第18話 あ、死んだ
沈黙が続いていた。
鷹宮たちが休憩室へ向かったあと、倉庫に残されたのは、恭介、レン、歌留多、ツバキ、紗希。
そして、レンの監視下に置かれた不知火だった。
白い霧は、変わらず入口側を塞いでいる。
「なるほどなるほど。状況は分かりました。先輩はあとでとっちめるとして。……他にも、お昼のお客さん、鷹宮さんって呼ばれていた方と、海さんでしたか。それと、面識はありませんが、白石さんという方がいらっしゃって、別で調査をしてくださっていると」
紗希は指折り数えるように言ってから、視線を死体の方へ向けた。
「で、問題は、あちらの方たちが追っていたはずの人が、なぜか死体になって出てきたこと、と」
「……お前、よくそんな普通に喋れるな」
レンが呆れたように言う。
紗希は小さく首を傾げた。
「普通ではないですよ。まあまあ怖いです」
「まあまあで済むか、これ」
「済ませないと喋れませんので」
にこりと笑う。
その笑顔を見て、レンはそれ以上言うのをやめた。
白い霧は動かない。
死体も、白い粉も、コードのない加湿器も、変わらずそこにある。
レンが、改めて口を開いた。
「……で、死体を“向こう側”に流してたってのは、どういう意味だ」
視線は、壁に固定された死体と、床に散った白い粉へ向いていた。
歌留多が短く答える。
「向こう側を、死体の捨て場にしてた」
「向こう側?」
入口側の壁にもたれたまま、ツバキが言った。
「ズラしてたのよ。死体を、こっちじゃない場所に。……私たちが住んでいたところにね」
抱えた腕が、わずかに震える。
それでも、ツバキは続けた。
「何人も消えてる。だから追ってたの。私たちの側で」
歌留多が、静かに付け足す。
「……迷惑なんだよ」
それで終わりだった。
説明は少ない。
けれど、“普通じゃない”ことだけは全員が理解する。
レンが小さく息を吐いた。
「……つまり、お前らの住んでた場所に、死体を捨ててたってことか」
歌留多は答えない。
ツバキも否定しない。
沈黙が、そのまま肯定になった。
恭介は黙っていた。
壁に埋まった死体にも、白い粉にも、加湿器にも、ほとんど興味を示していない。
ただ、霧だけを見ている。
いや、見ているというより、嗅いでいる。
この場所のどこかに、喰えるものがあるかどうかを探っているようだった。
「で?」
拘束されたまま、不知火が笑った。
「そんな話、どうでもいいだろ」
視線が、恭介へ向く。
「俺とお前の決着、まだついてねえよな。なあ、“吸血鬼”」
恭介が、わずかに目を細めた。
「……ああ?」
「結局、俺様に触れられたら終わりなのは変わんねえ」
レンが、不知火を見る。
「おい。動くなよ」
「分かってるっての」
不知火は笑う。
「ちょっとした確認だよ」
その指先に、炎が灯った。
細い火だった。
鷹宮の拘束を正面から破るほどの火力ではない。けれど、拘束具の一点だけを焦がすには十分だった。
小さく、焦げる音。
「――おい!」
レンが反応して踏み込む。
だが、一瞬遅い。
拘束が緩む。
不知火が前に出た。
そのまま、不意打ち気味に恭介の襟首を掴む。
肉の焼ける音がした。
煙が上がる。
「――っ、あちっ」
恭介の口元が歪む。
だが、振り払わない。
逃げない。
むしろ、踏み込む。
「……はは。なんだ、逃げねえのか、お前」
不知火が笑った。
「意地はってんの? ほんとに馬鹿だな、お前」
炎がじわじわと食い込む。
恭介の襟元が焦げ、皮膚が焼ける匂いが混じる。
それでも、恭介は動かない。
不知火の腕を掴み返そうと、ゆっくりと手を上げる。
「どう焼けるか――」
そこで、不知火の呼吸が止まった。
「――……あ?」
喉を押さえる。
胸は動いている。
だが、空気が入ってこない。
「……っ、は……?」
煙ではない。
熱でもない。
喉の奥に、何かが貼りついている。
「チッ……煙か?」
吐き捨てようとして、そこで止まる。
吐けない。
吸えない。
呼吸だけが、途中で固定されたみたいに動かない。
レンが踏み込む。
「おい、様子おかしいぞ」
不知火は答えない。
目を見開く。
その奥に、もう一つの像が揺れていた。
「……っ、あ……!」
声を出そうとする。
出た。
だが、それは違った。
「……な……んだ……これ……」
柔らかい。
かすれた、女の声。
自分の声に、もう一つの声が重なっている。
不知火は、自分の指を見る。
一瞬だけ、見慣れた手が違う形に“ずれた”。
細い。
白い。
知らない指。
「……は……?」
呼吸ができない。
それ以上に、自分が自分からずれていく。
喉を掻く。
爪が食い込み、血が滲む。
だが、その感触すら遠い。
自分のものではないみたいだった。
「動くなって言っただろ!!」
レンが叫び、そのまま不知火の身体を支えた。
「呼吸しろ! 吸え!」
背中を叩く。
何度も。
だが、不知火の喉は空気を通さない。
不知火の身体が跳ねた。
最後の反射で、声を絞り出す。
「……あ、げ……」
言葉にならない。
そして、止まる。
静かに、完全に動きが消えた。
レンの腕の中で。
「あ、死んだ」
恭介が言った。
「言い方!」
紗希が反射的に突っ込む。
けれど、レンはそれどころではなかった。
「……は?」
固まる。
「……おい」
揺らす。
「起きろ」
反応はない。
完全に沈黙している。
空気が凍る。
その中で、恭介が喉に手を当てた。
「……っ」
一瞬、呼吸が引っかかる。
吸うことも、吐くこともできない。
喉の奥で、空気だけが固定されたみたいだった。
恭介は無理やり咳き込み、息を通す。
「……チッ、なんだったんだよ」
違和感だけが残る。
視線を落とす。
そこには、動かなくなった不知火の体。
その頬に、ほんの一瞬だけ“知らない女の輪郭”が重なって見えた。
瞬き。
消える。
歌留多は、黙って一部始終を見ていた。
不知火が恭介に触れた瞬間に、起きた。
炎が強まった瞬間に、呼吸が止まった。
死体。
恭介。
空気。
霧。
順に追う。
「……なるほど」
一拍置いて。
「温度か」
歌留多が呟いた。
誰もまだ理解していない。
だが確実に、“条件”がある。
そして、それはまだ終わっていない。
白い霧が、静かに揺れた。
「まだ、それが条件だとは限りませんけどねぇ」
紗希は、死体になった不知火を見下ろしたまま、笑みを消していた。




