遥か遠き理想郷
アリアはいつも寝る前に日記をつけることにしている。
不思議なことにこの日記はアリアの知らない日記が書いてあることがたまにある。きっと御伽噺に出てくるような小人さんが疲れて寝ちゃった時に代わりに日記を書いてくれているのだと思う。
しかし、日記の内容は身に覚えのないことが記されていることも多い。
たとえば、
「5月9日
今日もいつものようにお昼ご飯を食べにガーデンテラスに向かったの。そしたら道の途中にいつもパンを食べに来る小鳥ちゃんの1羽が倒れてたの。何故か分からないけれど、怪我をしているみたいだったから大きなお友達の鳥さんが近くにいたからそこまで連れて行ってあげたの。
夕方、メイドさんがお勉強の時間を知らせに来てくれたから一緒に王城に戻ったわ。今日王城の敷地内で畑を荒らす凶暴な害鳥が見つかったから今から猟師さんが駆除してくれるって迎えに来てくれたメイドさんが言ってたわ。
10分くらい歩いて王城に入ろうとした時大きな炸裂音が鳴り響いてたわ。」
これの次のページにも同じ日付の日記が書いてある。だが内容は同じものではない。
「失礼します。おはようございます。お嬢様」
「入っていいわ」
メイドは少し驚いた表情をしながら部屋に入り、窓を開ける。
朝一番の透き通った気持ちのいい空気がカーテンを押しのけ朝の挨拶をしに来てくれる。揺られるカーテンの隙間から朝日が覗かせて部屋を彩る。普段ならここでメイドに起こしてもらうのだが今日は違う。
「おはよう。ミレーユ、いつもありがとう」
一通り部屋のセッティングを済ませた彼女は早々に部屋を後にした。
今日は王城に行商人の一団が来るらしい。その買い物にアリアは初めて参加することになっている。彼女にとって王城の外の人とは初対面になる。そのため彼女は今日という日を非常に楽しみにしていたのである。今日はどんなものがあるのだろう、何を買おう、誰と話そう、どんな話が聞けるかななんて期待に満ち溢れている。
「それまでに今日の宿題を終わらせておかなきゃね」
昨日の歴史の授業で出た宿題。書庫でこの国の歴史を自分なりに調べて年代ごとにまとめる、というものである。
準備を済ませた彼女は書庫に向かった。
「何度来ても眩暈がしそうなくらいの広さだわ...」
慣れた手つきでアリアは歴史書を手に取り、書庫の中心部にある机の上に集め始めた。
一番最初に開いたのはこの国に関する歴史書であった。紙と紙がすり合わされる音がこの静かな空間に響き渡る。
この王国が建国される前、この地は多くの争いがあった。その原因はこの国を豊かにしている湖である。この湖には非常に位の高い精霊が住んでいた。そのため周囲は豊穣の加護が与えられ、あらゆる資源が豊富に取れた。また、その土地に住むだけでどんな病でも徐々に治り、生物は元気を取り戻したといわれている。これらの恩恵を我が物にするために人々は争い、多くの命が失われた。
ある日、一人のぼろぼろの少年が現れた。どこにでもいる貧しい村の少年だった。少年がまだ幼い時、少年の父親は国からの徴兵で戦地へ行き、戦死。その後、少年は母親一人の手によって育てられてきた。しかし、母親も重い病にかかってしまった。金銭的に余裕のなかったため、ありとあらゆる医者を訪ねてみたが誰もまともに取り合ってはくれなかった。いろいろな医者を回っている最中、少年はとある噂を耳にする。そう、治癒の湖の噂である。少年は最後の望みをかけて母親を背負い3週間にわたる旅の末、湖にたどり着いた。戦争の影響の少く、湖の恩恵を受けられるであろうぎりぎりの範囲にあった洞窟に身を隠し、兵士をどうにか追い払い、母親の看病を5日間し続けた。しかし、母親は弱っていく一方だった。
少年は湖に行き精霊に呼びかけ続けた。
「母親を直してください!そのためなら僕はどうなって構わない!だからお願いします!」
その呼びかけは三日三晩続いた。これに見かねた精霊は姿を現した。サファイアの瞳に月光を纏い水面のように光る銀の髪。息をのむような美しい姿をしていた。
「なぜそこまでする。其方の目的はなんだ。此処は人間どもの醜い争いのせいで命が何の価値もなく散っていく場所と知っているだろう。大半の生き物はまともな死に方すらできない不毛の地と知っているだろう。その母親のためにそこまでする理由はなんだ。」
「僕の父親は僕が幼い時に戦争へ行って死にました。ここまで僕をずっと女手一つで育ててくれた唯一の家族なんです。でも母は病にかかってしまった。何の力も、知識もない僕は僕を育ててくれた恩人を、ただ一人の家族を助けてあげることすらできない...!何の恩も返すことができないんだ!僕は母にもう抱えきれないほどの幸せを与えてもらった。だから今度は母に幸せになってほしいんだ。最愛の人も失い、最後はお金がないってだけの理由で医者にもみてもらえずに病で苦しみながら死ぬなんて...そんなのあんまりじゃないか!...母には幸せになってほしい。それが僕がここに来た理由だ!だからどうか助けてほしい!母が助かるなら僕はどうなって構わない!だから...どうか!」
豊穣を与えるために生まれ、この湖に来た精霊は自分の力のせいで呼吸するように命が散っていく現状に心を患っていた。少年がやってきたのは自死を決意した直後の出来事であった。
「なら其方の命、運命、すべてを捧げてもらおう。これは契約だ。其方の願い通り其方の母親の病は取り除き二度と病に侵されない体にしよう。その代わり其方は私の私兵となるのだ。」
そうして少年は精霊から聖剣を与えられ、一人の兵士となった。精霊の望み通りこの地の争いのすべてがこの少年一人によって鎮圧された。その後、豊穣の恩恵をまっとうに受けることができるようになったこの地の平穏を維持するため少年により今の王国が建国された。
しかし、それですべてが終わったわけではなかった。それでもこの地の恩恵を狙う国家による侵略は止まらなかった。国王となった少年はこの地を守りきるために聖剣を9つに割り聖剣と適合したものに分け与え、王国周辺に配置し防衛する形をとった。周辺国との小競り合いは続いたものの王国内は夢と活気であふれたまさしく精霊の望んだ「理想郷」が築かれていた。
本を閉じる音が再び静寂に響き渡る。鉛と紙がこすれる音が響く。
気が付くと太陽は書庫の天井にあるドーム型のガラスからアリアを見つめていた。
「あらもうこんな時間。早くお昼を食べて準備しなくちゃね」
彼女は本を大急ぎで戻し、書庫を後にした。
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