↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブラックベイン―狂暴×悪辣―  作者: 平行月
第3章 五と三と、紗希の傷
119/121

第9話 人体を奔るブラックベイン

 床下を走った無数の根が、次の瞬間には畳を突き上げた。


 どん、と居間全体が跳ねる。


 恭介はすぐに片足を引き、背後の紗希を肩で押し戻した。


「下がってろ!」


 紗希は何も言わない。


 恭介の肩越しに、持ち上がっていく畳を見ている。


 その少し横では、歌留多が腰を落としたまま右手を構えていた。


「来るぞ!」


 歌留多が叫ぶ。


 畳が裂けた。


 一本。


 二本。


 数える意味もない。


 太い根が床板ごと突き破り、その隙間からさらに細い根が溢れ出す。


 壊れた縁側の近くにいたレンが、〈蜃〉を振った。


 足元へ伸びてきた一本が、途中で力を失って畳へ落ちる。


 その横で直哉も身を退いた。


「相馬、右だ!」


「任せときなって」


 レンが返す。


 右。


 次は左。


 背後。


 一本の動きを断っても、その間に別の根が床下から現れる。


 居間の中央では、芙美香が椅子の背へ手をついたまま身を縮めていた。


「また……!」


 芙美香の足元で畳が盛り上がる。


 歌留多が右手を向けた。


「こっちだ!」


 見えない腕が根を横から掴む。


 根の先端が宙で止まり、そのまま芙美香とは反対方向へ引かれた。


 だが、歌留多が一本を押さえている間にも、別の根が梁へ這い上がる。


 さらに一本。


 今度は、恭介と紗希の方へ。


「チッ!」


 恭介が根を蹴る。


 進路は逸れた。


 だが、それだけだった。


 喰わない。


 喰えないのではない。


「ってか、何にも分かんねえし!」


 だから足と腕だけで押し返す。


 その様子を横目で見たレンが、舌打ちした。


「数が多すぎることだけは分かるけどな!」


 〈蜃〉を振る。


 また一本。


 落ちる。


 だが、その向こうから三本が来た。


「歌留多の嬢ちゃんの能力も、恭介の暴力も各個撃破にしか向いてねえ!」


「暴力とか言うなよ!」


 恭介が怒鳴る。


「今そこ気にするとこかよってーの!」


 レンは返しながら、次の根を〈蜃〉で止めた。


「そもそも恭介のフィアー能力は、今の状態じゃ照準が合わせられねえのが弱点だ! それにさっきも言ってたが、こいつらは表面が植物そのものだから喰って解決ってわけにはいかねえんだろう?」


「分かってんなら余計な説明すんな!」


「すんませんねえ! ……んで、だったら、何か代案ねぇわけ!?」


 恭介は答えなかった。


 答えられる状況でもなかった。


 床の下で。


 ぎしり。


 さらに大きな音がした。


 直哉の顔が強張る。


「まだ来るぞ、相馬!」


 居間の奥。


 上座近くでは、恒一が座ったまま動いていない。


 その少し前に立つ雅臣も、押し寄せる根を黙って見ていた。


 壁際では佐伯が口元を手で覆ったまま、青ざめた顔で床を見ている。


 そして。


 また畳が持ち上がった。


 今度は一箇所ではない。


 居間の四方。


 庭側。


 廊下側。


 柱際。


 ほとんど同時に。


「……はぁ。やりたくねえが」


 レンの声が低くなった。


 直哉が振り返る。


 レンは〈蜃〉を片手に持ったまま、空いた手を懐へ入れていた。


「相馬?」


「これ、一発使うと面倒なんだよなあ……」


 指先に挟まれていたのは、黒い楔だった。


 光を反射しない。


 金属にも見えない。


 固まった影を、そのまま細長く削り出したような形をしている。


 それを見た瞬間。


 直哉の目が見開かれた。


「――アクセラレータ!?」


 レンが直哉を見る。


「ん、お前さん、これ知ってんの?」


「……WFAは、あれを完成させていたのか!」


 直哉の声には、驚きがそのまま滲んでいた。


 レンは肩を竦める。


「俺がいた頃には、まだ実戦投入できるものじゃなかった」


「今も大概だよ。ちなみにやらせてんのは志々目のおっさんね。俺の趣味じゃないよ?」


 レンは苦く笑う。


 そして、黒い楔を握り直した。


「さあ、いくぜ。アクセラレータ――」


 床下で、根が鳴る。


 一本が畳を破った。


 レンはその先端を見ながら、楔を自分の胸元へ向けた。


「俺の中に黒の経路を通すしかねえ!」


「待て、相馬!」


 直哉が手を伸ばす。


 だが遅い。


 レンは黒い楔を、自分の胸へ押し込んだ。


「――っ!」


 肉を裂く音はしなかった。


 代わりに。


 どぷ、と。


 影が深い水の中へ沈むような音がした。


 黒い楔の輪郭が崩れる。


 胸元へ。


 そのまま、レンの身体の中へ溶けていく。


 レンの背が反った。


「ぐ……っ」


 首筋に黒い線が浮かぶ。


 一本。


 さらに一本。


 鎖骨から首へ。


 手首から指先へ。


 皮膚の下に黒い経路が走っていく。


「相馬!」


 直哉がもう一度呼ぶ。


「悪いんだけど、もう手遅れなもんでね……!」


 レンは歯を食いしばって〈蜃〉を握り直した。


 影が膨れ上がる。


 手斧ほどだった輪郭が伸びる。


 柄。


 刃。


 一人で扱うには大きすぎるほどの大斧へ変わっていく。


 その刃の縁だけが、目の前の景色から僅かにずれていた。


 歌留多が目を見開く。


「おお、あれをやるのか! でかくなった、でかくなった」


「喜んでんじゃねえ。……ったく、紗希と言いコイツと言い」


 恭介が歌留多の肩を押し、自分の横へ下げた。


「お前も引くんだよ」


「命令するな」


「今だけ聞け!」


 レンが大斧を両手で構えた。


「巻き添えにはしないが、情報量は落としたいんだ。全員、下がってくれ!!」


 その声に。


 直哉が壁際へ跳ぶ。


 芙美香が椅子から離れ、居間の奥へ身を寄せる。


 恭介は紗希を背中側へ押し込んだまま、歌留多ごと一歩退いた。


 佐伯も壁へ肩をぶつけるように下がった。


 レンの前だけが空く。


 そこへ。


 根の波が来た。


 太いもの。


 細いもの。


 枝まで絡んだもの。


 互いを押し合いながら、一つの塊になって迫る。


「――まとめてぶった斬る!」


 レンが〈蜃〉を振り抜いた。


 空気が裂けた。


 畳には傷がつかない。


 柱も。


 壁も。


 目の前を埋め尽くしていた根そのものさえ、両断されてはいなかった。


 なのに。


 桜の動きだけが、途切れた。


 先頭を走っていた根が、急に行き先を失う。


 その後ろから押していた枝も止まる。


 幹と幹。


 根と根。


 それまで一つの波として互いを押し、引き、屋敷の中へ流れ込んでいたものが。


 刃の通った場所を境に。


 ばらばらにほどけた。


 根が畳へ落ちる。


 枝が梁から垂れる。


 幹が、ただ重いだけの木へ戻ったように床へ沈む。


 轟音。


 居間が揺れた。


 だが。


 さっきまで全員を呑み込もうとしていた勢いだけが、消えている。


「……止まった?」


 芙美香が居間の奥から声を上げる。


「止めてねえっすよ、橘木のお嬢さん」


 レンが答えた。


 大斧の形をした〈蜃〉が縮んでいく。


「流れを切っただけ……、なんだよね」


 最後の一言が掠れた。


 レンの膝が落ちる。


「相馬!」


 すぐ近くにいた直哉が駆け寄った。


 レンは片膝を畳につき、〈蜃〉の柄へ体重を預けていた。


 首筋の黒い線は、まだ消えていない。


 肩が上下している。


「……っ、は」


 呼吸を整えようとして。


 失敗する。


 レンはそのまま顔だけを上げた。


「んで、どーすんの」


 恭介が眉を寄せる。


「あ?」


「俺これ使った後、しばらく使い物にならないんだけど」


「知ってる」


 恭介は即答した。


 レンが半眼になる。


「即答すんなよ……」


「使ったのお前だろ。自己責任だ、自己責任」


「あのね! これ以外、方法ねーだろ」


 歌留多が、恭介の横からレンを見る。


「これさ。本当に動けないのか?」


「試してみる?」


 レンが〈蜃〉を支えに立とうとした。


 膝が震える。


「……っ、ほらね」


 身体が持ち上がらない。


 もう一度。


 今度は立ちかける。


 だが、右足へ力を入れた瞬間に顔をしかめ、そのまま膝を戻した。


「大丈夫か、相馬」


 直哉が肩へ手を伸ばす。


「大丈夫に見える?」


 レンは息を吐いた。


「足に力入んねえんだよ」


 直哉の表情が曇る。


 レンの首筋に残る黒い線を見る。


 震えている指を見る。


「……アクセラレータ、そしてフィアー能力のオーバーヒートの反動か」


 直哉が低く呟いた。


「人体への負荷が大きいとは聞いていたが、これほどのものとは。……いや、この程度で済んでいるのが凄まじいことなのか」


 言葉を切る。


「あれを生身で使って、まともに動けるはずがない」


「だからやりたくねえって言ったじゃん」


 レンが力なく笑った。


 その間にも。


 床を埋める根は消えていない。


 切られた流れを失ったまま。


 畳の上で。


 壁際で。


 壊れた縁側の向こうで。


 細く蠢いている。


 恭介はその一本を足で押さえながら、周囲を見た。


「とりあえず、さっきよりはマシになったな」


「今のうちに位置を変えた方がいいです」


 恭介の背後から、紗希が言った。


 まだ前へは出ない。


 だが、その目は居間全体を見ている。


「芙美香さんは、そのまま奥へ。佐伯先生も、壁際を離れた方が――」


 紗希の声が止まった。


 畳の上。


 レンのすぐ脇。


 細い根が一本、ゆっくりと持ち上がった。


 レンも気づく。


「……チッ」


 根が右足首へ巻きついた。


「相馬!」


 直哉が腕を伸ばす。


 レンは〈蜃〉を持ち上げようとした。


 だが、腕が震える。


 刃が間に合わない。


 根が足首を引き、レンの膝を畳へ落とした。


「っ……!」


 そこへ、床板の隙間から二本目が這い出す。


 今度は左足。


 脛から足首へ巻きつき、そのまま両脚を畳へ縫いつけるように締め上げた。


「くそっ!」


 レンが右腕を振る。


 だが三本目の根が、〈蜃〉を握った前腕へ絡んだ。


 肘から手首までを巻き込み、その腕ごと柱際へ引きつける。


 大斧の刃が畳へ落ちた。


「チッ……!」


 さらに太い一本が腰へ回った。


 腹を締め上げるのではない。


 帯のように腰骨のあたりを一周し、そのまま背後の柱へレンの身体を押しつける。


「こ、こいつは……!?」


 右腕。


 腰。


 両脚。


 それだけを狙ったように固定されていた。


 胸から上は自由だった。


 だからレンは顔を上げられる。


 首も動く。


 恭介が踏み出したのを見ると、すぐにそちらへ顔を向けた。


「ま、待て。来んな!」


 声にはまだ、十分な力があった。


 恭介の足が止まる。


 レンは拘束された右腕へ力を込めた。


 根が軋む。


 だが、〈蜃〉を持ち上げられるほどには動かない。


「今の俺じゃ振りほどけねえが、戦力を削ぐわけにはいかねえ!」


 直哉がレンの傍らへ膝をついた。


 足。

 腰。

 右腕。


 根はどれも身体の外側へ巻きついている。


 首へは来ていない。

 胸にも。


 皮膚の下へ潜り込んでいる様子もなかった。


「弱ったところを、そのまま狙われたか……」


 直哉が顔をしかめる。


「悪い。……ちょっと、足引っ張ってるな」


 レンは柱へ背を預けたまま息を吐く。


 荒い。


 だが、意識ははっきりしている。


 視線も周囲を追っていた。


 その視線が、居間の奥へ向く。


「動ける奴を先に動かせ」


 直哉が一瞬だけ迷う。


 だが、すぐに頷いた。


「……了解。いや、わかったよ相馬」


 レンは柱際へ縛りつけられたまま、荒い呼吸を繰り返す。


 その少し先。


 壊れた縁側の向こうには。


 レンが切り開いた、細い隙間が残っていた。


 庭へ抜けられる。


 少なくとも今だけは。


 そして。


 その隙間を。


 壁際にいた佐伯が、じっと見ていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。