遥の眼差し
> スミレは足元に咲く
> 見上げなければ気づかれない
>
> でもこの花は
> 見上げることを知っている
>
> ずっと 同じ人を
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この物語は、本編を遥の視点から描いた別編です。
真白先輩への憧れを胸に秘めながら、園芸部で過ごす日々を描きます。
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## 一・スイートピー
四月。高校に入学した。
姉の夏希に連れられて、温室に向かった。学校に慣れない革靴が、少し痛い。でも、それが嬉しかった。これから始まる高校生活への期待で、胸がいっぱいだった。
「ここが園芸部だよ」
夏希の声に顔を上げると、目の前にガラス張りの温室があった。
「わあ……」
窓越しに見える、色とりどりの花。赤、黄色、ピンク、白。午後の日差しに照らされて、きらきらと輝いている。温室のガラスが、春の陽射しを受けて、虹色に光っていた。
「去年の文化祭で来たでしょ。楽しかったよね」
「うん」
私は、小さく頷いた。
あの時見た、きれいな花たち。優しそうな先輩たち。笑顔で花の説明をしてくれた声。フラワーアレンジメントの甘い香り。また、あの場所に行けるんだ。
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温室の扉を開けると、むわっとした温かい空気が流れ出てきた。土の匂い、緑の匂い、そして、かすかに甘い花の匂い。外の春の空気とは全然違う、密度の濃い温もりが、頬と鼻をやさしく包んだ。
「遥ちゃん、いらっしゃい」
温室の中から、優しそうな先輩が出てきた。肩につくくらいのミディアムヘア、明るい茶色。柔らかい笑顔。去年の文化祭でも会った、部長さんだ。
「三年生の七瀬柚葉です。部長をやってます」
「一年生の、日向遥です」
「花、好き?」
「はい。見るのも、育てるのも」
私は正直に答えた。小さい頃から、花が好きだった。道端に咲いているスミレや、温室のチューリップ。小さくて、控えめで、でも一生懸命咲いている花が好きだった。
「じゃあ、ぴったりだね」
柚葉先輩が、にっこり笑った。その笑顔が、春の日差しみたいに温かくて、私も思わず笑顔になった。
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温室の中を見学した。
棚にずらりと並んだ鉢植えの花。手入れの行き届いた葉っぱ。作業台の上に置かれた、園芸用の道具たち。じょうろやスコップ、小さなハサミ。どれも丁寧に使われている感じがした。
奥には、パイプ椅子とテーブルがあった。花柄のティーポットと白いカップが並んでいる。なんだか、絵本の中みたいだった。
「入ります」
気づいたら、そう言っていた。
「ありがとう。よろしくね」
「よろしくお願いします」
柚葉先輩の手が、私の肩にそっと触れた。温かい手だった。
——ここで、いい思い出が作れそう。
温室のガラス越しに見える空が、青くてきれいだった。
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## 二・マーガレット
園芸部には、六人の部員がいる。
三年生の柚葉先輩、凛先輩、詩先輩。二年生の小春先輩、真白先輩。そして、一年生の私。
初めて全員に会ったのは、入部した次の日だった。放課後、温室に行くと、先輩たちが待っていてくれた。
「遥ちゃん、花は何が好き?」
小春先輩が聞いた。明るい声。笑顔が太陽みたいに眩しい人だ。
「スミレとか、好きです」
「スミレ、かわいいよね」
「小さくて、控えめなところが好きなんです」
「真白と似てるかも」
小春先輩が、隣にいた真白先輩を見た。
「え?」
「真白も、カスミソウが好きなの。控えめなところが」
真白先輩が、小春先輩を睨んだ。
「……別に」
その声は少し不機嫌そうだったけど、でも、本当に怒っている感じじゃなかった。どこか照れているような、そんな響きがあった。
私は、真白先輩を見た。
少しだけ、怖そうな人だと思っていた。銀色に近い明るい髪、きりっとした表情。でも、控えめな花が好きなんだ。
「なんか、嬉しいです。同じ趣味の人がいて」
真白先輩は、少しだけ表情を緩めた。目が、ほんの少しだけ柔らかくなった。
——笑うと、優しい顔になるんだ。
その瞬間、胸が少しだけ温かくなった。
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## 三・カスミソウ
五月。温室の当番が始まった。
「今日は、遥ちゃんと真白ちゃんね」
柚葉先輩が言った。ホワイトボードに書かれたスケジュール表を見ながら、にこにこ笑っている。
「よろしくお願いします」
「……よろしく」
真白先輩は、相変わらず素っ気ない。でも、不思議と嫌な感じはしなかった。むしろ、二人きりになれるのが嬉しかった。
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二人で、花の世話をした。
真白先輩は、丁寧に花を扱う。水やり、枯れた葉の除去、土の確認。全部、丁寧で、優しい手つきだった。
その手を見ていると、安心する。細くて、でも確かな動き。花びらに触れる時の、そっと触れる指先。土を確かめる時の、やさしい力加減。
「真白先輩、花の扱い方、上手ですね」
「……そう?」
「はい。とても丁寧で」
真白先輩の手が、一瞬止まった。
「……柚葉先輩に教わったから」
「柚葉先輩に?」
「去年、入部した時。いろいろ教えてもらった」
真白先輩の声が、少しだけ柔らかくなった。その声音には、尊敬と、何か別の感情が混じっているような気がした。
「柚葉先輩のこと、尊敬してるんですね」
「……まあ」
真白先輩は、カスミソウを見つめていた。白い小さな花。控えめで、でもどこか凛としている。真白先輩が好きだと言っていた花。
その横顔が、少しだけ切なそうに見えた。眉がわずかに下がって、唇がほんの少しだけ引き結ばれている。
——何か、あるのかな。
温室の中に、静かな時間が流れた。ガラス越しに聞こえる風の音だけが、私たちを包んでいた。
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## 四・朝顔
高校一年生の夏。八月の終わり。花火大会の日。
園芸部のみんなで行くことになった。生まれて初めて、学校の友達と行く花火大会。浴衣を着て、姉に髪を結ってもらった。鏡の中の自分が、少し大人びて見える。
「遥ちゃん、浴衣かわいいね」
会場で小春先輩に褒められて、嬉しかった。頬が熱くなる。
「ありがとうございます」
夜風が、浴衣の袖を揺らした。夏の終わりの風は、少しだけひんやりしている。祭りの賑やかさの中で、その涼しさが心地よかった。
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屋台を回っていると、真白先輩と柚葉先輩が少し離れた場所で、二人で話しているのが見えた。
——何か、話してる。
真白先輩の表情が、いつもと違った。真剣で、少しだけ緊張しているように見えた。口元が、わずかに震えている。柚葉先輩は、いつもの穏やかな笑顔で頷いていた。
しばらくして、二人がみんなのところに戻ってきた。
柚葉先輩は、いつも通りだった。でも、真白先輩の表情が、さっきと違う。何かを堪えているような、そんな顔。唇を噛んで、視線をどこか遠くに向けている。
胸が、きゅっと痛んだ。
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花火が始まった。
みんなで、空を見上げた。ドーンと大きな音が響いて、夜空に花が咲く。赤、青、黄色、緑。色とりどりの光が、夜の闇を染め上げていく。
きれいだった。でも、私は、真白先輩のことが気になっていた。
真白先輩は、花火を見ていなかった。どこか遠くを見つめている。浴衣の袖を、ぎゅっと握りしめている。
小春先輩が、心配そうに真白先輩を見ていた。
「真白、大丈夫?」
「……大丈夫」
「何かあった?」
「……後で話す」
真白先輩の声は、平静を装っていた。でも、私には、無理しているように見えた。声が、ほんの少しだけ震えている。
花火の光が、真白先輩の横顔を照らした。その表情に、痛みのようなものが浮かんでいた。
——真白先輩。
何も言えなかった。何を言えばいいのか、わからなかった。ただ、胸が痛くて、真白先輩のそばにいたくて、でも何もできない自分が歯がゆかった。
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## 五・スミレ
花火大会の後。みんなと別れて、家に帰る途中。
姉の夏希が聞いた。
「花火、楽しかった?」
「うん」
「なんか、ぼーっとしてるね」
「……ちょっと、考え事」
「何?」
「真白先輩のこと」
夏希の足が止まった。
「月島さん?」
「うん。なんか、今日、元気なさそうだったから」
「そっか」
姉は、私の頭を撫でた。大きくて、温かい手。小さい頃から、いつも撫でてくれる手。
「遥は、優しいね」
「……そうかな」
「人の気持ちに、敏感なところ。昔から」
確かに、昔から、人の気持ちの変化に気づきやすかった。ちょっとした表情の変化、声のトーン、視線の向き。そういうのが、なぜかわかってしまう。
「……」
「でも、あんまり考えすぎないようにね」
「うん」
姉の言葉に頷いたけど、頭の中は真白先輩のことでいっぱいだった。
——真白先輩、大丈夫かな。
その夜、布団の中でずっと考えていた。天井を見つめながら、真白先輩の横顔を思い出す。花火の光に照らされた、あの切ない表情。何かを堪えている、あの眼差し。
眠れなかった。
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## 六・マリーゴールド
翌日。
思い切って、真白先輩にメッセージを送った。携帯を握る手が、少し震えていた。
「真白先輩」
「明日、温室の当番なんですけど、一緒に行きませんか?」
送信ボタンを押す。
——迷惑かな。
送った後、少し不安になった。余計なお節介だったかもしれない。真白先輩は一人でいたいのかもしれない。
でも、すぐに返事が来た。
「いいよ」
短いけど、返事をもらえた。携帯の画面を見つめて、頬がゆるんだ。
嬉しかった。
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翌日。温室で。
真白先輩と二人で、花の世話をした。じょうろの水が、土に染み込んでいく音。緑の葉を撫でる風の音。ガラス越しに聞こえる、セミの鳴き声。
いつも通りの、静かな時間。でも、真白先輩の表情が、少しだけ柔らかくなっている気がした。肩の力が、ほんの少しだけ抜けている。
「遥」
「はい」
「……誘ってくれて、ありがとう」
「え?」
「昨日、一人でいたくなかったから」
真白先輩の声が、温室の空気に溶けていく。
「……」
「気を使わせてごめんね」
「いえ、私も、真白先輩と一緒がよかったので」
真白先輩が、少しだけ驚いた顔をした。目が、わずかに大きくなる。
「……そう」
「はい」
「……ありがとう」
真白先輩が、小さく微笑んだ。その笑顔が、とてもきれいだった。午後の日差しが、真白先輩の髪を照らして、きらきらと光っている。
胸が、どきっとした。
——なんだろう、この気持ち。
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## 七・コスモス
九月。文化祭の準備。
真白先輩と一緒に、フラワーアレンジメントの練習をした。オアシスに茎を挿す角度、花のバランス、色の組み合わせ。たくさんのことを教えてもらった。
「こうやって、花を配置して……」
「はい」
「バランスを見ながら、少しずつ」
真白先輩の手が、私の手に触れた。花の茎を支える手が、重なる。
——温かい。
指先から、真白先輩の体温が伝わってくる。ほんのわずかな接触なのに、どうしてこんなに心臓が早くなるんだろう。
「……遥?」
「あ、はい。すみません」
「聞いてた?」
「聞いてました」
嘘だ。ほとんど聞いていなかった。真白先輩の手の温かさに、意識が持っていかれていた。
「……本当に?」
「本当です」
また嘘をついた。真白先輩の顔が近い。目が、私を見つめている。
「……」
真白先輩が、少しだけ呆れたように笑った。唇が、わずかに緩んで、目尻に小さなしわができる。
その笑顔を見て、また胸がどきっとした。
——これ、なんだろう。
温室の中に、花の香りが漂っていた。甘くて、少しだけ切ない香り。
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## 八・リンドウ
文化祭が終わって、秋が深まった。
真白先輩のことを、よく見るようになった。花を世話する姿。静かに本を読む姿。小春先輩と話す姿。どの真白先輩も、きれいだった。
髪を耳にかける仕草。水やりの時に、少しだけ目を細める表情。笑う時の、ほんの少しだけ上がる口角。全部、目に焼きついていく。
——見すぎかな。
自分でも思う。でも、気づくと見てしまう。真白先輩がどこにいるのか、いつも意識してしまう。
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「遥ちゃん、真白と仲良くなったね」
ある日、小春先輩が言った。温室のテーブルで、紅茶を飲みながら。
「はい。真白先輩、優しいので」
「そうでしょ。真白、見た目はクールだけど、本当は優しいんだよ」
「知ってます」
「うん。遥ちゃんなら、わかるよね」
小春先輩が、嬉しそうに笑った。紅茶のカップを両手で包んで、湯気に顔を近づけている。
「真白、最近元気になってきた気がする」
「そうですか?」
「うん。遥ちゃんのおかげかも」
「私の……?」
「真白にとって、遥ちゃんは特別なんじゃないかな」
——特別。
その言葉が、胸に残った。ずっしりと重くて、でも温かい。特別って、どういう意味だろう。友達として特別? 後輩として特別? それとも……。
紅茶の湯気が、ゆらゆらと揺れていた。
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## 九・撫子
十一月。柚葉先輩と凛先輩が、付き合うことになった。
温室で、みんなに報告された。柚葉先輩の笑顔が、いつもより輝いて見えた。凛先輩も、照れくさそうに頭を掻いている。
「おめでとうございます」
みんなが祝福した。私も、おめでとうと言った。本当に、おめでたいことだと思った。二人とも、幸せそうで。
でも、真白先輩を見てしまった。
真白先輩は、黙っていた。少しだけ、胸が痛そうな顔をしていた。唇が、わずかに震えている。拳を、ぎゅっと握りしめている。
でも、すぐに「おめでとうございます」と言った。その声は、平静だった。でも、どこか遠くから聞こえてくるような、そんな響きがあった。
——真白先輩、柚葉先輩のこと……。
やっと、わかった気がした。花火大会の夜。真白先輩の、あの表情の意味。あの切なそうな眼差しの意味。
真白先輩は、柚葉先輩のことが好きだったんだ。
胸が、きゅっと痛んだ。
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帰り道。真白先輩と小春先輩が、少し前を歩いていた。
私は、少し離れたところから、ついていった。二人の会話が、秋の風に乗って聞こえてくる。
「真白、大丈夫?」
「……大丈夫」
「本当に?」
「うん。わかってたことだから」
真白先輩の声が、震えていた。ほんの少しだけ。
「真白……」
「柚葉先輩が幸せなら、それでいいんだ」
小春先輩が、真白先輩の手を握った。二人の影が、夕日に伸びている。
「真白、強いね」
「……そんなことない」
真白先輩の声が、小さくなった。
——真白先輩、辛かったんだ。
胸が、きゅっと痛んだ。真白先輩の背中が、いつもより小さく見えた。落ち葉を踏む足音が、やけに大きく聞こえた。
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## 十・カスミソウ
それから、私は、前より真白先輩のそばにいるようになった。
温室に行けば真白先輩がいる。当番じゃない日でも、真白先輩が来ていれば、私も行く。ただ、そばにいたかった。
「遥、また来たの」
「はい。一緒にいたくて」
「……変なやつ」
真白先輩の声は、呆れている。でも、嫌そうじゃない。むしろ、ほんの少しだけ嬉しそうに聞こえた。
「真白先輩が好きなので」
「……え」
真白先輩が、固まった。目が、少しだけ大きくなる。
「あ、先輩として、尊敬してるってことです」
慌てて付け加える。心臓が、早くなった。
「……そう」
真白先輩は、少しだけ顔を赤くした。頬が、ほんのりピンク色に染まっている。
——かわいい。
また、胸がどきっとした。
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「遥」
「はい」
「なんで、私なの」
真白先輩が、花の水やりをしながら聞いた。顔は、花の方を向いている。
「え?」
「小春とか、詩先輩とか、他にもいるのに」
「……」
私は、少し考えた。なんでだろう。小春先輩も詩先輩も、優しくて素敵な人だ。でも、私が一番気になるのは……。
「真白先輩が、一番気になるからです」
「気になる?」
「はい。なんでかは、わからないけど」
本当に、わからなかった。ただ、真白先輩のことを見ていたくて、そばにいたくて、笑顔を見たくて。
「……」
「真白先輩のこと、もっと知りたいって思うんです」
真白先輩は、黙っていた。でも、嫌そうな顔はしていなかった。むしろ、少しだけ困ったような、でも嬉しそうな、そんな表情をしていた。
温室の中に、静かな時間が流れた。ガラス越しに、冬の空が見えた。
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## 十一・冬牡丹
十二月。クリスマスが近づいてきた。
温室の飾りつけをした。リース、ポインセチア、クリスマスローズ。みんなで、温室を飾っていく。
「遥、そこ持って」
「はい」
真白先輩と一緒に、リースを飾った。脚立に登って、上の方に吊るす。真白先輩が下から支えてくれる。
真白先輩の手が、また私の手に触れた。リースを支える手が、重なる。
——やっぱり、どきどきする。
手が触れるたびに、心臓が早くなる。真白先輩の体温が、手の平から伝わってくる。離したくない、と思った。
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その夜。布団の中で、考えた。
真白先輩のこと。一緒にいると、嬉しい。笑顔を見ると、幸せになる。触れると、どきどきする。名前を呼ばれると、胸が温かくなる。
——これって、憧れじゃない。
——これって……。
やっと、わかった。
私は、真白先輩のことが好きなんだ。友達として、じゃなくて。先輩として、じゃなくて。恋として。
暗闇の中で、顔が熱くなった。布団を被って、声を押し殺す。
——恋、なんだ。
胸が、苦しいくらいに熱い。嬉しいのか、悲しいのか、よくわからない。ただ、真白先輩のことが好きで、でもその気持ちは、きっと届かないんだろうと思った。
真白先輩は、柚葉先輩のことが好きだから。
窓の外に、冬の星が光っていた。
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## 十二・雪割草
気づいてしまったけど、言えない。
真白先輩は、まだ柚葉先輩のことを想っているかもしれない。それに、私はまだ一年生で、真白先輩は二年生。先輩と後輩という関係を壊したくない。
だから、今は、そばにいるだけでいい。真白先輩が笑っていれば、それでいい。
——私の気持ちは、胸の中にしまっておこう。
温室で、真白先輩と二人で作業をする。その時間が、何よりも大切だった。真白先輩の声を聞けること。笑顔を見られること。たまに手が触れること。それだけで、幸せだった。
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「遥、最近よく笑うようになったね」
ある日、姉の夏希が言った。夕食の後、リビングで。
「そう?」
「うん。なんかいいことあった?」
「……別に」
「嘘。顔に出てるよ」
姉の眼差しが、優しい。全部見抜かれている気がした。
「……」
「好きな人でもできた?」
図星だった。顔が、一気に熱くなる。
「……秘密」
「えー、教えてよ」
「言わない」
「けち」
姉は、笑った。私も、笑った。部屋に戻って、鏡を見る。確かに、最近、笑顔が増えた気がする。
「まあ、幸せそうだからいいけど」
「……うん」
——幸せ、なのかな。
そばにいられるだけで、こんなに嬉しい。それは、きっと、幸せなことだ。
たとえこの気持ちが届かなくても、真白先輩のそばにいられる今が、幸せなんだ。
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## 十三・梅
三月。三年生の卒業式。
柚葉先輩、凛先輩、詩先輩が卒業した。体育館で、卒業証書が手渡される。三人の晴れやかな笑顔。拍手の音が、体育館に響いていた。
真白先輩は、泣いていなかった。でも、柚葉先輩を見つめる目が、少しだけ潤んでいた。唇を、ぎゅっと噛みしめている。
——真白先輩。
私は、そっと真白先輩の隣に立った。肩が触れるくらいの距離。真白先輩の体温が、わずかに伝わってくる。
「遥」
「はい」
「……ありがとう」
「何がですか?」
「いてくれて」
真白先輩が、小さく微笑んだ。涙を堪えた笑顔。でも、優しい笑顔。
「遥がいてくれて、助かった」
「……」
「この一年、いろいろあったけど。遥がいてくれたから、乗り越えられた」
「真白先輩……」
胸が、熱くなった。泣きそうになったけど、堪えた。ここで泣いたら、真白先輩が心配する。
「来年も、よろしくね」
「はい。よろしくお願いします」
真白先輩の手が、私の手に触れた。一瞬だけ。でも、その温もりが、ずっと残っていた。
体育館の窓の外に、梅の花が咲いていた。
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## 十四・眼差しの先に
四月。新学期。
真白先輩は三年生になった。私は二年生。園芸部の部長は、真白先輩になった。
「小春、副部長お願いね」
「うん、任せて」
「遥ちゃんも、後輩の面倒、頼むね」
「はい」
新しい一年が始まる。温室の花も、新しい春を迎えていた。チューリップが咲き始めて、パンジーが元気に揺れている。
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温室で、真白先輩と二人きりになった。新入生が来る前の、静かな時間。
「真白先輩」
「なに」
「私、真白先輩のこと、ずっと見てました」
「……知ってる」
真白先輩が、振り向いた。
「え?」
「遥の視線、気づいてた」
「……恥ずかしいです」
顔が、一気に熱くなる。ずっとバレていたんだ。
「別に。嫌じゃなかったから」
真白先輩が、私を見た。真っ直ぐな眼差し。その目が、私をとらえている。
「遥」
「はい」
「私、まだ、自分の気持ちがよくわからない」
「……」
「でも、遥といると、落ち着く」
「真白先輩……」
心臓が、早くなる。これは、どういう意味だろう。
「だから、もう少し、そばにいてほしい」
「……はい」
私は、頷いた。
「いつまでも、そばにいます」
真白先輩が、少しだけ笑った。目が、優しく細められる。
「……ありがとう」
温室の中に、春の光が差し込んでいた。柔らかくて、温かい光。ガラス越しに見える、青い空。その空の下で、スミレが咲き始めていた。
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柚葉先輩が言った言葉を思い出した。
「真白ちゃんは、素敵な子だよ。きっと、真白ちゃんのことを好きになる人が現れる」
——もう、現れてますよ、柚葉先輩。
私は、心の中で呟いた。
——ずっと、ここにいます。
真白先輩を見つめる私の眼差しは、きっと、特別なものになっている。いつか、この気持ちを伝えられる日が来るまで。
私は、真白先輩のそばで、春を待つ。咲かない花は、ない。ただ、まだその時じゃないだけ。スミレが春を待つように、私も、その時を待つ。
温室の外で、風が花びらを運んでいた。春の風が、優しく私たちを包んでいた。




