19 これからの2人 (1)
「まい……なんかさ、こうして2人で食卓囲んでるの、すごく久しぶりな気がするよ」
俺がふとつぶやくと、まいは箸を少し止めて、微笑みながら「うん」と小さくうなずいた。
「本当だね……。なんだか、夢みたい」
その声には、少しだけ寂しさが滲んでいた。
まいは、グラスのビールをひと口飲んだあと、そっと視線を俺に向けて――ゆっくり、言葉を継いだ。
「私ね……香さんのこと、大好きだった。あの部屋で一緒に過ごした日々、毎日がすごく楽しくて、笑ってばかりだった。あの時間があったから、私は前を向けたんだと思う」
まいの目が、どこか遠くを見つめるように柔らかく揺れていた。
「でも……もう、あの頃の生活には戻れそうもないなって思うの。
まだ1日だけなのに、今、こうして謙がそばにいる事が当たり前になってて――それが、すごく幸せで、心から安心できるの。
特別なことなんて、もういらない。
どこかに出かけたり、豪華なものを食べたりしなくてもいい。
ただ、こうして隣にいてくれるだけで、それだけで、十分なの」
まいは、まっすぐに俺の目を見て、そう訴えるように語ってきた。
その目は、涙が溢れそうになる寸前で、それでも一生懸命、気持ちを言葉にしているようだった。
俺の胸にも、同じような想いが強くこみ上げていた。
この1日で、どれだけこの「当たり前」の時間が尊くて、どれだけまいの存在が自分を支えてくれているかを、俺は痛いほど実感していた。
だから俺は、言葉を選びながらも、まっすぐに答えた。
「まい……俺も、まったく同じ気持ちだよ。
この生活が、どれだけあったかいか。
毎日こうして笑って、なんでもないことを話して、一緒にご飯を食べて……そんな時間を、これからも続けていきたいって、心から思ってる」
言いながら、俺は一度息をついた。
まいの目を見つめたまま、静かに続ける。
「まだ時間はある。だから……純一に相談してみるよ。
今の生活が続けられるように、なんとかならないか、話してみる。
きっと、できる限りのことをしてくれると思うんだ」
まいは、俺の言葉を聞いた瞬間、優しく微笑んだ。
そして静かに、心からの頷きを返してくれた。
それはまるで――
「ありがとう。信じてるよ」
そう言葉にしなくても、伝わってくるような、あたたかい頷きだった。
グラスの中のビールが、静かに揺れていた。
今この瞬間が、永遠であってほしい。
俺は、そう願いながら、まいの横顔をそっと見つめていた。
夕食を囲む静かな時間の中、純一と香はゆっくりと食事をしながら、言葉を交わしていた。
手にした箸が進まないほど、2人の心にはひとつの思いが重く残っていた――まいと謙のことだ。
「純一……」
香が少し躊躇いながら口を開く。
「たぶんだけど、まいちゃん……もう戻ってこないと思うの」
純一は箸を止めて、小さくうなずいた。
「……あぁ。俺も、そう思うよ」
その言葉には諦めではなく、理解と納得がこもっていた。
「まいちゃんは……真っ直ぐな子だし。自分の気持ちに嘘をつけない。だからきっと、もう決めたんだと思う。あの時、謙さんからのメールでね「ごめん」の一言だけだった。見せてもらったけど、きっとそれがすごく不安になっていったんだと思うの。正直、私も驚いた。ごめんだけだった事にね。」
そうだったんだ。きっと謙はこれで終わると思っていたはず、俺もそう思っていた…
でも結果、作戦は失敗。また振り出しになってしまった。まいちゃんになんて書いていいか分からなかったんだろうなぁ……
まいちゃんがああして飛び出していった時から……きっとまいちゃん謙さんのそばでこのままって考えるだろうなぁってそんな気がしてた」
香は静かに、純一の横顔を見つめる。
「それに……謙もさ、あいつも今頃すごくそう思ってるはずだよ。離れたくないって。
あの時のあいつの背中、俺……今でも忘れられないんだ」
純一は少し言葉を詰まらせた。
あの時の記憶が、今も心に痛みを残している。
「あいつ無理してたよ。声もかけられないくらい、辛そうで……。なのに俺、何もできなかった。ただ見てることしかできなくて。……あの時の自分が情けなかった」
香はそっと微笑みながら、静かに首を振った。
「でもね、純一……。それは、謙さんの気持ちを一番分かってたからだよ。
無理に声をかけたり、引き止めたりしなかったのは、謙さんの気持ちが痛いほど理解していたからでしょ? それって、すごく優しいことだよ。
……純一は、やっぱり親友思いだよ」
その言葉に、純一はふっと笑いながら「ありがとな、香」と返した。
一瞬だけ、心がほぐれるような温かさが食卓を包んだ。
しかし次の瞬間、純一は真面目な表情に戻る。
「……でも、このままでいいのかなって疑問に思うんだ。
まいちゃんも謙も、きっと本当は一緒にいたいはずなのに。
それぞれが相手を思って、自分の気持ちを抑えて……それって、幸せなのかなって」
香はそっと頷いた。
「うん、私もそう思う。
だから、純一。……まいちゃんと謙さんが、また一緒にいられるようにしてあげられないかな?
戻れる方法、きっとあると思うんだ。純一が動けば、きっと――」
純一は少しのあいだ黙っていた。
静かに、グラスの中の水を見つめていたが――やがて決意のこもった声で応えた。
「……ああ、考えてみるよ。
俺にできることがあるなら、やってみたい。
あいつらがまた笑い合えるように……それが一番だからな」
食卓には静けさが戻ったが、2人の心の中には、あたたかな灯がともっていた。




