29 【それぞれの密談2】
「ねぇ、なに二人でコソコソ話してるの?」
キッチンの方からそんな声が聞こえたかと思うと、香が湯気の立つカップを乗せたお盆を両手で持ちながら、ゆっくりとリビングへ戻ってきた。
その後ろから、まいもひょこっと顔を覗かせる。
「男二人でさ〜、また変な話でもしてるんでしょ〜?」
香はくすっと笑いながら、わざと少しからかうような口調でそう言う。
それに続くように、まいもすぐに口を挟んできた。
「もしかしてさ〜、エッチなこと話してるんでしょー?」
いたずらっぽく目を細めながら、ぐいっと顔を近づけてくる。
その無邪気で遠慮のない一言に――
一瞬、時間が止まった。
純一と俺は顔を見合わせて、わずかに間を置く。
そして次の瞬間、
「ぶはっ……!」
「ははははっ!」
堪えきれなくなったように、二人同時に吹き出した。
ソファに座ったまま、純一は腹を抱えて笑い出す。
「まいちゃんさぁ〜、いきなりそれはねぇって!」
笑いながらも、どこか困ったように肩をすくめる。
「答えに困っちゃうよぉ〜」
俺も横で笑いながら、軽く手を振った。
「そんな話するわけないだろ……」
そう言いながらも、笑いが止まらず、思わず息を整える。
そんな二人の様子を見て、まいは一瞬きょとんとしたあと――
「え〜、違うの?」
と、少しだけ不満そうに唇を尖らせる。
その表情があまりにも子どもっぽくて、香も思わず吹き出した。
「もう、まいちゃんったら」
お盆をテーブルに置きながら、肩を揺らして笑う。
さっきまでの静かな空気はすっかり消えて、部屋の中には明るい笑い声が広がっていく。
まるで、何事もなかったかのような――
「はい、コーヒーだからね。砂糖とミルク、ここに置いておくね」
まいはそう言いながら、小さなガラスのシュガーポットとミルクピッチャーをテーブルの上に丁寧に並べていく。
湯気の立つカップからは、ふわりと香ばしい香りが広がっていた。
「これ、この前見つけた豆なんだよ。ちょっとだけいいやつ」
まいが少し得意げに言う。
深めに焙煎されたコーヒーは、どこかビターチョコのような甘さを含んだ香りがして、部屋の空気をやさしく包み込んでいた。
ハンドドリップで丁寧に淹れられたのか、雑味のない澄んだ香りが鼻をくすぐる。
それぞれがカップを手に取り、思い思いに砂糖を入れたり、ミルクを少しだけ垂らしたりする。
カップを口元に運ぶと、ほっとするような温もりが広がった。
「……いい香りだな」
純一がしみじみと呟く。
一口飲んで、すぐに目を細めた。
「うまっ。これ、ちゃんとしたコーヒーだな」
そう言って笑いながら続ける。
「俺らが刑事課で飲んでるやつなんてさ、ほとんど出涸らしみたいなもんだからなぁ〜。あれ飲んだあとだと、別物だわ」
その言葉に、まいは嬉しそうに顔をほころばせた。
「でしょ? いつでもご馳走するからね」
少し胸を張るように言うその姿は、どこか誇らしげで、子どもみたいに無邪気だった。
それを見ていた香も、くすっと笑いながらカップを手にする。
「じゃあ、私もまた来ちゃおうかな」
軽く冗談めかして言うと、
「うん、香さんはいつでもいいよ。大歓迎」
まいはすぐにそう答える。
その即答っぷりに、場の空気がまた少し和らぐ。
そのやり取りを横で聞いていた俺は、カップを持ったまま小さく呟いた。
「あのさ……ここ、一応俺の部屋なんだけど」
ぼそっとした声だったが、しっかりと耳に届いたらしい。
まいはぴたりと動きを止めると、ゆっくりこちらを振り返る。
「えぇ〜?」
そして次の瞬間、わざとらしく少し声を荒げた。
「なにそれ、まいってそんなもんなの?」
頬をふくらませながら、じっとこちらを見てくる。
その表情は怒っているというより、完全に拗ねた子どもそのもので――
思わず苦笑いがこぼれる。
「違うって、そういう意味じゃないから」
慌ててそう言い返すと、まいは「ほんとに?」と疑うような目を向けてくる。
そのやり取りを見ていた純一が、ついに吹き出した。
「はははっ……お前ら、本当に仲いいなぁ〜」
楽しそうに笑いながらそう言う。
その一言で、また部屋の中に笑いが広がった。
コーヒーの香りと、穏やかな笑い声。
何気ない時間なのに、不思議と心が落ち着く。
そんな空気が、そこには流れていた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
昼下がりの公園。
やわらかな日差しが差し込む中、ベンチに腰掛けたふたりの男の周りだけ、どこか静かな空気が流れていた。
たけしは缶コーヒーを手に持ったまま、小さく息をついて口を開く。
「……今夜だな」
独り言のようなその言葉に、隣のノブもゆっくりと頷いた。
「あぁ……間違いないな」
少し間が空く。
たけしはそんな様子を横目で見ながら、小さく息をつく。
「集合はあの場所。時間は前と同じだ」
淡々と説明を続ける。
「今回も“あの人”から直接指示が来る。俺たちはそれに従うだけだ」
風が吹いて、木の葉がかすかに揺れた。
「準備は……一応できてるけどさ」
ノブがぽつりと呟く。
「なんか、落ち着かねぇな」
その言葉に、たけしは苦笑する。
「だろうな」
軽く缶を揺らしながら続ける。
「俺も同じだ」
ノブは少し意外そうに顔を上げた。
「たけしでもかよ」
「当たり前だろ」
小さく笑う。
「相手が相手だしな……」
その一言で、空気が少しだけ重くなる。
ノブは視線を落としながら言う。
「なぁ……また、あれやるのかな」
言葉を選びながら続ける。
「二年前みたいなやつ……」
たけしはすぐには答えず、少しだけ考えるように間を置いた。
そして、静かに口を開く。
「……やるだろうな」
短く、でもはっきりと。
「“あの人”だしな」
その言い方には、信頼でも尊敬でもない、妙な現実感があった。
ノブは顔をしかめる。
「やっぱりか……」
少し迷ったあと、言葉を続ける。
「でもさ……あの人、なんか変わったよな」
「変わったな」
たけしもすぐに同意する。
「前はもっと……こう、冷静だったっていうか」
ノブが言い淀むと、たけしが言葉を継ぐ。
「今は違う」
「……あぁ」
ノブも小さく頷く。
たけしは遠くを見ながら、ぽつりと呟いた。
「ちょっと危ない感じになってるよな」
その言い方は強くはないが、妙にリアルだった。
ノブは苦笑いを浮かべる。
「正直、怖ぇよ」
その一言は、隠していた本音だった。
たけしも小さく笑う。
「だな」
短く答える。
無理に強がることもなく、ただ同じ気持ちを共有するように。
しばらく沈黙が流れる。
ノブは缶コーヒーを見つめながら呟く。
「……でもさ、ここまで来て引けねぇよな」
「まぁな」
たけしも軽く頷く。
「今さらだ」
重く言うのではなく、どこか納得しているような言い方だった。
ノブは小さく息を吐く。
「だよな……」
そして少しだけ笑う。
「しくじったら終わりだな、俺ら」
冗談めかして言ったつもりだったが、どこか笑いきれていない。
たけしもそれに合わせて笑う。
「そん時はそん時だろ」
軽く返す。
その言葉は雑に聞こえるが、不思議と安心感があった。
ノブは肩の力を少し抜く。
「……お前がいると、なんとかなる気がするわ」
たけしは少しだけ目を細める。
「お互い様だろ」
短く返す。
その一言に、ノブも小さく笑った。
昼の穏やかな空気の中で、ふたりは同じ不安を抱えながらも、それを共有することで、わずかに心を落ち着けていた。




