17 少し遊んでいこう④
「……そうですか」
静は一瞬だけ、目を伏せた。
それだけの、ほんの僅かな仕草だったはずなのに、なぜかその場の空気が重く沈んだ気がした。
「ですが、安心しました」
顔を上げた静はいつもの薄い微笑みを湛えていた。
「ちゃんと線引きはできているようですね」
「線引き?」
「ええ。誰にでも同じように触れるわけではない。という意味です」
堂々とそんなことを言うもんだから、納得しかけてしまった。
そうはいかない。
「静」
「はい。なんでしょう」
目を閉じ、次の言葉を待っているようだが、そうそう主導権を握られるわけにはいかない。
「どうしてそんな猫の毛塗れで出てきたんだ。コロコロがあったはずだろう」
「…………え?」
目を開け固まる静。予想外の答えが返ってきたという顔をしている。
「そんな毛だらけだと俺も毛だらけになるし、なんなら家も毛だらけになる。猫の毛ってやっかいなんだぞ?」
「あ、あの……」
「ぷっ……」
「な、星羅」
星羅が堪えきれずに失笑する。そしてそれにつられるようにユイと寧々も笑い出した。
「な、何がおかしいのです」
これをマジで言ってるんなら認識を改めてもらわないといけない。
「別に静を抱きしめないなんて言ってないぞ」
「え?」
素っ頓狂な声を上げた。
「あのね、静。光司が言いたいのは、勝手に抜け出したことを怒ってるの」
「いや、ですが……」
静にしては珍しく、指をツンツンしながら視線を彷徨わせてる。
「静っちさぁ、怖いなら言ってくれればよかったじゃん」
「そうですよ。あんなに長々と吊り橋効果とか言ってたのに、逃げたわけですし」
ユイと寧々が静を追い詰める。まぁ、事実だしな。
だが、静は「ふっ」と笑うと髪の毛を描き上げた。
「予約の時間になったので、仕方なく。仕方なく抜けたのです。別に怖くて抜け出したわけじゃありません」
「あんたいつ予約取ったのよ……」
「ここへ来る道中に」
時間を予測して取ったのか。流石というか、我が強いというか。
「簡単に入れると思ってたのよね。どうりで……」
星羅が得心したといった感じで肩をすくめた。
「じゃあさじゃあさ、もう一回入ろう」
「そうですね。静さんはお化け屋敷怖くないみたいですし」
「そうね。予約を優先しないといけないのは分かったけど、やっぱりみんなで楽しみたいわよね」
「そうだな」
「え、あ…その……。わたくしは遠慮させていただきたく……」
「まぁまぁ、そんな遠慮しなくていいよ。楽しいよ」
「そうですよ静さん。楽しいことは共有しないと」
後ろに一歩下がる静。だが、それ以上は下がれない。なぜなら、星羅ががっちり肩を掴んでいるからだ。
「わたし、静の悲鳴聞きたいわ」
満面の笑顔で静の耳元で言う星羅。悪い顔をしている。
「こ、光司!」
「別に予定もないんだろ? 一緒に入ろうぜ」
「いえ、もう一時間予約を」
「じゃあ」「だったら」「ええ」
三人がこれ以上ないくらいの笑顔になる。
「代わりにわたし達が楽しんでくるわ」
「くぅ」
観念した静。俺も一緒に入ることにした。
案の定、三人よりも激しい悲鳴を聞かせてくれた。
「こ、こここ、光司! あれ、あれは本物では!?」
「まぁ、場所柄本物がいてもおかしくないんだよな」
「なぁっ!」
俺に抱きつくのはいいが、俺の肩の関節を外そうとするな。
お化け屋敷を出ると、一気に老け込んだように思えるくらい疲れている静。
「少し休むか」
「そうですね」
静が抱きついたから、俺のコートとかも猫の毛だらけだ。なんで落としてこなかったんだ。ホントに……。
飲食スペースで隣同士横になって座る。
本当に怖いものが苦手だったようで、悪いことしたなと思った。
ジュースを飲みながら、スマホで撮ったであろう動物を見て心を落ち着かせていた。
「はぁ……」
「悪かったな」
「いえ、苦手だと予め言わなかったわたくしが悪いのです」
「そんなに嫌だとは思わなかったから」
「まぁ、こうして二人きりになれましたから」
そう言った静は真面目な顔をしている。
「ところであの線引きってなんだ?」
「光司は、誰にも触れない線は引けるのに……誰かを選ぶ線は引かない。それを優しさだと思ってませんか?」
「……………」
「誰も失わない関係は理想としては美しいです。ですがそれは───」
「……………」
「選ばれる側に、委ね過ぎている」
耳が痛いな。全くもってその通りだ。
なおも静は続ける。
「選ばないのは、状態であって選択ではありません。選択にするなら、『全員を選ぶ』という意思が必要です」
「全員……」
星羅は『求めろ』と言った。
寧々は『選択を尊重する』と言った。
ユイは『見ていてほしい』と言った。
「俺は……」
「22点は光司、あなたの『エゴ』のための空席です。今までわたくし達に言っていたことをすればいいのです」
それが出来たらこんなに悩んだりしない。現実はもっと複雑で頭でっかちなんだ。
「あなたの欲はまだ足りません。それはわたくし達が心配になる程に。……とはいえ──」
静はふっと表情を緩めた。それはいつもの静の顔だ。
「今すぐ答えを出せとは言いません」
俺の目をまっすぐ見る静。
「むしろ、出せない方が自然です。ですが───」
俺の手の上に自身の手を乗せた。
「考えることからは、逃げないでくださいね」
「……分かった」
「まぁ、一緒に不器用に踊るのは吝かではありませんから。その時は溜め込まずに声をかけてくださいね」
最後に優しい微笑みを湛える静。
その視線は俺の少し上を見ていた。
考えないといけないことが増えてしまったな。
ただ、こんな話を猫の毛だらけで話すのはどうかと思うんだ。




