番外編86 編集長、商業へ
「ねぇ」
朝霞愛花の母親である理花子が愛花の書いた漫画を読んでいた。
そして、ここ最近メキメキと実力を上げていることを知っていた。
だが、あまりにも急すぎる。
前は、お世辞にも面白いとは思えなかった。
絵は上手いのだ。だが、ストーリーや構成が追いついていなかった。
それがどうしたことだろうか。
英愛学園に入学したての頃は、ストーリーに少し変化が訪れたくらいだ。
なのに、梅雨に入ろうという時期に、それは訪れた。
商業作家である朝霞理花子。
よく、担当編集と内容についてかなり揉める。
自分の描きたいことと、掲載できる内容は違うと。
愛花も自分の描きたいこと優先なので、その悩みは分かる。
それなのに、掲載できる内容と自分の描きたいことを両立しながら、うまく完成させている。
これは、次回のコミケでは遂に売り切れるんじゃないか。そう思っていた。
しかし、どう考えても、この急激な向上はありえないと。別人レベルだと。
そう思って、声をかけたのだった。
「どしたのー」
「ねぇ愛花……、最近漫画がうまくなっているけど、どうしたの?」
「うん? 部活で書いてるだけだよ」
そんな訳はないと思った。
部活で書いただけでこんなに上達するはずがない。
自分だってそうだったのだから。
もっとも、高校生の時には、それなりに名の知れた同人サークルで描いていたので、今の愛花よりは上だったという自負があった。
考えられるとすれば、愛花に助言をした者か、ライバルが現れたか。あるいは盗作しているかだろう。
「ねぇ、お母さんちょっとその人と会ってみたいんだけど」
「え、静に?」
静……さん。聞いたことがある。愛花のクラスメイトでとても仲のいい子だと。
……なるほど。友達ができると、上達するのか。
……わたし、相談できる友達いなかったなぁ。
いるにはいたけど、あれは友達というよりライバル。……って、今はそんなことはいいわ。
一人で思い出し、つっこんでいた。
「じゃあ、明日連れてきてくれない?」
「え、明日!?」
「早ければ早いほどいいでしょう?」
「分かったわ。ちょっと聞いてみる」
愛花はスマホでやり取りしている。しかし、すぐに結果を教えてくれることはなかった。
何やら話が盛り上がっているようだ。
頼んだ手前、聞きにくい。
「あ、愛花?」
「ん? ああ、ごめんごめん。いいって」
愛花はそれだけ言うと、またぞろスマホをいじり出してしまった。
翌日。愛花の実家である喫茶店愛花夢。
そこの二階で、件の人見静は朝霞母娘と相対していた。
なぜか、来て早々に裏手へ連れて行かれて、そのまま自宅スペースへと案内されたのだった。
さすがの静も戸惑い、身構えてしまった。
それというのも、理花子、愛花両名の前には原稿用紙が置かれていたからだ。
「えっと、これは一体……」
「愛花話してないの?」
「パフェ食べに来ない? って言ったけど」
「はい。奢ってくれると聞きまして」
「分かったわ。でも、その前に聞きたいことがあるの」
静は身構えた。一体何を言われるのか、と。
愛花からは、『うちに遊びに来ない?』としか言われていない。
その後は、愛花の作品について、いろいろと意見交換していただけだ。
愛花の母親に呼ばれる理由が思い至らない。
「えっと、愛花の母親の理花子です」
「愛花さんと仲良くさせていただいております。人見静と申します」
それは綺麗な所作だった。
思わずのけ反り、目を細めながら片手で遮った。それくらい眩しかった。
愛花も同様の仕草をした。流石は母娘といったところか。
「そ、それでわたしね少女漫画で連載を持っていて……あ、RIKAKOって名前でやってるの」
「存じております。すべて拝読しております」
デビュー作から同人誌時代の作品まで、タイトルを列挙した。
今では手に入らないと言われた作品まであった。胸がジーンとした。
「じゃあ、話が早いわね」
愛花を差し置いて、原稿を手渡した。
両手で受け取った静は首を傾げるでもなく、そのまま静かに読んだ。
そして、読み終わると、丁寧にテーブルへ置いた。
「これは新連載する予定のものですか?」
「ええ」
「どうして、わたくしに読ませてくれたのでしょうか」
真摯な目つきで見据えるので、正直に言った。
担当編集と折り合いがつかないこと。これを出したいが、毛色が違うから反対される。
でも、どうしてもこの路線でいきたいと。
どうしてこんなことを娘の友人に話しているのか、自分でも分からなかった。
でも、どうしても読んで、意見を聞いてもらいたかったのだ。
「そうでしたか」
それは、女神のような微笑みだった。
そして静は、残したいところ、避けた方がいいところ、変えた方がいいところを指摘した。
言われてハッとした。
それは自分のやりたいことを肯定しつつ、よりよい方向へとブラッシュアップしてあったからだ。
「ねぇ、わたしの担当編集になってくれないかしら?」
「すいません。まだ学生なもので」
「ね、すごいでしょう?」
愛花が胸を張って、ドヤ顔していたが、確かにこれはドヤ顔したくなるのも納得だった。
そして、この時の作品が後にアニメ化され、映画版まで制作されることになるのだが、それはまた別の話。
「ほ、報酬なんだけど、うちのパフェでいいかしら?」
「ええ。それはもう願ったり叶ったりです」
静はただ見て、修正箇所を指摘し、方向性を導き出し、可能性を広げただけだ。
それなのに、有名店のパフェを報酬としてもらえる。こんな美味しい話はなかった。
続いて愛花のコミケ用原稿も見てもらうと、理花子は目を大きく見開いて驚いていた。
「この主人公、三ページ前で気づけますね」
「ここで告白させると弱いです」
「愛花さん、このコマは残しましょう」
これは売れる。部数を増やすよう提案した方がいい。そう思った。
だがしかし、一つだけ気になることがあった。
「これは何かしら?」
赤ペンで描かれた謎の生物の絵。理花子は猫を描いたつもりだが、まさか猫ではあるまいな、と。
「猫さんです」
「え?」「え?」
「何か?」
理花子と愛花が困惑する。試しに他の絵も描かせてみたが、どれも下手だった。
「ま、まぁ得手不得手ってあるしね」
「うん。うちの副部長もあんまり上手くないしね」
それからは、原稿ができると、パソコンで原稿をやり取りしたり、直接店へ向かったりするようになった。
静は、このやり取りのためにパソコンを買ったくらいだ。
そして、静は一人納得がいっていなかった。




