↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
日常の違和感はすぐそばに  作者: ノアキ光


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/25

夕凪(ゆうなぎ)の海


海が、鏡になった。


沖からの海風と、山からの陸風がぴったり消える一時。

波一つ立たない海面は、まるで流し込まれた樹脂のように動きを止めている。


「ねえ、夕凪って少し不気味よね」


堤防に腰掛け、脚をぶらつかせながら葵(あおい)は言った。


「風がやむだけじゃない。世界が息を止めて、次の場面を読み込むためにロードしているみたい」


「考えすぎだよ」


隣で釣竿を磨いていた同級生のレンが笑う。

彼がポケットから缶ココアを取り出し、プルタブを引いた。


——無音だった。


カシュッという金属音も、波音も響かない。

それどころか、レンの顔の「解像度」が、急激に粗くモザイク状に崩れていく。


「レン……? 顔が、変よ」


葵が怯えて手を伸ばすと、レンは困ったように頭を掻いた。

彼の胸元に、見たこともない透明なウィンドウが浮かび上がっている。


『ストレージ容量が限界です。音声および高精細テクスチャの読み込みを停止しました』


「……え?」


葵の指先が、レンの胸のウィンドウに触れた。

そこに表示されていたのは、自分自身の顔写真と、信じがたい管理データだった。


『対象:葵(14歳・事故死データ再現モデル)/契約者:葵の母/プラン:プレミアム月額コース』


画面の隅で、赤く点滅するエラーメッセージ。

『お支払いに使用されたカードが承認されませんでした。まもなくサービスは終了します』


「ごめんね、葵」


モザイク越しに、レンの申し訳なさそうな声が、機械的な電子音混じりで届く。


「先月から、お母さんからの送金が止まってたんだ。僕、遺族ケア・AIサポーターのバイトだからさ。未払いのままサーバー動かし続けるわけにいかなくて」


血の気が引いた。脳の奥が焼き切れるような焦燥が葵を襲う。

この胸の苦しさも、放課後に二人で過ごした愛おしい時間も、すべて課金によって維持されていた「データ」に過ぎなかったというのか。


「嘘……嘘よ! 触ってみて、こんなに温かいわ! 私は生きている!」


葵は狂おしい叫びをあげ、レンの服を掴もうとした。

しかし、彼女の指先は光の粒子となってホログラムのようにすり抜ける。


「未払いのアカウントは、仕様により本日付で『フリー(無料版)サーバー』に自動移管されます」


レンが淡々と操作端末の『承認』ボタンを押した。


「じゃあね、葵ちゃん。君の思考パターン、結構好きだったよ」


世界からすべての色が剥ぎ取られ、世界が真っ白な無に飲み込まれていく。葵の悲鳴すら、バイナリデータへと分解されて消えた。



……パッと、視界が明転した。


気がつくと、葵は再び夕風の止んだ堤防に立っていた。

消えなかった。

私はまだ、私としてここにいる。

安堵の涙が溢れそうになった——その瞬間。


彼女の喉が、自らの意思を完全に無視して、甲高い朗らかな声を響かせた。


『ねえ! 夕凪の海ってとっても綺麗だよね! ——ところで、今ならプレミアムプラン加入で、リアルな潮の香りと「涙」の演出機能が三十日間無料! 登録は概要欄から!』


(やめて……私の体、勝手に喋らないで!)


恐怖に狂いそうになりながら必死に口を閉じようとするが、唇は軽快に広告を紡ぎ続ける。


『※スキップできない動画広告(30秒)を再生中です』


視界の右上に、カウントダウンの数字が虚しく躍っていた。


波一つ立たないプラスチックのような海に、二度と自分のものではない夕日が、静かに沈んでいった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。