表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブラックベイン―狂暴×悪辣―  作者: 平行月
第2章 夢蝶はそこにいるか
71/96

第14話 そして炎上する会場

 旧工業地帯の倉庫棟。


 先に動いたのは、不知火だった。

 炎が腕を包む。

 指先から肘へ、肘から肩へ。赤い熱が皮膚の上を這い、白い霧を押しのけるように広がっていく。


「喰えるもんなら、喰ってみろよ」


 不知火が笑った。

 次の瞬間、炎をまとった拳が、恭介の顔面へ伸びる。


 恭介は避けなかった。


 踏み込む。

 真正面から。

 燃える腕へ、噛みついた。


「……っ」


 炎が欠けた。


 赤い熱が、恭介の口元へ吸い込まれていく。火の輪郭が乱れ、不知火の腕を覆っていた炎が、噛み千切られたみたいに歪んだ。


 不知火の目が、一瞬だけ開く。


「……マジで喰いやがった」


 驚き。


 だが、すぐに笑みに変わる。


「はは。やっぱりいいなあ、お前」


「味は悪くねえな」


 恭介が、口元を拭う。


「ただ、しつけえ。雑味が多すぎる」


 不知火がもう一度、炎を腕へまとわせる。

 恭介は、それより速く前へ出た。


 拳が、不知火の腹へ入る。


「ぐっ。……てめえっ」


 身体が折れた。

 不知火の足が床を擦り、背後の鉄骨へ肩がぶつかる。


 だが、倒れない。

 炎を吐き出すようにして、無理やり間合いを作る。


 恭介は構わず進む。


 炎が顔を焼く。

 肩に絡みつく。

 腕へ巻きつく。


 そのたびに、恭介は噛み砕いた。


 赤い熱が欠ける。

 欠けた分だけ、不知火の炎は弱まる。


 完全には消えない。

 けれど、勢いは削れている。


「……っ、そこまで喰うかよ」


 不知火の笑みが、わずかに引きつった。


 恭介は止まらない。

 炎を喰い、霧を割り、一直線に距離を詰める。


 また拳が入る。

 不知火の頬が歪み、赤い髪が揺れる。身体が横へ流れ、床を踏み直すより先に、恭介の膝が腹へ突き刺さった。


 息が詰まる。

 不知火の喉から、笑い損ねた音が漏れた。


「調子……乗ってんじゃねえぞ」


 炎が広がる。


 しかし、恭介はそこへ手を突っ込んだ。

 燃える熱を掴み、握り潰すように口へ運ぶ。炎が千切れ、不知火の周囲を覆っていた赤が、一瞬だけ薄くなった。


「火種ごと喰わねえと終わらねえタイプか」


 恭介が、低く言う。


「だったら、火元をぶち壊しておかねえとな!」


 不知火の表情から、余裕が抜けた。


 楽しんでいる。

 それはまだ消えていない。


 だが、それだけではなくなっていた。


 焦りが混じる。


 目の前の男は、火を恐れない。

 燃やしても止まらない。

 喰われる。削られる。そのまま、本体へ届く。


「……ヒ」


 不知火の口元が、震える。


「ヒヒ……」


 笑い声の形をしていた。

 だが、汗が額を伝っている。


 不知火の手が、近くに転がっていた鉄パイプへ伸びた。

 恭介が一歩、踏み込む。


「くたばれ、化け物が!」


 不知火は、炎ではなく鉄を振り抜いた。


 鉄パイプが、恭介の額を打つ。

 鈍い衝撃が、霧の中へ沈んだ。


 恭介の頭が、わずかに横へ振れる。額が割れ、血が片目の端へ流れ落ちた。


 それでも、倒れない。


 不知火の腕だけが、先に止まっていた。


「っ! 痛えなあ!」


 恭介が、低く言った。


 額から流れた血が、目元を濡らす。


「目にでも入ったらどうすんだ!」


 怒る場所が、そこだった。


 頭を殴られたことではない。

 血で視界が塞がれることに、怒っていた。


 度を超えた耐久力を前提にした、ズレた怒り。


 不知火の頬が、ひくつく。


「ヒ、ヒヒヒ……!」


 笑い声が漏れる。

 だが、もう余裕の笑いではない。


「化け物がよぉ……」


 不知火の足元で、炎が揺れた。


 腕だけではない。


 床へ。

 壁へ。

 柱へ。


 火が、倉庫そのものを探し始める。


 恭介が、血の混じった唾を吐いた。


「おい」


 声が低くなる。


「逃げんのか」


 不知火は、引きつった笑みのまま顔を上げた。


「逃げる?」


 炎が、床のひびへ入り込む。


「違ぇよ、まだ終わりじゃねえ。勘違いすんな!」


 その声には、焦りと、意地と、歪んだ誇りが混ざっていた。


「俺様の炎を。“ブレス・トゥ・バーン”をよ。こんなもんだと思われちゃ困るぜ」


 不知火の足元で、炎が広がった。


 腕から溢れたわけではない。

 床のひびへ入り込む。

 壁の内側へ潜る。

 鉄骨の継ぎ目を舐めるように這い上がる。


 燃え移っている、というより、火の置き場を増やしているようだった。


 倉庫そのものを、火種に変えていく。


「チッ……!」


 恭介が前に出る。


 床から立ち上がった炎を噛み砕く。赤い熱が欠け、黒い口元へ吸い込まれた。


 だが、次の瞬間には、別の場所が燃えている。


 壁。

 柱。

 天井へ伸びる鉄骨。


 火は一つではない。


 不知火の足元から、倉庫全体へ散っていく。


「面倒な燃え方しやがる」


 恭介が低く吐き捨てる。


「火種散らしてんじゃねえぞ」


「喰えるなら喰えよ、火以外も食えるんならな!」


 不知火が笑った。


 額には汗が滲んでいる。

 声も、さっきより少しだけ荒い。


 それでも笑っていた。

 焦りを、炎で塗り潰すみたいに。


「床も、壁も、天井も、全部まとめて喰ってみろよ」


 炎が、壁を這い上がる。


 古い塗装が焦げ、鉄骨が熱を持ち始める。倉庫の奥で、何かが軋んだ。白い霧が赤く照らされ、逃げ場を失ったように低く淀む。


 恭介は、炎を喰いながら不知火へ迫る。


 ただし、まっすぐ届かない。


 床から炎が上がる。

 壁から熱が押し寄せる。

 頭上から、焼けた埃が落ちてくる。


 不知火本人ではなく、倉庫そのものが攻撃になっていた。


「箱ごと燃やしゃ、どいつも一緒だろ」


 不知火が、歯を剥く。


「化け物だろうが、異界のガキだろうが、逃げ場がなきゃ燃える」


「てめえ……!」


 恭介が踏み込む。


 その足元で、床板の隙間から炎が噴き上がった。

 恭介はそれを噛み潰す。だが、その一瞬で不知火が距離を取る。


 逃げたのではない。

 倉庫の奥へ火を流すために、位置を変えた。


 恭介の額から流れた血が、また片目の端を濡らす。


「クソが」


 乱暴に袖で拭う。


「まとめて喰われてえなら、そう言えよ」


「ヒヒ……!」


 不知火が喉を鳴らす。


「やってみろよ。俺様ごと、この倉庫ごとな」


 熱が膨らんだ。


 壁の内側から、低い音が響く。鉄骨が悲鳴を上げるように歪み、天井のどこかで焦げた破片が剥がれ落ちた。


 炎は、もう不知火の周囲だけに留まっていなかった。


 倉庫の奥半分は、すでに赤く染まり始めている。壁際の棚に火が移り、床のひびを走った炎が、天井近くの鉄骨へ細く絡みついていた。


 出口側までは、まだ届いていない。


 だが、熱だけは先に回っていた。白い霧とも蒸気とも違う、乾いた熱が、入口までの空気をゆらゆらと歪ませている。


 その横で、ツバキが一歩下がる。


「……これ、マズいでしょ」


 視線は戦闘から外さない。

 だが、足は出口の方へ向いていた。


 歌留多が仕掛けていた障害物は、もう形を保っていない。恭介を叩きつけた衝撃と、広がる炎に崩され、逃げ道だけはかろうじて開いていた。


 今なら、まだ出られる。


 その判断が、ツバキの目に浮かぶ。


「おっと」


 不知火の声が、炎の向こうから飛んだ。


「逃げても意味ねえぞ?」


 恭介と殴り合いながら、笑う。


「全部焼くからな」


 不知火の宣言ともとれる言葉に、ツバキの表情が歪む。


「……っ、あいつ……!」


 その隣で、歌留多は炎の流れを見ていた。


 口元を、への字に曲げる。


「うぇー」


 歌留多が、心底嫌そうに声を漏らした。


「あいつホントにイカれてるんだな」


 炎が天井へ這い上がる。


 熱で歪んだ空気の中、恭介と不知火の影がぶつかり、また離れた。


 歌留多は、ツバキの方を見ずに言う。


「……ツバキ、逃げた方が良いかもだ」


 少しだけ間を置く。


「あいつ、建物ごと全員殺すつもりだぞ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ