第123話 論文集6(バルト連合王国の躍進)
バルト王国の躍進
1.イスファ幕府の終焉
ロマ国軍事政権との和親条約ならびに通商条約が締結されて間もない王歴35年(帝国歴1197年)9月30日、トール・イスタンはロマ帝国の脅威がなくなったとして征夷大将軍の位を辞すとともに、政権をシバス辺境伯に返還(以下「大政奉還」)した。
シバス辺境伯はこれを受け、トール・イスタンの第二夫人である「風の聖女」ティナ・イスタンを宰相に任命し、シバス辺境伯領の統治を全面的に委ねた。
ティナ・イスタン宰相は統治機関をイスファ幕府から全て譲り受けると同時に新たに元老院を設立、元老院議員にトール・イスタン、「炎の聖女」クレア・イスタン、「氷の聖女」ユメ・イスタンを指名した。
この元老院は公的には宰相の諮問機関の位置づけであったが、実質的にティナ・イスタン政権(以下「ティナ政権」)をコントロールしていた。
このため、形式上はシバス辺境伯への政権返還が行われたものの、統治の中核は引き続きイスタン家を中心とする体制に置かれていた。
すなわち、大政奉還は行われたものの実際の支配形態はイスファ幕府時代と何ら変わるものではなかったと言える。
2.バルト連合王国の成立と躍進
大政奉還後の王歴36年(帝国歴1198年)1月5日、シバス辺境伯はバルト王国からの独立を宣言。
孫娘であるイザベラ・シバスが国王に就任した。
これと同時にイザベラ・シバスとバルト国王の孫であるステファン・バルトとの婚約がバルト王国、シバス王国の両国から発表された。
王歴36年(帝国歴1198年)1月10日、イザベラ国王はシバス国王の位を婚約者であるステファンに譲ると発表した。同日、バルト国王もまた、バルト国王の位をステファンに譲る旨を発表した。これにより、シバス王国とバルト王国は同一君主の下に置かれることとなった。
通称「バルト連合王国」(正式名称「バルト地域およびシバス地域連合王国」)
の成立である。
バルト連合王国の王位についたステファンは、ティナ・イスタンを全権宰相に任命、連合王国の統治を全面的にティナ政権に委ねた。
ティナ政権は、かつてシバスで実施した以下の政策を、バルト王国においても推し進めた。
①中央集権化
②ノーホーク方式導入による農業革命
③毛織物産業による産業革命
④鉄鋼・蒸気機関等重工業の導入
中央集権化に反対する一部諸侯の抵抗(例:五稜郭の戦い)があったものの
圧倒的な武力によってこれを排除し、政策を強引に実施した。その結果、自由貿易協定を結んだ旧ロマ帝国諸国を市場としたバルト連合王国の産業は大いに栄え、旧ロマ帝国諸国を経済的植民地とするに至った。
これが現在まで続くパックス・バルティカの始まりとなったのである。
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ステファン国王「これでは私に実権はなにもないではないか!私に傀儡になれというのか!!」
ティナ 「バルト連合王国に君臨する国家元首の位がお気に召しませんか。もしそうであれば、この杯をお飲みいただきたく存じます。決して苦しむことはありません」
ステファン国王「---」
ティナ 「全権委任状にご署名をされますか。それとも杯を選ばれますか。失礼ながら陛下の代わりは、いくらでもおられます」
ステファン国王「くっ---」
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ニコシア侯爵 「ティナが全権宰相だと!?」
侯爵家家宰 「はい、間違いありません」
ニコシア侯爵 「まずいぞ!ニコシア侯爵家とアンタルヤ伯爵家がどのような報復を受けるか」
アンタルヤ前伯爵夫人「父上、あきらめましょう。私たちはあの娘---クリスティーナにむごいことをしたのですから。仮に侯爵家と伯爵家が取り潰しになっても仕方がないかと」
ニコシア侯爵 「そうはさせるか! 家宰、各諸侯に檄を飛ばせ! 我々諸侯の権利を守るため、君側の奸を討つ!」
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侯爵家家宰 「共に決起したイスパルタ伯爵家は国軍に敗れました。アンタルヤでは住民が蜂起し、国軍を迎え入れました」
ニコシア侯爵 「くっ---最後まであきらめるものか、五稜郭に立てこもり諸侯の決起を待つ!」
次回、最終話です。
私がこの小説の中で、一番書きたかったところです。
是非、最期までおつきあいいただきたく存じます。




