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14時間目 今は、こんなにも―――

「いってきまーす!」

 地域のボランティア団体が営む子供向けコーナーの一角。そこに据えられたトランポリン遊具の中に、興奮した様子のルキアがやや駆け足で入っていく。

「ふう……やっと一息つけたわねぇ…」

 そんなルキアを見送っていたサヤが、お茶を片手にそう呟いた。

「ごめん、オレのせいで。」

 これについては申し開きようがなく、ユキは気まずくそう謝るしかなかった。

 サヤたちと合流してからすぐに学食へと向かったのだが、その道中はまあ賑やかなものだった。

 男子女子構わず、自分とすれ違った人々が次々と声をかけてくるのだ。学食で人混みの中に紛れ込めばそれも落ち着くかと思ったがそんなことはなく。

 サヤやルキアが全然嫌がらなかったから怒鳴りはしなかったが、自分としては非常に不満だった。

 どいつもこいつも寄ってたかって。少しは家族水入らずを邪魔しないでやろうとか、そういう配慮ができないのか。

「ユキ、何かあったの? 去年はこんなに話しかけられることもなかったと思うんだけど。」

「あー…そのー……」

 ユキは明後日の方向を見やる。

「なんていうの…? 実はオレ、わりと偉い先生に気に入られててさ。めんどくさいから今まで隠してたんだけど、色々あってそれがバレちゃったんだよね。今はその先生目当てに、オレと仲良くしておきたい奴がいっぱいいるみたい。」

 まさか半年前に生死の境をさ迷っていましたなんて言えず、ユキは慎重に言葉を選びながら事情の一端を話す。

「そうなの?」

「まあね。あとはナギのせいかなー。」

「ナギって、ルーちゃんが会いたがってた子?」

「そう。あいつが最近オレの言うことしか聞かないもんだから、あいつ絡みで何かあるとすぐオレが呼ばれるんだよね。おかげで、オレまで無駄に有名人だよ。」

「……ふぅーん?」

 サヤは何か意味ありげにこちらを見上げてくるだけだ。

「な、何?」

「本当にそれだけ?」

「え…?」

 訊ねられて、ギクリと肩が震えた。

 もしかして、ごまかせてない?

 勘弁してくれ。これ以上何か訊かれても、自分には言えることがない。

 もしもあんな事件があったなんてサヤに知られたら、絶対に怒られるわ泣かれるわで収拾がつかなくなるに決まっている。

 動揺を気合いで胸の内に押し殺し、ユキはサヤにどういう意味かと問いかけるような視線を向ける。

 ものすごくひやひやとしたのだが、結果としてこちらの懸念は杞憂に終わってくれた。

「男の子はともかく、女の子の目、その先生目当てには見えなかったけどなぁ?」

 にやにやと目を細めるサヤが何を言いたいのかは明白。

「あー…その話は、ちょっと……」

 ユキは自然な動作でサヤに背を向ける。

 そして、胸を押さえて大きく息をついた。

(よかったー‼ マジでよかったーっ‼)

 我慢していた分、今さら心臓がばくばくと暴れ始める。

 そんな妙な訊き方しないでくれ。隠していることがあるだけに、ライゼルに睨まれた時よりも緊張したではないか。

「なぁにー? もしかしてモテ期なのー?」

 ユキの安堵など露知らず、サヤがつんつんとその脇腹をつつく。

「そんなんじゃない……と、思いたいけど…」

「そう言うってことは、自覚あるのねー? このこのー!」

 安心はしたけど、この絡まれ方は嫌だ!

「痛い…痛い! 別にオレは嬉しくないって!」

 サヤに背中を何度も叩かれ、ユキは思わず叫んだ。

「あーら、そうなのー?」

「だって、さっきの見てただろ? あいつら、オレが邪魔しないでほしいって思っててもお構いなしなんだぞ?」

「それだけ、ユキに自分のこと見てほしいんじゃないの? 可愛いじゃなーい。」

「茶化すなよ。ああやってぐいぐい来られるの、ほんとに無理なんだって。」

 それで今までにどれだけ嫌な思いをしたか。

 本気で迷惑そうな顔をするユキとは対照的に、サヤはどこか楽しげである。

「えー、つまんないのー。」

「オレはつまんなくないの! はい、この話は終わり。」

 いじり足りなそうなサヤを振り切り、ユキは彼女に見えないところでふと目を伏せた。

 そう。

 ああやって、空気も読まず絡んでこられるのは嫌いだ。相手に相手のペースがあるように、こっちにだってこっちのペースと距離感がある。それをあまりにも大きく崩されるのはいい気がしない。

 ナギなんて、そのタイプの筆頭に挙がるじゃないか。

 なのに、どうして自分はこんなにも……

「……ごめん。ちょっと電話してくる。」

 サヤに断りを入れ、ユキはその場を離れた。

 人が少ない校舎影に隠れ、トモの番号を呼び出して携帯電話を耳に当てる。

「はいはーい。どうしたの?」

 電話に出たトモは、いつもの軽い調子でそう訊ねてきた。

「いや…そっちは順調か?」

「順調も順調! 今は落ち着いてきたけど、お昼まで大変だったよ、もう。ユキ、明日覚悟しときなよー? 今日だけで何人ユキ目当ての子を断ったか分かんないんだから。」

「お、おう…頭に入れとくわ……」

 適当に相槌を打ちながら、ユキは所在なげに視線を右往左往させていた。

 トモに電話をした用件はこんなことではないのだが、なかなか本来の用件が口から出てこない。

「……どうしたの? なんか声が暗いけど。」

 こちらの躊躇いを敏感に感じ取ったトモが、柔らかい口調で問いかける。それに背中を押され、ようやく話を進める決心がついた。

「あの、さ……今日、なんかナギから連絡来たりした?」

 ようやくの思いでその一言を絞り出す。

「ナギから? いや、来てないよ?」

 トモの声はあっさりとしている。別に疑っていたわけではないのだが、隠し事をされている雰囲気ではなかった。

「そっか…来てないならいいんだ。」

 ユキは浮かない表情でそう返した。

 なんだかほっとしたような、落胆したような、やっぱり不安なような。

 そんな複雑な気持ちが胸にわだかまる。

「ユキ、ナギとなんかあったの? 今回はやたらと過保護じゃない。」

 トモの指摘に、どきりと鼓動が大きく鳴った。

「いや別に、その、喧嘩したとか、そういうわけじゃなくて…」

「分かってるって。」

 とっさに口をついて出た言い訳がましい言葉は、笑みを含んだトモの一言に遮られてしまった。

「そんな雰囲気なんて、ナギになかったもん。むしろ最近はユキのこと独り占めできて、いっつもご機嫌だったしね。」

「まあ…だろうな。」

「そうそう。だから、なんでユキがそんなに心配してるのか分かんなくて。」

「う…」

 そう言われると返答に困る。

 トモは続けた。

「ナギのことなら、心配要らないと思うよ? いつも自由な子ではあるけど、大勢の目につく場所ではちゃんと最低限の仕事はこなすから。」

「それは…分かってるつもり、なんだけどさ……」

 事前にあれだけ準備をしたのだ。今回のイベントでナギが困ることはまずないだろう。それに我が儘になることが増えたとはいえ、彼はこれまでと同じように、天才という呼び名に付随した仕事はきっちりとこなしている。そこに関してはナギを信用しているし、そこまでは心配していない。

 自分が気にしているのは、そこじゃないのだ。

「んー……」

 黙ってしまったユキに、トモが深刻さを全く感じさせない声音で唸った。

「多分悪いことじゃないだろうから、おれからは詳しく訊かないどくね?」

 なんとなくこちらの心情の一端を察してくれているのか、彼はそう前置きをしてから次の言葉を紡いだ。

「気になるなら、見に行ってあげたらいいんじゃない? 次の講演会って、ちょうどダニー教授の回でしょ? 経済志望のユキが行っても違和感ないし、ちょっと抜けるくらい、お母さんたちも別に反対しないんじゃないかな?」

「いやまぁ、それはそうなんだけど、でも…」

「ユキ。」

 トモが静かにユキの名を呼ぶ。

「言ったでしょ? あんま理性ばっか優先してると、それで逃げ場なくすって。」

「………っ!」

「悪いことじゃないんだからさ、そんなガチガチにあれこれ考える必要ないんじゃない? こんな軽い時くらい、何をすべきかじゃなくて、何をしたいかで動けばいいんだと思うよ。肩の力抜きなさい。くそ真面目君。」

 プツリと電話が切れる。

 無機質な通話終了の音を聞きながら、ユキはしばらくその場で立ち尽くしていた。

 とりあえず、サヤたちの所に戻らなければ。

 そんな理性だけで、体を引きずって賑やかな人々の合間を縫って進む。

「あ、にぃにー!」

 自分が電話をしている間に遊具から出てきていたらしく、戻ったそこでは汗をかいたルキアがサヤのお茶をがぶ飲みしているところだった。

「おかえりなさい。電話はもういいの?」

「うん、大丈夫。」

「にぃにー、だっこー。」

「はいはい。」

 合流するや否や甘えてくるルキアに苦笑し、ユキはいつものようにルキアを胸に抱く。

 そうだ。これでいいんだ。

 これがいつもどおりだ。

 自分はいつだって家族が一番で、こうしてルキアを抱いてルキアの笑っている顔を間近で見るのが大好きで。

 サヤとルキアが笑ってくれれば、自分だって気兼ねなく笑えたんだ。

 

 

 なのに今は、こんなにも笑うことが難しい。

 

 

 どうしても気になってしまうのだ。

『ユキ…大好き……』

 すがるようなあの声が耳を離れなくて。

『うん……いってらっしゃい。』

 行かないでと訴えてくるあの顔が脳裏にちらついて。

 始めは本当に大丈夫かな、と軽く思う程度だったのに。

 時間が経つにつれ、だんだんとその不安が心を圧迫して、きっと大丈夫だろうと自分に言い聞かせることもできなくなって。

 ルキアのことを見ているはずなのに、その無邪気な仕草と表情にナギの面影を見てしまう。

 あんな顔で、ナギが無理矢理笑わなければ……

「……ねえ、母さん。」

 言葉は勝手に口から零れ落ちていた。

「実はこの後、行きたい講演会があってさ…」

「え?」

「え……あっ…」

 ユキはハッとして口元を押さえる。

 しまった。

 つい言ってしまった。

「えーっと、どれー?」

 サヤがパンフレットのページをめくり、タイムスケジュールを確認し始める。

 そんなサヤに、ユキは今さらのように慌ててしまった。

「いや、別にいい! 大丈夫だから!」

「何言ってるの。そういうのは先に言いなさい。」

「いやだから…」

「ああ、もしかしてこれ?」

 サヤがパンフレットの隙間から、別冊子になっている講演会イベントの案内を取り出す。それにユキが表情を変えると、彼女はパラパラと案内に目を通し始めた。

「ああー、なるほど。」

 ちょうどダニーの講演会と彼の経歴を紹介したページを開き、サヤは納得したように深々と頷いた。

「ほら、いってらっしゃい。」

 彼女はぽんとユキを押す。

「で、でも…」

「いいから、いってらっしゃい。大学は経済進むって言ってたじゃないの。興味あるんでしょう? お母さんたちは大丈夫だから。ルーちゃん、こっちおいで。」

 戸惑うユキだったが、サヤはすでにユキを講演会に送り出すつもりだ。

「なんでー?」

 一人何も分かっていないルキアが首を傾げた。

「お兄ちゃん、行きたいところがあるんだって。」

「じゃあ、ルー君も一緒に行く。」

 手を伸ばしてきたサヤにルキアが告げたのはいつもどおりの答え。

「ルーちゃん、大事なご用なの。邪魔しないようにしましょう?」

「やだーっ。にぃにと一緒がいい!」

「ルーちゃん! お兄ちゃんが困ることはしないってお約束でしょ。」

「うう…」

 サヤにきつい口調でたしなめられ、ルキアは今にも泣き出してしまいそうな顔でユキの首にしがみついていた。

 母親を怒らせるのは怖いが、だからといって兄と離れたくはない。

 幼いながらに葛藤しているのが見て取れる。

 しばらく両者の睨み合いに口を出さずにいたユキだが、これは解決の兆しが見えないと察して肩をすくめた。

「いいよ。一緒に行こう。」

 そう提案を投げかける。

「ただ、面白くはないよ? あと、走ったり大きな声出すものだめだけど、守れるか?」

「うん!」

「ユキ。」

 途端に耳朶を打つサヤの不満げな声。

 ルキアも今年は六歳になるし、そろそろ甘やかしすぎるのもやめよう。

 春休みに家に戻った時にそんな話をされた手前、彼女がこちらの態度をお怒りになるのも分かりはする。

 それについての説教は後で聞くとして、だ。

「いいって。今日はお祭りってのもあるし、ちょっと大目に見てやってよ。」

 ユキはサヤに苦笑を向けた。

「一番後ろに座っておいて、あんまりぐずるようなら途中で出ればいいだけだし。それに今からじゃ、そもそも会場に入れるかも分からないからさ。」

「え、そうなの? まだ三十分もあるけど…」

 腕時計で時間を確認したサヤが不思議そうに訊いてきた。

「だって、その先生の講演会って一番人気だもん。いくら講堂が広いっていっても、もしかしたらもう埋まってるんじゃないかな。」

「ええっ⁉ だからそういうのは先に言いなさいって言ってるでしょ‼」

 ビックリ仰天といったサヤは、大慌てでユキの腕を引いて歩き始めた。

「わっ…いや、だから別にいいって言ったんだけど……」

「そういう問題じゃないでしょ! 今度はいつこんな機会があるか分からないんだから、行くだけ行ってみなきゃ!」

「で、でも、大学受かればその先生の授業聞けるし!」

「今日のお話が、授業でも聞けるとは限らないでしょ! もう! なんでそんな大事なことを今の今まで黙ってたの!」

「それは…」

「ほら! きびきび歩く!」

 もはやサヤはこちらの話を聞く気などない。

 自分のうっかり発言がきっかけだったとはいえ、最終的にはサヤに引きずられて大講堂に行くことになるユキだった。

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