第七話 登校日
「そういや、お前って勇者?」
「そうだよ」
夏の最盛期真っ只中。
全裸で氷に抱き着きたくなる暑さだ。
遠方がぐにゃっと歪んで見えた、ある日。
とある学園の、とある一室で、そんな短い会話がなされた。
会話の主は、暑さに死んでいる服部武蔵と、涼しい顔で読書を嗜んでいる桐生和也だ。
今日は登校日で、久々に全員が学校に集まっていた。
積もる話、なんて大げさではないが、各自夏休みでの思い出話に花を咲かせている。
そうして極々自然に発せられた言葉は、周囲に違和感なく溶け込んでいった。
(え、それ言っていいの!?)
誰も気にしていない中、ある人物は異常に反応していた。
立花楓。
実家での修行を終えて、身も心も成長し、同室のフリーネに「大人っぽくなったねー」と感想を述べられ、嬉しくなっていた少女だ。
フリーネがちょっかいを仕掛けてきても、軽く流せるようになり、自分でも変わった自覚がある。
そんな楓は、いつもの無表情で読書中だったが、頭は混乱状態に陥っていた。
牛鬼事件時に、本人から「俺、勇者だよ」などという極めて簡潔かつ信憑性に欠けた話を一度しただけで、あれ以後教えてもらった覚えはない。
和也が嘘を言う理由もないし、勇者と呼ばれる存在が日本にいるとは風の便りで聞いていた。
周りの人々に話した様子もなく、もしかして二人だけの秘密なのではと最近思うようになった事もあり、楓としては非常に気になって仕方がないのだ。
成長とはいったい何だったのだろうか。
「あー、やっぱり?」
「うん」
「まあ時期的に見ても、化けモン並の戦闘力を見ても、お前しかいねーとは思ってたわー」
「そうか」
しかし本人達は実にどうでもよさそうに話しており、会話に進展がない。
早く、早く、と内心で急かす楓は、無意識にページを捲る速度を加速させていた。
「最初にそう言えばよかったじゃねえか。異能者じゃなくてよ」
「勇者の名前がどういう影響あるか見当もついてなかったし、まあいいかなって。で、実際勇者って価値あった?」
「んー、あんまりねえ」
「だろうなぁ」
汗一つかかずに本を読む和也と、団扇で扇ぎながら暑さをごまかす武蔵は、淡々と言葉を紡ぐ。
「異世界っつうのは、資源とかその他諸々、やべえ価値はあるけどよ、そういう話は全部クルミちゃんに回ってくじゃん? 自分から異世界の魔王名乗ってるし、各地の勢力と積極的に交流してるしな」
「おい私を讃えるのなら、全く足りておらんぞ? 全身全霊を以ってして、私を賞賛しろ」
「ハットリーヌがかわいそうだよー、クルミちゃん」
平然と武蔵を罵倒するのは、異世界の魔王ルーキフェル=イブリス=クルミナレッテだ。
透き通るような銀髪を二つ結いにし、何とか中学生に見えない事もない体型が特徴的だ。
隣の赤髪ドラゴン巨乳少女、フリーネ=ドラゴニックに一方的に絡まれていて、やや不機嫌気味だった。
武蔵はまともな名前で呼ばれない現実に、若干の悲しみを覚えながらも、続けた。
「……えーとだな、まあ要するにあれだ。魔王より価値が無いんだよ勇者は」
元々異世界との繋がりが濃い魔王に対し、勇者は情報不足で全体として後回しとなっている節があった。
しかも魔王が各地で人材の勧誘や技術の吸収を行い始めた為に、勇者の名前はどんどん地下に潜っていたのだ。
実際、異世界へ渡る手段を持つ魔王と、強制的に拉致され、送還されてきた勇者との差は明白だ。
和也が異能者支援制度に加入するための面接でも。
『四年近く行方不明だったとのことですが、空白の四年間、何をしておられましたか?』
『異世界で勇者になっていました』
『そうですか。大変でしたね。次の質問ですが――』
と、言ったように、軽く流された。
冗談として処理されてしまっているのか判断しにくいが、反応を見る限り、勇者の名前の重要性は低そうだった。
「学園長の庇護下にいるってのも大きいな。なんだかんだで影響力絶大だかんな」
「かなり騒動起きてると思うけど、そんなにか?」
「去年までは、でっかい事件なんて滅多に無かったからな。変に仕掛けてくるのはただの馬鹿だ」
「それって同業者も馬鹿ってことになるんじゃ……」
軽い調子で牛鬼、甲賀忍者、吸血鬼を馬鹿で一括りにする。
楓も前もって学園について調べていたが、目立つ騒動はほとんど見当たらなかった。
今年のように事件が立て続けに発生するのは、稀だと言える。
「まあ、お前が異世界と連絡とか出来る手段持ってんなら別だけど、あるか?」
「ない」
「ならいいじゃん。あったら利用されるだけだし、その方が断然平和に暮らせる」
「そもそも何で広まったんだろうな、異世界帰りの勇者。ほぼ誰にも言ってなかったのに」
「特別な力を持った連中なんていくらでも居るからな。どっかから情報手に入れたかもしんねえが、学園長あたりじゃね?」
「やっぱりそうかなー」
和也は本を閉じて、武蔵に尋ねるが、彼もまた曖昧な返答しかできなかった。
勇者の存在を言いふらしたのは、例によって魔王なのだが、その張本人はフリーネの頬を強く捻っていて、問答に介入することはない。
(あれ? 皆、意外とどうでもよさそう? あれ? あれれ?)
楓は何事もなく進行する会話に戸惑いを覚えていた。
異世界帰りの勇者だと発覚したのに、この適当な扱いはどうなのだろうか。
というよりも、誰にも言わないよう気を付けていたのが馬鹿らしくなってきた。
「つーか異世界で勇者ってことは、浪漫溢れる大冒険してきたんだろ? あー俺もしてえわ、隠された秘宝だとか、お姫様助けたりとかさ」
猛暑に殺され気味だった武蔵の瞳に活力が戻る。
夢に満ちたファンタジー。
剣に魔法に冒険。
其処には悪竜を打ち倒す英雄がいて、美しいお姫様がいる。
迷宮に隠された大秘宝がある。闇を葬る伝説の聖剣がある。
現代日本では到底ありえない世界が広がっている。
興味が湧かないわけがなかった。
そして実際に異世界に渡った人間が隣に居る。
勇者の正体が誰か気付いた時から、ずっと異世界について訊きたかったのだ。
幼い子供の純真さを宿した眼差しを、和也に向ける。
「いや、特に秘宝もお姫様も冒険もなかったけど」
それを異世界帰りの元勇者は、容赦なくぶった切った。
「は? 異世界だろ? ファンタジーだろ? マジで言ってんの?」
予想外の返答に、椅子から体を起こす。
もっと期待していた通りの答えがあるはずだと、訊き直さずにはいられなかった。
「マジだよ。お姫様とか王族とかそういうのは全く。一応象徴的な意味で王様って呼ばれてる人はいるけどね」
「じゃあ古の大秘宝の眠る大迷宮は? お宝ゲットは?」
「ない。あの世界の人達が、そういう危険物は破壊してたらしいよ。というかそれ勇者じゃなくて、トレジャーハンターの仕事じゃないか?」
「じゃ、じゃあ世界を救う大冒険は?」
「こっちから仕掛けなくても、魔王本人が最前線に来てたからなー。遠出自体あまりなかったかな。あ、でも野宿とかは何度か」
「女の子にモテた?」
「いやあっちの風習で、皆生まれた時から相手決まっててさ、モテるなんて現象が起こる筈がないよね」
「……お前勇者になっていいことあった?」
「料理と編み物が上手くなった」
武蔵はゆっくりと己の顔を両手で覆った。
清々しい笑顔で言い放つ親友の姿が、何故か哀れに見えてくる。
「ずっと戦ってたり、訓練してたわけじゃないから、暇な時間は編み物とか結構してたんだ」
「そ、そうか」
「初めは下手くそだったんだけど、練習してたら意外と上達してさ、今じゃ服から小物まで何でもござれさ」
「…………」
「特技はかがり縫いだ」
「もうお前の口縫っていいか?」
ファンタジーの欠片もない勇者の実体験に、心からこの口を縫い合わせてやろうかと思った。
これ以上夢を壊さないで欲しい。
もはやそれだけだった。
「まあそう言うなって。空に浮かぶ城やら黄金の海とか、ちゃんとファンタジーしてたよ。あの世界に住んでる人達も、人間だけじゃないしね」
「俺は大冒険とかそっちのがいいの! 冒険しろよバカ! むしろ俺に冒険させろアホ!」
「確かに冒険できたら楽しかっただろうなぁ。月っぽいのが浮いてたり、現地の言葉が変な日本語に翻訳されちゃって、妙な地球感あるけど」
二人の会話は、段々と噛み合わなくなりつつあった。
片や夢のファンタジーを粉々にされて、俺の幻想を返せと怒る忍者。
片やかつての出来事を振り返り、懐かしむ元勇者。
どうでもいいすれ違いが始まりかけていた。
「いいや待て! 異世界ならまだクルミちゃんのとこがあるじゃねえか! 冒険あんの? 秘宝あんの? ねえどうなの!?」
「黙れゴミ。耳が汚染される」
「頼むよ! お願いだ! 俺の夢が崩壊の危機なんだよ!」
「ええい近づくな! 握り潰すぞ!」
武蔵の魂の叫びを一刀両断する。
心底不愉快そうに、迫る武蔵の顔面を払いのけていた。
一方クルミが武蔵に囚われ、暇になったフリーネの意識は、和也に向けられた。
「ねーカズくん」
「どうかした?」
「勇者って、なあに?」
この突然の哲学的質問に、深い意味はない。
特に何か考えていたわけでもなく、ふと思い付いたことを口に出してみただけだ。
彼らの会話における勇者が、仕事なのか、称号なのか、はたまた人種なのか。
勇者とはなるものなのか、なっているものなのか。
湧きあがった好奇心の、純粋な問い。
身も蓋もない言い方をすれば、就寝前に、「人が死ぬとどうなるんだろう」と考えてしまって眠れなくなるソレと同じだ。
けれども和也は、悩む素振りすら見せず、即答する。
「誰かの希望になれる人だと思う」
力強く、はっきりと紡がれる言葉。
その瞬間、武蔵の動きが止まり、吹きだした。
「うわくっさ! さっむ! 鳥肌立ってくるわ!」
「急にこっちに戻るなって。いいじゃないか、勇者はそう在るべきだ」
「ほーん、自分は誰かの希望と自称しちゃうのか桐生和也くーん?」
「そう言われると恥ずかしいけど、武蔵も前口上とか技名とか叫んでる時点で……」
「俺は無理やり叫ばされてんの! 俺の意思は全く介入してねえの! 自発的にンなことは言わねえんだよ!」
「本当かなぁ」
くだらない言い争いに発展しかけている横で、フリーネは何度も頷き、納得した様子で、自席に座った。
完璧に呑み込めないにしろ、ちょっとした疑問の答えとしては充分だった。
ちなみに、すっかりページを捲る手が通常運行になっている楓は、
(やっぱり桐生君は格好いいなぁ……)
勝手に自己完結していた。
そうして異世界関連の話も終わり、それぞれが雑談へと移り変わっていく。
「ねえカズくんとハットリーヌー、今度夏祭りがあるみたいなんだけど、一緒に行こうよー。最近遊んでないしさー。カエデちゃんも来るよー」
「夏祭りか、いいね。行くよ。武蔵は?」
「とーぜん参加だわ。断る理由がねえ」
「やったー! クルミちゃんはどう?」
フリーネの言葉に、武蔵は胸中で不安を覚えた。
クルミが嫌なわけではなく、彼女を夏祭りに誘って応じるのか、という話だ。
最近は忙しいようで、日本中、世界中を、巡っているらしく、滅多に街にいないと聞いている。
来てくれたら嬉しいが、来ない確率の方が断然高い。
武蔵よりも遙かに仲が良いフリーネなら、そんなことは分かっているだろう。
「構わんぞ」
拍子抜けするほどに、クルミはさらっと答えた。
「ほんと!? これで全員で遊べるね!」
「しかし祭りか。準備が必要だな。この後全員、我が家に来るといい。」
「え、俺もいいのかクルミちゃん!」
「貴様は……まあいい。来い」
「よっしゃ!」
武蔵の不安は大気圏外に吹き飛び、女子の家に入れるという事実に、狂喜乱舞する。
心底嫌そうな顔をしていたが、入れるなら、それで良いのだ。
「………………」
「カエデちゃーん! 話聞いてるー? 今度クルミちゃんの家で夏祭りの計画立てるって! カエデちゃんも行くよね? 行くしかないよね!」
「う、うん。聞いてるよ。私も行く」
彼らの夏休みは、続く。




