16時間目 トモの違和感
「ちょっと、トモー‼」
一体、今日何度目の呼び出しだろう。
これが甘酸っぱい告白の呼び出しなら、まだ気持ちも軽やかなのだが。
「はいはーい。」
トモは疲弊した笑みを貼り付けて、間仕切りの向こうへと顔を出す。
「ユキ君は? 今日はいるって言ったわよね?」
顔を合わせて開口一番がこれだ。もう耳にタコができるほど聞いた。
クラスの出し物でカフェ仕様になっている教室内。今席に座っている半分ほどは、ユキがお目当ての女子たちだ。あんまりにも彼女たちが同じ名前しか口にしないものだから、何も知らない一般の客も何事かとそわそわしているではないか。
目の前で仁王立ちになっている少女に、トモは思わず溜め息をついて眉を下げる。
「ランカー…女子の中で、おれの立ち位置はどうなってるの? なんでみんな、おれに突っかかってくるの?」
「生きる人材データベースが何言ってんのよ。あんたが誰とも彼ともすぐ仲良くなるからいけないんでしょ。」
返ってきたのは手厳しい指摘だった。
「うえーん、ユキのことならユキ本人に聞いてよー。」
「それができれば苦労しないわよ。」
トモの泣き言をランカが一蹴し、後ろについてきていた彼女の友人たちもうんうんとその言葉を肯定する。
「ユキ君すっごくガード固くて、プライベートの連絡先ゲットできないんだもの。ユキ君と仲がいい便利屋がいるなら、そっちに聞くしかないじゃない。」
「ランカさん、今はっきり便利屋って言ったね?」
「……言葉のあやよ。」
「本心でしょ⁉ あのね、おれがこういう扱い受けてるの、ランカのせいもあると思うよ⁉」
「そんなことはどうでもいいの!」
ランカがガッとトモの口を塞ぐ。
「で、ユキ君は? どうせ知ってんでしょ?」
「うう…それは……」
トモが渋々と口を開いた時、ちょうどクラスの外から高い歓声を伴ったざわめきが聞こえてきた。
「ほら、ちょうど戻ってきたよ。」
分かりやすいご帰還だ。
トモは暖簾がかかった教室のドアを示す。
「あー、疲れた…」
「はーい、ユキのおかげで売り切れですよー。」
暖簾が揺れて、ユキを筆頭にルズたちを始めとした外回り組がぞろぞろと教室に入ってくる。
「うわぁ…っ」
外のざわめきが、今度は教室の中をも埋め尽くす。
基本は制服のワイシャツとスラックスなのだが、ネクタイをループタイに変えて腰に膝丈のカフェエプロンを着けるだけでその印象がガラリと変わる。
あっという間に涼やかなイケメン店員の完成だ。
「おかえりー。もう三周分売り切ったの?」
「勝手に売れてくんだよ。オレはなんもしてねぇ。」
疲れた様子のユキが溜め息をつきながら髪を掻き上げる。
男子面々はもう見慣れたいつものユキの仕草だが、格好も相まってかとにかく女子に受けがいい。今も、たったこれだけで女子の視線は彼に釘づけである。
「いやもう、ほんとにすごかったよ。ユキが黙って歩いてるだけで、ホイホイとお客が釣れる釣れる。」
ルズが言うと、他の男子も道具を片づけながら彼に同意した。
「うんうん。開き直ったユキの対応もスマートだったしね。」
「握手と写真、何回頼まれてたっけ?」
「覚えてねぇよ。」
つっけんどんな返答をするユキ。
その瞬間、女子たちの瞳がきらりと光った。
「写真、撮っていいの?」
「ポーズは取らない、一緒にも写らない、ばらまくの禁止。それが守れるなら勝手にしろ。」
ユキがそう告げると、それを聞いていた女子の大多数が携帯電話を操作し始めるという異色な光景が広がった。
「え、ユキ…いいの?」
まさかユキがそんなことを許可するとは思っておらず、トモは少し驚いてしまった。
創立祭が始まる前まではあんなにがっつかれるのを嫌がっていたのに、これはどういった心境の変化だろう。
「ほっとけ。」
小脇に抱えていたバインダーに挟んだ売り上げ表を確認しているユキは、聞こえてくるシャッター音など気にもしていないようだった。
「写真拒んで余計に絡まれるよりは、ある程度好きにさせて満足させた方が穏便ってやつだろ。写真撮って、オレの知らないところで内輪で騒ぐくらいなら目をつむってやるよ。」
「さすが、男前ですなぁ。」
なるほど、開き直ったとはそういうことか。
切り替えの早さは天下一品。もうこの騒がれようを上手く抑えつつ、逆手に取る方向に舵を切ったらしい。
男ならこの状況にちょっとは浮かれてもよかったと思うのだが、そこで鉄壁のガードを貫くのが真面目一辺倒のユキらしい。
このように真面目が過ぎて、その場の空気に乗せにくく隙がなさすぎるのがユキの欠点。プライベートのとっつきにくさでは、彼の隣に並び立てる者はいないだろう。
ただこんな欠点も、裏を返せばものすごく誠実だということ。
仮にユキに恋人でもできたとしたら、くそがつくくらい真面目な彼が浮気などするわけがない。ルキアやサヤへの態度を見て分かるように、本気で相手のことを大事にするだろう。
遊びたい盛りの学生としてはつまらないが、堅実な結婚相手としては申し分ないじゃないか。そりゃ、将来を見据えている女子ほど目の色を変えて食い下がるだろう。
まあ、そこに至るまでが相当の困難だが。
苦笑いをするトモと目をぎらつかせる女子には一切目もくれず、ユキは間仕切りの向こうに顔を覗かせて在庫の確認をしている。
「で? これでお菓子の在庫はあらかた片づいたわけ?」
ユキが間仕切りの向こうに声をかけると、そこで客に出す茶菓子の用意をしていた生徒の一人が顔を上げた。
「ああ、うん! これくらい減れば、余り過ぎて困ることはないと思う!」
「お前なぁ、さばけないんなら、初めからこんなに発注すんじゃねぇよ。」
「ごめんって。本気で助かったわぁ。」
苦言を呈すユキに、彼は茶目っ気を滲ませて顔の前で両手を合わせる。
本当はユキが釣ってくる客の多さを見越してのこの発注数だったというのは、クラス全員で結託してユキには言わないでおこうということになっている。
「じゃあ、これでノルマはクリアしたな?」
ユキはトモを振り仰ぐ。
「そうだね。もう大丈夫。」
「そっか。」
トモの答えに頷いたユキは間仕切りの向こうへ。
ものの数分で出てきた彼は、すでにカフェ店員スタイルではなくなっていた。
「あれ⁉ ユキ君、もしかしてもう出番終わり⁉」
制服のブレザーを羽織ってネクタイを整えるユキに、驚く女子を代表してランカが声をかける。
「ああ。この後は別の現場に行く。」
そうなのである。
本当なら今日は、ユキは丸一日クラスの出し物に関わるはずだった。
ユキ本人がその予定を覆し、午前中で抜けると言い出したのは昨日の放課後のこと。
当然、クラス全員が大慌てだった。まあそこは、ユキに采配を任せておけば問題ないと彼に甘えていたこちらが全面的に悪い。シフトの調整であったり在庫の処理であったり、ユキの能力に頼りきっている部分が多すぎた。
飲み物はともかく、このままでは大量に仕入れたお菓子の在庫がひどいことになる。
『だったら、買われるのを待つんじゃなくて、売りに行けばいいだろうが。』
在庫管理の担当に泣きつかれたユキが告げたのはその一言のみ。
そこから彼は在庫数を確認すると、あっという間に外回り用の商品構成と値段を設定。上手く人が集まるポイントを通る販売ルートを組み立てながら、当日のシフトも一時間で調整してみせた。
結果はこのとおり。現時刻は十二時半を回ったところ。朝九時からたった三時間半である程度の在庫を売りさばいてきてしまった。
「なんか、今の内に確認したいことあるか?」
「うーん…大丈夫、かな。ちょっとこの人数で回るか心配だけど。」
シフト表と大混雑の教室内を見回して唸るトモ。
「気にすんな。手は打ってある。」
トモと同じように周囲の様子を眺めたユキの声のトーンが、すっと下がった。
「なんのためにオレが出てったと思ってんだ。一般客で混まない内に、女子校舎側はあらかた潰しといたよ。オレが午後はクラスから離れるってことも言ってあるから、昨日みたいに女子に押し寄せられてお前が質問攻めを食らうこともないだろう。客足が落ち着く分、その人数で十分回る。」
全て計算の内。
空色の双眸が如実にそれを語っていた。
「え、じゃあ昨日の予定よりも多くお菓子を売ってきたのは……」
「今日の客足見た上での調整。」
ユキの答えはそれだった。
「昨日の売り上げ見る感じ、これくらい残しとけば、多分三時くらいにはお菓子の方が売り切れるだろう。その時間になれば大体の奴がファッションショーを見に行くから、客もぐっと減るはずだ。お菓子が売り切れたタイミングで店を閉めて、残り時間は休憩するなりファッションショーを見に行くなり、自由にさせてやれ。」
そういえば確かに昨日、ユキはお菓子の在庫数やシフト表よりも売り上げ表を真剣に睨んでいた。
「ええ…ユキ、そこまで考えてたの?」
「オレの都合を押しつけるんだから、これくらいしてくよ。余裕ができたのは、お前の指示出しが上手かったってことにでもしとけ。じゃあな。」
そろそろ時間がなくなってきたのか、ユキは惜しまれる声を一切無視して教室を去っていった。
「……ほんとにあの子は男らしいなー。筋通すところは通していっちゃったよ。」
残されたトモはそう呟くしかない。
自ら外に出向くとユキが言った時、一見して彼らしくはないなと思ったのだ。
何か彼なりの狙いがあるのだろうとはすぐに察したし、彼が歩く宣伝物になるのが在庫をさばく最短の手段だからだろうと、なんとなくその狙いにも予測は立てていた。
だがその狙いが時間短縮だけではなく、残されるこちらの負担軽減にまで及んでいたとは。
「うーん?」
ふとそこで、ユキの言動を静かに観察していたランカが難しい顔をした。
「女子校舎は潰したって……つまり、さっきの格好で女子校舎を練り歩いてきたってこと? 囲まれるって分かってて? ユキ君って、そんな風に自分から目立ちにいくタイプだったっけ?」
「そこがユキの怖いとこなのよー。」
一応限界まで悪足掻きはするが、それがより確実と判断すればユキは遠慮なく自分を使う。感情よりも理性を優先しがちなユキは、時に自身のことですらも一つの駒としてしか捉えないこともあるのだ。
「ふーん…なんかそつがなさすぎて、あたしはちょっとやだなぁ。」
トモの話を聞いたランカが口にしたのは、意外な感想だった。
「別に、無理して自分が矢面に立つ必要もなくない? 嫌だったら、素直に周りに頼めばいいだけじゃない。あそこまで一人で完璧な対応されると、なんだか信用されてないみたいっていうか……妙に、距離が遠く感じるんだけど。」
「えええ! 何言ってるの⁉」
途端に声を荒くしたのは、ランカの友人たちだ。
「完璧でいいじゃない。頼りがいがあって。」
「クラスのために、わざと目立ってくれたったことでしょ? かっこいいじゃなーい。」
「残り時間は自由にさせてやれとか、お前の指示出しが上手かったことにしとけとか、ちょーかっこいいんですけどー‼」
「ねー! めっちゃグッときたぁー。」
「あーもー、はいはい分かった。あたしが悪かったわよ。落ち着きなさい。ユキ君ガチ勢め。」
互いに騒ぎ合う友人たちをめんどくさがったランカは、特に反論するわけでもなく持論を引っ込めた。
幼い頃から自分とよくつるんで色んな人間を見てきたせいか鋭いな、と。
友人たちをあしらうランカを見ていたトモは、そんなことを思っていた。
この中では、ランカが一番ユキの本質を見抜いている。
距離感を重んじるユキは、必要以上に他人を自分の内側には入れない。他人に入り込む隙を与えないよう、無意識レベルで周りを見てそつなく立ち回る。自分からはほぼ他人に頼らないし、そもそも周囲に助けようと思わせるような弱みすら見せないのがユキだ。
それは決して、他人を信用していないわけではない。だが他人との間に必ず一定の距離を置いているユキは、その距離感を縮めるような行為には絶対に出ない。
(ほんと…ユキらしくないよね……)
トモはとある方向に目をやる。
そう。ユキは自分からは必要以上に歩み寄らない。
それが一番安定的な関係を維持できるからなんて彼は言うけど、きっとその行動の根幹にある想いは違う。
彼に無意識でそうさせるだけの何かがあるのだ。
そんなユキが、その無意識をさらに無意識で押し退けるような行動に出るなんて。
(今回のユキ、どうしちゃったんだろ…?)
ユキが向かった先を知っているトモは、ただ違和感に首を傾げるしかないのであった。




