24 【朝の街】
朝の池袋の街は、どこかまだ柔らかな空気に包まれていた。
ビルの谷間から差し込む陽の光は、少し眩しいくらいで、忙しなく動き出す人々の中に混じって、純一と香は並んで歩いていた。
行き先は、謙の家。
今日は、まいと謙、そして純一と香、四人で顔を合わせ、これからの動きを話し合うための大切な日だった。
沈黙も気まずさもない。
ふたりの間に流れているのは、ごく自然で、あたたかな空気だった。
そんな中、香がふと立ち止まり、純一の顔を見上げた。
「ねぇ、何かお土産でも買っていこうか?」
純一はその言葉に少し首をかしげ、それから頷いた。
「そしたら、飲み物でも買っていくか。……近くにコンビニあったはずだよな」
「うん、飲み物ならいくらあっても困らないし。朝だし、冷たいのも温かいのもあると助かるよね」
香はそう言って、にこっと笑った。
その笑顔に、純一もつられるように口元を緩める。
「……あいつ、寝起き悪いからな。コーヒーでも買って行ってやるか」
「ふふっ、まいちゃんは甘いのが好きだよ」
「謙は……なんでも飲むな、アイツ。っていうか、何も文句言わず飲む」
すると香が笑いながら
「そんな言い方、ひどいよぉ〜、謙さんいい人なんだから〜」
そんな他愛もない会話が、静かな池袋の朝の街にそよ風のように流れていった。
コンビニの看板が見えてくると、香が少し歩幅を速めた。
そのあとを、純一も肩を並べるようにして歩いていく。
コンビニの自動ドアが、静かに開いた。
冷んやりとした店内の空気にふたりの肌が少しだけひやっとする。
香は入るなり、まっすぐに冷蔵棚の方へと足を向けた。
「飲み物、あっちだよね」
そう言いながら、棚の並びをひとつひとつ確かめるように目を走らせる。
その背中を追うように、純一も店内用の小さな買い物かごを手に取り、香の後ろをついていった。
冷蔵コーナーにたどり着いたところで、香がふいに振り返る。
「ねぇ、純一」
「ん?」
香は真剣な表情で、純一の目をまっすぐに見つめながら、手元のかごの中をちらっと見て、言った。
「今日は飲み会じゃないんだからね。大事な話し合いなんだから。だから……お酒は“バツ”!」
そう言うと、香は両手を顔の前で大きくクロスして、ぴしっと「ダメ!」のポーズをして見せた。
真剣なんだけど、どこか可愛らしくて、その姿に純一は思わず口元を緩めた。
「わかってるって。ちゃんと分かってるから、大丈夫」
そう言って、純一はやさしく笑った。
どこか安心させるような微笑みで、その声には少しだけ照れも混じっていた。
香はその笑顔に、ふっと表情を和らげる。
「なら、よろしい」
小さく頷いて、また棚の方に視線を戻す香。
その横顔を見ながら、純一はかごを軽く持ち直し、そっと言った。
「……でも、コーヒーと炭酸はアリだよな?」
「それは……まぁ、いいけど」
ふたりは冷蔵棚の前でいくつかの飲み物を選び、レジで静かに会計を済ませると、コンビニのドアを押して外に出た。
外の空気は、朝の陽射しの下で少しずつ温もりを帯び始めている。
池袋の街は、休日らしい落ち着いた空気に包まれていた。
純一は手にした袋を軽く持ち上げるようにして言った。
「もうすぐそこだ。謙の家まで、あと少し」
それを聞いた香は、歩きながら少しだけうつむいた。
彼女の表情には、期待と不安が入り混じったような、なんとも言えない影が浮かんでいた。
「まいちゃんと……2日しか空いてないのに、なんだかすごく久しぶりに感じちゃう」
「そうか?」
「うん……なんかね、ちょっとだけ緊張してるの」
香は正直にそう打ち明けた。
無理に笑おうとするでもなく、淡々と自分の胸の内を言葉にする姿に、純一は少しだけ足をゆるめて隣を歩いた。
「香、大丈夫だよ。そんなに心配するなって」
優しい声でそう言うと、香は目を伏せて、小さく首を振った。
「ううん……わかってるつもりなの。でも、どうしても頭に浮かんでくるのは、まいちゃんが悲しそうにしてる姿ばかりで……
今までのこと、きっと傷になってるんじゃないかって、そう思うと……ね」
ふと立ち止まり、深呼吸をひとつして、香は遠くを見つめた。
「だから……今日会った時のまいちゃん、もしかしたら前とはまるで違うかもしれないって、少しだけ怖いの」
純一は、香の言葉を真剣に聞いてから、ゆっくりと口を開いた。
「多分な──俺の勘だけど」
「うん?」
「きっと、今日会うまいちゃんは……俺が初めて出会った頃の、あのまいちゃんに戻ってると思う」
「……あの頃?」
純一は微笑みながら、まいを思い出すように目を細めた。
「底抜けに明るくて、ちょっとおっちょこちょいで、見てるだけで笑わせてくれる……そんな子だった
まるで陽だまりみたいに、その場の空気をぱっと明るくしてくれる。
俺は、ああいうまいちゃんが戻ってきてると思うんだ。
だってさ──謙がそばにいるんだぜ?
そりゃ、戻るさ」
その言葉に、香の顔がゆっくりとほころぶ。
「……そうだね。まいちゃん、いい子だもんね」
「だろ?」
香はふっと笑い、空を仰いだ。
雲ひとつない空が、どこまでも続いているように感じられた。
ふたりはまた歩き出す。
少しだけ足取りが軽くなったのは、気のせいじゃなかった。




