第七話 明日から夏休み
一学期が終了し、夏休みを迎えた今日。
正確には翌日からだが、生徒からすれば教室での先生の最後の挨拶が終わった瞬間から、夏のパーティの始まりである。
そんなわけで街は教室から飛び出してきた学生で溢れ返っていた。
辛く苦しい勉学と口うるさい教師の目から解放され、相当ハイになっている少年少女らが友人と愚痴やら今後の予定やらを思い思いに喋りまくる。
部活動に属している者も多くいるが、彼らも浮かれて練習に身が入っていない始末だ。
ますます増した夏の熱気にも負けず劣らず、学生のテンションはゲージを振り切っていた。
そんな中、元勇者は普段と変わらず、知人と雑談し、食材を揃えて家に帰ろうとしていた。
現在午後三時。
和也は終業式を終え、夏休みの日程を担任に確認し、楓と勉強会の予定を決めた。
学校を出ると、行きつけのスーパーや雑貨屋に寄り、必要な物を揃えてエコバッグに詰め、鼻唄混じりに、帰路についていた。
級友に遊びに誘われたが、予定が詰まっていたために、断る他なかった。
母が退院し、家事を請け負うようになっても、まだ体力が回復しておらず、食事は和也が拵えている。
最近は金銭的に余裕が出来てきたので、メニューの種類も着々と増えていた。
パンの耳などで食いつないでいた頃を思えば、格段に良い生活環境が整っている。
けれども、もっとだ。
健全的にお金を稼ぎ、より家族に貢献したい。
そのためにバイトもシフトも増やした。
今度のアルバイトは力仕事がメインで、人間離れした体力と腕力の持ち主の和也にはうってつけの仕事だ。
成績が散々なので、補修が入ってしまっているのが、少々残念である。
学園生活も色々とハプニングが発生してはいても、学生らしい学生をしていたと思う。
学園長など不安要素はあっても、平和な時間を過ごせて、比較的満足している。
上機嫌に歩いていると、いつもの公園のソフトクリーム屋に赤毛の少女が子どもに混じって並んでいた。
周りの子達と楽しく談笑していた彼女は和也の存在に気付くと、ぶんぶんと大きく手を振る。
和也もそれに応じて手を振り返しながら、足の行先を少女に向けた。
家に帰るまでの時間とアルバイトに向かう時間を計算しても余裕はあるから、多少話すだけなら問題ない。
「あー! カズくーん! 買い物帰りー?」
「そんなとこ。にしても本当にアイス大好きだね。フリーネさんは」
「まーね! アイスは生き甲斐ですので!」
アイスが待ちきれないと、豊満な肉体をくねらせる。
赤毛の少女の名はフリーネ=ドラゴニック。
一年E組に在籍するドラゴンだ。
天真爛漫な性格で、クラスのムードメーカー的な存在。
そのダイナマイトボディで男子生徒を虜にしているが、本人にその気は一切ないようだ。
どうも裏社会では有名らしく、表向きは山蜥蜴として通っている。
ドラゴンだと知っているのはクラスメイトと教師ぐらいのモノだ。
そしていつの間にか和也の呼び方は『カズくん』に変化した。
キリューくん、カズヤくんよりも語呂がいいからとの事らしい。
相手があだ名呼びなのに、名字で呼ぶのも妙な話なので、和也も下の名前で呼ぶ事にした。
一方楓は普通にカエデちゃんでクルミはクルミちゃんのままだ。
彼女に特に拘りはなく、呼びやすければいいのだろう。
ちなみに武蔵はハットリーヌである。
フリーネは和也が手にしていたバッグを覗きこむと、可愛らしく唸る。
「う~ん。本当にカズくんは主夫だねぇ。これでエプロンを着れば完璧だね!」
「はは、でも主夫を名乗るには研鑽が全然足りないよ。料理も改良余地はあるし、洗濯物を畳むのも、あと五分は短縮できるはずなんだ」
「またまた~! そんな事言ってテキパキやっちゃうんでしょ? うりうり」
フリーネは茶化すように、肘でぐりぐりしてくる。
つられて笑う和也だが、本人は冗談でも何でもなく、真剣その物だ。
時間短縮ができれば、他に余裕ができ、全体の作業効率が上がる。
料理、洗濯、裁縫、家事は実に奥深い。
一つの工夫で、料理の美味しさも、汚れの落ち方も、縫い物の出来も大きく変わる。
和也なんて上辺だけだ。
それっぽく見えるに過ぎない。
家事のすべてを極めるまでは己が主夫だなんて、恐れ多くも名乗れはしない。
主夫道の頂点に立つその日まで――
「あれぇ? お店で買ったにしては形が変なのがあるよ。他にも変なのが……」
主夫の真髄を語ろうと、話を練っているとフリーネが首を傾げて、おもむろにバッグに手を突っ込んで人参を取り出した。
確かに市場で売るには形が歪で、傷も目立つ品だ。
一般的に流通する野菜は見栄えの良いものばかりだから、フリーネからすれば違和感があるのだろう。
「それはさっき知り合いの農家さんに貰ったんだ」
「へー! 農家さんと言うと、学園近くの田中のおじいちゃん?」
「うん。その田中さん。前から売り物にならないのを頂いているんだ」
奥さんと二人暮らしで、どうにも食べ切れないからと、度々頂戴していた。
売りに出せないだけで、味は市場に流れる物と何ら差はない。
フリーネは続けて、別の物を引っ張り出す。
「じゃあこの綺麗な花柄の布束は?」
「それはさっき知り合いの布屋さんに貰ったんだ」
「ならこの新聞紙にくるまれたお皿と箸は?」
「それはさっき知り合いの職人さんに貰ったんだ」
「この新品の靴は?」
「それはさっきバイト先の店長に貰ったんだ。間違えて違うサイズの買っちゃったんだって。ネット通販で頼むにしろ、よく確認しておかないといけないよね」
「ほえ~。カズくんって友達たくさんいるんだね!」
「友達というには、年が離れてる人ばかりだけどね。でもおかげで助かってるよ」
あはは、と笑い合う二人。
勝手に人のバッグに手を突っ込むなとか、何でそんな多種多様な知り合いがいるんだよとか、疑問の余地がありまくりなのだが、どことなくズレてる 和也とフリーネは独特の空間を創り上げていた。
「あっ! 順番回ってきたから行ってくるね!」
「慌てて落とさないように気を付けてね」
「わかってるって!」
張り切ってソフトクリームを購入するフリーネ。
常連客の彼女は、店員とも仲良しで、親しげに会話していた。
こうして見ていると、あの明るい女の子の中身がドラゴンだなんて言っても、誰も信じないだろう。
和也も腕が翼に変身した場面のみ記憶にあるが、それは猛々しく、強靭な紅の翼だった。
全身ドラゴンになると体躯も変化し、より巨大化しそうだ。
ドラゴンに関しては妖怪の一種だと勝手に和也は思っているが、詳しい事は調べていない。
せいぜい知っているのは、武蔵が『怒らしたら世界で一番ヤべえ』と漏らしていたのを聴いたぐらいだ。
あの女の子大好き武蔵がフリーネにちょっかい出さないあたり、そのヤバさが窺える。
体を張ってクルミに突撃する、あの武蔵が、だ。
それに関連してか、全身から溢れ出る彼女欲しいオーラは最近すっかり鳴りを潜めている。
しかも時々、『天使……』などと幸せそうに頬を崩して、にやついてるので、少々怖い。
何度か注意してみたが、止める気配はない。
友人として本腰を入れて諌めるべきか、悩みどころである。
目当ての品を購入できて、満足そうなフリーネを眺めていると、いつもの三段ソフトクリームを二つ手に持って、夏の太陽にも負けない眩い笑顔で、駆け足で戻ってくる。
「あっ――!」
案の定とでも言うべきか、転がっていた石ころに躓いて、前のめりになって態勢を崩す。
そしてすっぽり手から離れ、宙を舞う三段ソフトクリームが二つ。
重ねられた塊が形を歪め、丸っこいアイスが四つ舞ってしまう。
しかも和也の頭を超える勢いで迫ってきた。
「よっと」
バッグを下し、両手を使ってコーンをキャッチ。
すかさず腰を落として、迎える態勢を整えると、散ったアイスを器用に上に乗せていく。
まずは片方に、一個。
続けて二個。
最後は残ったアイスが縦に重なった瞬間を的確に捉え、一度に連ねた。
スローモーションのような一瞬の内に、元通りとはいかなくとも、三段ソフトクリームの出来上がりだ。
あとは顔面スライディングを敢行する直前だったドラゴン少女を、食べ物が付かないよう注意しながら、片腕を広げて、柔らかい動作で受け止めた。
近くにいた少学生の集団が、その所業を見て、すげーすげーと感想を口走る。
顔面から突っ伏していたフリーネは小学生に心配されつつ、飛び跳ねるようにして起き上がった。
「ごめんねー! そしてナイスキャッチ!」
「そんな事より、怪我はない?」
「全然だいじょうぶ! カズくんがクッションになってくれてたからね!」
「元気があるのはいいけど、もっと足元に気を付けてね」
「りょーかいであります!」
えへへ、と反省しているのかしていないのか、曖昧な表情で返答する。
学園でもこんな風にドジを踏んでいるため、和也も強くは言わなかった。
和也でなくとも、クラスメイトにとっては周知の事実だ。
まともに取り合おうとするのが間違いで、初めの頃は文句を言っていたクルミも、フリーネが廊下で転んで窓を割っても、ロッカーに激突しても、反応すらしなくなっていた。
散らかした物はフリーネと和也が後片付けし、楓が手伝い、控えめに心配して、怪我なくぴんぴん振る舞うフリーネも、当たり前の光景だ。
もはや日常の一部として浸透してしまっていたのである。
フリーネはアイスクリームを受け取ると、両方を入念に見比べ、片方を突き返した。
「はい! これあげるっ」
「……お礼のつもりなら気にしなくてもいいよ?」
「うんうん! 最初からカズくんにあげるつもりだったの。 皆で食べた方が美味しいしね! はいこっちの大きいのあげる!」
「ああ、そういう事か。どうもありがとう」
落ち着きのない少女は人への優しさは人一倍強い。
元勇者の和也よりも、遥かに他人を気遣っている。
それを打ち消す程におっちょこちょいな面もあるが、明るくて人を温かい気持ちにさせる稀有な才能を持つ女の子だ。
「ねー、フリーネおねーちゃん。その人誰?」
「そーそー。まさかねーちゃんの彼氏?」
フリーネの周りにいた子ども達が、彼女の服の裾を引っ張ったり、和也を指差したりする。
お互い楽しく笑い合い、とても仲睦まじげだ。
和也に対しては、自分達のお姉さんが取られていないか、心配でたまらない様子のグループと、男か~男か~と色恋沙汰にしたいグループに別れて、つぶらな瞳で見上げていた。
「違うよー。同じ学園のクラスメイトなの。ね、カズくん」
「そうそう。だから君達が想像してるのは全然ないからね」
子どもの視線に合わせてしゃがむ。
背に開きからすれば、怖がらせてしまうのは予想がつく。
恋愛云々といっても、このぐらいの年齢なら特に深い意味で言っている子もいない。
気楽に、穏やかに、優しく小学生低学年の少年少女に語った。
「えーつまんねーの!」
「面白くねー」
「ほっ……」
きっぱり否定された事で、からかい甲斐のある話題が無くなり、次第に静まっていく。
興味がなくなってくれば、自然と頭の隅へと追いやられるものだ。
低学年なら大人よりも顕著だろう。
「んじゃ、俺は帰るね。邪魔しちゃ悪いし。アイスありがとうね」
「もう帰っちゃうの? つまんないのー」
「ごめんよ。また遊べたら遊ぼうか」
「言ったな~。言質とったぞ~! 約束だからね!」
相変わらずのテンションのフリーネと小学生の一団に、優しく微笑み、手を振る。
猛暑にも負けないあの元気さは羨ましい。
暑さ自体は何でもないのだが、あそこまでの底抜けの明るさは、和也には出せない。
フリーネ=ドラゴニック。
夏休みなら幾度と顔を合わす機会はある。
そうしたらまた彼女の笑顔に癒されるのだろうな、と思いつつ、広場を出て行った。
夏休み。
学生にとって至福の時間。
多くの生徒は、大量の宿題に頭を悩ませ、友人と駄弁り、遠出し、思い出作りに励み、夏よりも熱いひと夏の恋に燃えたり、バイト尽くしの忙しい日々だったりを、送る事だろう。
一年E組にとって、初めての夏休み。
訪れるのは平穏の日々か。
それとも――




