第122話 論文集5(ロマ帝国の崩壊)
ロマ帝国の崩壊について
1.和平の成立について
王歴34年(帝国歴1196年)6月7日のシバス軍タブリ入城ならびにロマ帝国第四軍団およびタブリ防衛隊の降伏をもってロマ・シバス間の戦闘は終了、両国は事実上の休戦状況となった。
その後、シバス辺境伯政府(幕府)からロマ帝国に対して和平交渉の申し入れがなされた。
シバス側が提示した和平条約の要旨は以下のとおりである。
①ロマ帝国・バルト王国の国境線を王歴29年(帝国歴1191年)の第一次アフラ会戦以前のものとすること。
②シバス辺境伯政府は、ロマ軍捕虜を無償でロマ帝国に引き渡すこと。
③シバス辺境伯政府は、ロマ帝国イズミールに対して行った食糧援助に
ついての補償をロマ帝国に求めないこと。
④ロマ帝国はロマ教シバス派の異端認定を取り消すこと。
⑤ロマ帝国ならびにバルト王国は自由貿易を行うこととし、両国間の関税は撤廃すること。
当時、領土割譲や賠償金の支払いは戦勝国の当然の権利とみなされていた。それにもかかわらず、シバス側の案は領土割譲も賠償金も要求せず、さらに捕虜の無償返還と食糧援助への補償放棄まで含む、ロマ帝国に極めて有利な和平条約案であった。しかし、ロマ帝国は当初、和平交渉の席につこうとしなかった。理由は上記④ロマ教シバス派の異端認定取り消しにある。
以前に述べたとおり、ロマ帝国はロマ教宗教国家である。すなわち、教会組織のトップである皇帝が神の代理人としてロマを支配し、教会の聖職者である
貴族が、この支配を具体化すべく民衆を統治するという構造となっていた。
そのため、教会、特に神の代理人である皇帝は無謬性を求められていた。
何故ならば皇帝が誤謬を犯した場合、神の代理人としての正統性を喪ってしまうためである。
皇帝が下したロマ教シバス派の異端認定を取り消した場合、皇帝の無謬性を損なうことになり、さらには、皇帝自身が異端となるのではないかという疑義が生じてしまう。
このため、ロマ帝国としてはロマ教シバス派の異端認定取り消しができないのはもちろんのこと、異端であるシバス辺境伯政府との交渉も行うことができないという状況に陥った。
この状況が覆ったのが王歴34年(帝国歴1196年)9月11日のロマ近郊隕石落下である。
ロマ帝国帝都ロマの近郊10kmに落下した隕石は、直接の被害をロマに与えてはいないものの、落下時に光・音・衝撃波をもたらした。
タブリの隕石落下を知っているロマ住民ならびにロマ支配者層は、次はロマに天罰が下ると考え大パニックに陥ったのである。
皇帝インシブル3世は、このパニックを収束させるにはシバスとの和平成立が不可欠であると判断した。そして、ロマ教シバス派の異端認定取り消しを含む、シバス側の提示内容をすべて受諾することを宣言した。
これにより、王歴34年(帝国歴1196年)10月15日にロマ帝国ーシバス辺境伯政府間の和平が成立した。
2.ロマ帝国の崩壊
シバス辺境伯政府との和平成立により帝都ロマにおけるパニックは治まったが、ロマ教シバス派の異端認定を取り消しは、神の代理人としての皇帝の権威失墜ひいてはロマ帝国の権威失墜を引き起こすことになった。
それが顕在化したのが、ロマ帝国準州におけるロマ教ロマ派(ここではロマ教シバス派と区別するためにロマ教ロマ派と記す)の排斥運動である。
王歴35年から36年(帝国歴1197年から1198年)にかけて、ロマ帝国準州各地で、住民によるロマ教ロマ派の排斥運動が自然発生的に勃発(注1)した。
住民たちはロマ教ロマ派は異端であるとし、ロマ教シバス派に帰依することを求めた。
これら住民の急進派はロマ派教会を襲撃、各地の準州政府は当初この動きを弾圧もしくは抑圧していたが、やがて迎合するようになった。この動きが準州の独立運動に発展していくこととなる。
ロマ本国においても、このロマ派排斥運動がおこり、特に隕石落下を目の当たりにした帝都ロマにおいて活発となった。
帝都ロマにおけるロマ派排斥運動は、当初は極めて穏健なものであった。
民衆の要求は、シバス派教会を帝都ロマに建設することであり、決してロマ派を排斥するという運動ではなかった。
この状況が一変したのが王歴35年(帝国歴1197年)1月22日に発生したロマ軍による民衆の虐殺事件、いわゆる「血の日曜日」事件である。
民衆は、
・シバス派教会の設立許可
・生活苦の救済
・準州独立運動弾圧のための軍事行動の中止
を皇帝に訴えるべく、賛美歌を歌いながら宮殿に向けて行進。その数は10万人に達した。
この行進は完全に非武装・平和的なものであったが、皇帝はこの行動を許さず軍隊を宮殿前広場に配置、宮殿前広場に行進した民衆を一斉に攻撃した。
この攻撃による民衆の死傷者数は、死者数百人・負傷者数千人に達したと推定される。
事件翌日から民衆は暴徒化、ロマ派教会・大商店・貴族(僧侶)邸宅への襲撃が行われ、帝都ロマは無法状態となった。
この混乱を収めたのが、いわゆる「第四軍団クーデター」事件である。
ハラン将軍の率いる第四軍団15,000(注2)は王歴35年(帝国歴1197年)2月1日未明に宮殿を襲撃、皇帝ならびに側近を拘束し、その後、即時に処刑。
民衆に対して、軍事政権の樹立を宣言すると同時に
・シバス派教会の設立推進
・準州独立運動弾圧の中止ならびに準州独立の容認
・シバス辺境伯政府との軍事経済同盟の締結
を掲げた。
さらに、軍事政権首脳にシバスに政治亡命をしていた「猛将」ハドリアン・イタン大将を入れ、親シバス政権であることを明確に提示した。
神による天罰を恐れていた住民ならびに兵士はこの親シバス政権を支持。
この政権樹立をもって、ロマ帝国は崩壊・滅亡した。
(注1)準州各地におけるロマ派排斥運動は自然発生ではなく、シバス辺境伯政府の誘導によるものであるとする説があるが、これを裏付ける史料は発見されていない。
(注2)当時の第四軍団はタカード大佐が率いる旧タブリ守備隊を吸収していた。なお、クーデターの実行部隊はこの旧タブリ守備隊が主力であったと考えられる。
文学部史学科論文集より
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ハラン 「準州のロマ派排斥運動が自然発生だって?そんなわけあるか。
裏でシバスが、トール将軍が手を回しているに決まっているじゃないか」
タカード「ハランちゃん、じゃあ、その証拠を集めるか?」
ハラン 「いや、無駄だ。仮にその証拠が見つかったとしても歴史上から抹殺されるだけだ」
タカード「ということは、これからはシバスが覇権を握るということか?」
ハラン 「ああ、その動きはもう止められない。僕らもシバスが覇権を握ることを前提に動くべきだな」
コイアム「ハランさん、タカードさん、私は一生あなたがたについて行きます!」
ハラン・タカード「「(僕たちのどっちについて来るんだ?)」」




