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15時間目 どうしてオレは…

 大講堂に到着すると、予想どおりそこには数多くの人々が押し寄せていた。

 これはさすがに厳しいか。

 そう思ったので引き返すことを提案したのだが、その時には何故かサヤの方が意固地になってしまっていて、こちらが止める間もなく、彼女は受付待ちの行列を整理していたスタッフに特攻していってしまった。

 講演会を見られそうかとのサヤの質問に対して返ってきたのは、立ち見でもいいなら可能かもしれない、というやや厳しめの回答。それでも可能性があることが分かって嬉しかったのか、人目があるにもかかわらず、サヤはその場で跳び跳ねて手を振ってきた。年頃の男子高校生としては、あれはちょっと恥ずかしかった。

 だが、結果としてはその目立つ行為が功を奏したと言うべきか。

 サヤが手を振る先にいた自分を見て、スタッフがころっと態度を変えたのだ。

彼とは準備期間に何度も話したことがあったので、態度が変わるのも自然なことだろう。

 流れでサヤが母親であることを紹介しつつ、詫びを入れてその場を去ろうとしたのだが、どうしてかそこで彼に呼び止められてしまった。

 他のスタッフを呼ばれ、その案内で別の入り口から講堂内へ。

(なんでオレが来ること前提なんだ…)

 関係者席になっている最前列まで通され、第一に思ったことはそれだった。

「おや、遅かったじゃないか。」

 そこで待っていたレードルが親しげにユキに声をかける。

「まさか席を取ってあったとは思わなかったもんで。」

「君のことだから、ダニーの講演となれば来るだろう。これも報酬の一つと思ってくれたまえ。」

 ゆったりとした動作で立ち上がったレードルは、ユキの後ろにいるサヤににこやかに笑いかけた。

 ああ。そういえば、レードルとしてサヤやルキアに会うのはこれが初めてか。

 すぐに思い至ったユキは、二人の間を取り持つような位置に下がった。

「母さん。こちら、理事長のレードル先生。」

「はじめまして。」

 笑みを深めるレードルに、サヤがぽかんと大口を開ける。

 無理もない反応だろう。

「………あらまあ、大変!」

 五秒ほど呆けていたサヤは、はたと我に返ってぺこぺこと頭を下げた。

「は、はじめまして! いつも息子がお世話になっております。」

「いやいや。むしろ、世話になっているのはこちらかもしれないですね。」

 レードルはユキの後ろに回り込むと、その両肩に手を置いた。

「非常に優秀な息子さんですよ。いつも全生徒の模範であるこの子を慕う者は、生徒教師問わずとても多くてね。特待生の名に恥じない、我が校一自慢の生徒です。こんなに素敵な息子さんなら、我々はどんな援助も惜しみませんとも。どうぞ、誇りに思ってやってください。」

「あらあら…まあ、どうしましょう……」

 レードルの褒め言葉に、サヤが両手で自分の顔を挟んで頬を紅潮させる。

 一方のユキはというと、この予想外の展開にそれなりに動揺していた。

 なんだ、このくそ恥ずかしい状況は。優秀だとか自慢だとか、そんな余計なことなんて言わなくてもいいじゃないか。軽く挨拶するくらいで済ませてくれ。

「ユキ、さっきの話の偉い先生って…」

 サヤの瞳が訴えるまさか。

 まあ、さすがにここまで言われれば察しますよね。

「あー…うん。まあ、そういうこと。」

 気恥ずかしさをごまかすように頬を掻いて視線をずらし、ユキはサヤの言葉を渋々認めた。

「やだもう。ユキったら学校の話なんて全然しないから、びっくりしちゃったじゃない。今度家に帰ってきた時はご馳走にするわね。」

「ええっ⁉ いいって、別に。何がめてたいってわけでもないんだから。」

「何を言ってるの、この子は!」

「あいたっ」

 ユキの頭を平手で叩いたサヤは、次に柔らかく表情をほころばせた。

「あなたの努力が認められてるって知って、嬉しくないわけがないでしょ。親として最高の幸せよ。」

 その言葉のとおり、サヤは本当に嬉しそうで、そして本当に幸せそうに見えた。

 こんなに満たされた母親の顔なんて、もしかしたら初めて見るんじゃないだろうか。

 少なからず驚いてしまったユキが反応に困っていると。

「ユキと違って、素直なお母さんだね。」

 この状況を面白がるようなレードルの声が。

(この…っ)

 誰のせいでこんなことになっていると思っているのだ。

 眉間にしわを寄せたユキが文句を言いたそうにレードルを見やるが、その時には彼のターゲットは次へと移っていた。

「ルキア君、だったかな? はじめまして。」

 ルキアと目線を合わせて目元をなごませるレードル。

 そんな彼に、ルキアは何故か何も言わなかった。

「ルーちゃん。ほら、ご挨拶は?」

 狼狽したサヤがルキアの背を叩くが、ルキアは相も変わらずレードルを食い入るように見つめるだけ。

 そのまましばらくの時間が過ぎ、ようやく口を開いたルキアが放ったのはとんでもない一言だった。

 

 

「―――じぃじ?」

 

 

「⁉」

 その衝撃の言葉に、レードルとユキは揃って目を大きく見開く。

「じぃじ、お髭はー?」

「ルキア君…」

「なんで髪の色違うのー?」

「さ、さあ、早く座りなさい! お母様もどうぞ、お隣へ座ってください。」

 珍しく動揺したレードルがユキの肩を掴んで、ルキアごとユキを自分の隣の席に座らせる。そして彼自身も席につき、後ろの席の人々にその動揺を見られないようにしたはいいものの。

「ねぇ、じぃじでしょ?」

 ルキアの無邪気な問いは、それでうやむやになったりなどしなかった。

「これ、ユキ! 何を笑っているんだ!」

 ルキアの体に顔をうずめたユキが肩を震わせていることに気づき、レードルが声をひそめて抗議をしてくる。

 笑っていないでルキアをなだめろ。

 ここでお前が笑ったら、ルキアの指摘を認めているようなもんじゃないか。

 レードルの抗議に含まれている本意はもちろん分かっている。

 だが、この状況で笑うななんて無理な相談だ。

「す、すみません…オレはまだ、そこまで大人じゃないです。くく……ふふふふふ…」

 大声で笑い出さないだけで大健闘だと思ってほしい。

 侮りがたし、幼い子供の洞察力。一体どこでレードルとウォルトが同一人物だと見抜いたのだろう。さすがのレードルも、この思わぬ伏兵に取り繕うことができなかった様子。

「……、……っ」

 だめだ、全然笑いが引っ込みそうにない。

 ルキアの鋭い突っ込みもさることながら、あのレードルがここまで慌てていることが思いの外面白くてたまらない。そろそろ腹筋が痛くなってきた。

「じぃじ?」

「ル、ルキア…もうやめような。」

 一応止めはしたものの、ルキアはレードルから目を離そうとしない。

 さて、これはレードルにとって圧倒的に不利だ。

 頑固者の血が早くも表れているのか、こうなったルキアは自分が納得するまではなかなか話を変えてくれない。

 しかも今は、レードルに協力できる唯一の存在である自分がこれだ。いつもなら違うことはすぐに否定する自分がただ笑うだけなので、違和感を持ったサヤが半信半疑といった顔でルキアとレードルを交互に見ている。

 この状況でしらを切るのは無理だ。

 ルキア、ユキ、サヤの三人の様子を眺めていたレードルは、やがて小さく息をついた。

 彼はルキアと間近から顔を合わせると、唇の前で人差し指を立てる。

「……わしとルー君の秘密じゃぞい? 後でちゃんとお話するから、今は静かにできるかの?」

 レードルの口から、いつもよりも低いしゃがれた声が発せられる。

 その声と口調は、紛れもなくウォルトそのもの。

「ええ…っ⁉」

 パッと表情を明るくしたルキアの後ろで、サヤが両手で口を覆った。レードルの仕草から大袈裟な態度をしたらまずいことだけは分かったのか、極力声の音量を下げて、できるだけ表情も大きく変えないように努力しているのが見て分かる。

「すみません。この件については講演会の後、別室でお話ししますので。」

 サヤにそう断ったレードルはルキアの頭を一つなでてから背もたれに背を預けると、参ったと言わんばかりに深い溜め息を吐いた。

 それから程なくして、開演を告げるブザーが講堂内に鳴り響く。

「ルキア、もうおしゃべりはなしな。」

 自分もどうにか笑いをこらえ、ルキアにそう言い聞かせる。

「うん。」

 ウォルトとしての態度を見られて満足したのか、今度は素直に頷くルキアだった。

 講堂内が一気に静まり、女性のアナウンスの後に大きな拍手で出演者が迎えられる。

(普通に大丈夫そうだな…)

 ダニーと共に登壇したナギの表情を窺い、ユキはほっと胸をなで下ろした。

「にぃに! ナギお兄ちゃんだ!」

 ナギの姿に気づいたルキアが嬉しそうに壇上を指差す。

「うん、そうだな。ナギお兄ちゃんはお仕事中だから、静かに見てような。」

「あ、はーい。」

 ユキが静かにするようジェスチャーで示すと、ルキアもハッとして可愛らしい仕草で口を押さえた。

 最前列だから仕方ないのだが、そのやり取りはナギの耳にも届いたのだろう。一度ぴくりと肩を震わせたナギが、声の出所を探して目だけを世話しなく動かし始めた。

 すぐにレードルの隣に座るユキたちを見つけたナギは、目を真ん丸にして―――

 

 照れ臭そうな、嬉しそうな、そんな無邪気で満面の笑みを浮かべた。


 ナギがルキアに向かって手を軽く振ると、その行為でユキたちが訪れていることに気づいたダニーも同じように手を振ってくる。

 それに応えて両手を大きく振るルキアを抱いて。

「………」

 ユキは何も言えずにいた。

 ナギの反応に驚いてしまって、静かに放心していたのだ。

(いくら、オレが来たからって……)

 確かに、嬉しそうな反応はするだろうなとは思っていた。

 でも、見逃さなかった。

 無邪気な笑顔を見せる前に、ナギがほっと安心したような、ちょっとだけ泣きそうな顔ではにかんだことを。

 やっぱり、一緒にいられないのは寂しいよ。

 あの一瞬の笑みに、そんなことを訴えられたような気がして。

「……あの馬鹿。」

 全身を襲うざわめきを押し殺しきれず、ユキは誰にも聞こえない声でぼそりと呟いた。

 そんな始まり方をしたダニーの講演会は、おおむね自分が用意したマニュアルどおりに進んだ。

ちょっと予想外があったとすれば、自分がいることに気をよくしたナギの舌がいつも以上に回ったことだろうか。いきいきと討論に参加するナギにダニーもびっくりしていたようだが、次第に彼も楽しくなってきたらしく、二人の話は時に聴講する人々を置いていくレベルにまで及んでいた。

 開始三十分の現時点で、かなり予定が押している。一応各講演会には三十分の延長時間を用意してあるとはいえ、これは延長時間を使いきっても収拾がつくかどうか。

 純粋に講演会を楽しむ気持ちが半分、講演時間を気にする気持ちが半分。

 そんな複雑な心境で講演会を見守るユキに。

「……よかった。」

 ふとサヤがそう呟いた。

「え? 何が?」

 ユキが小首を傾げると、サヤはちょっとだけ驚いた顔をした。

「やだ、聞こえちゃった?」

「うん。」

「あらそう……いえね、引っ張ってでも連れてきてよかったなって思ったのよ。」

 サヤは優しげに表情を緩め、壇上のスクリーンを眺める。

「ユキっていつも、ルーちゃんのため、家族のためって、いつもそうやって頑張ってきてくれたでしょう。もちろんそれは嬉しいし感謝もしてるんだけど、ユキがそれで自分のことを優先できてないんじゃないかって……ちょっとだけ心配だったの。だからね、さっき講演会に行きたいんだって言ってくれて、すごく安心したのよ。」

「母さん…」

「いいのよ、ユキ。」

 サヤがそっとユキの手に自分の手を重ねる。

「ユキの人生は、ユキのものでしかないの。私やルーちゃんのことより、自分のことを優先しなさい。やりたいことを思いっきりやりなさい。」

「………」

 サヤにそう言われ、何も返せる言葉がなかった。

(そっか…そう、だよな……)

 ユキはどこか茫然とした顔で床を見つめる。

 確かに今回、自分は家族と創立祭を回ることよりも、この講演会に来ることを選んだ。ルキアか自分と一緒にいるとごねた時だって、講演会を諦めるのではなくてルキアを連れて講演会に行こうと提案した。

(あれ…?)

 今さらながらの違和感。

 だっておかしいだろう。

 自分がここまで来たのは、決して講演会が目的だったのではないのだから。

 ここに来たのは―――

 ユキはゆっくりと顔を上げる。

 そこにあるのは、表情豊かにダニーと言葉を交わすナギの姿。

(どうしてオレは……ルキアじゃなくて、ナギを優先したんだ…?)

 カチリ、と。

 自分も気づかないところで止まっていた何かが動き出す予感。

 

 

 大きな波乱は、この時から足音を忍ばせて近づいてきていた。

 

 


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