プライバシー大侵害
浅井が遮光カーテンの隙間をクリップで念入りに留めたのは、最初はごく普通の防犯意識からだった。
向かいのマンションからの視線を遮り、一人暮らしの気楽な夜を守る。それだけで十分なはずだった。
だが、一度「どこかで見られているかもしれない」という不快な予感にとらわれると、彼のプライバシーへの執着は歯止めが効かなくなっていった。
SNSをすべて削除し、買い物は現金のみ。部屋の中の家具や小物の配置は、毎日スマホの写真でミリ単位まで照合して管理するようになった。
「よし、今日も誰も僕を覗けていない」
確認を終えた浅井は満足げに息を吐き、部屋の中央に座り込んだ。
エアコンを切った六畳間は、まるで開演直前の劇場のように、奇妙な圧迫感を孕んだ静けさに包まれていた。
異変に気づいたのは、マグカップの影を見た時だ。
テーブルの上の配置は完璧だった。
しかし、天井のLED照明によって落ちているはずの影の角度が、昨日の写真と比べてわずかに東へズレていたのだ。照明は一つしかない。
影が曲がるはずがないのだ。
浅井の背中に冷や汗が伝った。どこかに隠しカメラの「レンズ」があり、そこから微弱な光が漏れているのではないか。
激しい焦燥感に駆られた彼は、盗聴器発見器を取り出し、壁やコンセントの隙間をスキャンした。だが、反応は一切ない。
不安に耐えかねた浅井が壁に手を当てると、断熱材が入っているはずの壁面が、生温かくしっとりと湿っていた。
まるで、無数の人間が壁のすぐ向こうで重なり合い、息を吹きかけ続けているかのように。
「誰だ……どこから覗いてる……!」
狂気に呑まれた浅井は、服の繊維に隠しカメラがあるかもしれないと服を脱ぎ捨て、部屋の照明スイッチを叩き切った。
光が一切なければ、何者も自分を見ることはできない。完全な暗闇こそが、唯一の安全地帯のはずだった。
「これで……僕の勝ちだ」
安堵した次の瞬間、浅井は絶句した。
漆黒の闇の中、なぜか自分の肌だけが白くぼんやりと発光し、足元から壁に向かって、くっきりと影が伸びていたのだ。
光などどこにもない。光を放っていたのは、浅井自身の「体内」だった。
浅井は理解した。
この部屋は人間界の自室などではない。
異形のあちら側の世界に設置された「透明な展示ケース」だったのだ。
部屋を暗くすればするほど、壁はあちら側から見て透明になり、内側から発光する人間の「私生活」が鮮明に浮かび上がる仕組みだったのだ。
「ああ……なんて素晴らしい……」
壁の向こうの生温かい闇から、うっとりとした異形たちの感嘆の吐息と、地鳴りのような拍手が湧き起こった。
浅井がプライバシーを守ろうと必死にもがく姿こそが、彼らにとって極上のエンターテインメントだった。
叫ぼうとした喉は引きつり、声にならない。
彼の完璧な秘密は今この瞬間も、万雷の拍手の中で晒され続けている。




