16話 トーマスさん独白
私の名はトーマス。アゼル伯爵領の開拓村に住んでいる。
開拓村には住んでいるが、私は開拓村の村民ではない。義息子のトールが言うところの「治外法権」の住人である。
私は開拓村の生まれではない。
生まれは王都。ブルック騎士爵家長男に生まれた。正式な名をトーマス・ブルックという。騎士爵家とはいいながら、実際は商家である。大手商家が王家から騎士爵を受けたものである。
トールはこれを「位打ち」と称していたが、言いえて妙である。
そもそもブルック家はアゼル伯領の商家であった。
祖父の時代に王都に進出し、大いに商いを伸ばし、王国の準大手まで成り上がった。父は祖父から受け継いだ商家を地道に、だが確実に守り、祖父から騎士爵を受け継いだ。
そんなわけで、私は幼少のころから商家としての教育と貴族としての教育の両方を受けていた。
学びは苦痛ではなかった。苦痛どころか楽しむことができた。
そのせいであろうか、私は算術と貴族語(第一獲得言語は平民語である)に格別な才能があると言われた。
また、貴族としてのたしなみである剣術についても、「剣術として格別な才能はないが、努力することができるという才能がある」と剣術の師匠から大いに評価され、私のことを「文武両道の神童」という者さえいた。
私は自分が神童ではないことを知っている。
算術と貴族語は、ただ覚えればいいだけのものである。他の者がなぜ覚えようとしないか理解できない。
剣術に至っては「1日休むと取り返すのに3日かかる」と師匠から言われ、その根拠に合理性は見いだせなかったものの、継続した訓練が必要であることは理解できたので、これを実行していただけのことである。
他の者がなぜ休もうとするのかが理解できない。
そんなある時、そう、私が10才の9月25日。私はとある疑問を抱き、その疑問を大番頭であるヨシュア氏に投げかけた。
何故、これから値上がりする小麦を今の市場価格で売却するのか、と。
私は6才の時から小麦相場について学んでいた。そのため、小麦がどのような相場になるのかがわかっていた。
「トーマス殿、何故、値上がりするとお考えですか」
ヨシュア氏のその問いかけに絶句してしまった。値上がりするものは値上がりする。相場を見れば明確ではないか。
「もしや、数字が光って見えるとか」
数字が光るわけがないではないか。
「ふうむ、となるとニコラス様とは異なるのか---」
ニコラスは私の大叔父にあたる。会ったことはないが。
「このことは当主様と相談いたしましょう。今日明日にでも当主様にお時間をいただくことにします。
それまでの間、小麦以外の相場表をお渡しするので、目をとおしておいてください」
ヨシュア氏の部下から膨大な資料を受け取った。これに目をとおすのは、結構時間がかかりそうだ。
「読める範囲で結構です。当主様もご予定があるので、今すぐに相談できるわけではありませんので」
おおよそ2時間後、私は父の執務室に呼ばれた。そこにいたのは父とヨシュア氏の2人だけ。
いつもいる秘書やその他の職員はいない。いわゆる「お人払い」というものであろう。
「さて、トーマス、小麦が値上がりするのか」
父が尋ねてきた。この相場の数値が間違いなければ値上がりするに決まっているのに。
「ほう、それでどの程度値上がりする」
そんなもの、わかるわけがない。
「トーマス殿、おおよそで結構です。例えば5割増から倍の間とか」
この相場で5割増程度の値上がりで収まるはずがない。少なくとも3倍、ひょっとしたら5倍にはなるはずだ。
私がそう答えると父とヨシュア氏はしばらく黙り込んだ。
「ヨシュア、不作の情報はないな」
「はい、各地とも豊作とまでいかないものの、少なくとも平年並みの収穫とのことです。
不作の地域があるとは聞いておりません」
「それでは、何故、小麦が上がるのか---」
なるほど、父たちは値上がりの理由が知りたいのか。これがわかれば、他の商品が値上がりするのか、あるいは値下がりするのかも見えてくるかもしれない。理由を探るのは合理的であるな。
ちなみに与えられた他商品の相場で値上がりするのはライ麦である。
「まあ、小麦が値上がりするのだから、ライ麦もつれ高になるか---」
「当主様、少しお待ちください。不作でもないのに小麦とライ麦に値上げの兆候があるとすると---」
「まさか---戦争か?」
その後、父とヨシュア氏の協議の結果、以下の方針が確定した。
①小麦ならびにライ麦がおおよそ3~5倍の値となることを前提に行動する。
②小麦を可及的速やかに購入する。
③このために、
1)小麦購入資金確保のため、むりのない範囲内での借入を行う。
併せて、小麦以外の在庫を含め、処分可能な動産について可及的速やかに現金化する。
2)小麦保管のための倉庫を借り増しする。
3)本件は、私・父・ヨシュア氏ならびに実行部隊である手代二名のみに情報を限定する。
まあ、妥当な判断であろう。
なお、私の役割は「小麦値下がりが発生する兆候をつかむ」こととなった。
相場を確認するだけである。なんとも簡単な役割である。




