第十七話 文化祭②
多くの人々が行き交い、校内は一面人だらけだ。
生徒や一般の入場者が入り乱れながらも、実行委員会の学生や教師陣による誘導や、あちこちに張った地図のおかげで、無事に文化祭は進行していた。
(今、文化祭なんだよね……)
楓は会議室の窓から、ボンヤリとした顔で、人の群れを眺めていた。
開会式を終えてしばらくは、休憩時間だった。
とはいっても、学園内を楽しむ時間はなく、読書をしてみたり、こうして上から見学するぐらいだ。
これといった目的はないが、改めて文化祭が始まったのだと実感する。
待ちに待った文化祭だからか、楓の真顔も心なしか緩んでいる。
登壇したとき、意外なことに、楓は冷静だった。
原稿に目を向けず、ひたすら会場の人に語りかけ、最後まで話すことができた。
思い出すと手が震えてくる。
あの大人数の中で、自分は演説をしたのだ。
開会式の終わりかけということもあって、集中力が途切れていた生徒もいた。
全員が楓の話を聞いてくれていたとは限らない。
でも最後までやりきった。
クラスメイトや舞がどこにいるか探す余裕さえあった。
緊張から解き放たれた脱力感と充実感が全身を巡る。
(舞ちゃんは服部君と回るって言ってたっけ。上手くいくといいなぁ)
昨日、そんな内容のメールが舞から届いた。
文面からでも、楽しみにしているのが伝わってきた。
友人として、彼らの関係が良いものになっていけばいいな、と心から願っている。
いつか自分も和也と。ちょっとだけ想像もするが、すぐに恥ずかしくなって、頭を振った。
(そういえば、迷子になったりしてないかなぁ。フリーネちゃんが少し心配……)
さすがに学園内で迷うことはないだろうが、フリーネなら万に一つでも可能性がありそうだ。
迷子センターで、子どもと楽しく笑い合う姿が目に浮かぶ。
「……もう行かないと」
間もなく受付の子と交代する時間だ。
実行委員会の面々が来る予定もないから、戸締りはしっかりとしておかなければならない。
楓は部屋の鍵を閉め、会議室を後にした。
★★★★★
「……というわけだ。覚えたか?」
「あ、うん。覚えたよー」
フリーネは机に置かれた用紙を、クルミに見せていた。
クイズ形式のスタンプラリーを試しにやってみたのだが、これがさっぱり分からず、困っていると、クルミが偶然通りかかり、ほぼ強引に答えを要求したのだ。
渋々ながらも、クルミは教えてくれた。
だが懇切丁寧に説明された挙句、なんと一○分にも及び、フリーネの意識は朦朧としていた。
道には迷ってはいなかったが、答えに迷い、意識も彷徨い気味だ。
「この世界の住人なら常識的な問題ではないのか?」
「いやぁ、世界って言っても国によって違うからねー。たはは」
「どうだかな。貴様は思考する気力がないだけで、知識自体は頭に入っているだろう」
「だって考えるのめんどいしー」
クルミの追及を、笑ってごまかす。
冷たい視線に身が縮こまる思いだが、さすがのクルミもこれ以上は、何も言わなかった。
「やっぱりクルミちゃんも一緒に行こうよー! あたし一人じゃ一生終わんないよ! スタンプラリー全部クリアしたら、番号順の缶バッジ貰えるんだよ! ほらあのポスターのヤツ!」
フリーネがポスターを指差した。
銀色のバッチに、青色で番号が刻まれている絵だ。
スタンプラリーを終えた参加者へのプレゼント商品だ。
クルミの眉が微かに動くが、それだけだ。
まだ足りない、バッジだけでは動いてくれない。
ならば、とフリーネは身を切る思いで、苦しそうに言った。
「今ならお菓子も付けるよ! バッジはそもそもおまけで、メインは美味しいお菓子! あたしのも半分あげるから! ね、やろうよー!」
フリーネが駄々をこね始めたのを見て、クルミは嘆息し、
「いいかフリーネ。この国の言葉に、初心忘るべからずという諺がある」
また長い講釈が始まるのを感じ、フリーネの額に嫌な汗が流れる。
「簡単に言えば、始めた頃の気持ちを忘れるなと言った意味だ。貴様も初めは自分で思考していたはずだろう? 私に頼らずとも、貴様にならこの程度の壁は乗り越えられるさ」
予想に反し、妙にいいことを語ってきた。
長々とした説明ではないようなので、顔色もたちまち明るくなる。
しかしフリーネは騙されない。
「そうやって私を混乱させて騙そうだなんて、アホの子がやることだよ!」
「貴様が言うか。まあいい。なら一生やっていろ。私はやるべきことがある。ではな」
「あ、ちょっと待ってよクルミちゃん!」
クルミは早足でフリーネから離れ、建物の中に消えた。
教えてもらった答えを書き写すべきか、クルミを追いかけるべきか。
どっちも考えた挙句、フリーネは答えを書くことを優先した。
一度答えを忘れてしまえば、またクルミに教えてもらうことはできない。
悔しげにクルミが去った方向を見て、答えを書き殴る。
これでスタンプラリーを続行できる。
一応の安心を覚えて、ふと我に返った時、フリーネは思った。
「……しょし? 忘れた? どんな言葉だったっけ……」
クルミが暗号のようなことを言っていたような気がするが、記憶にもやがかかって、答えが導き出せない。
全く分からないわけではなく、中途半端に記憶に残っているせいか、気になって仕方がない。
体がムズムズする。
しばらくスタンプラリーはできそうになかった。
「ねえねえハットリーヌ、しゃしんわすれたからすって、なーに?」
「写真忘れた烏?」
どうにも思い出せなかったフリーネは、周囲をうろついていた武蔵を捕まえていた。
女子の集団を遠目で眺めていたようだから、きっと暇を持て余していたのだろう。
とにかく何でもいいから、ヒントが欲しかった。
頭のいい武蔵なら分かるかもしれないと、淡い期待を抱く。
「ぶふっ! 何言ってんだフリーネちゃん。烏が写真なんて撮るわけねえじゃん」
武蔵はフリーネの言葉ができず、吹き出しそうになる口を手で抑えた。
正直なところ、フリーネ自身も何を言っているか理解できないので、彼の気持ちはよくわかる。
「あのね、クルミちゃんが何か頭良さそうな言葉を教えてくれたんだけど、どんなだったか思い出せなくって」
「クルミちゃんがかぁ。ちょい待ち。調べてみるわ」
舞と一緒に練り歩く予定だったが、人手が足りないとかで、一年A組の生徒に持ってかれてしまっていたところだ。
舞が戻ってくるまでの時間つぶしには丁度いい。
武蔵はスマートフォンを取り出し、検索してみるが、これといってヒットしない。
いい結果が得られず、申し訳なさそうに口を開いた。
「わりぃなフリーネちゃん。こりゃ分かんねえわ」
「いやいやあたしこそ、ごめんだよー」
互いに頭を下げる。
「ヒントになるようなことは言ってなかったか? その言葉が出る前はどんな会話してた?」
「スタンプラリーの答えを教えてもらってたよ! 一○分くらい!」
「問題と答えはどんなやつ?」
「晴れてるときに雨が降ることを何て呼ぶか。で、答えは狐の嫁入り! だよ!」
フリーネはスタンプラリーの紙に書かれた文字を読み上げる。
既にこの辺ですら、記憶が曖昧になっていた。
武蔵はスマートフォンのメモ機能を使って、情報を整理する。
キーワードは写真忘れた烏。クルミの言葉。意味は自分でやれ。
「あー気になるー気になるーきっになっるよー」
フリーネはくるくると回って、歌い始めた。
唐突な謎の行動は日常茶飯事なので、武蔵は気にも留めなかった。
(クルミちゃんのことだから、変な言い回ししただけってのも考えられるしな。暗号っつう線もある。狐の嫁入りとの関連性も捨てきれねえ)
あの魔王様が、無意味で訳の分からない台詞を言うとも思えない。
写真忘れた烏には、確かに意味がある。
武蔵はそう確信し、会話を再開した。
「その時のクルミちゃんの雰囲気はどうだった? 嬉しそうとか苛々してたとかあるじゃん」
「ドヤ顔だったりイライラ気味だったりしてたかなー」
「なるほどねぇ」
「もしかしたら文化祭の中にヒントがあるかもねー」
「それもありそうだな。クルミちゃん探すがてら、少し周るか」
「いいの? 誰か待ってたんじゃないの?」
「連絡入れときゃ大丈夫っしょ。ずっと待ってんのも退屈だしよ」
「おお! ありがとハットリーヌ!」
武蔵は素早くスマートフォンを操作した。
初めての文化祭で気分が高揚し、待っている時間がどうにも我慢できそうになかった。
(舞ちゃんならわかってくれるっしょ。連絡来たら切り上げればいいしな)
文化祭を楽しむついでに、クルミを見つけて答えを聞き出せば、全て丸く収まる。
終わったら舞と文化祭デートを満喫するつもりだ。
「じゃあまずは、一番近いパフォーマンス会場にレッツゴーだね!」
フリーネは元気よく飛び跳ね、会場に向かった。
会場は学園敷地内の最北にあった。
ライブ会場のように開けたステージが設置され、多くの人で賑わっていた。
ちょうど学園の王子様と呼ばれる金髪碧眼美男子が、舞台の上で電撃とともに舞っていた。
清条ヶ峰学園特有の光景だ。
他では異能を使ったショーは、そう見れるものではない。
黄色い歓声が耳をつんざき、最高に盛り上がっている。
王子のどこか寂しげな面持ちが、観客の心をさらに熱くさせていた。
あんなに女の子が騒いでくれるというのに、平常心どころか表情で演出するとは、さすがの王子だと武蔵は思った。
武蔵なら確実ににやけていたことだろう。
「ああやって異能使っていいんだねー。ビックリしたよ」
「まあ割と適当にごまかせるしE組の生徒には良いストレス発散場所だかんな。客も喜ぶから、一石二鳥ってやつだ」
「でもヒントはないっぽい?」
フリーネは辺りをぐるりと見渡して言った。
写真を撮っている人は数多くいるが、烏に関連するものはなさそうだ。
「おや、二人ともどうしたんだい?」
楠が背後から声をかけてきた。
ここ最近の準備のせいか、隈ができていた。
「せんせー。しゃしんわすれたからす、ってわかる?」
フリーネが説明しようとするが、わかりやすく伝わらなかったので、武蔵が代わりを務めた。
あらかた話を聞き終えると、楠は顎に手を当て、
「彼女のことなら、詩的な表現かもしれないよ。狐とカラスはイソップ寓話に話があったから、そこを使っているのかもね」
観客のどこからか、男の野太い声援が聞こえてくると、舞台の上で強烈な青白い光を放たれた。
目によろしくない光景に、楠は疲れたように息を吐く。
「少し抑えてもらわないと困るな、少し行ってくるよ。そうだ、こういうのはハル君が得意だから、美術室に向かうといい」
楠は早足で舞台袖に向かっていった。
異能パフォーマンスの監視も、彼の仕事の内だ。
また疲労で白髪が増えそうだと、心配になる。
「んじゃ美術室に行きますか」
武蔵とフリーネは会場を後にして、校舎を目指す。
美術室は校舎の三階に位置し、ここからでは距離がある。
道中、フリーネは笑顔で言った。
「それにしてもハットリーヌがいてくれて助かるよ! あたしだけだったら、途中で放り出してたもん!」
「フリーネちゃんは飽きやすいだけのような……」
武蔵は呆れたように言うが、褒められて悪い気はしない。
「ま、俺の任せなって! 必ずこの謎を解いてやるぜ!」
「おお! カックいい!」
フリーネがおだてるものだから、武蔵もさらに調子に乗る。
さながら彼氏と彼女がよろしくしているような光景だが、武蔵は天使一筋で、フリーネは恋愛のレの字もない無垢なドラゴンである。
ある意味においては、武蔵が学園入学当初に抱いていた想いが達成できている。
しかし、本人にその自覚がないのだから、困りものである。
武蔵は気分を良くして、フリーネに色々な薀蓄を語りながら、美術室まで歩いた。
「珍しイ組み合わセですネ。どうかしましタ?」
椅子に座って、見学者を見守っていたハルは首を傾げていた。
武蔵もフリーネも美術に興味が薄い生徒なので、驚いているのだろう。
実際、こういう時でもない場合、二人は来ない自信があった。
「せんせーはさー、しゃしんわすれたからすって分かる?」
「楠先生はイソップ寓話が関連してるんじゃないかと言ってました。ハル先生はどうですかね」
簡単に事情を説明すると、ハルはスケッチブックを持ってきて、絵を描き始めた。
「必ずしも狐とカラスが関連しているトハ限りませんカラ……」
瞬く間に描き上げ、絵を二人に見せる。
可愛らしくデフォルメされたカラスが、カメラを首にぶら下げていて、慌てふためく絵だった。
まさしく言葉のまま絵にしたかのようだ。
「クルミちゃんがこれのまんまを言ったとは思えねえっすけど……」
「ハハ、遊び心は大事デスヨ」
ハルはスケッチブックを仕舞い、ロダンが製作した『考える人』のようなポーズをした。
きっと、絵は本当に遊びで、真面目に考えてはいなかったのだ。
彼が思考している間に、ふと美術室を眺めた。
浮世絵や油絵、他にも水彩画など、様々な絵が飾られている。
美術部とハルが描いた作品を中心に、怪しい置物や異国の民族衣装も並べられていた。
旅行好きのハルが購入したお土産だと思われる。
美術の授業で、よく海外の話をしているから、間違いないだろう。
(絵ねぇ。軽く見てみっか)
武蔵は目を細め、飾られた作品を鑑賞する。
ハルの絵は統一性がなく、好き勝手に描いているように見えた。
灰色の塔がぽつんと立っているだけの絵や、人がうじゃうじゃ敷き詰められた繁華街の様相などなど、様々だ。
芸術性なんて分からないので、上手い絵だな、というぐらいしか感想が浮かばない。
客層も、その手のジャンルに精通していそうな人しかおらず、場違い感を覚えた。
「ねえねえハルせんせー、どう? わかった?」
「いえまったク。さっぱりデスヨ」
ハルは降参したとばかりに、両手を挙げた。
フリーネは残念そうに俯く。
「そっかー。せんせーごめんよー」
「謝るのはボクの方デスヨ。お力になれず申し訳ナイ」
互いに頭を下げる。
フリーネも自分が無理難題を押し付けている自覚はあった。
「お詫びにコレをどうゾ」
ハルは机に置いてあった紙袋から、飴を取り出し、二人に手渡した。
「わーい! せんせーありがとー!」
フリーネは喜んで受け取ると、早速口に放り込んだ。
そして余計な手間を取らせた謝罪をし、美術室を後にした。
ハルが手を振って見送りをしてくれたのが、印象的だった。
売店で飲み物を買い、行くあてもなく歩いていると、武蔵は言った。
「ねーハットリーヌ? まだ続ける?」
フリーネは手をぶらぶらとさせて言った。
狐の嫁入りだのイソップ寓話だのそのままの意味だの、範囲が広がりすぎて、わけがわからないことに陥ってしまっている。
気になるには気になるが、正直飽きてきていた。
美味しい食べ物の匂いが漂い、子どもたちが走り回っている姿を見て、どんどんやる気も削がれていた。
「いや最後までやろーぜ! 気になるじゃん!」
武蔵は口調を強くして言った。
ここまできたら何としてでも意味を知りたい。
諦めるという選択肢はないのだ。
「つーかクルミちゃん探したほうが早いんじゃねえかなコレ」
「でも素直に教えてくれそうにないよねー。どうせお説教だよ」
「クルミちゃんだもんなぁ。俺が土下座して頼み込んでも無視だろうな」
武蔵は怠そうに息を吐いた。
クルミからの扱いは、自分が最も理解している。
ゴミと罵倒され、扱いもぞんざいな武蔵が丁寧に訊いたとしても、まともな答えが返ってくるとは思えなかった。
「ねえハットリーヌ、ちょっとアレやってみようよ!」
フリーネが指差す方向には少年達が群がっていた。
記憶が正しければ、ストラックアウトと呼ばれる競技だ。
ボールを投げている少年を応援し、当たれば喜び、外れたら落胆していた。
知識としては知っているが、実物を見るのは初めてだ。
「ストラックアウトか……ま、少しならいいか。いいぜ、やってみっか!」
「そうこなくっちゃ! レッツゴー!」
武蔵は快諾し、少年の集団に混じっていった。
写真忘れたカラスの意味は知りたいが、別に後回しにしたっていい。
舞からの連絡が来ていないことを確認して、心置きなく第一投を投げた。
「いらっしゃいませー! 焼き鳥どうっすかー! お安いですよー!」
「お化け屋敷やってまーす!」
「間もなくダンス部によるパフォーマンスの時間でーす!」
あちこちから呼び込みの声が聞こえてくる。
人で賑わい、誰もが楽しそうに喋り、文化祭を満喫している。
学生らしい手作り感溢れる屋台も、これが文化祭なのだと感じさせてくれた。
女の子もどこか開放的で、潤いを齎してくれる。
ああ、なんて素晴らしいのだろう。
文化祭、万歳。
「いやぁ極楽極楽っ」
フリーネは嬉しそうに焼き鳥を頬張ると、新たな標的を探しに店を見て回る。
(つーかダンスって確か……)
ダンスと言えば、確か和也が加わっていたはずだ。
どうせ行くあてもなく、時間を潰してしまうなら、少しくらい見に行ったっていいだろう。
「なあダンス部覗いてみね? 和也も出るって話だし」
「おおいいね! ついでに訊いてみてもいいし! うん、いこういこう!」
ホールに入ると、既に満員に近い人数で、座れる場所が見当たらなかった。
女性の比率が高く、甲高い声が場内に響いている。
あまりのひしめきように、フリーネは壁にもたれかかって、極力人の群れから離れた。
「人多すぎなんじゃないかなー……」
「この学園のダンス部結構有名なんだぜ。で、イケメンも多いから女子人気も高いとかなんとか。まあ、もし俺がいたら、こんなホールじゃ収まりきらねえ数の女の子が来るけどな!」
「へー、そーなんだー」
武蔵の軽口を軽く流し、フリーネは幕が垂れている舞台を見た。
事前に学園の情報を調べていた武蔵と違って、これといった理由もなく入学したために、学園のことをほとんど知らなかったのだ。
強いて言うならば、古くからの友人である学園長に誘われたから、気紛れで入学しただけだ。
「んだよ。フリーネちゃんは学園のこと知ろうぜ。そうすりゃもっと楽しくなるってもんだしさ」
珍しくもっともな意見を言う武蔵に、確かになあ、と同意する。
口ぶりからするに、名の知れたダンス部なのは分かる。
だがフリーネは知らなかった。
学園のことを知ろうとさえしなかった。
今日も武蔵に解説されて、初めて頭の中に入った気がする。
考えることが苦手だといえ、『しゃしんわすれたからす』といい、文化祭のことといい、少しは自分の頭を使うべきなのかな、と何となく思った。
「お、始まるみたいだぜ」
武蔵が呟くと、幕が上がる。
ダンス部のショーの始まりだ。
★★★★★
「おつかれー!」
「おう和也、なかなか良かったぜ」
「ありがとう。でももっと早く来れば、いい位置取れたのに」
「見えてたのかよ」
「割と見えるもんだよ」
公演が終わり、会場の外の木陰で休憩中だった和也に声を掛けた。
ダンス部のパフォーマンスは見事だった。
観客に息を吐く暇さえ与えない迫力と、心を噴火させるような熱い踊り。
そしてボイスパーカッションを織り交ぜた構成で、プロ顔負けのダンスであった。
ちなみに和也は端っこで、連続宙返りを披露したり、色々と大技を繰り出し、会場を盛り上げていた。
「俺なんかまだまだだよ。テクニックにしろ感覚にしろ、もっと練習が必要だったよ。運動量も倍にして、イメージトレーニングも増やさないと……」
周りのダンス部部員が「修行僧か何かかよ」と漏らしてしまい、和也が肘で小突いた。
「つーかこれっきりじゃないのかよ」
「機会があればまたやりたいかな。皆、来年も出ていい?」
和也の問いかけにダンス部部員が怠そうに首を縦に振ったり、親指を立てたりした。
適当な肯定ではあったが、和也は満足そうに微笑んだ。
「あ、そーだ。カズくん、しゃしんわすれたからす、ってわかる?」
フリーネはすっかり頭から抜け落ちていたソレを、和也に尋ねた。
事情を説明し、楠やハルにも訊いたこと、途中で忘れていたことなど、全部を離した。
そうして話し終わった途端に、和也は口を開いた。
「初心忘るべからず、じゃないかな」
その言葉が、フリーネと武蔵の脳内を巡る。
何故初心忘るべからずに繋がるか、武蔵にはさっぱり理解できずにいた。
頭の上に疑問符を浮かべている忍者に対し、フリーネはというと、
「おおそれだよカズくん! 初心忘るべからず!」
フリーネの表情はたちまち明るくなり、子どものように『初心忘るべからず』と連呼し始めた。
「え、それが正解なの?」
「うん、そうだよ! そうなんだよ! 初心忘るべからず! あースッキリしたっ」
晴れ晴れしいフリーネの笑顔に、武蔵はたまらず叫んだ。
「写真もカラスも関係ねえじゃん!」
何をどう聞き間違えたら、写真忘れたカラスになるのか。
百歩譲って、そのように聞こえるとしても、語感が似ているだけで、ほぼノーヒントだ。
答えに辿り着くわけがなかった。
無駄足を踏みまくった挙句、先生方にも迷惑をかけたという事実に、肩が重くなる。
しかしこれでようやくスッキリすることができた。
もしも解決できなかったら、一週間は眠れない夜が続く自信があった。
「うっし、意味もわかったことだし、本格的に楽しむとしますか。和也も一緒に行こうぜ。どうせもう暇だろ?」
武蔵の問いに、和也は答えなかった。
ただ首を傾げ、こう言った。
「それはそうと、舞はどうした? 一緒に回るんじゃなかったのか?」
血の気が引いていくのが分かった。
顔がたちまち青ざめていく。
この世の終わりが差し迫ったような感覚だ。
舞のことをすっかり忘れていた。
写真忘れたカラスとかいう無理難題のせいで、完全に脳の片隅に追いやられていた。
「やべえ! 忘れてた!」
武蔵は慌ててスマートフォンを取り出す。
通知が一件だけあった。
僅かな希望にかけて、震える指でタッチすると――
『お邪魔みたいだから、私はクラスの子といるね』
武蔵は死んだ。




