第十六話 文化祭①
武蔵は腕を組み、指をしきりに動かしていた。
じきに開会式だというのに、和也が来ないのだ。
遅れてくるとは言っていたが、既に五分を切っている。
さすがに心配になって出てきたが、いまだに姿かたちも見えない。
おかげで資金が注ぎ込まれたであろう、立派なホールの入り口で、一人寂しく苛々する男になってしまった。
「おい和也! 開会式が始まるぞ!」
「わかってる! すぐに行くよ!」
武蔵は大きく手を振った。
制服を着ながら駆け寄った汗だくの和也を、上から下まで眺めて言った。
「もう始まるってのに、まだ練習してたのかよ」
「最後の調整をちょっとな。間に合ったんだし、オールオーケーだ」
和也は汗を拭い、爽やかに言った。
背後からは全速力で走るダンス部生徒がいる。
練習熱心なのはいいが、せめて一○分前には着替えを済ませておけよと思わずにはいられなかった。
「行くぞ。時間ギリギリだと目立つんだからな、ったく」
武蔵は悪態を吐きつつ、会場に入る。
ほとんどの生徒が既に席についている中を歩くのは、勇気がいるものだ。
戦闘時にあんなにも派手で目立つ恰好のスーツを着ていても、度合いに関係なく、恥ずかしいものは恥ずかしい。
和也の後ろにはダンス部の生徒が続いて入り、それぞれの席に座った。
「遅いぞキリュー。時間通りに着席できればいいというのものではないぞ」
「今後は気を付けるよ。フリーネさん、開会式が始まるから起きないと」
クルミの小言に返答し、椅子を二つ使って寝ていたフリーネの肩を揺らす。
起こされたフリーネは、上半身を反らし、大きな欠伸をする。
「カズくんおはよー。ごめんね椅子とっちゃってー」
「おはよう。ほら始まるから制服整えて。スカーフとかめちゃくちゃだよ」
「ありゃりゃ。カエデちゃん直して……って、いないんだった。カズくん直して」
「まったくもう……」
和也は額に手を当てるも、無駄に時間を取ってもいられない。
慣れた手つきで、フリーネのスカーフを綺麗に結んだ。
いつもなら楓がやってくれるが、現在彼女は別の場所にいる。
「まもなく時間になります。生徒のみなさんはお静かにください」
司会の声が、会場に響いた。
やたら重々しく、渋い声だ。
文化祭らしからぬ声に吹き出しそうになる生徒もいるが、フリーネに至っては爆笑しかけ、和也に口を抑えつけられていた。
会場を照らしていたライトが徐々に暗くなり、奥の舞台のみ光が集中する。
ざわめいていた会場が静まっていき、沈黙が流れる。
「それでは第一八回清条ヶ峰学園文化祭、開会式を始めます」
周りが静まり返っているからか、フリーネは抑えつけられて間もなく、姿勢よく席に座りなおした。
和也はほっとして、舞台の方へ向く。
「開会の言葉。学園長挨拶」
クルミの視線が鋭くなる。
周りの生徒が感じる緊張感とは別の張りつめた空気が、和也とクルミに流れる。
出てきた人物は、白髪の人の良さそうな老人だった。
背格好的に、楠が変装しているのだろう。
クルミが露骨に眉を顰め、目を閉じた。
(やっぱり本人は出てこないのか)
清条ヶ峰学園の学園長の姿を見た者はいない。
通常業務を行っているのは、主に変装した楠だ。
期待はしていなかったが、学園長の名には興味を覚えずにはいられなかった。
「ただいまより、第一八回清条ヶ峰学園文化祭の開会を、ここに宣言いたします」
楠がすらすらと宣言を言い終えると、議員から大企業の社長やらの、長ったらしい挨拶が始まった。
フリーネは首が上下し、武蔵は苛立っているのか登壇者を睨んでいた。
クルミは瞑想状態で、話を聞いているのかどうかすら定かではない。
「生徒会長挨拶」
紗和が登壇する。
かの女神の登場に、男子は色めき立ち、一部の女子からも黄色い歓声が沸く。
途端に武蔵は身を乗り出し、クルミは片目を開いた。
「皆様、おはようございます。今期生徒会長を務める藤堂紗和です」
たった一言だけで、場は静寂に包まれる。
このカリスマ性は、前生徒会長の宣親とは比べものにならない。
神々しささえ感じる姿は、まさに女神だ。
紗和が口を動かす度に、男子達はだらしなく頬を緩めた。
次の恋に移行済みの武蔵ですら、にやけている。
時にユーモアを交え、硬すぎず、砕けすぎず、紗和はスピーチをこなす。
「藤堂先輩はやっぱ綺麗だよなぁ。マジ女神だわ」
武蔵が思わず本音を漏らすと、クルミの冷たい視線が襲う。
意図を察した武蔵は、片手で口を覆い、空いた手で謝罪の意を示した。
(ちっ。黙って話を聞けんのか、この塵は)
(先輩とクルミちゃんじゃ、持ってるモンがちげえもんな。配慮が足りなかったぜ)
紗和のあれとクルミのあれを見比べて、仏のような笑みを、クルミに向かって浮かべる。
クルミが知ったら、あの世送り間違いなしの勘違いだ。
「委員長挨拶」
舞台の脇から、楓が出てきた。
いつもの真顔だが、緊張しているように見えた。
楓の登場に、フリーネは目を覚まし、武蔵も柔らかな目付きとなる。
壇上に立った楓は、背筋を伸ばし、凛とした姿勢で口を開く。
「皆さん、おはようございます。今回実行委員長を務めさせていただく立花楓と申します」
すっと耳に入ってくる。
淀みなく、聞き取りやすい言葉だ。
E組とは真逆の位置にいる舞の方に向くと、胸を撫で下ろしているのが見えた。
「青く澄み渡った秋空の今日、このように文化祭を開催できますことは、実行委員一同、大変嬉しく思います」
楓は堂々と会場を見渡し、話を続けた。
そこに辺りを窺って、引っ込んでばかりの少女の姿はない。
「カエデちゃんすごいね」
フリーネが耳元で囁きかける。
「ああ。風格を感じるよ」
「いつもの真顔だけどねー」
「それは、まあ確かに」
式の最中に、喋りっぱなしというわけにもいかず、程なくして会話は途切れた。
和也もフリーネも、楓の演説に夢中だ。
「本校の文化祭は、豪華な設備を利用したアトラクションや、世界的に活躍する雑技団やアーティストの方々を招くなど、全国的にも注目されています」
しかしと、一拍置く。
「文化祭は、我々学生が中心です。生徒が一丸となって作り上げた屋台や、毎日遅くまで練習して磨き上げたパフォーマンス。世界的大スターにだって負けないと、私は確信しています」
楓の言葉に、会場中の人々が耳を傾ける。
彼女を知っている者ほど、この光景に目を疑うだろう。
委員長となって、ましてや演説をするとは想像もできない。
和也は出会った当時を思い出す。
言葉は簡潔で、冷たい印象だった。
それが和也が知った、最初の楓だ
しかし話してみれば、友達の欲しい寂しがりやで、驚いたものだ。
しばらく広場のベンチで雑談をしたり、どうやったら友達ができるか相談もした。
真顔で周りを気遣い、空回り気味だが一生懸命な少女。
二番目の楓だ。
今では、そんな二番目の楓からも、さらに変わる。
入学して、色んな物を吸収し、成長したのだ。
生まれや牛鬼のような戦闘狂ストーカーに悩んでいた時期が、遠い過去のように感じる。
(本当に良かったなぁ)
かつてを思うと、和也は目頭が熱くなってしまった。
彼女の変化を目撃した身として、その感動もひとしおだ。
清条ヶ峰学園への入学は、楓にとって大きな転換点なのだと思う。
もしも和也が少しでも役に立っているのなら、嬉しい限りだ。
「……これで話を終わります。ありがとうございました」
楓の演説も終了し、開会式も終わりが近い。
和也は中学校をまともに通えず、文化祭に出るのは初めてだ。
目いっぱい満喫してやろうと、改めて固く決意する。
久しぶりに年相応な笑みが、和也からこぼれた。




