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17時間目 ようやく見えた心

「ほら、昼飯。」

「うわーい! ありがとー!」

 弁当が入った包みを渡すと、ナギは待ってましたと言わんばかりのテンションでそれに手を伸ばした。

「悪いな。オレのせいでだいぶ遅くなっちまったな。」

 本当はもっと早く弁当にありつけるはずだったのだが、自分が顔を出していると聞きつけたゲストが押しかけてきて、ついさっきまで居座っていたのである。

 次の講演会が始まるまでもうそこまで時間がない。ナギには申し訳ないが、ゆっくりと弁当を食べている時間はなさそうだ。

「大丈夫、大丈夫! ユキの弁当なら、十分もあれば余裕で食べられちゃうから。」

 その言葉のとおり、ナギが弁当を口に運ぶスピードは目を瞠るものがあった。

「んー、いつもどおり美味しい~♪」

「そりゃどうも。」

 ユキは思わず頬を緩めた。

 相変わらず子供みたいな奴だ。がっつき方や喜び方がルキアとそっくりである。

 そんなにあからさまな態度で幸せだと示されると、照れ隠しでひねくれた言葉を返すことすらできないではないか。

「なあ…」

 ユキはナギに声をかける。

「この後、ずっとこっちにいようか?」

「え、ほんと⁉ やったー‼」

 しっかりとおかずを頬張りながら、ナギは弁当から顔を上げてキラキラと輝いた目をしてみせる。しかしその後に違和感を持ったのか、彼は不思議そうに首を傾げた。

「でも、なんで? 今日はクラスの手伝いするって言ってたよね?」

 至極当然の質問だ。

「クラスの方は、ある程度落ち着けてきた。つーか、オレが店番してる方が大変になるだろうし、抜けてちょうどいいんだと思う。」

「あー……そういえば昨日、トモがユキ目当ての子が多すぎるって嘆いてたもんね。」

「そうそう。それに昨日も今日も、結局ゲストの人に呼び出されて話に付き合わされてるから、もうずっとここにいた方が早いんじゃないかって思ってよ。」

「そうだね。それは一理ある。俺も絶対に「ユキ君は?」って訊かれるから、一緒にいてくれるとすごく助かるや。」

 ナギはこちらの意図を何も疑っていない様子。まあ、今並べた理由はある面においての事実なので、疑いようもないといえばそうなのだが。

(オレも大概、言い訳がましいな…)

 するするとナギを納得させる理由を言えてしまう自分に、ちょっとした自己嫌悪。

 本当は、自分がどうしてもナギを放っておけなかっただけだ。

 クラスのこともゲストのこともついででしかない。

 そうやって、ありのままの心情を言えたら楽なことも多いのに。

 言ったところでどうなる?

 そうやって下手に気を許したら、それが隙になってしまうだろう?

 染み着いた理性が、いつもそうやって自分の心にブレーキをかける。

 いつからこうだったのか、もう思い出すこともできないけれど。

「ねえねえ、ユキ! 遊びに行くの、いつがいいかなー?」

 こちらが自己嫌悪に陥っているとも知らず、ナギはとても楽しげに話を振ってくる。

 複雑ではあるが、こんな時は彼の無邪気さがとても気軽でいい。

 これ以上気分が落ち込むのも嫌なので、ユキはナギの話に乗っかることにした。

「あー…オレ都合でいいなら、七月頭の期末試験が終わるまでは待ってほしいかな。」

 試験内容の通知はかれこれ二週間前にはされていたのだが、創立祭の準備が忙しかったこともあり、予定より対策が遅れている。どうせまた色んな奴らに泣きつかれるだろうから、その分の時間も考慮してバイトを調整しなければ。

 とはいえ、これはあくまでもこちらの都合。ナギのことだから、自分はそこまで待てないとか駄々をこねそうだ。

「そっかー。そうだよねー。なんとなく、そうだろうなって思ってた。オッケー、待つよー。」

「助かる……って、え?」

 さらりと流しかけ、ユキはきょとんと目をまたたく。

 にわかには自分が聞いたことを信じられなかった。

「いいのか…? てっきり来週とか言われると思ってたんだけど…」

「えー? そんな無茶なこと言わないよ。」

 ナギは弁当を食べながら笑った。

「だってユキは、約束をうやむやにしたりしないでしょ。だから安心して待てるよ。それに、ユキが勉強するのが好きなんだってこと、最近よく分かったしね。」

 当たり前のことを語るように、穏やかに紡がれたその言葉。

 ドクン、と。

 心臓が一つ大きな脈を打つ。

「んー…でも期末試験が終わったら、俺は海外出張なんだよねぇ。もしかしたら、遊ぶのは夏休みになっちゃうかもね。」

 

 ―――やめろよ…

 

 胸の奥でざわりと何かが這いずる。

 ナギは分かっているのだろうか。

 つい最近まで、彼はそんなあっさりとした顔でそんなことを言うタイプではなかった。

 そんな風に相手に合わせるなんてこと、いつの間にどこで覚えてきたんだ。

「ねぇ、ユキ。ユキって今したいこととか、行きたい所とか、そういうのある?」

 ナギがまた問いかけてくる。

 ほら、答えなくては。

 ここで動揺したら不審がられるだろう。

「……特には思いつかねぇな。」

 我ながら屈強な理性だと思う。

 こんなに動揺している時だって、やろうと思えば声一つ震えないように取り繕えるのだから。

「つーか、今回はオレがお前に付き合うんだろ? なんでオレの要望なんか訊くんだよ。」

 訊ねると、ナギはまるで遠足を待つ子供のように声を弾ませた。

「だって、せっかく一緒に出かけられるんだよ? どうせなら、ユキがしたいことを俺も一緒にやりたいなって。」

「………っ」

 また鼓動が大きな音を立てる。

 それでもひたすらに動揺を押し殺したまま、ユキは冷静を装って話を続けた。

「期待外れで悪かったな。逆に、お前がやりたいことはないわけ?」

 普段あんなにしつこく遊びに行こうと誘ってくるのだ。何もないわけがないだろう。

「うーん、そうだなぁ…」

 ナギがフォークをくわえながら虚空を見つめて考え込む。

「色々あるよ。買い物とかご飯とか。あ、そういえばゲーセンとか遊園地とかって行ったことないんだよね。そういうのも興味あるな。あ、でもでも! こんなチャンス次来るかも分からないし、いっそ思いっきり遠出しちゃうのもアリかな? トモに頼めば車の一台や二台手配してくれるだろうし、なんだったら飛行機飛ばしちゃう? あとね…」

「待った、待った! それ一日じゃ収まらなねぇだろ! せめて目的地は一つに絞れ!」

 期待が膨らみすぎて口が止まりそうにないナギに慌てた反面、ちょっとほっとした自分がいた。

 やっぱり、こうやって無邪気に希望を言いまくるのがナギらしくていい。

「一つかー……あっ!」

 ピンとひらめいた様子のナギ。

「じゃあ、ユキの家に遊びに行きたいな!」

 それは全く予想していない回答だった。

「……なんで? 別に面白いものもないぞ?」

 これは本気で不可解だったので、ユキは顔をしかめて問う。

「だって、結局昨日はルキアと遊べなかったんだもん。俺もルキアも嬉しいなら、一石二鳥じゃない?」

「ああ、そういうこと…」

「あとね。」

 納得しかけたユキに、ナギがほんのりと顔を赤らめて目元を和ませた。

「やっぱり、俺はもっとユキのことが知りたいんだ。ユキが触れてきたものに俺も触れてみたいし、ユキが大事だって想う人を俺も大事に想えるようになりたいから。」

「………っ」

 歪みかけた顔をなんとか無表情で覆い隠す。

 重く大きく鳴り響く胸の音が耳に痛い。

 

 ―――やめてくれ…

 

 無表情の裏で、自分でも手がつけられない心がそう暴れている。

 そんなことを言わないでくれ。

 嫌が応にも分かってしまうじゃないか。

 今のナギの世界は、自分を中心に回っているんだって。

「…………変なの。なんか、お前っぽくないな。」

 悪足掻きのようなひねくれた言葉。

 それに、ナギはやはり笑うだけだった。

「そうだね。俺も自分でびっくり。でも、悪くないかなって思うよ。ユキと一緒にいられるなら、俺はいくらでも変わっていける気がするもん。」

 

 

 ――――――嫌だ‼

 

 

「ど、どうしたの?」

「え…………あ……」

 声をかけられて我に返り、動揺に負けてたまらず椅子から立ち上がっていたことを悟る。

「な、なんでもない…」

 そう言ったところで、一度表に出てしまった動揺がすぐに収まることなどなくて。

「悪い。ちょっと、外の空気吸ってくるわ。」

 ナギの顔を見ていられなくなって、彼の答えなど待たずに控え室から逃げてしまった。

 

 ―――怖い。嫌だ。

 

 衝動的な恐怖が体を急かす。

 親しげに声をかけてくる全員を無視して、誰も使う予定がない地下の空き部屋に飛び込んだ。

(ああ、そっか……距離感って…安定って…そういうことかよ……)

 ずるずると座り込んだユキは両手で髪を力強く掴む。

 何が距離感だ。

 単純に、自分が他人に近寄られすぎるのが怖いだけじゃないか。

 縁が切れたとしても、ちょっと残念だったなと軽く思えるくらいの距離感が一番安定している?

 そりゃそうだろう。

 そのくらいあっさりした関係なら、自分の心が下手に揺らぐことはないのだから。

 全部全部、自分の都合だ。

「………っ」

 ユキは一人で身を固くし、滾々と胸の底から溢れてくる恐怖に耐える。

 あんな風に逃げてしまって、ナギに自分の発言に非があったのではと気にさせていたらどうしよう。

 違う。

 ナギが悪いんじゃない。

 変わっていくことはいいことなのだ。他人の都合や気持ちを察して行動するなんて、今までのナギには全然なかった傾向。それができるようになってきたということは、それだけナギが他人に関心を持つようになったということだ。

 このまま彼が変わって、たくさんの人の心に寄り添えるようになって、たくさんの人に好かれるようになればいい。

 ただ、その想いを自分になんて向けないでほしい。

 自分の心になんて、寄り添おうとしないでくれ。

 


 ―――オレは、この先になんて進みたくない…。



 心の悲痛な叫びが、幾重にも全身に荒波を立てていく。

 その波に立ち向かおうなんて、この時はとても思えなかった。

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