私塾の先生
江戸の街には多くの私塾があった。
様々なジャンルの有識者が医学や語学、兵学や砲術、西洋の知識などを学べる場となっていた。
また個人が開く民間の塾であるため、武士も庶民も身分に関わらず学ぶことができた。
ここ開明塾もまたそんな私塾の1つだ。
廃屋となっていた古い家を手直ししただけの決して見栄えのいい建物ではないが、最低限住むには困らない程度には直されている。
しかしここに身分を問わない多くの若者が志しを持ち学びに集っていた。
「先生、例の辻斬りがまた……」
先生と呼ばれた男、斎藤壮志。
背中まである長い髪を後ろで束ね、優しい顔立ちと痩せた身体、そしてやけに白い肌で、女性に間違われることもある男だ。
しかし齢26の若さでありながら幼少期より様々な学問に触れ、特に西洋の兵学、砲術など軍事に関する様々な学問には秀でた知識を持ちそれを広く教えていた。
「あぁ、聞いている。今月に入って3度目か」
以前から江戸の街には辻斬りが現れることはあったが、最近になり自身の開明塾の塾生が斬られる事案が多くなっていた。
開明塾の門下生、島原作治は特に今月に入って立て続けに3度も辻斬りによって門下生が斬られていることに憤慨していた。
「先日は月ケ瀬一刀流の師範殿も……」
開明塾には武士も多く門下生となっているが、その中でも江戸で門下生の多いことで知られる月ケ瀬一刀流剣術道場の師範さえも辻斬りに斬殺されていた。
「あれほどの手練れを斬り伏せるとは……一体どれほどの手練れなのか!」
月ケ瀬一刀流の師範は江戸で屈指の剣客と言われ、幕府の剣術指南役さえも稽古で一本も取れずに終わったという話も出ているほどだった。
「あの一件以来、月ケ瀬一刀流道場は辻斬りを探すのに躍起になっているらしいな」
壮志は視線を遠くにやったまま答えている。
「しかも……先生ご存知ですか?」
「ん?」
「我が開明塾の者が斬られたあとは白い紙が残されていると」
「白い紙?」
「ええ、これは知り合いの役人に聞いたのですが、どうやら開明塾の者が斬られた事案のみ、その白い紙が死体に乗せられていると」
「白い紙……か」
「大きさはそれほど大きくなく」
島原作治は手でハガキほどの大きさを描いた。
「何か意味があるんだろうか?」
「わかりません。ただ、少なくとも同一犯であろうと、役人は言ってました」
「ほう……」
「その辻斬り、ほぼ全ての相手をわずか一太刀で斬り伏せているようで、中には刀を抜く間も与えず斬り伏せていることもあるようで」
「恐ろしく手練れだな」
「はい。それほどの達人がそんなにゴロゴロいるとは思えないと」
「確かにな。しかしその辻斬り、今までどこにいたんだろうな?」
「と、言いますと?」
「それほどの達人が今まで名前も知られずにただいただけというのは、ありえるのか?」
「確かに……あ、いやしかしそうなると……」
「江戸の外から来たか、あるいは」
「あるいは……元からいた。つまり……剣術道場!」
「それほどの達人がいる道場など限られていような」
「………まさか」
江戸の街には無数の剣術道場があるが、その中でも特に強いと言われる3つの流派があり三大道場と呼ばれている。
月ケ瀬一刀流は最近になり門下生も増えてきてはいたが、それでも三大道場と比べるとまだ見劣りしていた。
「考えたくはないがな」
壮志は遠くを見つめたまま答えていた。
「いずれにせよ、門下生たちには特に夜半に出歩く時はできる限り人数を集めて出歩くようお達しを出しておきます!」
島原作治はそう言うと立ち上がった。
「あぁ、そうしてくれ。これ以上の犠牲は出したくない」
壮志はここで初めて作治の目を見て言った。
島原作治が教室を出たあと、壮志がまた遠くを見てポツリと言った。
「辻斬り……か……」




