スミレの独白
> 冬の温室で
> 二つの影が並んでいた
>
> どちらも泣かなかった
> 代わりに 春の話をした
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この物語は、花葬モチーフ別編です。
遥の視点で、真白の初恋の終わりを見つめます。
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## 一・気づいてしまった
十一月のある日、温室で、柚葉先輩と凛先輩が付き合うことになったと報告を受けた。
みんなが祝福の言葉を口にする中で、私は真白先輩を見ていた。
「おめでとうございます」
真白先輩の声は、平静だった。表情も、いつもと変わらない。クールで、落ち着いていて、少しだけ微笑んでいる。
でも、私は気づいてしまった。
拳が、白くなるほど握りしめられていたこと。唇が、ほんの一瞬だけ震えたこと。目の奥に、光るものがあったこと。
——真白先輩は、柚葉先輩のことが好きだったんだ。
夏の花火大会で見た、あの表情の意味。秋の温室で、柚葉先輩の名前を呼ぶ時の声のやわらかさ。全部、繋がった。
胸が、痛かった。真白先輩が傷ついている。それだけで、こんなにも苦しい。
帰り道、真白先輩と小春先輩が並んで歩いていく。私は少し後ろから、二人の背中を見ていた。小春先輩が真白先輩の手を握った。真白先輩の肩が、小さく揺れた。
——何もできない。
私には、何もできない。小春先輩のように手を握ることも、柚葉先輩のように優しい言葉をかけることもできない。ただ、後ろから見ているだけ。
スミレは、いつも足元に咲いている。誰かの道を飾ることはできても、誰かの涙を拭うことはできない。
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## 二・沈黙の季節
十二月になった。
真白先輩は、いつも通りだった。温室で花の世話をして、小春先輩とお弁当を食べて、時々、私と当番をして。
でも、「いつも通り」の裏に何があるか、私には見えてしまう。
花に水をやる時、手が少しだけ止まること。柚葉先輩の声が聞こえると、背筋がわずかに硬くなること。一人でいる時、窓の外をぼんやり見つめる横顔。
全部、見えてしまう。見たいわけじゃない。でも、真白先輩を目で追ってしまうから、気づいてしまう。
「遥」
ある夜、姉の夏希に言われた。
「最近、元気ないね」
「……そんなことない」
「嘘。ごはん残してるし、ぼーっとしてるし」
「……」
「好きな人のこと?」
図星だった。姉には、隠せない。
「……その人が、辛そうなの」
「遥にできることは?」
「わからない。何もできないかも」
夏希は少し考えてから言った。
「何もしなくていいんじゃない? そばにいるだけで」
「それだけで、いいの?」
「遥は、そういう子でしょ。静かにそばにいて、相手が安心できる子」
「……」
「それって、すごいことだよ」
姉の手が、私の頭を撫でた。温かい。いつも温かい。
——そばにいるだけ。
それが私にできるすべてなら、せめて、ちゃんとそばにいよう。
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## 三・温室の夕暮れ
十二月のある日、放課後。
温室に向かうと、中に灯りが見えた。当番は今日、誰もいないはず。
扉を少し開けると、真白先輩がいた。
一人で、カスミソウに水をやっている。声をかけようとして、止まった。真白先輩の横顔が、いつもと違う。何かを考えているような、何かを決めたような、静かで、でも少し寂しい顔。
棚の上から、厚い本を手に取った。押し花用の、あの本。何かを挟んでいる。
カスミソウの枝だった。白い小さな花を、ティッシュの上に置いて、丁寧に整えて——本を閉じた。
小さな音。本が閉じる音。
——ああ。
わかった、気がした。何をしているのか。
真白先輩は、花を葬っているのだ。自分の中にあった気持ちを、花と一緒に、閉じ込めている。生きていた形を、別の形にしている。
胸が熱くなった。泣きそうになった。でも、泣いてはいけない。ここで泣いたら、真白先輩の邪魔をしてしまう。この静かな儀式を、壊してしまう。
深呼吸をした。冬の冷たい空気が、肺に染みた。
それから、扉を開けた。
「真白先輩」
振り向いた真白先輩の目は、少しだけ赤かった。でも涙はなかった。
「……当番?」
「いえ。真白先輩がいるかなと思って」
「……なんで」
「わかりません。でも、来たくなったので」
嘘だ。本当はわかっている。真白先輩のそばにいたいから来た。それだけのために。
真白先輩の隣に立った。カスミソウの鉢が、私たちの間にある。
「きれいですね、カスミソウ」
「……うん」
「真白先輩の好きな花ですよね」
「よく覚えてるね」
「真白先輩のことは、覚えてます」
真白先輩が少しだけ驚いた顔をして、それから、何も言わなかった。
沈黙。温室の中の、温かい沈黙。
「遥」
「はい」
「私、今日、花を一つ、葬った」
「……葬った?」
「押し花にした。大事だったものを、別の形にした」
——知っている。さっき、見てしまった。
でもそれは言わなかった。代わりに、黙っていた。真白先輩が言いたいことを、言い終わるまで。
「……少し、楽になった」
「そうですか」
「うん」
その「うん」が、本物だといいと思った。少しでも、楽になったのなら。
窓の外が、薄暗くなっていく。夕光が温室のガラスを金色に染めている。真白先輩の横顔が、その光の中にある。
——きれいだ。
痛みの後の、静かな顔。何かを手放した後の、少しだけ軽くなった顔。
私は、この人のことが好きだ。好きだから、この人の痛みが見える。好きだから、何もできない自分が歯がゆい。でも——好きだから、ここにいる。
「真白先輩」
「なに」
「春になったら、新しいカスミソウを植えませんか」
「……新しい?」
「はい。今の子たちも素敵ですけど、春に種を蒔いたら、夏にはもっとたくさん咲きます」
真白先輩が私を見た。目が、まっすぐに、私を見た。
「たくさん咲いたら、きれいだと思います」
——終わったものの代わりに、新しいものを。
言葉にはしなかった。でも、伝わってほしかった。
「……そうだね。植えよう」
「はい」
真白先輩が、小さく笑った。その笑顔を見て、胸が震えた。痛みの中から笑ってくれた。それだけで、十分だった。
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## 四・咲かない花の約束
温室を出ると、冬の風が頬を刺した。空は暗くなりかけていて、星が一つだけ光り始めていた。
真白先輩と並んで、校門に向かって歩く。お互い、何も話さなかった。靴が砂利を踏む音と、遠くの部活の声だけが聞こえた。
校門の前で、道が分かれる。
「じゃあ」
「はい。お疲れさまでした」
「……遥」
「はい」
「ありがとう。来てくれて」
真白先輩の声は、いつもより少しだけやわらかかった。
「……いつでも来ます」
真白先輩が軽く手を上げて、反対方向に歩いていった。その背中を見ていた。街灯の光が、銀色に近い髪を照らしている。角を曲がるまで、見ていた。
一人になった帰り道。暗い空に、息が白く浮かぶ。
私は今日、何もしていない。手を握ることもしなかった。励ましの言葉もかけなかった。ただ、隣にいて、カスミソウを見て、春の話をしただけ。
それだけで——真白先輩は「ありがとう」と言ってくれた。
夏希の言葉を思い出す。
——そばにいるだけで。それって、すごいことだよ。
スミレは語らない。ただ足元で咲いている。でも、咲き続けることに意味がある。ここにいると示すこと。あなたの隣で、ずっと咲いていると。
いつか、この気持ちを伝える日が来るかもしれない。来ないかもしれない。でも、今はまだいい。真白先輩が冬を越えて、春を迎えるまで。私はここで、待っている。
咲かない花にも、根がある。見えない場所で、しっかりと、土を掴んでいる。
春は、まだ遠い。でも、約束した。春になったら、一緒にカスミソウを植える。その約束が、私の冬を温めてくれる。
暗い夜道を歩きながら、私は小さく笑った。
——真白先輩。
あなたの花葬を、私は見届けました。
あなたが葬った白い花の代わりに、私が、新しい花を咲かせます。まだ名前のない、小さな花を。あなたの隣で。




