10時間目 オレの休み、一日やるよ。
「さて、作戦会議を始める。」
会議室に集まった皆をぐるりと眺め、レードルは静かにそう切り出した。
室内にいるのはレードルやブレッドを始めとする学校役員の面々。それに加えて映像製作会社の担当、創立祭当日に入校許可を得ている数少ないメディア関係者。その他創立祭に協力するイベント運営会社のスタッフたちなど。
自分はどうしてこんな方々が集まる会議に召集されたのだろう。しかも自分の席だと言われたのは、よりにもよってレードルの隣。役員の皆はともかく、その他の人々からはものすごく不可解そうな目を向けられている。居心地がものすごく悪いので今すぐ出ていきたい。
一見して理不尽にしか見えないこの状況。席にあったのは分厚い資料が一つだけ。
どうやら読んで状況を察しろということらしい。
とりあえずレードルに紹介されるがまま初対面の人々と挨拶を交わし、席について資料を読み始めて三分。
早くも自分が呼ばれた理由がなんとなく想像できてしまった。
「ユキ、君ならもう事情は把握したね?」
「……とりあえず、あの馬鹿に関わることだってことは分かりました。」
「よろしい。」
ユキが苦々しく答えると、理事長は機嫌をよくして頷いた。
理事長の隣に座っているにもかかわらず堂々と嫌な顔をしたユキに、何も事情を知らない外部の人間が少なからず驚きの表情を見せる。
どうせまた、こんな偉い人相手になんて態度を……とか思われているのだろう。もう慣れた反応なので気にもならない。
「では話を進めよう。毎年のことではあるが、メインイベントでは各界の著名人を招いて、ナギ君と有意義に語り合ってもらおうと思っている。ただ今年はナギ君が卒業する年でもあるし、これまでと同じ主旨ではつまらないから例年とは違う人選をした。」
レードルの説明を聞きながら資料をぱらぱらとめくり、出演者の経歴のページを探す。
「ユリア高校、セントラル大学の卒業生は可能な限り減らし、あまり我が校と関わりが少なく、尚且つメディアにはそうそう出てこない者を多く採用したつもりだ。」
確かに、言われてみれば出演者の経歴はばらばらだ。ユリアほどではないがそこそこの進学校を出ている者から、高校すら出ずに自力で成功を収めた猛者まで。テレビや雑誌にこそほとんど出てこないが、個人名や会社名を言われれば誰もが聞いたことはあると頷くような大物ばかりである。
「よくこんな方々を呼べましたね。」
素直な感想を一言。
「今年はシャルロット君が張り切ってくれているからね。我々も負けてはいられまい。」
「なるほど。」
もっともな言い分だ。生徒が開催するイベントよりも学校が開催するイベントの方が規模が小さいとなっては、学校の面目が丸潰れになってしまう。
「ではユキ、君の意見を聞きたい。明日から創立祭にかけてのスケジュールだが、実現可能だと思うかい?」
「そうですね…」
問いかけられ、ユキはさらに資料のページをめくる。
「厳しいですが、無理ではないとは思います。ただ……このスケジュールをナギがこなせるかは分かりません。」
当初の予定より準備が遅れているらしく、かなりタイトなスケジュールではあるのだが、別に不可能ではない。自分ならまだ余裕でこなせると思う。
だが、このスケジュールを前にして懸念が一つ。
ユキは机に置いてあった懸念材料をちらりと一瞥した。
「そもそもこれ、ナギ本人に了承取ってるんですか? 今年は特に何もないって聞いてたから、オレ普通にシフトにぶっ込んでましたよ。」
やれやれ、これではシフトの組み直しじゃないか。明日以降の作業分担も調整しなくては。
「そうなんだよ。問題はそこなんだ。」
その言葉を待っていた。
レードルの態度がそう訴えてくるようだった。
「はぁ…やっぱりまた駄々こねてんのか。結局オレが火の粉被るんだって言ってんのに、あの馬鹿は…。」
やはりそういうことか。
おかしいなとは思っていたとも。毎年イベントに引っ張り出されていたナギが、今年は何も予定がないだなんて。
独り言のようにぼやいていたユキは、次に諦めの息をついて資料を机に戻した。
「分かりました。説得はしてみます。してみますけど、期待はしないでくださいよ? ナギの奴、今年は創立祭を楽しむ気満々だったみたいなんで、多分相当拗ねますよ。」
言われずとも自分の仕事は分かっている。こうして大勢の前に呼び出されていることから、拒否権などないだろうことは確実。足掻かずに従いますよ。
ルキアに会うことを楽しみにして、ご機嫌でパンフレットを眺めていたナギには申し訳ないと思うが…。
「そこもどうにかならないかね? これ以上ナギ君に渋られると、さすがに困るのだが。」
「いや、無理でしょう。」
レードルに訊かれたユキは即答する。
「拗ねたナギのやる気を出しつつ、こんなタイトスケジュールを守らせるなんて、そんな都合いいこと今からじゃきついですよ。拗ねたナギが動きたがらない分の穴は、ある程度妥協するしかないんじゃないですか? あいつの扱いを心得ている便利な操縦役がいるならいざ知らず…」
特に何も考えずに思ったことをそのまま口にして気がついた。
周囲の―――主に学校役員たちの視線が揃って自分に集中していることに。
「―――オレですかっ⁉」
ユキは思わず自分を指差す。
何も知らない外部関係者はきょとんとしていたが、レードルたちは相も変わらず物言いたげな目でこちらを見るだけ。
「いやいや、勘弁してくださいよ。まさかあの馬鹿を説得するだけじゃなくて、創立祭まであいつのマネージャーでもやれって言うんですか⁉」
「操縦役がいればと言ったのは君じゃないか。」
レードルはしれっとそんなことを言ってくる。
「いや、言いましたけど…だからって……」
「実際、ナギ君を一番扱えるのは君だろう。」
「う…」
自覚がある手前、何も言えなくなってしまった。
ユキの逃げ場を一つ潰したレードルは、ちょっと大袈裟に見える態度で肩をすくめてみせた。
「ここ数ヶ月のナギ君には、我々も困っているのだよ。自我が出て意見を言ってくれるようになったのはいいことだが、その分気分で動くようになったのがとかく厄介でね。金銭や契約に頓着がないものだから、彼を説得するのも一苦労だ。」
「まあ、あいつは勉強がずば抜けてできる分、対人スキルはべらぼうに低いですからね。」
「ちょっと前までは、説得せずとも依頼を聞いてくれていたんだがねぇ?」
「それがオレのせいだって言うなら、全力で異議を唱えますよ。」
それまでの当惑顔を引っ込め、途端にユキは険しい目つきレードルを見やった。
濡れ衣もいいところだ。
ナギが言うことを聞かないのは、そちらがナギの内面をないがしろにしているからだ。それにナギが自分に尻尾を振っているのは彼自身の意思であって、別に自分がお願いしたからじゃない。
「分かっているとも。ナギ君も君という対等に認められる相手ができて、話を聞く人間を選ぶだけのプライドが出てきたということだろう。それ自体はいいことだ。だが、だからこそ君にはそれ相応に働いてもらわなければならない。」
「学校の威信にかけてってやつですか?」
「そんなところだ。」
「………」
ユキは黙してレードルと視線を絡め合う。
ここまで話せば、自分がナギを操れる唯一の存在であることは周囲に伝わったはずだ。
学校役員からは協力を強いる目、外部関係者からは救いを求める目が向けられる。
多勢に無勢。もうほとんど自分に逃げ道はない。
「まあまあ、そんな顔するんじゃない。君をこの場に呼んだのは、君がナギ君のお気に入りである以上に、私が君の能力を買っているからだ。だからもちろん、ただで使おうとは思っていないさ。」
レードルは数多くの資料の中から一つのファイルを取り出した。そしてその中から二枚の紙を抜き、それをユキの前に滑らせる。
「今回は学校の代表として、君に正式に仕事を依頼したい。勤務条件と報酬はこんなもんでどうかな?」
なるほど。自分を呼んだのは、この契約交渉が主な目的だったのか。つまり初めから、ナギの説得だけで話を終わらせる気などなかったということじゃないか。
「………」
ユキはいまひとつ納得がいかないと訴えるように顔をしかめながらも、裏側に伏せられた紙を取り上げる。
不満なのは変わりないが、ただ働きさせられるよりは大分まし。
さてさて、どんな無理難題を吹っかけられていることやら。
特に期待もせずに紙を裏返して内容に目を通したユキは…
「はっ…⁉」
目を大きく見開くしかなかった。
「決して悪くはない条件にしたつもりだよ。」
レードルがしてやったりといった含み笑いをする。
反論できなくて悔しいが、確かにこれは美味しい条件だ。
一週間ナギの機嫌を取っておくだけでこの破格の報酬。しかも創立祭当日には行動の制限がかからないときた。ちゃんとルキアたちと会うことも考慮に入れられている。
「君は賢い子だ。それだけの好条件を提示している意味は、説明せずとも分かってくれるね?」
とどめの一発。
「…………分かりましたよ……降参しますって…」
ユキは机に突っ伏して溜め息を吐いた。
せっかくシャルロットを上手く遠ざけたところだったのに。
どうして次から次へと、こんな手間のかかることばかり…。
そうは思っても、こんな条件を出されたら文句なんて言えないじゃないか。理事長にここまでさせて不満を言おうものなら、この場の全員から顰蹙を買う。ナギじゃないんだから、そのくらいの空気は読める。
どうせ断りきれないと半分諦めていたが、よもやこんな形で一切の抵抗をねじ伏せられようとは。引き受けても断っても面倒なことにしかならないじゃないか。
「ユキには余計な説明がいらないから、いつも楽だよ。」
レードルが満足そうに微笑む。
ユキは苦虫を噛み潰したような渋い顔をする。
学校内部だけでなく外部の人間がいる場所でまで、そんな風に自分に目をかけています発言をするのはやめてくれないだろうか。
「今だけは、ナギ的な図々しさが欲しいです。」
複雑な思いで呟くユキ。
自分とレードルの関係を知らなかった外部関係者たちは、ものすごく驚いた顔でひそひそと言葉を交わしている。確実に彼らには名前と顔を覚えられてしまっただろう。
ナギだったら、こんな周囲の反応なんて気にも留めないんだろうな。このざわめきを華麗に無視できる彼の無頓着さはすごいと思う。
「調和と理性優先の君に、ナギ君のような態度はまず無理だろう。」
「分かってるんで、いちいち突っ込まないでください。」
所詮は現実逃避から出た戯言だ。図々しさが欲しいと言った今も、周りの目とか学校としての立ち位置とか、それを推し量った上での自分の引き際とか、そんなことを忙しなく頭が勝手に考えている。
結局のところ、これが今さら変えられない自分の性分だ。
ユキはあらかじめ席に用意されていたペンで二枚の契約書にサインをすると、無言でその内の一枚をレードルに突き返した。
「素直でよろしい。では早速、最初の仕事といこうか。」
契約書を回収したレードルが笑みを深める。
「ナギ君のやる気を、五分以内に引き出してきなさい。」
この性悪じいさんは笑顔でなんという無茶振りを…。周りを見てみろ。さすがにドン引きしているじゃないか。
ユキは頬をひきつらせた。
「それは…まさかあの馬鹿を探す時間まで含んでませんよね?」
一応最低限の確認を。
すると、レードルはくいっとある場所を指し示した。
「心配には及ばない。もう隣の会議室にナギ君を呼び出してある。今頃、別の人間が説得中だ。」
なるほど。
それは用意周到なことで。
仕方ない。契約書にサインをしてしまった以上、ここからはもう仕事だ。文句はウォルトとして彼に会った時に言わせてもらおう。
「分かりました。五分ですね。」
さっと意識を切り替えたユキが至って冷静な様子で席を立つ。
当然のように無茶振りを受け入れるその堂々たる立ち居振舞いに、レードル以外の皆は早くも感心させられることになっていた。
★
できるだけ気配を殺して隣の会議室に入ると、そこではレードルの言ったとおり、数人がかりでナギの説得が行われている真っ最中だった。
「やーだー。めーんーどーくーさーいー。」
目の前に積まれた資料には目もくれず、ナギは膨れっ面で机に顎を乗せている。
「ナギさん、そこをどうにか! せめて明日からの打ち合わせには参加してもらえませんか?」
「だからー、俺はイベントに出たくないんだってばーっ。今年はユキやルキアと一緒に学校回るのー‼」
「ナギさん、ほんとにお願いしますよー! 今回のゲストの方々は、一年以上前からアポイント取って、ようやく出演を受けてくださったんです。ナギさんが参加しないとなっては、うちの会社の株もユリア高校の株も地に落ちてしまうんですよ⁉」
「そんなの俺には関係ないもーん!」
「ナギさん!」
「やだーっ‼」
もう少しましな断り方がないのか?
まるでルキアのような駄々のこね方に、ユキはただ呆れるしかなかった。
「ナギ。」
さあ、五分以内の戦いの始まりだ。
ユキは特に緊張感を持たないままナギに呼びかけた。
「あれ、ユキ…。どうしたの?」
音もなく隣に立ったユキにナギが目を丸くし、ナギを囲っていた人々がぎょっとして肩を震わせる。
「ユキ…?」
すでに何度もナギから名前を聞いていたのだろう。ユキの名前を反芻した彼らは、途端に意味ありげな視線をユキに向けた。
(いや、オレがこいつにイベントに出るなって言ってるわけじゃないって。)
彼らの視線に込められた非難の色を感じ取り複雑になってしまったが、事情を知らない彼らに突っかかっても意味がないし時間の無駄。
ユキは彼らからの痛い視線をあえて無視し、ナギに心底不愉快そうな顔を向けた。
「この状況でオレが呼ばれた理由、なんだと思う?」
訊ねてみると。
「あー、分かった。俺の説得だ?」
ナギがにんまりと笑う。
こうして、ナギの説得要員として自分が召喚されるのは初めてじゃない。彼も学んでいないわけではないようだ。
さて、そんなナギの言葉に反応したのは、それまで彼の説得を試みていたイベント会社の方々。
「説得、してくれるんですか…?」
先ほどまでの敵意はどこへやら。彼らの表情がみるみる内に情けなくなっていく。
「ユキの頼みでもやだよーだ。あのイベント、めんどくさいんだもん。」
彼らの希望を打ち砕くかのように、ナギが先手を打ってきた。
実際のところ、ナギが嫌がるのも無理はないと思う。
二日間の創立祭で催される計六回の講演会。その全てに参加しなければいけないわけだし、講演会の前後もゲストへの挨拶回りで手がいっぱい。創立祭を楽しむ暇なんて皆無だ。
だがこちらとしても仕事は仕事。
「ふーん? 言ったな?」
ユキは好戦的に目を細めた。
ナギの単純さはきっちり理解しているのだ。生憎と、こちらはすでに彼を転がす言葉を握らせてもらっている。
断れると言うなら、断ってみせるがいい。
「ナギ、ちょっとこっち。」
「何ー?」
ちょいちょいと指で招くと、まるで子犬のようにナギがついてくる。
そんなナギを他の人々から離れた窓際に誘い出したユキは、内緒話をするようにナギの頭をそっと引き寄せた。
ナギは不思議そうな顔でこちらを見上げてくる。
最近は自分の変化も慣れてきたのか、こうして顔を見合わせても逃げないようになった。その分図々しさも調子を取り戻しているのだが、今はそれが好都合。
これから持ちかける交渉を、ナギが断るわけがないと断言できるからだ。
ユキは一つ呼吸を置くと、ナギの耳元に口を近づけた。
そして。
「ちゃんと参加するなら―――オレの休み、一日やるよ。」
魔法の一言を囁いた。
「………………ほんと?」
ナギの両目が期待で輝く。
ほら見ろ。断れないだろ?
「オレが嘘ついたことあったか?」
「ないけど…ほんとにほんと? それって、遊びに行ってくれるってこと? 朝から晩まで付き合ってくれるってことだよね⁉」
「だからそうだって言ってる。ただし、健全な範囲でな。」
「うわぁ! 言った! 言ったからね⁉ 俺、絶対に忘れないよ⁉」
ナギはすでにやる気状態。
とりあえずこれでノルマクリアではあるのだが、彼にはこのやる気を創立祭終了まで維持してもらわなくてはならない。
「だから、オレは約束を破らないって。ちなみにもう一つ特典があるから聞いとけ。」
ユキは次なる交渉を畳みかけた。
「これはお前がちゃんと打ち合わせとかにも参加することが条件だけど、助っ人としてお前についてやれとよ。その間、オレもお前も創立祭の準備には関わらなくていいって話だ。」
「それってつまり…?」
「創立祭までの間、オレはお前専用のアシスタントってこと。お前はオレを独占できるってこと。」
「やる‼」
答えは食い気味に返ってきた。
「……オッケー。じゃあ、こっちに来い。」
「はーい‼」
ぽかんと大口を開けているイベント会社の人々は置いていき、ユキはナギを連れてレードルたちが待つ会議室へ戻る。
「―――はい、交渉成立。なんでもやるそうです。」
「はーい! なんでもやるー‼」
報告するユキの後ろで、ナギ本人がご機嫌でそう宣言する。
「一体どんな魔法を……」
きっかり五分で成果を持ち帰ってきたユキに誰もがそう唸る。
そんな中、レードルだけがにやりと口の端を吊り上げていた。




