カスミソウの葬列
> 本を閉じた
> 白い花が ページの間に沈んだ
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> 重さはほとんどない
> なのに 本が少しだけ
> 厚くなった気がした
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この物語は、花葬モチーフ別編です。
真白の視点で、初恋の終わりを描きます。
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## 一・温室の冬
十二月の温室は、外とは別の季節をしている。
ガラスの向こうは灰色の空で、吐く息が白い。でも温室の扉を開けると、頬がじんわりと温まって、土と緑の匂いが鼻を包む。ここだけが、冬を知らない。
放課後の温室に、私は一人だった。
当番ではない。でも、家に帰りたくなかった。帰ると、ぬいぐるみが目に入る。夏祭りの射的で取った、くまのぬいぐるみ。柚葉先輩と一緒に取った、あの——。
じょうろに水を入れた。蛇口をひねると、冷たい水が手を打った。その冷たさが、少しだけ楽だった。頭が一瞬だけ空っぽになる。
カスミソウの鉢に水をやった。白い小さな花が、いくつも咲いている。茎は細くて、一本では頼りない。でもたくさん集まると、ふわふわとした雲みたいになる。
私が好きな花。控えめに咲く花。主役にはならない花。花束の中で、いつも誰かの隣にいて、誰かを引き立てている花。
——私みたいだ。
そう思ったのは、いつからだろう。
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## 二・白い花の葬列
柚葉先輩と凛先輩が付き合い始めたのは、一ヶ月前のことだった。
温室で報告を聞いた日、私は「おめでとうございます」と言った。声は震えなかった。笑顔も、たぶん、自然だった。練習していたから。いつかこうなることは、わかっていたから。
帰り道、小春が手を握ってくれた。冷たい空気の中で、小春の手だけが温かかった。
「真白、強いね」
「……そんなことない」
「泣いてもいいよ」
「泣かない。もう、泣いた」
夏の花火大会の夜に、小春の胸で泣いた。あれで涙は使い果たしたと思っていた。
でも、違った。涙は枯れない。枯れたと思っても、不意に溢れてくる。教室で柚葉先輩の声が聞こえた時。温室で凛先輩が柚葉先輩の隣にいる時。二人が笑い合っている横顔を見た時。
そのたびに、胸の奥がきゅっと絞られる。息を止めて、やり過ごす。誰にも気づかれないように。
カスミソウは、主役の花が抜き取られた後も咲いている。花束から大輪の薔薇が取り除かれても、カスミソウだけが残っている。きれいなのか、寂しいのか、わからない姿で。
——私の恋も、そうだ。
柚葉先輩はもう、私の方を向いていない。向いていたことなんて、一度もなかったのかもしれない。でも私の気持ちだけが、まだ残っている。行き場のない花みたいに。
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## 三・花を葬る
温室の棚に、押し花用の厚い本があった。詩先輩が去年、文化祭で使うために持ってきたものだ。
私はカスミソウを一枝だけ、はさみで切った。小さな白い花がいくつもついた、細い一枝。
手のひらに乗せると、ほとんど重さがない。こんなに軽いのに、この花に自分を重ねていたなんて、おかしな話だ。
本を開いて、ティッシュの上にカスミソウを置いた。花びらを一つずつ整えて、そっと本を閉じる。
——ここに、しまおう。
柚葉先輩が好きだったこと。笑顔を見るたびに胸が温かくなったこと。花束を作る手が美しかったこと。夏祭りの花火と、浴衣の紫と、射的のくまのぬいぐるみ。
全部、この白い花と一緒に、閉じ込める。
押し花は、花を殺すことではない。生きていた形を、別の形で残すことだ。平たく、薄く、色は少し褪せるけど——花だったことは消えない。
私の初恋も、そうやって残ればいい。痛くない形に変わって、いつか本を開いた時に、ああ、きれいだったな、と思えるように。
本を閉じた音が、温室に小さく響いた。
白い花が、一列に並んで、見送っている。声もなく。涙もなく。ただ静かに。
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## 四・冬の陽
「真白先輩」
振り向くと、遥がいた。温室の扉を半分開けて、こちらを見ている。頬が、冬の空気で少し赤い。
「……当番?」
「いえ。真白先輩がいるかなと思って」
「……なんで」
「わかりません。でも、来たくなったので」
遥は、不思議な子だ。理由を聞いても「わかりません」と答える。でも、いつも、私が一人でいる時に現れる。
遥が隣に立った。私たちの間に、カスミソウの鉢がある。
「きれいですね、カスミソウ」
「……うん」
「真白先輩の好きな花ですよね」
「よく覚えてるね」
「真白先輩のことは、覚えてます」
遥の声は、温室の空気みたいに温かかった。
窓の外は、もう薄暗くなっていた。十二月の日は短い。でも温室の中は、まだ明るかった。ガラスが最後の夕光を集めて、柔らかい金色に染まっている。
「遥」
「はい」
「私、今日、花を一つ、葬った」
「……葬った?」
「押し花にした。大事だったものを、別の形にした」
遥は黙って、私を見ていた。何も聞かなかった。何も聞かない代わりに、ただ、そこにいた。
「……少し、楽になった」
「そうですか」
「うん」
遥が微笑んだ。控えめな笑顔。スミレみたいに、小さくて、でも確かな笑顔。
「真白先輩」
「なに」
「春になったら、新しいカスミソウを植えませんか」
「……新しい?」
「はい。今の子たちも素敵ですけど、春に種を蒔いたら、夏にはもっとたくさん咲きます」
遥の目が、まっすぐに私を見ていた。
「たくさん咲いたら、きれいだと思います」
——ああ。
この子は、知っているのかもしれない。私が何を葬ったのか。知っていて、何も聞かない。その代わりに、春の話をする。冬の温室で、春の約束をしてくれる。
「……そうだね。植えよう」
「はい」
遥の笑顔が、夕光の中で温かく見えた。
花は枯れる。押し花にしても、いつかは色が褪せる。でも、花を植えた手は覚えている。一緒に水をやった時間を覚えている。
葬列の向こうに、小さな芽が見えた気がした。
まだ何の芽かは、わからない。でも、冬の土の下で、何かが静かに準備を始めている。




