07.助け
確かに火は出たのだが、今の状態だと「小さな花火が小さく破裂」したようなものだ。
本当なら、一瞬ではあってもロウソクの火より数倍大きな「火柱」が出る……はずだったのだが。
「うー、また不発かぁ。これじゃ、師匠があきれる訳よね」
またどこかで呪文を間違えたらしい。ちゃんと唱えろ、と何度も注意され、自分では唱えているつもりなのだが。
間違えているのか、何か抜けているのか。
「あねき、そんなのんきなことを言ってる場合じゃ……」
今の火で、狼の怒りが大きくなったようだ。キャルンの仕業かどうかなど、狼には関係ない。
不愉快な思いをしたので、その憂さ晴らしに目の前の人間をどうかしてやろう、という気持ちなのだろう。さっきより牙をむいているし、目つきも鋭い。
この分だと、この場から逃げてもしつこく追って来そうだ。それ以前に、人間の足で狼から逃げ切れるかどうか。
「ふーんだ。それじゃ、もう一発よ」
キャルンは、また呪文を唱えた。が、今度はさっきのような火すらも出ない。細い煙が、狼の鼻先からわずかに出ただけだ。
急いで唱えたから、さらに呪文があいまいになったらしい。
「あねき、やばいって!」
「今度こそっ」
だが、キャルンが呪文を唱えるまで、さすがに今度は狼も待ってくれなかった。地面を蹴り、獲物へ襲いかかる。
次の瞬間。
ギャンッという、悲鳴が響いた。これにはスィードだけでなく、キャルンも驚いてびくっと肩を震わす。
思わず閉じてしまった目を開いてみれば、狼は飛びかかる前にいた位置よりも向こうの方でひっくり返っていた。
「え……どうして?」
何かにぶつかり、跳ね返った……かのような格好。だが、何にぶつかったのだろう。木や大きな石など、キャルン達と狼の間に邪魔する物はないのに。
「……あねき、何をやったのさ」
「あたしは何もしてないわよ。さっきの魔法が時間差で効いた……んじゃないわよね」
言いながら「絶対違う」ということは、キャルンもわかっていた。
さっき唱えたのは、火が出る呪文だ。狼が飛ばされてひっくり返る状態……になるとは思えない。
火が出てびっくりし、ひっくり返った、ということもありえそうだが、襲って来る狼の周辺に、火は出ていなかったはず。
風魔法ならひっくり返りそうだが、使ったのは風魔法ではない。それに、こんな大きな狼をひっくり返せるような風は、今のキャルンにはまだ出せないのだ。
「まさか……師匠?」
どんなに都合よく考えようとしても、キャルンの力ではない。となれば、キャルン以外の魔法の力が働いた、としか考えられなかった。
「ケガはないかな、お二人さん」
しかし、現われたのはフェルーニではなかった。
年齢だけで言えば、フェルーニとそう変わらないだろう。だが、キャルン達の前に来たのは赤毛の魔法使いではなく、胸まで伸びた金髪を持つ美形だった。
青い瞳はフェルーニよりも濃く、身長も長身の彼よりたぶんわずかながら高い。
「もうお帰り」
彼が柔らかな口調で狼に言うと、魔物はまるで飼い主に叱られた犬のように、こそこそと草むらへ消えて行った。
あれだけ襲う気満々だったのが、嘘みたいだ。
「今の、あなたがやったの? あの狼に何をしたの?」
「軽く風を向けただけだよ。足が地面から離れて不安定だったから、あれだけ飛ばされてしまったけれどね」
隠すこともなく、相手は答えた。やはり、風魔法が使われていたのだ。
軽く、と簡単に言われたが、あの大きさの狼だからかなり重いはず。つまり、相当な力が使われていたのだ。
「あなたも、魔法が使えるの?」
「使えるよ。風が一番得意かな」
得意分野がないキャルンには、うらやましいセリフだ。いつかこんな風に、さらっと言えるようになりたい。
「そうなの。とにかく、助かったわ。どうもありがとう。あたし、キャルン。この子はスィード」
「レオスタークだよ。よろしく」
そう言いながら浮かべる笑みは、とても爽やかな印象だった。
一応、カウムの街にいる魔法使いの顔は全て知っているはずのキャルンだが、レオスタークは見たことがない。
こんな美形なのだから、魔法使いでなくても会ったことがあれば絶対に覚えている。なのに、知らないということは、よその街の魔法使いなのだろう。
「こんな山で、レディと若いナイトが何をしているんだい?」
キャルンは普段、周囲からはじゃじゃ馬扱いされている。なので、レディなんて言われると嬉しい。
「あたし達、薬草を探しに来たの」
「薬草?」
「ええ、シュクヤって薬草。この山にあるらしいって聞いて、探してるんだけど」
「シュクヤか。体力を回復させるのに使われたりするね」
何でもないことのようにうなずかれ、二人は驚く。
「レオスターク、シュクヤを知ってるの?」
「知っているよ」
「本当っ?」
返事を聞いて、キャルンの目が輝く。
「あのね、さっきそれらしいのを摘んだのよ。でも、本当にシュクヤかどうか、あたし達にはわからなくて。レオスターク、合ってるかどうか、見てくれない?」
スィードから布袋を取ると、キャルンは中身を数本取り出してレオスタークに見せた。
「残念だけど、これは違うよ。薬草と呼べる物じゃないな」
「え、違うの?」
疑いながら摘んでいたものの、違うと断定されるとやはりがっかりする。
「似ているけれどね。本物のシュクヤは、もっと細い葉で濃い緑だよ」
「そっかぁ。振り出しね」
布袋をさかさにし、キャルンは中身を全部地面に落とした。
名前も知らない葉っぱには悪いことをしたが、ここで山の肥料になってもらうしかない。
「でも、街へ戻ってから、違うって言われるよりはいいわ。またここへ来る手間が省けるもの。ありがとう、レオスターク」
多少のことでめげるキャルンではない。こういう時でも、しっかり前向きだ。
「シュクヤって、どういう場所に生えてるものなの?」
「岩陰だとか、少し湿気があるような場所だね。……思い当たる場所があるから、行ってみるかい?」
「ある場所、知ってるのっ?」
キャルンの目が、再び輝く。
「もう少し登らないといけないけれど、大丈夫かな?」
「いいわ。ここまで来たんだもん、手ぶらで帰れないわ」
思いがけず案内人が現われ、キャルンの前へ踏み出す足に力が入った。
☆☆☆
レオスタークは細いが、その見掛けによらず、服の下にはしっかりした筋肉が付いているようだ。
坂道でも息を切らせず、まるで平坦な道を歩いているかのような顔をしている。ゆっくりなのは、キャルンやスィードの歩幅などを考えてくれているのだろう。
彼一人なら、もうすでに倍近い距離をかせいでいそうな気がする。
「ねぇ、レオスタークはどこの人なの?」
「生まれたのは、もっと遠い国だよ。あちこち転々としていたんだ」
「魔法はどこで習ったの?」
「生まれた時から使えたから、どこでと言われると困るなぁ」
「すごぉい。それって、両親や周りに魔法が使える人がたくさんいたってことよね。いいなぁ。環境がいいと、魔法に触れる時間がたくさんあるんだもん」
世の中には、こういう風に恵まれた環境にいられる人が存在するのだ。
ワイトの村のような田舎にいたら、あんな魔物騒ぎでも起きない限り、魔法使いと会うことすらない。
イーアンの森に魔物が現れたあの事件で初めて、キャルンは本の世界ではない魔法を身近に感じることができた。
そういったことを考えると、出発点からすでに差が開いているのだ。
「キャルンも、魔法を使うんだろう?」
「習ってるけど、まだ二年目。上達が遅いって、師匠に言われるわ。呪文を間違えてるって指摘されるのは、ほとんど毎日だし。あたしは正しく唱えてるつもりなんだけど。術が発動しないってことは、やっぱりどこか間違えてるってことよねぇ」
さっきの魔物相手に使った魔法が、まさにいい例だ。どこかが正しくないから、うまくいかない。
普段の練習中なら「あー、できなかったぁ」で済むが、さっきのように魔物と対峙している状態で発動しなければ、命に関わる。
レオスタークが来てくれてよかった、とキャルンは改めて心からそう思った。





