21時間目 変わっていったユキ
ユキのお父さんが亡くなったのは、おれたちが小学六年生の時だった。
確かにその時、ユキのお父さんは体調を崩して入院はしてたんだよね。でも、死ぬってくらいひどいわけじゃなくてさ。
まあ入院なんてよくあることだったし、こう言っちゃなんたけど、おれたちもユキもそこまで深刻には考えてなかったんだ。
だからあの報告は……ユキどころか、おれたちですらすぐには信じられなかった。
一気に容態が悪化しての急死。連絡を受けた家族がすっ飛んできた時にはもう、動くことも話すこともなくなってたらしいよ。
そうそう。あれからのユキん家……結構悲惨だったよな。毎日家から泣き声とか、怒鳴り声とか聞こえてきてさ。
葬式の時なんかもピリピリしてたというか、ユキもユキの母さんもかなりやつれてたよな。
近所の人もみんな同情してたよね。ユキの両親ってすごく仲良かったからさ、あれだけ愛してた人が突然いなくなったら、そりゃ参っちゃうよねって。
しかもあの時って、まだルキアがお腹にいた頃だろ? 体もしんどいし精神的にも不安定な時期だから、色んな意味でタイミングが最悪だって。
今でこそ昔みたいな肝っ玉母さんに戻ったけど、あの時はなぁ…。葬式の後、結局入院しちゃったんだよな?
うん。噂じゃ、母方のばあちゃんが無理矢理病院に突っ込んだって話だったような…。
見てられなかったんだろ。あのまま家に置いてたら、ユキの母さんもルキアも危なかったって聞いたぞ。
まあ、そんなんだから……あの時のユキ、めちゃくちゃ大変そうだったよな。
平日は学校があるからばあちゃんがこっちに来て、土日は逆にばあちゃんの家に行ってって感じで。とはいえ、学校も体操教室も休みがちになってたっけ…
できるだけお母さんの傍にいてあげたいって、そう言ってたよ。イタズラ好きでよくふざけてる奴ではあったけど、根っこの真面目さと責任感の強さは人一倍だったからな。
だな。ルキアが生まれてお母さんが退院するまで、毎日病院に通っては慰めて…相当我慢して踏ん張ってたよ。絶対に自分だってしんどかったはずなのにさ、葬式の時もその後も一切泣かなかったよ。
まあ、あの時のユキもユキでかなり病んでたと思うけどね。オレがしっかりしなきゃ。オレがどうにかしなきゃって、そればっかりだったじゃん。こっちの言うことなんて聞きたくないし、聞く気もないっていうか…。
あの頃からだったな。
いつもみんなの中心にいたユキが、少しずつ孤立していくようになったのは……
★
「―――おれたちが何を言っても『大丈夫』の一点張り。寝不足と過労で何度も倒れてて、大丈夫なわけがないのにさ。色んな奴と喧嘩するにつれて、だんだんキレる沸点も低くなって。あまりにもすごい剣幕だから、おれたちの中でもユキを心配するような発言はタブーになっていった。おれたちはユキに何を話せばいいのか分からなくなって、ユキもめっきり自分のことを話さなくなった。」
「あれでユキから離れていった奴らも多かったよな。こっちは善意で心配してやってんのにって……まあ、正直自分もそう思った時あったけど。」
「でもさ、今はなんとなくだけど…あの時のユキの気持ち、分かる気がするんだよな。」
これまで皆を率いて話を進めていた彼は、そこでふと目を伏せた。
「あの時にユキまで折れてたら、みんながここまで持ち直すなんて、絶対に無理だったと思うんだよ。自分が無理してでも頑張らないと、家族が壊れるかもしれない。そんな時に頑張りすぎだとか無理するなって言われても、だったらオレの家族のことはどうでもいいのかって……ムカつきもするんじゃないかな。おれたちはそんなつもりでユキを止めたわけじゃないけど、ユキがそう感じてたなら、あの時に分かり合うなんて無理だったよなって。ほんと、今だから言えることなんだけどさ。」
「そうだな…言われてみれば、確かにそうかも。」
一人が彼に同意すると、他の人々も彼の言葉を認めるように黙って俯いた。
「もうオレに構わないでくれって、無鉄砲にみんなを遠ざけて……おれには、ユキが傷を抱えたまま、逃げるようにユリアに行ったように見えた。」
ユキの過去について、彼はそう締めくくった。
あのユリア高校に特待生で進学してきて、バイトまでこなしているユキ。父親がいないことも幼い弟がいることも知っていたし、きっと大変なんだろうなと軽く考えていたけど。
「………」
想像を遥かに上回る壮絶なユキの過去。
体が震えると同時に、ふいに理解した。
あの時、アルバムを持ったユキがぎこちなくなった理由。
父親のことも友人たちのことも、あそこに写る全部がユキにとってのトラウマなんだ。
だからあんなにも、ユキは家の外に出ることを躊躇っていたのか。
ユキが距離感を大事にして必要以上に他人を近づけないようにしていのは、この過去を知られたくなかったから?
トラウマになっている出来事の数々を、思い出したくなかったからなのだろうか。
「まあ、だからさ。あのユキが友達連れてこっちに帰ってくるなんて、おれとしてはすごくびっくりなわけよ。」
何気ない彼のその一言に、ぐさりとナイフが胸に突き立てられた気分になった。
「それはその……俺がかなりごねたから…」
ナギは唇を噛み締めて彼から目を剃らした。
今回自分をここに連れてきてくれたユキは、どんな気持ちで準備をしてくれたのだろう。
地元にはできるだけ帰りたくないんだと、触れられたくないんだと言ってくれれば、もっと違う選択をできたかもしれないのに。
知ってしまった後じゃ、後悔したって遅すぎるじゃないか。
「だとしても、相当すごいことだよ。」
鼓膜を叩いた自信たっぷりの言葉。
思わず視線を戻すと、彼は表情を緩めてこちらを見ていた。
「ユキ、あんたのこと、かなり気に入ってるんじゃないかな。だからあんたには、ユキのこと教えておこうと思ったんだ。」
「え…」
ナギが目を丸くする。
確かに、同級生たちの中では一番ユキの近くにいる自信はある。
でもそれは、あくまで自分が半ば強引に割り込んでいっただけ。
自分のことを嫌っていないとは本人から聞いたが、まさか気に入ってるなんて……
にわかには信じられないナギだったが、彼にとってそれは、疑いようもない事実のようだった。
「多分、おれが言うようなことじゃないんだろうけどさ、ユキのこと頼むわ。おれたちじゃ…多分、ユキを支えてやれないから。」
悲観的な物言いだったが、やはりそれを否定する人はいない。
「仲直り、できないの?」
彼らを遠ざけたユキ自身もあんなに苦しそうで、彼らもこんなにユキを大事にしている。
関係改善の余地はいくらでもあるはずだ。
それに自分も、もう一度ユキや彼らに歩み寄ってもらいたい。
だが彼らは、ナギのその言葉に微かに首を横に振るだけだった。
「おれたちは、ボロボロだったユキを見てるからさ。下手に色んなこと知られてる分、あいつは警戒して気を許さないと思うんだ。それに、ましてやここじゃあな…」
ぐるりと、周囲の住宅街を見渡す彼らは息をつく。
「何にせよ、ユキが色々と馬鹿なことをやったのは変わらない。近所とかおれたち同級の間じゃ、ユキの評判は複雑だよ。ユキもそれを分かってるはずだから、ルキアに手がかからなくなったら、もうここに帰ってくるつもりないんじゃないかな。そうなったら、もうおれたちにはどうしようもないだろ。電話もメールも着信拒否で繋がらないし。」
「そんな…」
ナギはユキに目をやる。
ルキアを挟んでコネリーと笑い合っているユキ。
そんな風に笑えるくせに。
ここにあるものは、ユキにとって大事なもののはずなのに。
まさかユキは、それを全部捨てようとしている?
そんな悲しいことを決意して、彼はユリアに進んできたというのだろうか。
違うと思いたいのに、妙に納得してしまった。
だってユキは、今ここにいる自分のことを語りはしても、その自分を作ってきた過去の話は滅多にしない。高校に入る前の話なんてなおさらだ。
でも……
「ほんとに、それでいいの…?」
口をついて出た言葉はユキに届かない。
ユキはこちらの様子になど全く気づいていないようで、穏やかにコネリーと話している。
ふとその視線がこちら側に流れてきて…
―――瞬間、ユキの顔が一気に色を失った。
彼が見ているのはこっちじゃない。
それに気づいて辺りを探ると、公園の入り口に一人の少女がいた。
ふんわりと毛先でカーブを描くように整えられた、肩下くらいまでの蜂蜜色の髪。はっきりとした目鼻立ちの中にも、あどけなさと可愛さがある顔立ち。この辺とは少し雰囲気が違うが、身に纏う服や装飾品もとてもおしゃれだ。確かに目を引くには十分だと思う。
だが驚きのレベルがそんな可愛い次元じゃないことは、ユキや周囲の反応を見ていれば十分に分かった。
「―――ティア…」
誰かが呻くようにその名前を呼ぶ。
★
「うっわ、ティアじゃん! ひっさしぶりー♪」
真っ先に声を上げたのはコネリーだった。
彼はユキから離れて彼女の元に駆け寄ると、満面の笑みで彼女を迎え入れた。
「どうしたの? 向こうじゃカリキュラムが違うから、休みが合うことがあんまりないって言ってなかった?」
「学校に許可取ってきたの。三日後には飛行機に乗らなきゃいけないから、あんまり時間はないけど。」
「うひょー。さすが留学生。なんかセレブって感じの言葉だな、かっけー。」
「………」
「あっ…」
ティアが黙ってコネリーの隣を通り過ぎていく。
「……もしかして、ユキ?」
真っ直ぐにユキの前に立ったティアは、丁寧な口調でそう訊ねた。それはまるで壊れ物を扱うような、とても優しくて穏やかな声だ。
「……う、うん…」
ユキがぎこちなく頷くと、ティアは柔らかい微笑みを浮かべてユキに手を伸ばした。
「髪、切ったんだね。なんか昔に戻ったみたい。かっこいいよ。」
「あ、ありがとう…。」
口から零れていくのは、やはり固い声だった。
心臓がどくどくと早鐘を打っている。
愛想笑いを作ることさえできない。
(落ち着け…落ち着け、オレ……)
必死に言い聞かせるも、心の内で暴れ回る感情は一向に収まる気配がない。
ああ……そうだった…
脳裏を巡る記憶が、残酷な事実を剥き出しにする。
必死に勉強をして、必死にバイトをして。
あえて日常を限界寸前に追い込んで、余計なことは考えないように前だけを見て突っ走ってきた。
それは、未来の安定を確実に掴み取りたかったから。
でも、それだけじゃなかった。
そうやって忙しく日々を過ごすことで、全てを忘れてしまいたかったんだ。
それなのに……
『――――――』
かつて彼女にぶつけられた言葉が鮮やかによみがえって、胸を大きく抉る。
現実はあまりにも無情だ。
思い出してしまったじゃないか。
本当は、こんなこと思い出したくもなかったのに。
こんな気持ちなんて、もう二度と味わいたくもなかったのに。
ユキは冷たく冷えきった手を力一杯握った。
―――オレは、あの言葉が心底怖いんだ…




