第十五話 文化祭に向けて④
「まだ会議室開いてたらいいんだけどな……」
和也は早足で、階段を登る。
文化祭の飾り付けの材料がなくなってしまったので、取りに向かっているのだ。
一緒に作業をしていた面子は既に帰宅した。
和也が明日早く準備ができるようにと、勝手にやっている。
会議室には光が灯っていた。
まだ作業者がいるのだと思って、扉を開いた。
「失礼します。あれ……」
和也は一点を凝視する。
彼の視界には、楓がいたのだが、これは予想していなかった。
かすかに寝息が聞こえてくる。
楓は机に突っ伏し、両腕を枕にして、ぐっすりと眠っていた。
楓がここ最近ずっと働き詰めだったのは、和也も知っている。
起こすのは躊躇われる。
音を立てないように扉を閉め、時計を確認する。
まだ時間的には余裕がある。
和也は制服の上着を脱ぐと、楓に被せた。
(しばらく寝かせといてあげよう)
楓の心地よさそうに眠る顔を見て、頬を綻ばせる。
近くの椅子を引き寄せて座ると、背負っていたリュックから本を取り出した。
★★★★★
「ん……」
楓は目をうっすらと開く。
目に映る物は黒みがかっていたが、すぐに黒色は剥がれていった。
窓を見れば真っ暗、時計を見れば一時間半経過していた。
楓の記憶が正しければの話なので、もっと寝ていたのかもしれない。
起きたばかりなのに、また暗闇に包まれた気分になる。
これでは何のために残って作業していたか分からない。
気が緩んでいた証拠だ。
自己嫌悪に陥りつつ、ふと前を見ると、
「おはよう、立花さん」
和也が楓に向かって微笑んでいた。
初めは理解できず、首を傾げた。
想い人がここにいる理由が見当たらなかった。
夢かと思って、頬をつねってみる。
痛い。
どうやら現実らしい。
肩には和也の物と思わしき、制服がかかっていた。
あったかくて気持ちがいい。
(え!? 桐生君!?)
胸中で、楓の驚きが炸裂する。
表情こそ真顔だったが、内心はてんやわんやの大騒ぎだ。
(つまり寝顔見られたってこと!? 恥ずかしいぃ! 死にたい!)
和也と視線は合っていたが、楓は和也を全く見ていない。
とにかく平静に努めるのに必死だった。
「起こすのは悪いかなと思ってさ。疲れていたみたいだったから」
和也は本を閉じた。
どうにかして返事をしようと、言葉を模索する。
「う、うん」
大した言葉が出てこず、曖昧な応答が口から飛び出した。
しかし、自分の置かれていた状態は、朧げながら、分かってきた。
おそらく寝てしまって無防備になった楓を、和也は見守っていてくれたのだ。
本を読んでいたことから、かなりの時間待っていてくれたとも考えられる。
上手い言葉は思いつかないが、場の空気を読むことにかけては、楓はクラスで一番だ。
「わざわざ御免なさい。時間を取らせてしまって」
「俺のことはいいんだけど、相当疲れてたみたいだね。入ってきても気づかないしさ」
「たくさん、やることがあるから。でももう大丈夫」
楓はぎこちなく笑う。
嘘だと丸わかりだ。
和也は椅子を片づけて、机の上に整頓された書類を見下ろす。
「俺も手伝うよ」
「いや、でも……」
「時間」
和也の指の動きにつられて、楓も時計を見た。
同時に内心で呻いた。
この時間では、一人で作業を進めたところで、進展はなさそうだ。
一人よりも二人。
和也なら他人に言いふらすこともないと信じている。
楓は素直に諦めた。
「お願いします……」
「おっけ。じゃあやりますか」
楓の対面に座る。
書類を手に取るが、一分もしないうちに動きが止まる。
「……ちなみにどういう作業?」
「クルミちゃんが楽しめる行事探し」
「もしかして実行委員になったのって、それが理由?」
「うん」
意外にも早く立候補した理由が判明し、少々面食らってしまった。
クルミが知れば、まず間違いなく「余計なお世話だ」と言うだろう。
隠していたのにも頷ける、納得の理由だ。
「そっか。クルミちゃんが好きそうなイベントか。だから世界の祭辞典とかゲームブックとか、そんな本があるんだ」
「クルミちゃんには言わないでほしい」
「了解」
和也は作業の意味を理解し、本格的に作業に取り掛かる。
時間も残り少ないし、手早く済ませないと、教師に追い出されてしまう。
「クルミちゃんが好きなのはゲーム。でもゲームだけ集めても……」
「ゲーム以外だと、クイズとかスポーツの試合かな。というよりジャンル関係なく、順い位がつけば、1位狙いだし」
「確かに。いつも凄い」
「なら大会系も導入する? クルミちゃん以外も楽しめると思うよ」
「委員会で言ってみる。きっと通る」
可能性があるのなら、試してみるべきだ。
楓の一五年間の生で、可能性を考えたことはなかった。
夢は何度も思い描いていたが、それは今に不満と不安があったからだ。
だが入学してからは、先を明るく思えるし、楽しい。
未来はもっと楽しいかもしれない。
楓はいつしか、物事を前向きに捉えるようになっていた。
「トーナメント方式にするかバトルロイヤルにするか、どっちにしようか」
「とりあえずバトルロイヤルはないと思う」
二人で打ち合わせしながら、着実に案を絞っていった。
楓の表情は変化しないが、声はやや高くなっていた。
和也と二人きりでも緊張せずに、状況を楽しんでいる。
前にはなかった精神的な余裕だ。
委員会とクルミのことで意識が持っていかれている部分が大きいため、仮初めの余裕ではあるが。
「でもわざわざ委員長にならなくても良かったんじゃない?」
和也はふと思ったことを口にした。
手は動いたままだ。
「うん。私もそう思う」
楓も素直に同意した。
目は書類に向けたままだ。
「まさかの返答で驚いてるよ」
「御免なさい」
律儀に頭を下げて謝罪する。
正直これには和也も、上手い返しができずに苦笑いだ。
「じゃあ何で委員長に?」
「それは……」
楓は作業を止めて、和也を見据えた。
クルミのためであるのは第一の理由だ。
(でも、きっとそれだけじゃない)
一番の理由に隠れているが、他にもある。
他の理由は何だろうと考える。
学園に来るまでの人生と、学園に来てからの生活を振り返れば、答えは自ずと浮かび上がってきた。
「皆が大好きだから」
楓は当たり前のように言った。
嘘偽りのない本心からくる言葉だ。
クルミに楽しい思い出を作ってあげたい。
クラスの皆にも、幸せな気分であってもらいたい。
楓が今学園に居られるのも、和也やクルミやフリーネや武蔵のおかげだ。
楠にも勉強で面倒を見てもらい、相談にも親身に乗ってくれている。
清条ヶ峰学園に誘ってくれた学園長にも、感謝してもしきれない。
楓に関わってくれた人々が、全てが愛おしく、大切だ。
彼らを思うと、心が温かくなる。
幸せを貰ったぶん、倍以上に幸せを返したい。
「委員長の立場の方が色々と便利……相応しくないとは思うけど」
後悔はしていないが、想像以上に忙しい。
楓自身も未熟で、こうして手伝ってもらわなければ、満足に仕事も行えない。
まさに穴があったら入りたいぐらいだ。
笑われる覚悟をして言ってみたが、返事が来ない。
心配になって、黙ったまま楓を見つめる和也に尋ねた。
「桐生君?」
「ん? あ、いや何でもないよ。何か立花さんらしいなって」
和也は気恥ずかしそうに、頬を掻くと、取り繕うように言った。
心なしか、焦っているようにも見える。顔もほんの少し赤くなっている。
急にどうしたのだろうと思ったが、追及する気はなかった。
「でもそれなら普通にクラスで企画立てればよかったのに」
「それは言わないで」
楓は何だかむず痒くなってしまう。
実行委員になったのも、正しいとは考えているが、やはりそう言われると、自信がなくなってくる。
「それにしても、もうすぐ文化祭か。実は結構ワクワクしてるんだ。文化祭とか初めてだから」
「桐生君も?」
「中学入って最初の夏に、異世界に拉致られたんだ。ツイてないよ」
「ツキがないで済ませるんだ……」
「終わったことだし、運が悪かったってことで大体納得してるかな。まあ向こうに行かなかったら、こうして皆に会うこともなかっただろうけどさ」
和也が何気なく言うものだから、大したことのないように思えてしまう。
楓は四年も異世界に放り込まれたら精神的に参りそうだ。
武蔵やフリーネは現地の人と意気投合して、順応しそうなイメージがある。
ただ最近は、こうして昔のことを話してくれるようになり、ちょっぴり嬉しかったりする。
もっと仲良くなれば、もっとたくさんのことを話してくれるかもしれないと、淡い期待が宿る。
(もっと仲良くなる……それってつまり……ふわっ!)
妄想に歯止めがきかなくなり、夢の世界にトリップしそうになる。
うっかり和也の前で醜態を晒すところだった。
妄想は部屋ですることに決めた。
足音がした。
ハルが入ってくるのを見て、時間切れなのを悟った。
和也は会釈し、書類を片づけ始めた。
「お楽しみのところ悪いデスガ、そろそろ帰宅してくださイ」
「はい。すぐに帰ります」
楓も資料を鞄に入れ、和也がまとめた書類をファイルに挟んだ。
手際よく行えたので、一分ほどで片付け終わった。
「飴チャン、要りまス?」
ハルが袋を振ってみせた。
美術の担当教師の彼は、文化祭に出品する作品のために、毎日夜遅くまで学園に残っている。
口の慰めに、飴を食べていたのだろう。
気さくな性格で芸術家気質のハルを、楓は密かに尊敬していた。
しかし、常に飴の入った袋を持ち歩くのはどうだろうと感じる。
「いただきます」
和也が袋の中に手を突っ込んで、飴を取り出した。
貰わないと引き下がってくれないことを、和也は知っていた。
掴んだ飴玉の一つを、楓の手のひらに置く。
「眠気覚ましになりますヨ」
ハルは飴を掴んで、口に放り込んだ。
楓もそれに倣って、食べてみることにした。
甘酸っぱい味がする。
飴の味のように、甘酸っぱい青春が送れたらいいなぁ。
楓は呑気にそんなことを思った。




