死体を見下ろした。
まともに見えているわけではない。
むしろ、視界は黒い線とノイズで埋まっている。人の顔も、服の皺も、指先の形も、普通の意味ではほとんど掴めていない。
ただ、分かる。
妙な重なり方をしている。
「……なんか、乗ってんな」
ぽつりと、恭介が言った。
レンが眉をひそめる。
「乗ってる?」
「知らねえよ」
恭介は苛立ったように舌打ちする。
「上から被ってんだよ」
「何が」
「だから、知らねえって言ってんだろ」
恭介は不知火の死体を睨む。
「こいつの形の上に、別の形がある」
うまく言えないのが、自分でも分かっている。
それでも、違和感だけは確かだった。
「一枚じゃねえ」
その言葉に、紗希がわずかに反応した。
「……一枚じゃない」
紗希は、恭介の言葉を繰り返す。
それから、不知火の死体を見る。
顔。
喉。
胸。
手。
そして、死体の周囲に漂う白い霧。
「たぶん、先輩が言っているのは、輪郭の話です」
レンが聞き返す。
「輪郭?」
「はい」
紗希は頷いた。
「そのまま見れば、不知火さんの体です。でも、全体で見ると少しずれています」
「ずれてる?」
「変わっている、というより」
紗希は、言葉を探す。
「別の人の像が、上から薄く重なっている感じです」
その場の空気が、止まった。
ツバキが顔をしかめる。
「……なにそれ」
「分かりません」
紗希は素直に言った。
「私にも、まだちゃんとは分かっていません」
それでも、視線は死体から外さない。
「ただ、不知火さん自身の能力による変異ではないと思います」
レンが眉を寄せる。
「じゃあ、なんだっていうんだ」
紗希はすぐには答えない。
白い霧を見る。
そして、コードもないまま動き続ける加湿器を見る。
「この場所にある何かが、別の像を上から重ねているように見えます」
完全な説明ではない。
だが、方向だけは示された。
歌留多が、顎に指を当てたまま小さく唸った。
「温度だと思ったんだがな」
前に出した仮説を、もう一度口にする。
不知火は炎を使った。
熱を持っていた。
触れた瞬間、呼吸が止まった。
つながってはいる。
だが、まだ足りない。
紗希は小さく頷いた。
「温度は関係していると思います」
そこで、すぐに続ける。
「でも、それだけとは限りません」
歌留多が小さく首を傾げる。
「ふむ」
レンが低く言った。
「じゃあ、何が条件なんだ」
「まだ分かりません」
紗希は即答した。
断定はしない。
「接触、発火、呼吸、霧の濃度……どれか一つではなく、いくつか重なった可能性があります」
ツバキが、不知火の死体を見る。
「こいつは、それを踏んだってこと?」
「可能性は高いです」
紗希は言う。
「ただし、どれを踏んだのかは、まだ分かりません」
白い霧が、静かに揺れた。
加湿器は、相変わらず蒸気を吐き続けている。
レンが深く息を吐いた。
「……で」
低く言う。
「それが分かったところで、どうするんだって話だけどな」
誰も答えない。
分かっているのは、現象の輪郭だけ。
死因は窒息に近い。
加湿器は怪しい。
不知火の声には、別の声が混じった。
死体には、別の誰かの像が薄く重なっている。
条件がある。
だが、対処法はまだない。
霧は変わらずそこにある。
静かに、逃げ場を塞いだまま。




