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2度目の転生に関する報告書  作者: トール
第三章 領主編

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85/124

第85話 イスファ子爵の苦悩

王歴20年6月、イスファ子爵家執務室。


何故、こんなことになったのか。イスファ子爵カイナンは、執務机の前で頭を抱えていた。


ことの始まりは王歴19年10月の小麦相場の暴落であった。

これまでも豊作の年には小麦価格が下がることはあったが、その下落幅はせいぜい5分程度であり、1割に達することはなかった。

それが今回は3割も下落した。


何故、そんなに下落したのか。調べてみるとイスタン領からの小麦が流入していた。

流入量自体は大したものではないように見えたが、担当官によれば、それこそが価格下落の要因であり、直ちに流入を止めるべきだということであった。


半信半疑ではあったが、取り急ぎトールに書簡を送り小麦流入を止めることを求めた。トールはすぐに釈明に来た。ブルック商会に莫大な借金があり、この返済のために備蓄小麦を売却せざるを得なかったこと、小麦は既にブルック商会に引き渡されており、イスファ領への流出を止める権限はトールにはないこと、それでも、小麦のイスファ領への流出を抑えるべく、ブルック商会に申し入れをする旨をトールは言った。


11月に入っても小麦の流入は続き、小麦価格は4割下落した。その一方で塩の流入が止まり、塩の価格は通常の2倍になった。


私は再度トールに書簡を送り、小麦の流入が止まっていないこと、塩の流入が途絶えていることを指摘し、早急な改善を求めた。


今度はトールから書簡で回答があった。

小麦の流入については、ブルック商会に申し入れたが、商会の同意が得られておらず、引き続き交渉中であるが、何分借金を背負っているため強くは出られないこと。

塩については生産過程に技術的な問題が発生しており、現在、復旧作業中であり復旧した暁には、イスファ領への販売を最優先で進めること。

本来、訪問して説明・謝罪をするべきであるが、塩生産の不具合解消の陣頭指揮を執っているため、その余裕がないことが記されていた。


最初に音を上げたのは家臣達であった。


家臣達は棒給を小麦で受け取り、これを商人に売却して貨幣を得て、塩をはじめとする生活用品を購入している。

この小麦の値段が4割も下落したのだ。生活していけるわけがない。

やむを得ず、当家が蓄えていた貨幣と備蓄していた塩を、家臣たちに貸し与えることにした。


さらに、当家自身も困窮を免れなかったため、農村から特別税を徴収することとした。

特別税の徴収は今回初めて行ったものではない。農村には、毛織物・菜種・茶等による現金収入がある。

このため、特別税は貨幣で徴収するのが常であり、今回も同様とした。


ところが、この特別税の徴収は思うように進まなかった。徴税人によれば、毛織物の価格が低迷して利ざやがほとんどなく、菜種や茶についても価格が下落し、農村の収入は大きく減っているということであった。

言い訳に過ぎない。そう判断した私は、徴税官に対して厳しく取り立てを行うよう命じた。


それでも特別税の徴収が思わしくなく、私は商人たちに借り入れを申し入れた。

この借り入れも、今回初めて行うものではなく、従来であれば、ほぼ当家の要望どおりの額を借り入れることが出来ていた。

しかしながら、今回は違った。

商人たちは、8月・9月に高値で購入した小麦を売るに売れず、資金繰りに全く余裕がないとのこと。

実際に倒産する商会もあった。

借り入れは、ブルック商会からのみ、しかも希望額を大幅に下回る額しか借り入れることが出来なかった。


そうこうしているうちに、年が明けた。

新年は傭兵団との契約更新の時期である。

通常は傭兵団300人の契約を延長していたが、今回は雇用する資金の目処が全く立たない。

やむを得ず300人のうち半数にあたる150名を解雇したが、この判断が事態をさらに悪化させた。

解雇した傭兵が野盗化し、領内の治安が急激に悪化したのだ。


このような状況に伴い、農民が大量に逃散した。

その結果、農村の人口は春の作付けに支障が出るほどまで減少した。このままでは秋の収穫が不作に終わる、いや凶作となることは明白であった。しかし、当家にはもはや有効な対応策を講じる余力がなかった。


何故、このようなことになってしまったのか---


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


1.経済構造について


イスファ子爵領の経済的崩壊について述べるにあたり、この時代の同領の経済構造について言及しておきたい。


まず、基本的な経済構造として、同領では小麦が基軸通貨として機能する、いわゆる「小麦本位制」が成立していた。すなわち、領主は農村から小麦を税として徴収し、この一部を家臣に棒給として与える。


領主と家臣は、この小麦を商人に売却して貨幣に換え、塩・布・道具などの生活必需品を購入していた。なお、この「小麦本位制」についてはイスファ領のみではなく、シバス辺境伯領を含む、バルト王国における経済構造となっていた。


次に農村の状況であるが、「自給的農村から脱却し、貨幣経済が浸透した初期段階」の状況であったと考えられる。

農村は(貨幣ではなく)小麦で納税していた一方、菜種(油)・茶といった商品作物を栽培し、現金収入を得ていた。また、それ以上に大きな現金収入として、家庭内手工業による毛織物の生産が挙げられる。

これは、商人から購入した羊毛を各農家が毛織物へ加工し、それを再び商人に売却する仕組みであった。従って、農村も市場に組み込まれ、羊毛の購入や商品作物生産のための種子・肥料・農具購入のための現金を必要としていた。


2.小麦価格暴落による農村共同体の崩壊について


さて、小麦価格暴落による影響は先ず、都市経済の不況という影響をもたらした。

税として領主に徴収された小麦、領主から家臣に棒給として支給された小麦を商人に売却する際に、小麦価格の暴落のため必要とされる額の現金収入とはならなかったことから、領主・家臣の購買力(=需要)の大幅な減少をもたらした。さらには、公共投資の規模が縮小したことから、都市経済は大不況となった。


そしてその影響は直ちに農村経済にも波及する。

商品作物の需要が減少したことにより、これの販売価格が低下、農村は必要な額の現金を得ることが出来ず、商品作物栽培のために商人から行っていた、借入れの返済が滞ることとなった。


商品作物の需要減少の他にも、農村経済を崩壊させる要因があった。


一つは、イスタン領からの毛織物商品の流入である。

イスタン領の毛織物は、イスファ領の毛織物に対して圧倒的な価格的優位性を持っていた。

これは、イスタン領における工場制手工業の発達ならびに自動紡績機・自動織物機導入による、圧倒的な生産性の優位がもたらしたものである。

これによりイスファ領農村における現金収入の主な柱である毛織物産業が崩壊した。


二つ目は、特別税の貨幣による徴収である。

商品作物の需要減少ならびに毛織物産業の崩壊により、現金収入が激減した農村は、この徴税に応えるための現金を持たず、農民は土地の売却を行わざるを得なくなった。


三つ目は治安の悪化である。傭兵団解雇に伴う傭兵団の野盗化によりイスファ領の治安は著しく悪化した。


これらの要因により、小作農となった農民は自村に留まる意思を持たなくなり、イスタン領への出稼ぎという名目での逃散が発生、結果として農村共同体は崩壊した。


3.小麦価格暴落の原因(真の原因)について


小麦価格暴落の直接的な原因は、イスタン領から大量の小麦が流入したことにあった。公的な資料では、イスタン男爵家がブルック商会への借入金返済のために小麦を売却し、同商会がそれをイスファ子爵領へ販売した結果として発生したものと説明されている。


確かに、現象面だけを見ればその説明は成り立つ。しかし、なぜブルック商会は価格暴落を引き起こすほどの量の小麦を、あえてイスファ子爵領へ売却したのか。この点には大きな疑問が残る。当時のブルック商会は堅実な経営を行っていたとされており、小麦在庫の早急な現金化を必要とするような資金難にはなっていなかったと推測される。


また、表向きにはブルック商会による小麦売却とされていたが、実際に小麦の売買を実施したのは、トール商会(正式名:東インド会社)である。


近年の研究から、イスファ領におけるブルック商会の事業は、遅くとも王歴16年にはトール商会へ事業譲渡されていたことが明らかになっている。


当時のトール商会は、イスタン男爵家50.1%、ブルック商会49.9%の資本比率である合弁事業であり、王歴19年の小麦売買を含めたトール商会の事業戦略には50%超の資本比率を持つイスタン男爵家の意向が大きく反映される。


これらのことに、前章で述べたイスタン領第二次中期経営計画の違和感(外部公表用の計画であったという疑惑)を併せて考えると、王歴19~20年度に発生したイスファ領の経済混乱は、イスタン男爵家が仕掛けた経済戦争によるものであったのではないかという疑惑が生じるものである。


文学部史学科論文集より


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