第五話 それぞれの夏休み 桐生和也の場合(前)
青年は数人の友人を連れて、温泉旅行を楽しんでいた。
酔って騒いで、歌って踊って、また酔っては寝て。
朝から夜までどんちゃん騒ぎ。
そして遊び疲れた青年は、千鳥足で、宿泊する部屋に向かう。
やたらと酒に強い友人達は未だに飲んでおり、青年は一人で歩いていた。
部屋に入って、布団を用意しようとするが、すぐに面倒くさくなって、大の字で倒れて寝てしまった。
時間の経過も分からない。
頭がぐちゃぐちゃで、まともな思考もできない。
けれど不思議な幸福感に、青年は包まれていた。
そんな中、
「人の部屋で何してんだクソ虫」
温泉からあがって、頬を上気させている金髪の不良少女が、ドスの利いた声で、そう言い放った。
★★★★★★
「うふふ、それが私とお父さんの出会いなのよ~」
「いや誰だそれ」
舞の的確なツッコミが、母の桐生真美を襲う。
慎ましく、お淑やかで、墨のように黒く美しい長髪で、誰にでも丁寧に接する、桐生一家の自慢の母だ。
ことの始まりは、過労で入院し、最近退院した真美が舞と談笑していたときだった。
家族同士の他愛のない会話だったが、何かの拍子に父と母の馴れ初めになっていったのだ。
「あらあら、あなたのお母さんに決まっているでしょう? 私も少しお転婆だった頃だから、ほんの少し過激な物言いだったかもしれないわ」
「少しって言葉に謝ろうよお母さん」
母と妹の微笑ましい会話を、和也は部屋の隅っこで、読書をしながら聞いていた。
真美が退院したことで、家事を一手に引き受けることもなくなった。
そうして時間的余裕が増え、家ではこうやって読書したり、勉強したり、編み物をしたりして過ごしている。
「にしても、お父さん遅いね。いつもなら帰ってきてる時間なのに」
「今日は職場の方々と飲みに行くんですって。だから今日の晩御飯は三人で食べましょうね」
舞は一言、「そっかー」と答えると、また母との女子トークに花を咲かせる。
父はいないが、穏やかな時間が流れ、家にいることを実感する。
入学してから約四か月が経ち、月に一回のペースで大事件が発生し、解決に奔走した。
ほとんど自分から首を突っ込んでいったものだが、それでいい。
困難にも、絶望にも屈したくない。
悲しみに暮れる人がいるのなら、どうにかして救いたい。
そういう性分だ。
(この小説、面白いな。立花さんに借りて正解だったなぁ)
先ほどから読み進めていた小説が面白く、どんどんその世界に没入していく。
一昔前の推理小説らしいのだが、事態が二転三転と変化し、息を吐かせぬ怒涛のストーリー展開、散りばめられた伏線、そして終盤一気に回収されるカタルシス。
これを薦めてくれた楓には感謝の気持ちで一杯だ。
「お兄ちゃん? 私の声聞こえてる?」
舞がぽんぽんと肩を叩く。
和也には分からない美容グッズ関連や髪の手入れなどの話が展開され、さらに本の世界に没頭していたのもあって、呼ばれていることに気づかなかった。
栞を挟み、本を閉じる。
「ごめん、聞いてなかった。どうかしたか?」
「その本は楓ちゃんに借りたの?」
「そうだよ。立花さんが実家に帰る少し前あたりかな。その時に」
「ほお……!」
何度も頷き、感嘆の声をあげる。
途端に何か閃いたように、ぽんっと手を鳴らすと、こう言った。
「じゃあついでにさ、私にも楓ちゃんにお薦め聞いておいてくれない? 私も本を読んでみたい気分なんだー」
「ああ、いいよ。今から聞いてみるよ」
早速、和也は楓に電話をかけ始めた。
ここでメールでもなく、後回しにするわけでもなく、悩まずに電話を選ぶほどには仲が良いことが窺い知れる。
舞は意外にも関係を進展させている奥手の友人に、内心感動する。
感動していたのだが。
「あれ、圏外みたいだ。どこにいるんだろう」
和也は機器を耳から遠ざけ、残念そうにして通話を諦めた。
(ああもう楓ちゃん、肝心な時に出ないなんて……。せっかくのチャンスなのにっ)
心の中で悪態を吐いている妹を尻目に、和也は続けて言った。
「圏外ならしょうがないし、日を改めようか。まあ俺じゃなくても舞も立花さんの連絡先は知ってるだろうから、俺から連絡しなくてもいいか」
「え、私から連絡するのは……いやそうだね今度は私からしてみるよ! うん!」
わざとらしく語気を強め、和也の顔を盗み見るが、特にこれといった反応はなく、本に目が向いている。
(危ない危ない、うっかり口を滑らすところだった。お兄ちゃん勘いいし、気を付けないと)
やたらと鋭く、口に出さずとも、舞が困っているときに的確な助言や手伝いをする。
さすがに楓が和也を好きなことは気づいていないようだが、余計な真似をして、事態が悪化してしまうのは避けたい。
多少ボロを出しても、よほど和也が自惚れていなければ、確信に至ることもないはずだ。
尤も、楓の恋が成就するよう、最大限に妹の立場を活用させてもらう腹づもりだ。
「一緒に勉強してるだけあって仲いいんだね。いやー私としては何よりだよ、ほんと」
「言っておくけど、立花さんと付き合ってるとかはないからな」
「ふぅん。私は大歓迎だけどねー。お兄ちゃん、バレンタインで義理チョコだけたくさ
ん貰って本命は一個もない、どこまでいっても良い人止まりで、そのままお爺さんになりそうだもの」
「……気を付けるよ」
和也は苦笑交じりに、答える。
舞のやけに具体的な例に、そう言うしかない。
「あらあら、和也さんの恋バナ? お母さんも混ぜなさい」
「全部ゲロっちまいなよ兄ちゃんよぉ。へいへい」
「えぇ……」
今度は母も混ざって、矢継ぎ早に質問される。
クラスでいい子はいないのか、気になる子はいるのか、髪型やファッションに注意を払っているかだとか。
和也も困ってしまうほどに、質問の嵐だった。
正直に答えるのも憚られるので、適当に受け流す。
いくら和也でも自分の恋愛話を赤裸々に家族に話すのは憚られる。
「まあ、そういうのは俺の記憶が戻ってからで……」
「まーた記憶喪失ネタでごまかすー。いい加減嘘だって分かってるんだから、もうやめなよ」
「そうよ和也さん。四年間のことを話したくないのなら、言ってくれるまで待つわ。でも好きな女の子の話からは逃がさないですからね」
「えぇ……」
ぐいぐいと迫る母と妹に、頬をひきつらせる。
現在でも異世界でのことは記憶喪失と言って、誤魔化している。
真実を語ったところで信じはしないのだから、ずっと適当に躱すしかないだろう。
ただ、この場で満足するような答えを出しておかないと、解放されそうにない。
真美と舞の瞳は爛々とし、興味津々だ。
言い包められそうなネタを探して、ピンと閃いた。
小学四年生だった頃に、隣の席の女子が好きだった。
きっかけは笑顔が可愛かったからのような気もするが、記憶が曖昧だ。
和也は眉間を抑え、絞り出すように言う。
「そうだな、気になる子はいるかな」
「ほうほう! ちなみにいつから?」
「どうだろう。ずっと前からとだけ言っておく」
「そうやって具体的に言わないってことは行方不明のときか、小学校のときかなぁ。お兄ちゃん初恋とか大切にしそうだし。お母さんどう思う?」
「和也さんの初恋は小学校四年生の時でしたね。確かその女の子は中学三年の夏頃から男の子と付き合ってるわ。お母さんは学園の子を希望します」
「え、付き合ってる人いるの? そうか、時間の流れを感じるな……というか何でそんなことを知ってるんだ……」
突然発覚する事実に、割と本気で驚く。
さようなら初恋と、心で念じて、黙祷を捧げる。
そうこうしている内に、和也抜きで勝手に話は盛り上がっていき、完全に蚊帳の外だ。
これ以上、人の恥ずかしい部分をほじくられるのは勘弁なので、どうにか和也を放っておいてほしいものだ。
読書を再開しようと、本を手に取るが。
「そうそう、大切な人って響きがいいよね。大事とか好きでもいいけど、大切って言葉が好き」
「お母さんはそのどれよりも愛という言葉が好きよ。愛する人……ああ智也さんっ」
「まあた惚気が始まる予感……」
舞は呆れ果てた様子で母を見る。
母の惚気話は一週間に三度は必ず聞く羽目となっているので、和也も舞ももはや聞き飽きていた。
同じ話を繰り返しているわけではないのだが、単純に親の惚気に耐える精神性を持ち合わせていないのだ。
だから、いつもなら和也が丁度いいところで、話を終わらせていた。
けれど。
「あら、もうこんな時間。そろそろご飯にしましょうね」
「そだね。はいそこの自称記憶喪失も手伝って!」
「はいはい」
彼は呼ばれる瞬間まで、本を眺めたまま、間に割って入ることはなかった。
しん、と、静まり返って、隣から自然と寝息が聞こえてくる。
母と妹、そして帰宅した父が並んで寝ている。
部屋数がないために、一家揃って同じ場所を寝床と決めている。
四年間も離ればなれになっていた反動か、家族全員の満場一致での決定だ。
こうして家族で寝ることに、和也は喜びさえ覚えている。
「………………」
時刻は深夜一時を過ぎているというのに、和也は漠然と眺めていた。
恋愛話からすら脱線し、あらぬ方向に飛躍する彼女らの会話だったが、大切な人、その単語が心をざわめつかせていたからだ。
(大切か……。俺の大切な人は……)
異世界で出会った彼女の影が、脳裏に浮かぶ。
星を眺めるのが好きで、飽きることなく空を見上げていた。
特別な関係ではなかったし、そんな関係になる余裕もなかったが、彼女の存在は今も和也の心に深く根付いている。
誰よりも大切で、誰よりも幸せになってもらいたかった人。
(久しぶりに、あの日記でも見るかな)
異世界から帰還する際に、唯一この世界に持ち込んだ物。
あれには和也の全てが詰まっていると言っても、過言ではない。
思い出に浸るだけの時間は、いくらでもある。
ただ、今日はもう寝よう。
家族が寝ている傍らで、秘密の日記を開くのは勇気がいる。
家に誰も居ないに時にでも、読めばいい。
そうして和也はゆっくりと目を閉じて、眠りについた。
「悪いが、寝させはしない。吸血鬼ペーテル=ブロゴヨヴィッチがな」
夜はまだ、終わらない。
最後のキャラを忘れている方もいるかもしれませんので、補足しますと
勝手知ったる本拠地に罠を張り巡らし、人質も確保して、すべてを斬り裂く剣も装備した不老不死の怪物なのに、和也の背中と片腕しかダメージらしいダメージを与えていない4章ボスキャラこと吸血鬼ペーテルさんです




