第六話 それぞれの夏休み 桐生和也の場合(後)
吸血鬼の出現に、和也が動揺することはなかった。
それどころか、吸血鬼に背を向けて、呑気に寝る準備に入っている。
月光に照らされ、どこか幻想的な雰囲気を醸し出すペーテルだったが、和也の素っ気ない反応に、渋い顔をした。
「つまらないな。ここは何故生きているとでも問い掛ける場面ではないか? なあキリュウカズヤ。私と話をしよう」
話したがりの性分だけに、無視を決め込まれてしまうと、つまらないことこの上ない。
ペーテルの存在を完全にないものとする和也の気を引くため、周りを物色しようと手を伸ばす。
常人の感性を持ち合わせているならば、不快感を示してくるはずだ。
(今のあなたじゃ、何も触れられないですよ)
ペーテルの動きが止まり、首を和也の方へと向ける。
耳にではなく、内から響くように声が聞こえた。
「ほう、頭で念じるだけで会話が成立するのか。口に出して語り合う方が好みだが、贅沢は言えないか」
試しに他の物にも触れようとするが、溶け込むように通り抜けてしまい、徒労に終わる。
諦めたように嘆息すると、窓際に寄り、腕を広げて全身で月光を浴びる。
「こうして再び月の光を目にできるとは、長生きもしてみるもの……いや違うな」
(状況は理解していますね。今のあなたは……)
「死んでいる、だろう? 此処にいる私は本体の欠片。お前の能力がそうさせたのだろうが、なかなかに面白い力だ。ふむ、興味深い」
(一応コピー能力の筈なんですけど、体質同化させると本人の人格も取り込んでしまうみたいで)
己の能力の無駄な幅広さに、能力者の和也も苦笑する。
異能『劣化コピー』その名の通り、他者の能力を劣化させて我が身に写す能力だ。
そして単純な超能力コピーに、体質同化という相手の身体の特徴を自分にコピーする力の、二つの要素を備えている。
超能力コピーのストックは二つで、古い物から消えていくが、体質同化は一生残るといった違いがある。
体質同化させた際に、体の骨が、血管が、神経が、ぐちゃぐちゃにされて再生するデメリットはあるが、基本的に強力な能力だ。
ただし、一つ妙な点があった。
体質同化させた相手の自我が、何故か和也に宿るのだ。
種族も性別も年齢も関係なく、本人が既に死んでいようとも、その人の一部が、残る。
ペーテルのように時々表に出てくることもあり、場合によっては話し相手になったり、なってもらったりする。
体の所有者は和也で、隙を突かれて、他者の人格に乗っ取られるといったことはなく、特に困ることはない。
あくまで、彼らは欠片であり、本人を構成していた一部分に過ぎないのだ。
(話があるなら、聞きますよ。長話は遠慮してもらいたいですけど)
「殺し合った仲だというのに、随分甘いじゃないか」
(今後ずっと付き合っていくから、お互い腹を割って話そうってだけです。フリーネさんや子供達にしたことを許したわけじゃない)
「なるほど。君の意思は解った。早速だが一つ訊いていいか?」
(どうぞ)
体勢を逆にし、ペーテルと向き合う。
見上げる形となっているが、目は閉じたままだ。
傍目からは寝返りをうっただけに見えるだろう。
「お前の中には複数の魂が住んでいるが、何故今私が出てきたのか。理由を知りたい」
(あなたが一番最近コピーされたから、だと思います。くっついたばかりで剥がれやすい。剥がれるとは言っても、俺の外に出ることはありませんが)
「私は糊が渇ききっていない紙か? まあ人の中にいるというのも未知の経験だ。楽しむとしよう」
不本意な状況でも、全力で未知を探求し、弱さを知り、楽しむ。
死んでいようと、敵対者に取り込まれようと、彼の信念に変わりはない。
(じゃあ次は俺の番です。そうだな、本は好きですか?)
「好きだ。本は知恵と知識の宝庫だ。ただし物語性のある本に興味はない。見合いのつもりか?」
(まさか。どんな人間か、いや妖怪か知りたいだけですよ)
「現代ならネットで調べられるだろう。ペーテル=ブロゴヨヴィッチで検索すればいい。大した話はないが、私という妖怪を知るには充分なはずだ」
ペーテルは露骨に不機嫌になると、充電中のスマートフォンに目をやった。
確かに彼の言う通り、検索すれば、あっという間に答えを出してくれる。
だが、和也が求めているのは、そんな話ではない。
(伝承の話ではなく、ペーテルさんが生きて、見て知って経験したことを、俺は知りたいです)
「それを待っていたっ。私が未知に目覚めたのはある日突然のことだったのだが――」
堰き止められていた水が溢れだすように、自分を語りだす。
簡単に得られる情報の価値は限りなく低い。
相手の興味を引き付け、かつ、自らも楽しむのだ。
一旦始まると、ほぼ一方的に言葉を叩き込むペーテルだが、和也も一字一句聞き逃さず、きちんと食いついてくる。
ドラゴンは会話の大半を受け流していただけに、彼の弁にも熱が入る。
「――そして私はドラゴンに接触することとなり、今に至るというわけだ」
(おお、二時間ジャスト)
「私の生を語るなら、本来二時間程度では足りないがな。二四時間は余裕でいけるぞ」
(そうですか……)
徹夜コース確定だと思われていた矢先に、想定外の終幕。
要点を纏め上げ、無駄を省略していたそうだが、それでも二時間の時が費やされた。
語り癖、恐るべしである。
腹を割って話すと言った以上、和也も最後まで付き合う覚悟はあるが、少し心配になってきた。
ペーテルは顎をさすり、ふと思い出したかのように言った。
「先程のお前の母と妹の話だが、大切な人、というのがお前にもいたのだな。強い想いが私にも伝わってきた。その人間も中にいるのか?」
(彼女はいないですよ。それはともかく、伝わるんですか? そんなことは一度もありませんでしたけど)
「お前が言ったように、私は剥がれて、表に浮上しかかっていたからな。他の中の存在より聞き取りやすいのだろう。なんなら私が今後検証してやろうか?」
(いえ、それは結構です)
「そうか……なら隙を見て勝手にやるとしよう」
(やるんですか)
ペーテルは頬を緩ますと、さらに饒舌となって話を進める。
「私の肉体をコピーした影響で、吸血鬼の弱点も引き継いだな。日光に嫌悪感を覚えているだろう?」
(今日一日歩き回って、俺も痛感しました。元々色んな能力が混じっているから、太陽の光を浴びても灰になりませんし、鏡にも映ります。けど、こういうのはどうにもならないようで)
「日光は吸血鬼最大の弱点だ。嫌悪感程度に収まったのは、実に幸運。次は相手を見てやれと言いたいが、いざとなれば関係ないな。合理的なんてモノは糞喰らえだ。お前も同じ考えの筈だ」
(よく解ってるじゃないですか、俺のこと)
「中に居れば、多少はな」
体質同化は、相手の良い点も悪い点も、全てひっくるめてコピーする。
弱点の多い性質をコピーしてしまえば、和也にも劣化した弱点が定着させられる。
ペーテルの言葉は正しい。
相手の特徴を考慮し、慎重に使うべきなのだが、緊急事態時に、そんなことは言っていられない。
「だが私の宿主に死なれては困るぞ。クラスメイトでも利用して、上手く立ち回ってほしいものだ」
(それは賛成できません。俺にそんな器用な生き方はできないですから)
「早死にする類だな。やれやれ、私の第二の生は短そうだ」
ペーテルは呆れ果てて、天を仰ぎみる。
まるで英雄のような答えだ。
そして英雄は総じて、碌な死に方をしないと相場が決まっている。
和也は英傑かもしれないが、それ以上の存在とは呼べない。
英雄であろうとするなら、いつか死ぬ。
確信めいたものが、内から湧き出てくる。
「ときに、お前のクラスメイトに『混じり』がいたな。美しい弱者で、中々に未知が潜んでいる。未知の弱者、私の大好物だ……名前は、そう、タチバナカエデだ」
吸血鬼は楽しげだが、途端に和也の表情は厳しいものとなる。
「ドラゴンには及ばないが、『混じり』もまた私が探求するに相応しい事象だった。惜しい、実に惜しい。心からそう思う」
(ペーテルさんは、そのことについて知っていることは?)
「気になるか? なら教えよう、と言いたいところだが、生憎、私も詳しいことは知らない。探求する前に死んだからな」
恨めしそうに、鬼の目が和也を見る。
自業自得だと自覚はあるが、それはそれ、これはこれだ。
「ただ一つ言えることがあるなら、『混じり』はタチバナカエデだけではないだろう。複数いると考えていい」
複数という言葉に、和也の眉根が動く。
(根拠は?)
「彼女が生まれたのは約一六年前だぞ? 妖怪の新種とまで呼ばれているのに、次が生まれてこないのは妙だ。まあ主に経験則からくる勘だがな」
(俺も勘に過ぎませんが、あなたの言うことは正しいと思います。経験則はばかにできない)
「伊達に三桁は生きていないからな。信用するといい」
楓以外にも、『混じり』はいるのか。
和也も、疑問に思っていたことだ。
彼女のほかには存在しないと聞いていたが、少々納得がいってなかった。
最初の『混じり』が誕生してから十数年、本当に次の『混じり』は生まれてこなかったのか。
妖怪への知識も不足気味の和也でさえ思いつく程度は、とうの昔に調べられていると思い、口に出したことはなかった。
そんな和也を見透かしたように、ペーテルは言った。
「人間視点では、既存の妖怪を組み合わせただけの雑種だ。続々と生まれる妖怪への対処に精一杯なのだから、研究は進んでいないし、意欲もない。表向き実例は一人のみで、まともな調査も出来ない。都合の良いことにな」
妖怪の研究は日々進歩し、様々な対策や兵器が生み出されている。
だが妖怪は星の数ほど存在し、人が増えれば増えるほど、伝聞は広がり、力を強めていく。
人間が発展すればするほど、怪異もまたその影を色濃いものとするのだ。
物の怪の間で問題になっていたとしても、人間からすれば、変わった妖怪の一種だ。
楓自身が秘匿され、観察対象も見つからない。
調査が後回しになるのは必然的と言えよう。
「尤も、妖怪にとっては大問題なのだがな。両者の性質を受け継いでいる時点で、彼女は妖怪として正しくはない。例えば、咬んだ人間を狼にする吸血鬼がいるか? いないだろう? 二つが混じれば、もはや別の何かだ。根本的に今までの妖怪とは違う」
(なのに妖怪達は調査しなかったんですか?)
「この国の言葉にあるだろう。臭い物に蓋をせよ、触らぬ神に祟りなし、と。ここの妖怪は真実を暴くことより隠すことにした。そちらを優先した理由は……分からないでもないがね」
ペーテルはどこか寂しげに、ベランダから月を見上げた。
「新しきは古きを駆逐する。抗うことのできない時代の淘汰。それだけの話さ」
楓は始まりだ。
彼女を排除したところで、問題が解決しないことは、簡単にわかることだ。
いつか次が来る。
避けることはできない。
十年後か、一年後か、一か月後か、明日か。
いずれ必ず、その日はやってくる。
時代は変わる。
妖怪とて、例外ではない。
かつて牛鬼は楓を火種と称した。
つまりは、起爆剤だ。
楓がはじまりの『混じり』として表舞台に立てば、呼応する『混じり』が現れるかもしれない。
その影響が新たな『混じり』を生むかもしれない。
一人の新種を起点とし、連鎖し、古を排除する。
楓を辺境に閉じ込めていた理由だ。
「ふっ、感傷的になってしまったな。話足りんが、今日はこのくらいにしよう。次はより濃く、話を練り上げ、万全の態勢で臨むこととする」
拳を握り、口調に熱が入る。
するとただでさえ半透明だったペーテルが、どんどん薄くなり、最後には消えてなくなった。
和也の奥底に帰っていたのだ。
ペーテル=ブロゴヨヴィッチ。
新たな中の住人。
数多くの人が、中に存在するが、こんなにも際立った人物は片手で数えるほどしかいない。
己の中が賑やかになったことは、喜ぶべきか、悲しむべきか。
最後に嘆息すると、和也は眠りについた。




