↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブラックベイン―狂暴×悪辣―  作者: 平行月
第2章 夢蝶はそこにいるか
104/121

第47話 まるで、ウィリアム・テルのような。

「私が、照らします」


 紗希がそう言った瞬間、ツバキが頭を抱えた。


「あー、もうやばいかも!」


 ほとんど悲鳴だった。


「鷹宮もレンも、もう力使い果たしてグロッキーだし、歌留多は熱いのも痛いのも、実は泣いちゃうお子様だし!」


「おい」


 歌留多が、黒い核を掴んだまま顔をしかめる。


「大声でそういうこと言うな」


 レンは巨大な〈蜃〉を支えながら、苦しげに笑った。


「否定はしねえのかよ」


「泣かない」


 歌留多は、赤い霧の中で踏ん張ったまま言う。


「……まだ」


「ほら!」


 ツバキが叫ぶ。


「ほらじゃない!」


 歌留多が言い返す。


 だが、その声には余裕がなかった。


 見えない巨大な手は、黒い核を掴んでいる。

 その核から返る熱と痛みが、歌留多の手元へ逆流していた。


 レンは黒の経路を起動したまま、息を荒げている。

 鷹宮は〈石抱〉を維持し続け、額に汗を浮かべている。

 歌留多は核を掴んだまま、熱と痛みに耐えている。

 恭介は瓦礫の上で、立ち上がるだけでもやっとだった。


 誰も、余力など残していない。


 その中で、紗希だけが静かに核を見ていた。


「レンさんが道を開ける」


 紗希は、赤い霧の流れを追いながら言う。


「鷹宮さんが核を沈める」


 鷹宮の手が、わずかに震えている。


「歌留多ちゃんが引きずり出す」


 歌留多が、奥歯を噛んでいる。


「でも、壊す役だけは残っています。そうでしょう?」


 紗希の視線が、瓦礫の上の恭介へ向いた。


「先輩にしか、できません」


 恭介が、ゆっくりと顔を上げた。


 立ち上がる。


 いや、立ち上がったというより、吊り上げられた死体が、かろうじて直立したようだった。


 膝は震えている。

 肩は落ちている。

 焼けた服の端から、まだ薄い煙が上がっていた。


 目は開いている。


 だが、焦点は合っていない。

 誰も見ていない。

 何も見えていない。


 それでも、口元だけが笑っていた。


「……ずいぶん買ってくれてるじゃねえか」


「買ってません」


 紗希は即答した。


「運用です」


「言い方」


 レンが、息を荒げながら顔をしかめる。


「そこでツッコむ余裕はあんのかよ……」


 恭介は、赤い霧の奥を睨むように目を細めた。


 だが、視線は定まらない。


「見えねえ」


 声がかすれている。


「線が多すぎる」


 赤い霧も。

 黒い石も。

 核も。

 空間も。

 距離も。

 奥行きも。


 恭介の視界の中では、すべてが細い線に分解され、重なり合っていた。


 何を撃ち抜けばいいのか。

 どこを貫けばいいのか。

 分からない。


 ただ一つ。


 紗希だけが、線の世界の中で、ぼんやりと光のように残っている。


「核も霧も、全部同じに見える」


 恭介は、歯を鳴らした。


「これじゃ、撃ち抜けねえ」


「だから、私が核の位置に重なります」


 紗希は、さらりと言った。


 レンが顔をしかめる。


「言い方が怖ぇよ」


「簡単に言えば、私が的になります」


「簡単に言わないで!」


 ツバキが叫んだ。


 紗希は、歌留多が掴んでいる黒い核へ向かって、一歩踏み出した。


 赤い霧が、彼女の足元に絡みつく。

 熱が肌を刺す。

 空気そのものが、焼けた血のように重い。


 レンが声を張る。


「近づくな、焼けるぞ!」


「焼けないと照らせません」


「そういう問題じゃねえ!」


 恭介が、低く言った。


「おい、紗希」


 紗希は振り向かなかった。


「先輩」


 赤い霧の熱の中で、静かに言う。


「外さないでくださいね」


 恭介は、焦点の合わない目を細める。


「見えてねえっつってんだろ」


「だから」


 紗希は、黒い核へ手を伸ばした。


「見えるようにします」


 歌留多の〈栄光の手〉が掴んでいる核へ、紗希の手が重なる。


 じゅ、と音がした。


「っ――」


 紗希の肩が跳ねた。


 焼けた匂いが立つ。

 指先が震える。

 皮膚が熱に灼かれ、痛みが腕へ走る。


 それでも、紗希は手を離さない。


「紗希ちゃん!」


 レンが叫ぶ。


「離しなさい!」


 ツバキの声が飛ぶ。


 歌留多も歯を食いしばりながら、紗希を見た。


「馬鹿だな、お前も」


「はい」


 紗希は、焼ける手を核へ押しつけたまま、かすかに笑った。


「今だけは、褒め言葉として受け取ります」


 黒い核が脈打つ。


 紗希の血。

 熱。

 狙われやすい体質。

 それらが、核の黒と重なる。


 恭介の壊れた視界の中で、紗希の光が核の位置に重なった。


 霧の奥。

 線の群れの中心。

 そこだけが、見える。


「……離したら」


 紗希は、息を震わせる。


「照準が、ずれます」


 恭介が、瓦礫の上で笑った。


「紗希よぉ」


 焦点の合わない目で、それでも紗希の方を見る。


「火だるまになっても、それ手放すんじゃねえぞ!?」


「お前、ほんとに言い方!」


 レンが怒鳴る。


「最低!」


 ツバキも叫んだ。


 だが紗希は、焼ける手を握り締めたまま、薄く笑った。


「先輩こそ」


 一拍。


「外したら、一生言いますからね」


「死んでたら聞こえねえだろ」


「では、死なないでください」


「注文が多いな、契約者様は」


 恭介は、手の中の黒い石を見た。


 濡れたような黒。

 薄く脈打つ表面。

 赤い霧の巨人が、それを求めている。


 恭介は、何も言わなかった。


 ただ、黒い石を口へ放り込む。


 がり、と。


 歯が、黒い殻を噛み砕いた。


 石の外殻が割れる。

 中から濃いクロが溢れた。


 砕けた黒い破片が、薬莢のように足元へ落ちる。


 恭介の喉が鳴る。


 中身だけが、体内へ沈む。


「結構、美味いもんだな。これ」


 次の瞬間。


 背中で、黒い翼が開いた。


 それは、回復ではなかった。


 折れた骨に無理やり添え木を当てたような。

 止まりかけた機械に、異物混じりの燃料を流し込んだような。


 恭介の身体は、相変わらず限界だった。


 膝はまだ震えている。

 視線の焦点も合っていない。

 焼けた皮膚からは、薄く煙が上がっている。


 ただ、動く。


 動いてしまう。


 それだけだった。


 黒い翼だけが、異様に鋭く広がる。

 恭介の口元から、黒がわずかに漏れた。


「……へ、へへへ! よぉく、見えるぜ」


 かすれた声。


 紗希は、核を握ったまま頷いた。


「なら、お願いします」


「お前、マジで馬鹿だな」


「契約相手に似ました」


「最悪だな」


「ええ」


 紗希は、痛みに顔を歪めながらも、笑った。


「ですから、外さないでください」


 紗希が、焼ける手を核へ押しつける。


「役目、でしょ?」


 恭介が、黒い翼を広げる。


「俺が、ぶっ壊す。そういう話だったな」


 レンは、血の気の引いた顔で笑った。


「……本当、馬鹿騒ぎだな」


 それは、照準と呼ぶにはあまりにも乱暴だった。


 少女が高熱の核を握り、己の存在を目印にする。

 その一点を、視界の壊れた男が黒い翼で撃ち抜く。


 戦闘機で、頭上のリンゴを撃ち抜くような行為。

 外せば、リンゴではなく、首が飛ぶ。


 恭介が、黒い翼を低く構えた。


「紗希」


「はい」


「動くなよ」


「善処します」


「動くなって言ってんだよ」


「痛みで手が震えるので、保証はできません」


 紗希は、核を握る手に力を込める。


 じゅ、と、また焼ける音がした。


「先輩」


「何だよ」


「撃ってください」


 恭介の口元が歪む。


「あいよ」


 そして。


 恭介の黒翼が、弾けた。


 黒い弾丸が、赤い霧の中心へ撃ち出された。


     ◆


 夢の中で、彼女は笑っていた。


 あげは。


 そう呼んだはずだった。


 けれど、振り返った顔は、もう違っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。