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陽だまりの庭  作者: はるうた
別編 それぞれの花

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33/34

遥の眼差し

> スミレは足元に咲く

> 見上げなければ気づかれない

>

> でもこの花は

> 見上げることを知っている

>

> ずっと 同じ人を


---


この物語は、本編を遥の視点から描いた別編です。

真白先輩への憧れを胸に秘めながら、園芸部で過ごす日々を描きます。


---


## 一・スイートピー


四月。高校に入学した。


姉の夏希に連れられて、温室に向かった。学校に慣れない革靴が、少し痛い。でも、それが嬉しかった。これから始まる高校生活への期待で、胸がいっぱいだった。


「ここが園芸部だよ」


夏希の声に顔を上げると、目の前にガラス張りの温室があった。


「わあ……」


窓越しに見える、色とりどりの花。赤、黄色、ピンク、白。午後の日差しに照らされて、きらきらと輝いている。温室のガラスが、春の陽射しを受けて、虹色に光っていた。


「去年の文化祭で来たでしょ。楽しかったよね」


「うん」


私は、小さく頷いた。


あの時見た、きれいな花たち。優しそうな先輩たち。笑顔で花の説明をしてくれた声。フラワーアレンジメントの甘い香り。また、あの場所に行けるんだ。


---


温室の扉を開けると、むわっとした温かい空気が流れ出てきた。土の匂い、緑の匂い、そして、かすかに甘い花の匂い。外の春の空気とは全然違う、密度の濃い温もりが、頬と鼻をやさしく包んだ。


「遥ちゃん、いらっしゃい」


温室の中から、優しそうな先輩が出てきた。肩につくくらいのミディアムヘア、明るい茶色。柔らかい笑顔。去年の文化祭でも会った、部長さんだ。


「三年生の七瀬柚葉です。部長をやってます」


「一年生の、日向遥です」


「花、好き?」


「はい。見るのも、育てるのも」


私は正直に答えた。小さい頃から、花が好きだった。道端に咲いているスミレや、温室のチューリップ。小さくて、控えめで、でも一生懸命咲いている花が好きだった。


「じゃあ、ぴったりだね」


柚葉先輩が、にっこり笑った。その笑顔が、春の日差しみたいに温かくて、私も思わず笑顔になった。


---


温室の中を見学した。


棚にずらりと並んだ鉢植えの花。手入れの行き届いた葉っぱ。作業台の上に置かれた、園芸用の道具たち。じょうろやスコップ、小さなハサミ。どれも丁寧に使われている感じがした。


奥には、パイプ椅子とテーブルがあった。花柄のティーポットと白いカップが並んでいる。なんだか、絵本の中みたいだった。


「入ります」


気づいたら、そう言っていた。


「ありがとう。よろしくね」


「よろしくお願いします」


柚葉先輩の手が、私の肩にそっと触れた。温かい手だった。


——ここで、いい思い出が作れそう。


温室のガラス越しに見える空が、青くてきれいだった。


---


## 二・マーガレット


園芸部には、六人の部員がいる。


三年生の柚葉先輩、凛先輩、詩先輩。二年生の小春先輩、真白先輩。そして、一年生の私。


初めて全員に会ったのは、入部した次の日だった。放課後、温室に行くと、先輩たちが待っていてくれた。


「遥ちゃん、花は何が好き?」


小春先輩が聞いた。明るい声。笑顔が太陽みたいに眩しい人だ。


「スミレとか、好きです」


「スミレ、かわいいよね」


「小さくて、控えめなところが好きなんです」


「真白と似てるかも」


小春先輩が、隣にいた真白先輩を見た。


「え?」


「真白も、カスミソウが好きなの。控えめなところが」


真白先輩が、小春先輩を睨んだ。


「……別に」


その声は少し不機嫌そうだったけど、でも、本当に怒っている感じじゃなかった。どこか照れているような、そんな響きがあった。


私は、真白先輩を見た。


少しだけ、怖そうな人だと思っていた。銀色に近い明るい髪、きりっとした表情。でも、控えめな花が好きなんだ。


「なんか、嬉しいです。同じ趣味の人がいて」


真白先輩は、少しだけ表情を緩めた。目が、ほんの少しだけ柔らかくなった。


——笑うと、優しい顔になるんだ。


その瞬間、胸が少しだけ温かくなった。


---


## 三・カスミソウ


五月。温室の当番が始まった。


「今日は、遥ちゃんと真白ちゃんね」


柚葉先輩が言った。ホワイトボードに書かれたスケジュール表を見ながら、にこにこ笑っている。


「よろしくお願いします」


「……よろしく」


真白先輩は、相変わらず素っ気ない。でも、不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ、二人きりになれるのが嬉しかった。


---


二人で、花の世話をした。


真白先輩は、丁寧に花を扱う。水やり、枯れた葉の除去、土の確認。全部、丁寧で、優しい手つきだった。


その手を見ていると、安心する。細くて、でも確かな動き。花びらに触れる時の、そっと触れる指先。土を確かめる時の、やさしい力加減。


「真白先輩、花の扱い方、上手ですね」


「……そう?」


「はい。とても丁寧で」


真白先輩の手が、一瞬止まった。


「……柚葉先輩に教わったから」


「柚葉先輩に?」


「去年、入部した時。いろいろ教えてもらった」


真白先輩の声が、少しだけ柔らかくなった。その声音には、尊敬と、何か別の感情が混じっているような気がした。


「柚葉先輩のこと、尊敬してるんですね」


「……まあ」


真白先輩は、カスミソウを見つめていた。白い小さな花。控えめで、でもどこか凛としている。真白先輩が好きだと言っていた花。


その横顔が、少しだけ切なそうに見えた。眉がわずかに下がって、唇がほんの少しだけ引き結ばれている。


——何か、あるのかな。


温室の中に、静かな時間が流れた。ガラス越しに聞こえる風の音だけが、私たちを包んでいた。


---


## 四・朝顔


高校一年生の夏。八月の終わり。花火大会の日。


園芸部のみんなで行くことになった。生まれて初めて、学校の友達と行く花火大会。浴衣を着て、姉に髪を結ってもらった。鏡の中の自分が、少し大人びて見える。


「遥ちゃん、浴衣かわいいね」


会場で小春先輩に褒められて、嬉しかった。頬が熱くなる。


「ありがとうございます」


夜風が、浴衣の袖を揺らした。夏の終わりの風は、少しだけひんやりしている。祭りの賑やかさの中で、その涼しさが心地よかった。


---


屋台を回っていると、真白先輩と柚葉先輩が少し離れた場所で、二人で話しているのが見えた。


——何か、話してる。


真白先輩の表情が、いつもと違った。真剣で、少しだけ緊張しているように見えた。口元が、わずかに震えている。柚葉先輩は、いつもの穏やかな笑顔で頷いていた。


しばらくして、二人がみんなのところに戻ってきた。


柚葉先輩は、いつも通りだった。でも、真白先輩の表情が、さっきと違う。何かを堪えているような、そんな顔。唇を噛んで、視線をどこか遠くに向けている。


胸が、きゅっと痛んだ。


---


花火が始まった。


みんなで、空を見上げた。ドーンと大きな音が響いて、夜空に花が咲く。赤、青、黄色、緑。色とりどりの光が、夜の闇を染め上げていく。


きれいだった。でも、私は、真白先輩のことが気になっていた。


真白先輩は、花火を見ていなかった。どこか遠くを見つめている。浴衣の袖を、ぎゅっと握りしめている。


小春先輩が、心配そうに真白先輩を見ていた。


「真白、大丈夫?」


「……大丈夫」


「何かあった?」


「……後で話す」


真白先輩の声は、平静を装っていた。でも、私には、無理しているように見えた。声が、ほんの少しだけ震えている。


花火の光が、真白先輩の横顔を照らした。その表情に、痛みのようなものが浮かんでいた。


——真白先輩。


何も言えなかった。何を言えばいいのか、わからなかった。ただ、胸が痛くて、真白先輩のそばにいたくて、でも何もできない自分が歯がゆかった。


---


## 五・スミレ


花火大会の後。みんなと別れて、家に帰る途中。


姉の夏希が聞いた。


「花火、楽しかった?」


「うん」


「なんか、ぼーっとしてるね」


「……ちょっと、考え事」


「何?」


「真白先輩のこと」


夏希の足が止まった。


「月島さん?」


「うん。なんか、今日、元気なさそうだったから」


「そっか」


姉は、私の頭を撫でた。大きくて、温かい手。小さい頃から、いつも撫でてくれる手。


「遥は、優しいね」


「……そうかな」


「人の気持ちに、敏感なところ。昔から」


確かに、昔から、人の気持ちの変化に気づきやすかった。ちょっとした表情の変化、声のトーン、視線の向き。そういうのが、なぜかわかってしまう。


「……」


「でも、あんまり考えすぎないようにね」


「うん」


姉の言葉に頷いたけど、頭の中は真白先輩のことでいっぱいだった。


——真白先輩、大丈夫かな。


その夜、布団の中でずっと考えていた。天井を見つめながら、真白先輩の横顔を思い出す。花火の光に照らされた、あの切ない表情。何かを堪えている、あの眼差し。


眠れなかった。


---


## 六・マリーゴールド


翌日。


思い切って、真白先輩にメッセージを送った。携帯を握る手が、少し震えていた。


「真白先輩」


「明日、温室の当番なんですけど、一緒に行きませんか?」


送信ボタンを押す。


——迷惑かな。


送った後、少し不安になった。余計なお節介だったかもしれない。真白先輩は一人でいたいのかもしれない。


でも、すぐに返事が来た。


「いいよ」


短いけど、返事をもらえた。携帯の画面を見つめて、頬がゆるんだ。


嬉しかった。


---


翌日。温室で。


真白先輩と二人で、花の世話をした。じょうろの水が、土に染み込んでいく音。緑の葉を撫でる風の音。ガラス越しに聞こえる、セミの鳴き声。


いつも通りの、静かな時間。でも、真白先輩の表情が、少しだけ柔らかくなっている気がした。肩の力が、ほんの少しだけ抜けている。


「遥」


「はい」


「……誘ってくれて、ありがとう」


「え?」


「昨日、一人でいたくなかったから」


真白先輩の声が、温室の空気に溶けていく。


「……」


「気を使わせてごめんね」


「いえ、私も、真白先輩と一緒がよかったので」


真白先輩が、少しだけ驚いた顔をした。目が、わずかに大きくなる。


「……そう」


「はい」


「……ありがとう」


真白先輩が、小さく微笑んだ。その笑顔が、とてもきれいだった。午後の日差しが、真白先輩の髪を照らして、きらきらと光っている。


胸が、どきっとした。


——なんだろう、この気持ち。


---


## 七・コスモス


九月。文化祭の準備。


真白先輩と一緒に、フラワーアレンジメントの練習をした。オアシスに茎を挿す角度、花のバランス、色の組み合わせ。たくさんのことを教えてもらった。


「こうやって、花を配置して……」


「はい」


「バランスを見ながら、少しずつ」


真白先輩の手が、私の手に触れた。花の茎を支える手が、重なる。


——温かい。


指先から、真白先輩の体温が伝わってくる。ほんのわずかな接触なのに、どうしてこんなに心臓が早くなるんだろう。


「……遥?」


「あ、はい。すみません」


「聞いてた?」


「聞いてました」


嘘だ。ほとんど聞いていなかった。真白先輩の手の温かさに、意識が持っていかれていた。


「……本当に?」


「本当です」


また嘘をついた。真白先輩の顔が近い。目が、私を見つめている。


「……」


真白先輩が、少しだけ呆れたように笑った。唇が、わずかに緩んで、目尻に小さなしわができる。


その笑顔を見て、また胸がどきっとした。


——これ、なんだろう。


温室の中に、花の香りが漂っていた。甘くて、少しだけ切ない香り。


---


## 八・リンドウ


文化祭が終わって、秋が深まった。


真白先輩のことを、よく見るようになった。花を世話する姿。静かに本を読む姿。小春先輩と話す姿。どの真白先輩も、きれいだった。


髪を耳にかける仕草。水やりの時に、少しだけ目を細める表情。笑う時の、ほんの少しだけ上がる口角。全部、目に焼きついていく。


——見すぎかな。


自分でも思う。でも、気づくと見てしまう。真白先輩がどこにいるのか、いつも意識してしまう。


---


「遥ちゃん、真白と仲良くなったね」


ある日、小春先輩が言った。温室のテーブルで、紅茶を飲みながら。


「はい。真白先輩、優しいので」


「そうでしょ。真白、見た目はクールだけど、本当は優しいんだよ」


「知ってます」


「うん。遥ちゃんなら、わかるよね」


小春先輩が、嬉しそうに笑った。紅茶のカップを両手で包んで、湯気に顔を近づけている。


「真白、最近元気になってきた気がする」


「そうですか?」


「うん。遥ちゃんのおかげかも」


「私の……?」


「真白にとって、遥ちゃんは特別なんじゃないかな」


——特別。


その言葉が、胸に残った。ずっしりと重くて、でも温かい。特別って、どういう意味だろう。友達として特別? 後輩として特別? それとも……。


紅茶の湯気が、ゆらゆらと揺れていた。


---


## 九・撫子


十一月。柚葉先輩と凛先輩が、付き合うことになった。


温室で、みんなに報告された。柚葉先輩の笑顔が、いつもより輝いて見えた。凛先輩も、照れくさそうに頭を掻いている。


「おめでとうございます」


みんなが祝福した。私も、おめでとうと言った。本当に、おめでたいことだと思った。二人とも、幸せそうで。


でも、真白先輩を見てしまった。


真白先輩は、黙っていた。少しだけ、胸が痛そうな顔をしていた。唇が、わずかに震えている。拳を、ぎゅっと握りしめている。


でも、すぐに「おめでとうございます」と言った。その声は、平静だった。でも、どこか遠くから聞こえてくるような、そんな響きがあった。


——真白先輩、柚葉先輩のこと……。


やっと、わかった気がした。花火大会の夜。真白先輩の、あの表情の意味。あの切なそうな眼差しの意味。


真白先輩は、柚葉先輩のことが好きだったんだ。


胸が、きゅっと痛んだ。


---


帰り道。真白先輩と小春先輩が、少し前を歩いていた。


私は、少し離れたところから、ついていった。二人の会話が、秋の風に乗って聞こえてくる。


「真白、大丈夫?」


「……大丈夫」


「本当に?」


「うん。わかってたことだから」


真白先輩の声が、震えていた。ほんの少しだけ。


「真白……」


「柚葉先輩が幸せなら、それでいいんだ」


小春先輩が、真白先輩の手を握った。二人の影が、夕日に伸びている。


「真白、強いね」


「……そんなことない」


真白先輩の声が、小さくなった。


——真白先輩、辛かったんだ。


胸が、きゅっと痛んだ。真白先輩の背中が、いつもより小さく見えた。落ち葉を踏む足音が、やけに大きく聞こえた。


---


## 十・カスミソウ


それから、私は、前より真白先輩のそばにいるようになった。


温室に行けば真白先輩がいる。当番じゃない日でも、真白先輩が来ていれば、私も行く。ただ、そばにいたかった。


「遥、また来たの」


「はい。一緒にいたくて」


「……変なやつ」


真白先輩の声は、呆れている。でも、嫌そうじゃない。むしろ、ほんの少しだけ嬉しそうに聞こえた。


「真白先輩が好きなので」


「……え」


真白先輩が、固まった。目が、少しだけ大きくなる。


「あ、先輩として、尊敬してるってことです」


慌てて付け加える。心臓が、早くなった。


「……そう」


真白先輩は、少しだけ顔を赤くした。頬が、ほんのりピンク色に染まっている。


——かわいい。


また、胸がどきっとした。


---


「遥」


「はい」


「なんで、私なの」


真白先輩が、花の水やりをしながら聞いた。顔は、花の方を向いている。


「え?」


「小春とか、詩先輩とか、他にもいるのに」


「……」


私は、少し考えた。なんでだろう。小春先輩も詩先輩も、優しくて素敵な人だ。でも、私が一番気になるのは……。


「真白先輩が、一番気になるからです」


「気になる?」


「はい。なんでかは、わからないけど」


本当に、わからなかった。ただ、真白先輩のことを見ていたくて、そばにいたくて、笑顔を見たくて。


「……」


「真白先輩のこと、もっと知りたいって思うんです」


真白先輩は、黙っていた。でも、嫌そうな顔はしていなかった。むしろ、少しだけ困ったような、でも嬉しそうな、そんな表情をしていた。


温室の中に、静かな時間が流れた。ガラス越しに、冬の空が見えた。


---


## 十一・冬牡丹


十二月。クリスマスが近づいてきた。


温室の飾りつけをした。リース、ポインセチア、クリスマスローズ。みんなで、温室を飾っていく。


「遥、そこ持って」


「はい」


真白先輩と一緒に、リースを飾った。脚立に登って、上の方に吊るす。真白先輩が下から支えてくれる。


真白先輩の手が、また私の手に触れた。リースを支える手が、重なる。


——やっぱり、どきどきする。


手が触れるたびに、心臓が早くなる。真白先輩の体温が、手の平から伝わってくる。離したくない、と思った。


---


その夜。布団の中で、考えた。


真白先輩のこと。一緒にいると、嬉しい。笑顔を見ると、幸せになる。触れると、どきどきする。名前を呼ばれると、胸が温かくなる。


——これって、憧れじゃない。


——これって……。


やっと、わかった。


私は、真白先輩のことが好きなんだ。友達として、じゃなくて。先輩として、じゃなくて。恋として。


暗闇の中で、顔が熱くなった。布団を被って、声を押し殺す。


——恋、なんだ。


胸が、苦しいくらいに熱い。嬉しいのか、悲しいのか、よくわからない。ただ、真白先輩のことが好きで、でもその気持ちは、きっと届かないんだろうと思った。


真白先輩は、柚葉先輩のことが好きだから。


窓の外に、冬の星が光っていた。


---


## 十二・雪割草


気づいてしまったけど、言えない。


真白先輩は、まだ柚葉先輩のことを想っているかもしれない。それに、私はまだ一年生で、真白先輩は二年生。先輩と後輩という関係を壊したくない。


だから、今は、そばにいるだけでいい。真白先輩が笑っていれば、それでいい。


——私の気持ちは、胸の中にしまっておこう。


温室で、真白先輩と二人で作業をする。その時間が、何よりも大切だった。真白先輩の声を聞けること。笑顔を見られること。たまに手が触れること。それだけで、幸せだった。


---


「遥、最近よく笑うようになったね」


ある日、姉の夏希が言った。夕食の後、リビングで。


「そう?」


「うん。なんかいいことあった?」


「……別に」


「嘘。顔に出てるよ」


姉の眼差しが、優しい。全部見抜かれている気がした。


「……」


「好きな人でもできた?」


図星だった。顔が、一気に熱くなる。


「……秘密」


「えー、教えてよ」


「言わない」


「けち」


姉は、笑った。私も、笑った。部屋に戻って、鏡を見る。確かに、最近、笑顔が増えた気がする。


「まあ、幸せそうだからいいけど」


「……うん」


——幸せ、なのかな。


そばにいられるだけで、こんなに嬉しい。それは、きっと、幸せなことだ。


たとえこの気持ちが届かなくても、真白先輩のそばにいられる今が、幸せなんだ。


---


## 十三・梅


三月。三年生の卒業式。


柚葉先輩、凛先輩、詩先輩が卒業した。体育館で、卒業証書が手渡される。三人の晴れやかな笑顔。拍手の音が、体育館に響いていた。


真白先輩は、泣いていなかった。でも、柚葉先輩を見つめる目が、少しだけ潤んでいた。唇を、ぎゅっと噛みしめている。


——真白先輩。


私は、そっと真白先輩の隣に立った。肩が触れるくらいの距離。真白先輩の体温が、わずかに伝わってくる。


「遥」


「はい」


「……ありがとう」


「何がですか?」


「いてくれて」


真白先輩が、小さく微笑んだ。涙を堪えた笑顔。でも、優しい笑顔。


「遥がいてくれて、助かった」


「……」


「この一年、いろいろあったけど。遥がいてくれたから、乗り越えられた」


「真白先輩……」


胸が、熱くなった。泣きそうになったけど、堪えた。ここで泣いたら、真白先輩が心配する。


「来年も、よろしくね」


「はい。よろしくお願いします」


真白先輩の手が、私の手に触れた。一瞬だけ。でも、その温もりが、ずっと残っていた。


体育館の窓の外に、梅の花が咲いていた。


---


## 十四・眼差しの先に


四月。新学期。


真白先輩は三年生になった。私は二年生。園芸部の部長は、真白先輩になった。


「小春、副部長お願いね」


「うん、任せて」


「遥ちゃんも、後輩の面倒、頼むね」


「はい」


新しい一年が始まる。温室の花も、新しい春を迎えていた。チューリップが咲き始めて、パンジーが元気に揺れている。


---


温室で、真白先輩と二人きりになった。新入生が来る前の、静かな時間。


「真白先輩」


「なに」


「私、真白先輩のこと、ずっと見てました」


「……知ってる」


真白先輩が、振り向いた。


「え?」


「遥の視線、気づいてた」


「……恥ずかしいです」


顔が、一気に熱くなる。ずっとバレていたんだ。


「別に。嫌じゃなかったから」


真白先輩が、私を見た。真っ直ぐな眼差し。その目が、私をとらえている。


「遥」


「はい」


「私、まだ、自分の気持ちがよくわからない」


「……」


「でも、遥といると、落ち着く」


「真白先輩……」


心臓が、早くなる。これは、どういう意味だろう。


「だから、もう少し、そばにいてほしい」


「……はい」


私は、頷いた。


「いつまでも、そばにいます」


真白先輩が、少しだけ笑った。目が、優しく細められる。


「……ありがとう」


温室の中に、春の光が差し込んでいた。柔らかくて、温かい光。ガラス越しに見える、青い空。その空の下で、スミレが咲き始めていた。


---


柚葉先輩が言った言葉を思い出した。


「真白ちゃんは、素敵な子だよ。きっと、真白ちゃんのことを好きになる人が現れる」


——もう、現れてますよ、柚葉先輩。


私は、心の中で呟いた。


——ずっと、ここにいます。


真白先輩を見つめる私の眼差しは、きっと、特別なものになっている。いつか、この気持ちを伝えられる日が来るまで。


私は、真白先輩のそばで、春を待つ。咲かない花は、ない。ただ、まだその時じゃないだけ。スミレが春を待つように、私も、その時を待つ。


温室の外で、風が花びらを運んでいた。春の風が、優しく私たちを包んでいた。


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