第119話 第三次アフラ会戦10ーハラン少将の決断ー
5月20日 4:30
星が落ちた。
白い光が、天頂から地上へ向けて一直線に走った。夜空を貫く一本の火の尾は、野営地の兵たちを照らした。
「来た---」誰かが、いや、誰もがそうつぶやいた次の瞬間、空気そのものが悲鳴を上げた。
圧力の壁が、闇の中を疾走してきた。風ではない。風よりも速く、重く、鋭い“衝撃”が、野営地を走った。
兵士たちは一斉に伏せた。テントが倒れ、荷車が転がる。
そして、遅れて世界が轟いた。
雷鳴を百倍にしたような音が、夜営地全体を揺さぶった。
地面が震え、土煙が夜空へ向かって巨大な柱となって立ち上る。その根元は、野営地の外側1,000m先。
闇の向こうで、炎が赤く揺れ、崩れた地形が火の粉を撒き散らした。
やがて兵たちは立ち上がった。
兵たちは無言のまま、手荷物を抱えて歩き出した。
「おい、どこへ行く!」
士官が止めようとするが、歩みは止まらない。
パニックに陥ることはなく、黙々と歩く。
「あの神託は偽りだ!星は俺たちの頭上には落ちなかったぞ!!」
別の士官が主張するが、
「神のご慈悲だ。タブリの時と同じだ。始めは外してくれる」
兵の言い分に反論できず言葉に詰まる士官。
その士官の肩に手を置き、上官がつぶやく。
「ダメだ。こうなった以上兵は止められない、であれば---」
その上官は声を張り上げた。
「シュミット中隊、全員集合!今から荷物をまとめタブリに転進する!」
「少佐!軍令違反です!!」
とがめる部下の言葉に耳を貸さず、シュミットは言葉を続ける。
「お前たち、手荷物だけではタブリまでたどり着かないぞ!
糧食を余さず持ち出す!各小隊長!点呼の上、指揮を執れ!!」
「---少佐殿、よろしかったのですか」
「これで俺は軍法会議だな。まあ、しかたあるまい。
どうせなら一人でも多くの兵をタブリまで---いや、ロマまで連れて帰ろう」
ロマ軍は、個人単位で、分隊単位で、小隊単位で、あるいは中隊単位で、
タブリに向けて歩き出した。
その行動は、上層部の命令によるものではなかった。
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「ロマ全軍、タブリ方面に撤退中です。我々の勝利です」
上空からロマ軍の動向を窺っていたトールが、シバス軍本営に帰還し状況を報告した。
「追撃するか?」とサムエル。
「今はしません。イスファを防衛するという戦略目標は既に達成しました。
ここで無駄に労力をかける必要はありません」
「追撃して帝国の戦力を削るという選択肢もあると思います」とジャック・クリーフ少将。
「そういう意味では、隕石を帝国軍のど真ん中に落としても良かったと思います。
帝国軍に被害が出ないよう狙いをはずす必要はなかったのではないのですか」
「いえ、ジャックさん。風の影響か空気抵抗の影響かわからないのですが隕石は狙いから数kmはずれることがあるのですよ。万一、隕石が我が軍に直撃してしまったらば、そこで我が軍の負けが確定、シバスは滅びます。そのリスクを避けるために隕石をシバス軍から十分距離がある場所に落としたのです」
「しかし---」
「ジャック、そのくらいにしておけ」とサムエル。
「では追撃はせず、ということでいいな、トール」
「はい。追撃をせずとも帝国軍は既に戦力ではなくなっています。それに---彼らは帝国の内部に入り込む毒になります。毒は多い方が良い」
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5月23日 タブリ
タブリのハラン少将ならびにタカード大佐のもとにロマ遠征軍退却の報が届いたのは、この日の午後であった。
「タブリにある糧食は5日分---か」とタカード大佐。
「ああ。遠征軍、僕の第四軍団を含めた15万と君のタブリ守備隊5千
計15万5千分の糧食として5日分。これが現在タブリにストックしている糧食の量だ」
「それしかない、と考えるべきか、よくここまでストックできた、と考えるべきか」
「両方とも正しいさ。本国の最寄り都市イズミールには、タブリからの避難民5万が押しかけその対応に追われている。本来、タブリに送ることが
できる糧食などないはずのところを、無理して捻出してくれた。これがこの5日分だ」
「バルト王国からの調達は?」
「ダメ元で依頼したが、案の定断られた。バルト王国にも避難民が流れ込んでいる。
それにバルト王国も当然タブリの状況は知っている。今はロマ帝国に加担するわけがない」
「5日分か---遠征軍は収容できないな」
「ああ。糧食だけではない。収容する建物もない。イズミールまで撤退させるしかない。ただなあ、兵たちが素直にイズミールまで撤退してくれるかどうか」
「普通に考えればイズミールまで下がるしかないと思うが」
「普通に考えれば、な。ただ、今の兵たちは普通じゃないはずだ。
考えてみろ。シバスの民を異端から解放すると意気込んで進出したはいいが、お前たちは背教者になるぞ、と神から言われて星を落とされたんだ」
「あれは敵の攻撃だろう」
「僕は敵の攻撃だと思う。だが多くの兵たちは神のご意志だと考えるはずだ。
その挙げ句に撤退命令が出ているわけでもないのに勝手に撤退している。
兵たちの統制が全く取れていない状況にある」
「おい、それって---」
「ああ、最悪だ。今の兵たちは野盗と同じ、いや、野盗よりもたちが悪い。
いまごろは兵たちが糧食の奪い合いをしているはずだ」
「タブリまでの糧食は足りているはずだろう」
「統制が取れていればな。糧食を持たずに逃げ出した兵が多くいるだろう。
統制のとれていない15万、いや、僕の兵を除いた14万の野盗が糧食を奪い合う。まあ、控えめに言っても悪夢だな」
「それで、どうするんだ」
「撤退してくる兵には3日分の糧食を渡す。そのかわりにタブリの街には入れない。
シバス軍がすぐにでも攻め込んで来ると言えば良い。おっと、負傷者は受け入れるぞ。
それと女性兵士には対応させるな、不慮の事故が起こりかねない」
「渡す糧食は3日分か?イズミールまで5日はかかるが」
「3日分もあればイズミールまでたどり着くのに十分だ。僕らの兵たちに
食わせなければいけないからな」
「無理矢理街に入ろうとする兵がいたらばどうする?」
「実力で排除する。相手は指揮命令系統を失っている。僕と君の兵で十分に対応できる」
「わかった。兵たちに徹底しよう」
「ああ、頼む」
「それにしても14万の野盗か。押しつけられるイズミールも大変だな」
「ああ、糧食を捻出してくれたイズミールには申し訳ないが、何とかしてもらうしかない。あと気の毒なのはタブリの村落だ。野盗の大軍が押しかけてくるのだからな。確実に壊滅する。残念ながらこちらには対応するだけの余力は全くないがな」
「僕たちの兵はどうする?遠征軍を送り出した後でイズミールまで撤退するのか」
「イズミールの状況が落ち着けばな」
「落ち着かなければ?」
「そうだな---食糧の援助を依頼するか」
「誰に?」
「決まっているだろう、食糧を持っているところにだ」
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王歴34年(帝国歴1195年)6月5日
ロマ帝国軍第四軍団長テオドール・ハラン少将とロマ帝国軍タブリ
守備隊長ヒュジス・タカード大佐は連名で、バルト王国子爵 征夷大将軍トール・イスタンに対して書簡を送付。
内容はタブリの無防備都市宣言、ロマ帝国第四軍団ならびにタブリ守備隊の降伏、タブリに対する食糧援助の要請であった。
これを受け、シバス軍は6月7日にタブリに入城。約5年間にわたるロマ帝国によるタブリの実効支配は、ここに終止符を打った




