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20/23

19時間目 語られるユキの昔話

「じゃーん!」

 サヤがナギの前に何冊もの本を置く。

「今までのアルバム。見る?」

「見る!」

 そんな願ってもない申し出、答えなんて一つしかないじゃないか。

 即答したナギは、サヤに促されるより前に一番上のアルバムに手をかけていた。

「うわあぁぁ…えええぇぇぇっ⁉」

 中身を開いたナギの声が、流れるように期待から驚きへと変わる。

「今と全然違うでしょー? 昔は、よく笑うやんちゃな子だったのよ?」

 ナギが驚く要因などお見通しなのか、サヤは鈴が鳴るようなころころとした声で笑う。

 たまたまだったのか、サヤが狙って一番上に置いたのかは分からないが、開いたアルバムはユキがちょうどルキアと同じくらいの時のものだった。

 いかにもスポーツ少年らしい動きやすそうな服に身を包み、今とは全然違う無邪気な笑顔で写真に写るユキ。

 どのページをめくっても、写真の中のユキはほとんど笑っていた。

「これ、体操…?」

 とあるページの写真で手を止めたナギがサヤに訊ねる。

「そうそう。ユキって、三歳の頃から体操習ってたのよ。」

 サヤが写真のユキをなでる。

「うちってお父さんが体弱くてね。息子まで病弱になったら嫌だってお父さんが言うもんだから、色んな運動させてみたの。そしたら体操が一番気に入ったみたいでね。」

「確かに、すっごく楽しそう。」

 時に怪我をして泣いたり、何か悔しそうにしていたりする写真もあるが、マットの上で躍る幼少時のユキは心底楽しそうで、とても満たされた顔をしていた。

「ふふ。元々水が合ってたっていうのもあるけど、多分お父さんがものすごく褒めてくれるもんだから、それが嬉しくてついつい張り切っちゃってたんでしょうね。ユキって、ものすごくお父さんっ子だったから。」

「そうなの?」

 それはまた意外な事実だ。

 今のユキには、そんな雰囲気なんて全然ないのに。

「そうよ? ほんと、今のユキとルーちゃんの関係にそっくり。お父さんもお父さんで、ユキを乗せるのがまあ上手くてねぇ。ユキを運動好きにさせたいからって、ユキが自分のこと大好きなのを逆手に取って、ほいほいとユキを転がしてたわ。あの頃は、お父さんの思惑どおりに体操にのめり込むユキを見ては複雑になったものよー。」

「あのユキが……転がされてたの…?」

 想像してみること僅か三秒。

「無理だ。想像できない。」

 すぐに想像力が悲鳴をあげた。

「あらそう?」

「うん。だって、今のユキはみんなを転がす方だもん。あのユキを転がすなんて無理無理。」

「ええー、そこまで?」

 サヤはいまいち信じていない風だ。

「ほんとだって。学校じゃ、誰もユキに勝てないもん。前にあった実技試験だって、すごくキツいハンデがあったのに、試験規定の抜け穴を簡単に見つけて、みんなの行動全部読んで、結局楽して試験パスしちゃったんだよ。それに、ユキを怒らせたらとんでもない人が出てくるから、みんな裏ではユキのこと魔王って呼んでるくらい。ユキの味方って、本当にすごい人ばっかなんだよ⁉」

「あらぁ…」

 ルキアに負けない勢いでユキの自慢をするナギに、サヤは頬に手をやってそう呟いた。

「うちのユキったら、学校でそんなやんちゃをしてたの?」

「う……してたっていうか、色々あってそうするしかなかったっていうか?」

 自分で自分の首を絞めてしまった。

 ユキがその頭角を表すことになった例の事件。

 あの時のユキのかっこよさといったら自慢せずにはいられないのだが、さすがの自分でもそれをサヤに話しちゃいけないことは分かる。

 というか、その事件の引き金は自分だ。このことを話して、せっかく仲良くなれたサヤとぎこちなくなるのは嫌だった。

「でもね、でもね!」

 これ以上サヤに何か訊かれる前に。

 ナギは慌てて先を続ける。

「ユキってさ、頭いいしかっこいいし、すぐ怒るけど優しいし、すっごく目立つじゃん⁉ なのに去年までは、全然学校じゃ目立たないようにしててね? 今は色んな人に頼りにされてるけど、その時はむしろ煙たがられるくらいの立ち位置にいたの。トモが言うには、必要以上に面倒に巻き込まれないために、あえてそうなるようにみんなの印象を操作してたんだって。すごくない⁉」

「ふふふ、焦らなくても大丈夫よ。嘘だなんて思ってないから。」

 自分が焦っていたのは全く違う理由だったのだが、サヤはそう笑って自分を受け入れてくれた。

「ありがとね、そこまでユキのことを認めてくれて。」

「うん!」

 これだけはすぐに返事をしなくては気が済まなくて、ナギは反射的な速さで頷いた。

「なんたって、ユキは俺が初めて友達になりたいって思った相手だもん。自慢することしかないよ‼」

 あんなに最高の友人なんて、世界中どこを探したって他にはいない。

 誇張でもなんでもなく、本気でそう思っている。

「あらあら。なんだか、ルーちゃんと同じようなこと言ってるわね。でも、そこまで言ってもらえると、私としても鼻が高いわね。ふふふ。」

 ナギの純粋な気持ちは十二分に伝わっているらしく、そう返すサヤもどこか自慢げで誇らしそうだった。

「それにしても、学校でのユキってそんな感じなのねぇ。やっぱり血なのか……それとも、お父さんがユキの無意識に刷り込んだ教育の賜物なのかしらね。」

 複雑そうに歪むサヤの表情。

「ユキのお父さんって、どんな人なの?」

 興味が湧いてきたので訊いてみる。

 さっきから、ユキの過去を語るサヤの口からは何度もお父さんという単語が出ている。ユキのことを深く知るにあたって、父親の存在はなくてはならないもののように感じてきたのだ。

「意地悪な人よ。天使の皮を被った悪魔って感じ。」

 最初の答えはそれ。言葉だけを聞くなら、とても夫婦だった人の答えだとは思えなかった。

「私より貧弱なくせに、なんだか上から目線の人でね。入院してりゃ仕方ないでしょって感じなのに、病人扱いされるのが大嫌いで。だからあえて他人からの印象を最悪にして、冷たい態度を取らせるような、ほんっとにひねくれた人だったわよ。頭だけはよかったもんだから余計に厄介。素直になんかなりゃしない。」

「あれー? まんまユキの話聞いてるみたい。」

 ナギはアルバムのページをめくった。

 そうして苦労せずに見つけたユキの父親の写真をまじまじと眺めてみる。

 写真を見るだけなら、全然そんな風には見えないが…。

「ユキなんて、あの人に比べたら可愛いもんよ。この写真、何してるところだと思う?」

 サヤが指差した写真の中では、病室で幼いユキを膝の上に抱いた彼が、窓の外にいる看護師を見て何やらほくそ笑んでいた。

「それ、あの看護師さんの今日の下着は何色でしょうってユキに当てさせてるのよ。中学生かっての。」

「え…?」

「それに加えて、あの人が一番怒る言葉と一番喜ぶ言葉はなんでしょうって、そんなことまで普段からクイズ感覚で…。あの人にそそのかされたユキが、何度病院の人を怒らせたりおだてたりして遊んでたものか…。後から謝る私は、もう恥ずかしいやら情けないやら……。」

「えええぇぇっ…⁉」

 納得が半分。

 不可解なのがもう半分。

 なるほど。どうりでユキが他人を転がすことが圧倒的に上手いわけだ。物心がつく前から父親による英才教育があったなんて。そりゃ他人を深く見抜くことが癖にもなるわけで。

 しかし、今のユキは他人を思いやることはしても、話に聞くように他人で遊んだりはしないが。

 その違和感を伝えてみると。

「そりゃそうよ。どんだけ私が締め上げたと思ってるの。純粋な内に善悪は叩き込んでおかないと、とんだ下衆にしかならないでしょう。」

 私はよくやった。

 そう誇示するように拳を握るサヤだったが、すぐに彼女はがっくりと肩を落とす。

「でもねぇ…あの人の方が何倍も上手っていうか、ユキもユキであの人の血を継いでいるだけあって賢かったというか。問題にならない絶妙なレベルのイタズラってのを覚え始めて…。小学生の時は、誰よりも先生の手伝いをするけど、一つ手伝うにつき一つイタズラをしていく残念な子って、それはもう複雑極まりない評価をいただいててねぇ。」

 悪戯好きは父親の影響だけではなく、サヤ自身の影響もあったのでは?

 ユキから話を聞いたことがあった手前そう思ったが、あえて突っ込みはしないナギだった。

 次のアルバムを開いてみると、誰かに追いかけられて、無邪気に笑いながら逃げているユキの写真がたまに出てきた。

 相手は先生であったり、同級生であったりと様々。

 でもユキを追いかける皆は、本気で嫌な顔はしていない。これがサヤの言う、絶妙なレベルのイタズラというやつなのだろう。

「ユキって、昔から頭がよかったんだね~。」

 サヤの話を聞きながらアルバムをめくれば、この頃から魔王と呼ばれるに相応しい才能の片鱗が表れているのが分かる。

「んー、でも、その時はそこまで勉強はできなかったわよ。」

 告げられる衝撃の事実。

「えぇっ⁉」

 意外すぎて声を裏返すナギに対し、実際にユキを見てきたサヤは当然のように話を続ける。

「ほんとよ。勉強よりも体操が好きだったからねー。家では体操しかやりたくないから、宿題とかは基本的に学校で終わらせてくるタイプで、予習も復習も絶対にしない子だったわよ。だから、体育以外は並みの成績だったかしらね。」

「ええ…ええ……えええっ⁉」

 ナギは頭を抱えてしまう。

 勉強ができないユキというのが全く想像できなかった。

 何かの間違いでは?

 でも家では体操しかやりたくないという理由とか、宿題は学校で終わらせてくるという辺りが、メリハリがあってオンとオフの差が激しいユキらしい。

 でも今は、根っからなのではと思うくらいに勉強好きだし…

 なんだか混乱して目が回ってきた。

「まあ、高校生のユキしか知らなかったら想像できないわよねぇ。逆に私だって、あのユキがこんな勉強できる子になるなんて思わなかったもの。スポーツ推薦で私立の中学校に進もうかって話もあったし、あの時は本人もそっちに乗り気だったからねぇ。」

「じゃあなんで……」

 つい流れで口にして、瞬間感じ取った。

 その場の空気が、明らかに錆びついてしまったことに。

「そうね…」

 写真をなぞるサヤの瞳に憂いが帯びる。

「あの人がいなくなってから……何もかも変わっちゃったわね。」

「あ…」

 ナギはとっさに自分の口を押さえた。

 ほら、だからいつもユキに怒られているじゃないか。

 ろくに何も考えずに思ったことをそのまま言ってしまうから、こうして不用意に相手を傷つけてしまうのだと。

 自分が知らないユキを知ることに夢中で、すぐに周りが見えなくなってしまって…。

「ごめんなさい。訊いちゃいけないことだった、よね…。」

 しゅん、と眉を下げるナギ。

「いいのよ。気にしないで。」

 サヤは寂しげな表情で頭を振り、次に雰囲気をパッと明るくさせた。

「というか、むしろこっちがごめんなさいね! なんか変な空気にしちゃって申し訳ないわ。確かに色々と変わっちゃったけど、別に悪い方向に変わってるわけじゃないのよ。あのイタズラ息子が今じゃ理事長先生とも仲良しになるくらい優秀だなんて、ものすごく親孝行じゃない。お父さんも天国で鼻を天狗にしてるわよー?」

「……あれ? ユキが理事長と仲がいいって知ってるの?」

 下手な面倒には巻き込みたくないし、妙な期待をさせたくもないから家族には言わない。

 確か、ユキはそんなことを言っていた気がする。

「この間の創立祭の時に初めて知ったの。本当は理事長先生もユキも内緒にしておくつもりだったみたいなんだけど……ふふ……ちょっとした事故があって、ね…」

 何か思い出して面白いことがあったのか、サヤは突然小さく笑い出す。ナギがそれに首を捻ると、彼女は「ごめんなさい…」と呟いて、どうにか笑いを喉の奥に引っ込めた。

「それにしても、水くさいと思わない? なんで黙ってたのって訊いたら、言うタイミングなんてなかったし、そもそも言う必要性もなかったって大真面目に言うのよー?」

「うわぁ、ユキだ。そこは家でも変わらないんだね。」

「そうなのよ。だから、ね?」

 サヤがナギの手に自分の手を重ねる。

「ナギ君が教えてちょうだい。学校でのユキのこと。」

 仕上げにサヤはウインクを一つ。

 断るなんて選択肢はなかった。

 そこからはアルバムを挟んで、互いが知らないユキのことを語り合った。

 好きな人のことを好きなだけ話せる。ユキのことを話せば話すほど、改めてユキのどんなところに惹かれたのかを再認識して、胸がいっぱいになった。

 それともう一つ。

 自分の話を聞くサヤは、時おり「ナギ君はどう思ったの?」と切り返してきた。それに自分が答えれば、ある時は「それはそうね。」と同意し、またある時には「それはだめよ。」とたしなめてきた。

 ユキのことだけじゃなくて、自分のことも知ろうとしてくれる。

 そして、上部だけじゃない真っ直ぐな言葉を返してくれる。

 そう伝わってくることが嬉しくて、ユキが聞いたら怒りそうなことも口を滑っていってしまうこともあった。

 しかしサヤは決してそれを怒りも否定もせず、ちゃんと話の全部を受け止めてから意見を述べてくれた。

 それがまた嬉しくて、きっとユキのことと同じくらい自分のことを話したと思う。

 いいな、この空気。

 ずっと触れていられたらな。

 ユキが育った環境だなんてことを抜きにそう思った。

 そうした時間はあっという間に過ぎ去っていって。

「ナギお兄ちゃーん!」

 幼い声がして、腰にルキアが抱きついてくる。

 それで、はたと時間の概念を思い出した。

「わあ、ルキア久しぶりー。ユキと遊ぶのはもういいの?」

 訊ねてみると、ルキアはふるふると首を振った。

「ううん。まだだけど、にぃにがナギお兄ちゃんのとこに行かなきゃだめって言うから。」

「あはは、そっか。しょうがないよね。ユキは怒ると怖いもんねー?」

「ねー。」

 一緒に小首を傾げながら、ルキアはまるでユキにそうするように両手を伸ばしてくる。

 なんだか当然のように家族の中に迎え入れてもらえているようで、そんなささやかな仕草の一つ一つが嬉しくてたまらない。

 ナギは笑顔でルキアを抱き上げて自分の膝の上に乗せてやった。

「こら、ルキア! ナギ兄ちゃんの所に行こうとは言ったけど、ちゃんと部屋の片付けしてからじゃないとだめだろ!」

 ルキアに遅れること十分ほど。ユキもリビングに戻ってくる。

「えへへー」

 ルキアはユキを一瞥して悪戯っぽく笑うだけ。

「えへへー、だって。」

 同じような顔で笑いかけてやると、ユキは渋い顔をして黙る。

 本当はもうちょっとちゃんと怒った方がいいんだろうけど、客もいるしここで空気を壊すのも気まずいか。

 考えているのは、おそらくそんなところだろうか。

 ユキが怒るに怒れないことを感じ取っているのか、ルキアはナギの膝に座ってご満悦だ。

 そんな三人を微笑ましく眺めていたサヤはユキに目を向けた。

「ユキ、おかえりなさい。さっそくなんだけど、今日こっち泊まっていきなさいよ。ナギ君も一緒に。」

「えっ…」

「だってお母さん、ナギ君のこと気に入っちゃったんだもの。せっかくだしもっとお話したいわ。」

「んな急に…」

「大丈夫よ。服ならユキの貸せばいいんだし、それにもう寮にも電話してオッケーもらっちゃったし。」

「うえ、いつの間に…っ⁉」

「ルーちゃん、よかったわね~。お兄ちゃんたち、今日はお家にお泊まりだって。」

「えーっ! ほんとにーっ⁉」

 なんと見事な持ち運びだろう。つけ入る隙を与えずユキを押し切り、とどめにルキアのご機嫌まで上げてしまった。

「……ああもう…」

 これはさすがに逆らう余地がないのか、ユキは溜め息をついて額に手をやった。その仕草は、完全に足掻くのをやめて現実を受け入れたものだ。

 きっと今頃、ユキは頭の中で明日以降の予定を高速で組み直しているところだろう。

「まったく。なんでお前は、うちの家族と打ち解けるのが異様に早いんだ?」

 ユキがいまひとつ納得いかなそうにそう問いかけてくる。

「共通の話題があるからかしら?」

 答えたのはサヤだ。

 そしてそんな彼女がアルバムを広げていると気づいた瞬間、ユキの白い頬が分かりやすく赤らんだ。

「なっ……ちょっと! なんつーもんを見せてんだよ‼」

 慌ててユキがアルバムを閉じるが、時すでに遅し。もうすでに全部のアルバムを見終わった後だ。

「別にいいじゃないの。おかげで話が盛り上がったわよー?」

「盛り上がらなくていいから! 普通、訪ねてきた息子の友人にアルバムなんか見せる⁉ まだ初対面なのに⁉」

 猛抗議をするユキに対し、サヤはつんと澄まし顔だ。

「利害の一致。ギブアンドテイクってやつよ。大体、ユキが普段から自分のことを全然話さないからいけないのよ?」

「は? オレのせい⁉」

 ユキが当惑顔で自分の顔を指差す。

 これは本気で、自分の言葉数の少なさを認識していないようだ。

「そうよー。ユキ本人が必要性がないって言って何も話さないんだから、他の人から話を聞くしかないじゃないのー。」

 そこで、サヤはにやにやと目で弧を描いた。

「うふふ、色々聞いちゃったー。学校じゃ、随分と面白い経験してるみたいじゃなーい? まさかファンレターをもらうくらいなんて思ってなかったわよー?」

「なっ…」

 どこか顔を青くしたユキが次に睨む先は一つしかない。

「お前、何をどこまでしゃべった?」

「大したことはしゃべってないよ。男子はユキに頭が上がらないってこととか、女子はみんなしてユキを囲んでたってこととか。ひどいとエヴィンみたいな人がいるってこととか。」

「あのド変態のことだけは余計だよ。あいつの場合、特殊を大幅に振り切ってんだろ。」

「でも実際、ユキに罵られるのを期待してる人はわりといるってトモも言ってたじゃん。だからあんな手紙もらうんでしょ?」

「お前は次から次へと余計なことを…」

 サヤからからかうような視線を向けられているユキの顔が、まあ面白いほどに歪んでいく。

 どうしてそんな顔をするのだろう。

 自分やユキを取り巻いて起こった事件は、結果的には全部ユキの株を上昇させて終わっているはずだ。そこまで恥ずかしがることも嫌な顔をすることもないとは思うのだが。

「ふふふふふ、人気者は大変ねぇ?」

 サヤは水を得た魚のごとく生き生きとしている。

 さて、どんな風に遊んでやろうか。

 茜の瞳が、ユキの一つ一つの反応をとても面白がっている。

 それが分かっているからか、ユキは不愉快そうにぐっと目元を険しくした。

「それに関しては、周りが勝手に盛り上がってるだけだから! オレは何もしてないし、何も悪くない! もうこの話は終わり!」

「えー? どうせなら、ユキの話も聞きたいんだけどなぁ?」

「やだよ! だから話したくないんだよ! 母さん、すぐそうやって面白がって煽ってくるんだから!」

「だってユキがあんまりにも真面目だから、逆に面白いんだもの。」

「ほらな⁉」

 さっきから青くなったり赤くなったり、ものすごく忙しないユキだ。

 学校ではユキがこんなに狼狽えることなどほとんどないので、見ていて全然飽きない光景である。

「ねえ、ルキア。ユキとお母さんって、いつもあんななの?」

「うん。そうだよー。」

 こっそり訊ねてみると、ルキアは無邪気にそう頷いた。

「ふふ、そうなんだ。」

 ナギは笑い、またユキとサヤの二人に目を向ける。

 そこでは、未だに二人の愉快なかけ合いが続いていた。

「大体、母さんはいつもオレをからかうことしか考えてないじゃん!」

「やあねぇ、こんなのただのコミュニケーションじゃない。」

「オレがそういうの嫌だって分かっててやってるのがたち悪い! そりゃ、学校の話なんかしたくなくなるよ。」

「だって、ユキの学校での話って面白くないものがないんだもの。逆に訊くけど、微笑ましいくらいで終わる普通の話はないの?」

 ないだろうな。

 即でそう思った。

 反射で考えを巡らせて同じ結論に至ってしまったのか、ユキが綺麗にその場で固まる。

「あらぁ…」

 答えを察したサヤが告げたのはその一言のみ。

「………っ! だから、もうこの話は終わりって言ってんじゃん!」

 これ以上厄介なことになる前にと思ったのか、ユキは無理矢理話を打ち切ってアルバムに手をかけた。

「ああっ…」

 傍観者気分だったので完全に油断していた。

 慌てた頃には、あっという間に机の上のアルバムを回収されてしまった後。

「なんだよ。どうせもう十分見たんだろ?」

 手を伸ばすこちらに、ユキはむすっとした顔を向けてくる。

 ああ、ユキをからかいたくなるサヤの気持ちが、今ならものすごくよく分かる。

 真面目すぎて、反応がいちいち可愛い。学校ではある程度無表情で受け流すことができるのに、どうして家だとそれが全然できないんだろう。今だって、わざわざそんなこと訊かずに、さっさとアルバムを片づけてしまえばいいのに。

「えー、見たけどまだ足りないよー。」

「だあぁっ、もう! くっつくなよ‼」

 ちょっと甘えた声で腕を捕まえてみれば、ユキは途端に鬱陶しそうに腕を振る。だが家族がいるせいもあるのか、その抵抗は可愛すぎて笑ってしまうレベルだった。

 嫌ならもっと本気で拒んでもらわないと、こっちとしてはつけあがるしかないというもの。

嫌よ嫌よも好きのうちと、都合のいい解釈をしてしまうぞ。

 ユキの反応がたまらないナギは、ついついふざけてしまう。

「じゃあ腕離すから、それちょうだーい?」

「断る! こんなの見て何が面白いんだよ⁉」

「全部♪」

「お前なぁ…っ。久々にうぜぇと思ってるぞ、今。」

「いいじゃん、アルバムくらいさぁ。別に恥ずかしがるような写真なんてなかったよ? ユキって、今も昔も友達多かったんだね。」

 それは、何の気なしに告げただけだった。

 だが。

「………っ」

 刹那の間。

 それに気を取られた瞬間、ユキの腕がするりと手の内から逃げていった。

「……あっ」

「はい、残念でしたー。」

「あああっ、待ってよーっ!」

 慌てて手を伸ばすも、ユキは颯爽とリビングを出ていってしまう。

「もー…」

 しまった。してやられた。

「ふふふ、残念だったわね。」

「ううぅ…」

 サヤの愉快そうな笑い声を聞きながら、ナギはルキアの肩に顔をうずめた。

 そして――ふと目を伏せる。

 サヤやルキアは気づいていない。

 それくらい些細な、そして一瞬の間だった。

 でも、見てしまった。

 

 あの時確かに、ユキの表情がどこか青ざめた。

 

(ユキ…)

 ちょっと近づいたと思ったら、幻のように遠くなってしまう背中。

(どうすれば、もっとちゃんとユキのことを知れるの…?)

 そっと目を閉じた先に広がる暗闇。

 それは、まるでユキの心への道を探す自分の現在地のようだった。


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